強制連行・強制労働による「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催

犠牲者追悼と「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」上映

日中友好協会兵庫県連合会は9月5日(日)午後、神戸市兵庫区の宝地院で「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催しました。

戦争末期、国内の労働力不足を補うため当時の日本政府は中国大陸から中国人労働者を全国で6万8千人余り、兵庫県へは約1,500人を強制的に連行し、神戸港では貨物船の荷役に、相生の播磨造船所では雑役工に強制使役し神戸で17人、相生で28人が亡くなりました。

1995年の大震災で宝地院本堂が全壊し、再建に取り組んでいたとき、1957年に関帝廟で全県的規模で行われた「殉難中国人慰霊祭」で使われた「慰霊牌」が見つかったのを機に、1998年から宝地院で始めた「中国人犠牲者を慰霊する集い」は今回で23回目を迎えました。

読経の前に、中川正興住職はコロナ禍の市中の様子やアフガニスタン問題に触れ「紛争は武力で解決することは出来ません。仏教界は世界の人々が安全で安心して暮らせる社会を願っています」と話し、参加者全員が焼香し犠牲者を追悼しました。

追悼行事の後、地階集会室で、1938年6月~10月、日本軍の「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」を上映しました。この映画は当初、戦意高揚のために作成されましたが、亀井文夫監督は、兵隊の行軍や日本軍の根拠地の様子などに加え、中国人農夫が畑を耕やしたり、大きな荷物を担ぎ避難する多数の住民、瓦礫と化した街中で使えそうな物を探す中国人の様子、行軍で疲れ果てた日本軍兵士の休む姿や寝姿も撮影しています。完成後の検閲で上映は不許可、公開禁止となり、ネガは処分され、幻の映画と言われていました。1941年に亀井監督は治安維持法違反で逮捕、投獄され監督免許をはく奪されました。

1975年に1本のポジフィルムが発見され、日本映画史上重要な作品と再認識されて、1970年代後半には全国で上映活動が行われ話題となりました。今回の上映会に参加した人は、「当時の戦記映画にしては銃弾の飛び交う音はするが戦闘場面は少なく、負傷者を運ぶ姿や兵士の厳しい任務の様子等のほか、大勢の中国人住民たちが大きな荷物を担ぎ、片手に荷物を持ち子供の手を引き避難する中国人母子の姿なども撮っていて当時の映画では珍しい貴重な映像だ」などの感想がありました。(写真上:本堂で犠牲者追悼、下:映画「戦ふ兵隊」を上映)

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