天下第一の名山・泰山をゆく
今回ご紹介するのは、山東省の省都・済南の南にそびえる泰山(たいざん)です。 中国の道教における五つの霊山「五岳」のひとつで、東岳泰山として古来より「天下第一山」と称えられてきました。標高は1532m。 中華文明の五千年の歴史を象徴する山であり、秦の始皇帝から清朝に至るまで、13代の皇帝が国家の繁栄を祈る儀式「封禅」を行った場所としても知られています。
■ 7000段の石段を、ただひたすらに
登山口は麓の町・泰安。 ここから山頂までは、なんと約7000段の石段が続きます。
ロープウェイもありますが、 「霊験あらたかな山なのだから、自分の足で登りたい」 そんな思いが勝り、歩いて登ることにしました。
最初の目標は中天門。 出発して1時間ほどで到着し、ここでようやく中間点近く。 遠くには、次の目標である南天門が小さく見えています。
しかし、見れば見るほど険しそうな道のり。 それでも当時の私は楽天的で、 「まあ、なんとかなるだろう」と歩みを進めました。
1時間、2時間、3時間…… 頂上が近づくにつれ、休憩の回数はどんどん増え、 最後は10段、20段登るごとに休むほどの状態に。 それでも途中には多くの石刻があり、 それらを眺めながら息を整える時間もまた楽しいものでした。
そしてついに南天門へ到着。 思わず「万歳」と叫びたくなる達成感でした。
■ 「五岳独尊」の石刻と、あふれる人の波
山頂手前には、泰山を象徴する有名な石刻 「五岳独尊」があります。 ここは絶好の撮影スポットですが、 訪れたのが国慶節の大型連休だったため、 あたりは「人人人」という状態。 誰も写り込まない写真を撮るのは、さすがに不可能でした。
本当は山頂に泊まり、 中国水墨画にもよく描かれる泰山の日の出を見たかったのですが、 今回は駆け足の旅で叶わず。 お参りを済ませ、下山はロープウェイを利用しました。
■ 「五岳から帰れば山を見ず」
中国にはこんなことわざがあります。
「五岳から帰れば山を見ず」 五岳を見てしまえば、ほかの山は目に入らなくなるほど素晴らしい、という意味です。
そしてこの言葉には続きがあります。
「〇〇から帰れば岳を見ず」
この“〇〇”に入る場所こそ、五岳をも超える名所。 その答えは、また次回のお楽しみに。

6月6日・7日の両日、「第75回全国大会」が初夏の陽光まぶしい沖縄・那覇市で開催されました。全国から代議員、評議員、役員など120名を超える参加があり、会場は久しぶりの再会を喜ぶ笑顔と、これからの活動を語り合う熱気に包まれました。兵庫県からは5名の代表が参加し、各地の仲間との交流を深めました。
中国・四川省のジャイアントパンダ国立公園で、山中を歩く“白いパンダ”の最新映像が公開されました(新華ネット・5月26日付)。 白いパンダが初めて確認されたのは2019年。四川の自然保護区管理局が、保護区内で撮影した1枚の写真を公表し、大きな話題となりました。今回公開された映像は、その個体が成長した現在の姿を捉えたものです。
あまり知られていませんが、中国・陝西省の「秦嶺四宝科学公園」には“茶色いパンダ”がいます。名前は「七仔(チーザイ)」。2009年に秦嶺山脈で発見・保護された個体です。
両者は1万年以上前に分岐し、その後は地理的に隔てられたまま交流・交配がないとされています。生息数は四川亜種が全体の約3分の2を占め、圧倒的に多い状況です。
5月17日、兵庫県原水協の理事会(総会)が開かれ、午前中には4月27日~5月22日に国連本部で行われた「NPT(核不拡散条約)再検討会議」へ兵庫県から参加した4名による報告が行われました。
広東省広州市から西へ約80km。 ガイドブック『地球の歩き方・広州編』に「小桂林」と紹介されていた肇慶市に、ふと思い立って出かけることにしました。
肇慶に着くとまず帰りのバスの切符を確保し、売店で地図を購入。 すぐ近くに「七星岩」の門があり、そこが“小桂林”と呼ばれる景勝地でした。
のか」と胸が高鳴りました。
今回は「初めての旅」ゆえにハプニング続きで、 景勝地の紹介は少し控えめになりました。
1966年の文化大革命の影響で日中交流が途絶えたことを受け、「二度と戦争をしない」という思いを形にしようと全国で記念碑建立の機運が高まり、1968年に多くの市民の協力でこの碑が完成しました。 壊れたままになっていた説明板も、2019年に再び多くの人々の力で新しく設置されたとのことです。行政との調整は難航したものの、平和への願いが実を結んだエピソードに、参加者は深く耳を傾けていました。
その後、会場を料理旅館「花のいえ」へ移し、昼食交流会が行われました。 食事の前には、宇治市議会議員・佐々木まゆみさんから、市民の声をどう議会に届け、実現していくのか――市民運動と議会活動の両面から語られる実体験に、参加者は熱心に聞き入りました。
昨晩、CCTV4の国際ニュースを視聴していたところ、番組の中でごく短い時間ではありましたが、日本の小泉防衛大臣と米国のヘグセス国防長官が言葉を交わしている映像が映りました。 その後すぐに画面はトマホーク巡航ミサイルの映像に切り替わり、会談の様子は一瞬で終わってしまいましたが、話の大まかな流れはつかめたように思います。


1974年3月。 西安市臨潼区・西楊村の荒れ地で井戸を掘っていた村人、楊志発(ヤン・ジーファ)さんが、偶然陶製の人形のような破片を掘り当てました。
役場から連絡を受けたのが、考古学者の袁仲一(エン・チョンイー)先生でした。 陶片が「人形の頭部や体の一部」であること、そして始皇帝陵の近くで見つかったことから、 「これは始皇帝陵の副葬品ではないか」 と直感し、本格的な発掘に踏み切ります。
しかし、発掘の事実は中国政府により厳重に秘匿され、写真撮影も固く禁じられていました。 そんな中、世界で初めて兵馬俑の姿を写真で紹介したのが、アメリカの女性ジャーナリスト オードリ・トッピングさんです。
こうして兵馬俑は破壊を免れ、世界の宝として日の目を見ることになりました。 その陰には、