鉄道の線路上を力強く走り抜け、旅客の安全な移動を支える一台の機関車があります。 その名は 「共産党員号」。赤い車体がひときわ目を引く、全国で唯一の特別な機関車です。
■「共産党員号」とは
「共産党員号」機関車は、中国鉄路沈陽局集団有限公司・沈陽機務段に所属し、牽引機は「和諧D3D1921」型。 2016年7月1日に正式に「共産党員号」と命名され、今年でちょうど10周年を迎えました。
車体のベースカラーは鮮やかな赤と深いワインレッドの組み合わせ。 車頭に掲げられた大きなエンブレムには、党徽・麦穂・歯車などの象徴的なモチーフがあしらわれています。
■乗務するのは全員が共産党員の運転士
「共産党員号」には10名の運転士が所属しており、全員が共産党員。 1本の列車には2名が乗務し、走行中は交代しながら運転します。
出発前には、機関車の連結状態や電源設備の正常性、列車番号や編成情報、出発信号など多くの項目を確認し、 すべてが整ったのを確認してから汽笛を鳴らし、列車をゆっくりと動かします。
■国際列車から長距離列車まで幅広く牽引
「共産党員号」はこれまでに、
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北京〜モスクワ間の国際連絡列車
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K19/20次列車の北京〜ハルビン区間
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丹東〜北京間のK27/28次列車 など、数々の重要な牽引任務を担ってきました。
2021年7月からは、K54/53次列車を担当。 毎日、沈陽北駅と北京駅を往復し、所要時間は約8時間。 夕方に出発し翌朝に到着する「夕発朝至」の直通運行です。
■全車両が寝台、旅客からの人気も高い
編成は硬臥(ハード寝台)13両、軟臥(ソフト寝台)3両、高級軟臥1両の計17両。 機関車の特別な意味合いから、停車駅のホームでは記念撮影をする旅客の姿も多く見られます。
7月1日、杭州から乗車した田さんはこう語りました。 「今年は中国共産党創立105周年。旅の途中で『共産党員号』に出会えて、記念写真まで撮れたのは本当に幸運でした。旅に特別な意味が加わりました。」
また、旅客の李さんは笑顔で話します。 「乗車前にわざわざ『共産党員号』を見に行きました。車両の型式も確認しましたよ。列車がゆっくりホームを離れると、とても安心した気持ちになりました。車内も快適で、眠っているうちに翌朝には北京に着くんです。」
■赤い機関車は使命を胸に走り続ける
赤い車体は星の光を映し、 「共産党員号」は今日も前へ進み続けます。 使命を胸に、力強く駆け抜け、 新たな旅路でその栄光をさらに刻んでいくのです。
出典:中国鉄路

今回は、中国内陸部・四川省の北端に位置する九塞溝(きゅうさいこう/ジウジャイゴウ)です。 省都・成都から飛行機なら1時間足らず、現在では高鉄(新幹線)で約2時間と、アクセスは非常に便利になりました。
九塞溝には数多くの名勝がありますが、その代表格が五花海です。
九塞溝の最奥、海抜3100mに位置する五彩池は、 まさに九塞溝の象徴ともいえる場所です。
入り口から歩いていくと、連なる湖沼の間に盆景灘瀑布が現れます。 海抜2000m付近なので、夏でも涼しい風が心地よく感じられました。
夏の訪れとともに、兵庫県内の各地域で恒例の「戦争展」が開催されます。 戦争の記憶を語り継ぎ、平和の尊さを次の世代へ手渡すために続けられてきた取り組みで、今年も多くの市民団体が力を合わせて準備を進めています。
ところが、2020年の全国人民代表大会で「国家通用語文」普及政策が決議され、これに基づき教育内容が大きく変更されました。 同年9月の新学期から、小中学校の「語文(国語)」「政治(道徳)」「歴史」は漢語の教科書を使用し、授業も漢語で行うことが決定。つまり、1年生から漢語による授業が始まることになったのです。
今回のテーマは、近代中国を語るうえで欠かせない 毛沢東と蒋介石。 二人の歩んだ道は、中国の近代史そのものと言っても過言ではありません。
私が龍門石窟を訪れたのは、五一(メーデー)の休暇。 当時(2008年)はまだ旅行アプリなど使っておらず、 ガイドブックを見てホテルに電話し、中国語で予約していました。
龍門石窟は北魏の龍門期(494〜520)に始まり、 その後、隋・唐の時代まで掘り続けられ、 実に400年以上にわたって造営が続いた巨大な石窟群です。
この時の衝撃は、今でも忘れられません。
歴史上は雲崗石窟の後に龍門石窟が造られましたが、 私はその順序も知らず、 しかも龍門が“初めて訪れた石窟”でした。
中国では長く儒教が中心でしたが、西暦1世紀ごろ、インドから仏教が伝来しました。 漢の時代を経て五胡十六国の混乱期に入り、北魏では一時「廃仏」が行われます。 しかし文成帝が仏教を復興し、僧・曇曜に命じて460年、ついに雲崗石窟(うんがんせっくつ)の開削が始まりました。
バス停「雲崗石窟」で降りて歩き始めると、 遠くに大きな石仏が見えてきます。 これが最初に削り出された曇曜の五窟。 北魏の初代・道武帝から文成帝までの五人の皇帝になぞらえて造られたものです。
粗い砂岩質の岸壁を削り出して造られた巨大仏。 460年から60年以上、途切れることなく彫り続けられたといいます。 しかも失敗なく、均整の取れた美しい姿を保っている―― その事実を前にすると、 「これは本当に人間の手によるものなのか」と思わず息をのみました。
北魏は孝文帝の時代(494年)、都を平城から洛陽へ遷都しました。 それにより、460年から続いた雲崗での仏教彫刻――雲崗期は終わりに近づき、 新たに洛陽での仏教彫刻、すなわち龍門期が始まります。
最近、 あるネットユーザーが
旅客列車の“行李車(荷物車)”を表す記号なんです。



前回の終わりに触れたことわざ、 「五岳から帰れば山を見ず、〇〇から帰れば岳を見ず」。 この“〇〇”に入るのが、今回ご紹介する黄山(こうざん)です。
黄山には69の峰があり、そのうち16の峰が特に素晴らしいとガイドブックに紹介されていました。 山中で1泊する予定だったので、 「2日間で16峰すべて制覇しよう」と意気込んで出発しました。
翌朝は暗いうちに出発し、 日の出が最も美しいと言われる光明峰へ向かいました。
黄山には三主峰と呼ばれる 蓮花峰・光明峰・天都峰があります。