今年で 31回目 を迎える「尼崎平和のための戦争展」が、8月21日から23日までの3日間、尼崎市立中央北生涯学習プラザで開催されました。 長年続く取り組みだけに、会場には地域の歴史を伝える資料や市民の思いが丁寧に並び、訪れた人々が静かに展示を見つめる姿が印象的でした。
実行委員会は、市内のさまざまな団体が力を合わせて構成されており、地域ぐるみで平和を考える場として定着しています。
📚 多彩な展示と体験のコーナー
会場には、戦争の記録や写真、地域に残る資料を紹介する展示コーナーのほか、 ・紙芝居 ・映画上映会 ・被爆体験・戦争体験の語り部コーナー など、子どもから大人まで幅広い世代が参加できる内容が揃っていました。
紙芝居の前では小さな子どもたちが真剣な表情で見入っており、語り部のコーナーでは、来場者が静かに耳を傾けながらメモを取る姿も見られました。 「体験を語り継ぐ」という取り組みが、世代を超えて受け継がれていることを感じさせます。
👶 初日の朝には保育園児も来場
初日の朝一番には、近くの保育園の子どもたちが先生に連れられて見学に訪れました。 小さな手をつないで展示を見て回る姿はとても微笑ましく、戦争展が地域の教育の一環としても活用されていることが伝わってきます。
幼い頃から「平和について考えるきっかけ」を持つことは、きっと大切な経験になるはずです。
🎥 映画「はだしのゲンはまだ怒っている」上映
22日には大ホールで、映画 「はだしのゲンはまだ怒っている」 の上映が行われました。 原爆の悲惨さと、今も続く課題を問いかける作品で、多くの来場者が足を運びました。
上映後には、作品の余韻を胸に静かに会場を後にする人の姿が多く見られ、映画が投げかけるメッセージの重さを感じさせました。
🌿 おわりに
「戦争展」は、ただ過去を振り返るだけの場ではなく、 “平和を守るために、今できることを考える場” として、地域に根付いてきました。
今年も多くの人が足を運び、展示や語り部の言葉からさまざまな思いを受け取った3日間でした。 来年もまた、地域の力で平和の大切さを伝える取り組みが続いていくことでしょう。

昼から、布達拉宮のすぐ近くにある大昭寺(ジョカン寺)へ向かいました。 ここも世界遺産に登録されており、ラサの中心に位置するチベット仏教の聖地です。
大昭寺の前では、多くの信者が五体投地をしていました。
巡礼者は大昭寺へ向かう巡礼道「バルコン」を通り、 マニ車を回しながら歩く人もいれば、 五体投地を繰り返しながら少しずつ前へ進む人もいます。
参加者は3組に分かれて調理を開始。 手際よく包丁を進める人、調味料の分量や順番を丁寧にメモする人、それぞれのスタイルで和気あいあいと作業が進みます。気がつけば1時間ほどで全品が完成し、テーブルには色鮮やかな料理が並びました。
広島市長を1991年から2期8年務めた平岡敬(ひらおか たかし)さんは、現在98歳。ご高齢ながら、いまも「アメリカによる核爆弾投下の責任追及」「二度と核兵器が使われない世界をつくるために」などのテーマで講演を続け、新聞・雑誌への寄稿も精力的に行っています。
1972年の日中共同声明には、次の三点が明確に示されています。
7月28日午後、中国駐大阪総領事館主催による「東京裁判開廷80周年記念シンポジウム」が、同館2階ホールで開催されました。当日は約80名が参加し、日中友好協会からは兵庫県連の3名、大阪府連の山本会長、和歌山県連の石田事務局長夫妻が出席しました。会場には学生を中心とした若い世代の姿が多く、参加者の半数を占めていました。
昨晩は少し頭痛がありましたが、朝になるとすっかり回復していました。 ホテル近くの小さな雑貨屋へ行くと、店番のおばさんが「你好」と声をかけてくれます。 一度会っただけなのに挨拶してくれる――その温かさがとても心地よく感じられました。
その後、国内の仏教対立や王位継承問題などで吐蕃は877年に滅亡。 時代は流れ、1642年にダライ・ラマ5世がチベットを再統一し、 3年後に増築する形で布達拉宮の建設が再開されました。 歴代のダライ・ラマによる増改築が続き、 1936年に現在の姿となりました。
布達拉宮では屋上にも上がることができました。 写真で見る布達拉宮は壮麗ですが、 屋上から眺める景色もまた格別です。
布達拉宮は、現在の中国で発行されている50元紙幣の裏面に描かれています。
中国の旅では、いつも安ホテルを利用しています。 今回も写真にあるような二階建ての素朴なホテルに宿泊しました。
納木错の標高は4700m。 酸素ボンベを携帯しての訪問です。
湖の向こうには、 万年雪をいただく7000m級のニェンチェンタンラ山脈が横たわり、 静寂の中に圧倒的な美しさが広がっています。
この神聖な湖でも、祈祷旗と同じくらいよく見かけるものがあります。 それはヤクの糞です。