チベットの象徴 ― 布達拉宮(ポタラ宮)を訪ねて
昨晩は少し頭痛がありましたが、朝になるとすっかり回復していました。 ホテル近くの小さな雑貨屋へ行くと、店番のおばさんが「你好」と声をかけてくれます。 一度会っただけなのに挨拶してくれる――その温かさがとても心地よく感じられました。
今日もバナナと飲み物を買い、 昨日入手した入場整理券を手に、いよいよ布達拉宮(ポタラ宮)へ向かいます。
■ 観音菩薩の名を冠した宮殿
「布達拉」という名は、観音菩薩が住むというサンスクリット語 「ポータラカ」に由来します。
布達拉宮は7世紀初め、チベットを統一した 吐蕃(とばん)第33代王・ソンツェン・ガンポが マルポリの丘に築いた宮殿が始まりです。
その後、国内の仏教対立や王位継承問題などで吐蕃は877年に滅亡。 時代は流れ、1642年にダライ・ラマ5世がチベットを再統一し、 3年後に増築する形で布達拉宮の建設が再開されました。 歴代のダライ・ラマによる増改築が続き、 1936年に現在の姿となりました。
布達拉宮は、 チベット仏教の総本山であり、 チベット政権の中心でもあります。 13階建て、部屋は2000以上とも言われる巨大な宮殿です。
■ 白宮と紅宮 ― 役割の異なる二つの領域
布達拉宮は大きく「白宮」と「紅宮」に分かれます。
● 白宮
歴代ダライ・ラマの住居であり、政治の中心。 外壁が白く塗られていることから「白宮」と呼ばれます。
● 紅宮
金箔で覆われた歴代ダライ・ラマの霊塔が並び、 ミイラとなったダライ・ラマたちが永久の眠りについています。 荘厳でありながら、どこか背筋が伸びるような空気が漂っていました。
壁画も多く、まさにチベット美術の宝庫です。
■ 屋上から眺めるラサの街
布達拉宮では屋上にも上がることができました。 写真で見る布達拉宮は壮麗ですが、 屋上から眺める景色もまた格別です。
素朴な街並みとチベット高原が一望でき、 「ここがラサなのだ」と胸に染み入るような新鮮さがありました。
■ 50元紙幣の裏面に描かれる宮殿
布達拉宮は、現在の中国で発行されている50元紙幣の裏面に描かれています。
余談ですが、中国の紙幣には 中国語のピンイン表記に加え、 モンゴル文字(モンゴル語)、 チベット文字(チベット語)、 アラビア文字(ウイグル語)、 アルファベット(チワン語)で 「中国人民銀行」と記されています。 多民族国家らしい表記です。
■ 午後はジョカン寺へ
布達拉宮の余韻を胸に、 午後は同じ世界遺産であるジョカン寺(大昭寺)を訪れます。
ラサの中心にあり、チベット仏教の信仰が最も濃く息づく場所。 次回はそのジョカン寺の旅をお届けします。


中国の旅では、いつも安ホテルを利用しています。 今回も写真にあるような二階建ての素朴なホテルに宿泊しました。
納木错の標高は4700m。 酸素ボンベを携帯しての訪問です。
湖の向こうには、 万年雪をいただく7000m級のニェンチェンタンラ山脈が横たわり、 静寂の中に圧倒的な美しさが広がっています。
この神聖な湖でも、祈祷旗と同じくらいよく見かけるものがあります。 それはヤクの糞です。

同盟国に使用中止を働きかけ
NVIDIA製半導体の供給を止めようとしたものの、DeepSeekは独自に半導体を確保し高性能AIを完成。 その影響でNVIDIA株が急落したことも紹介されています。
前回ご紹介した九塞溝のすぐ隣、 といっても山ひとつ隔てて何十キロも離れていますが、 四川省北部にはもう一つの絶景、黄龍(ホアンロン)があります。
ここは、石灰分を含んだ湧水が 気の遠くなるような年月をかけて自然に作り上げた石灰棚。 その棚田のような段々に、 彩池(さいち)と呼ばれる湖沼がどこまでもどこまでも続いています。
私は文学の才能はありませんが、 黄龍を歩きながら「水色とは何か」を考えさせられました。
「共産党員号」機関車は、中国鉄路沈陽局集団有限公司・沈陽機務段に所属し、牽引機は「和諧D3D1921」型。 2016年7月1日に正式に「共産党員号」と命名され、今年でちょうど10周年を迎えました。
「共産党員号」には10名の運転士が所属しており、全員が共産党員。 1本の列車には2名が乗務し、走行中は交代しながら運転します。
編成は硬臥(ハード寝台)13両、軟臥(ソフト寝台)3両、高級軟臥1両の計17両。 機関車の特別な意味合いから、停車駅のホームでは記念撮影をする旅客の姿も多く見られます。
赤い車体は星の光を映し、 「共産党員号」は今日も前へ進み続けます。 使命を胸に、力強く駆け抜け、 新たな旅路でその栄光をさらに刻んでいくのです。
今回は、中国内陸部・四川省の北端に位置する九塞溝(きゅうさいこう/ジウジャイゴウ)です。 省都・成都から飛行機なら1時間足らず、現在では高鉄(新幹線)で約2時間と、アクセスは非常に便利になりました。
九塞溝には数多くの名勝がありますが、その代表格が五花海です。
九塞溝の最奥、海抜3100mに位置する五彩池は、 まさに九塞溝の象徴ともいえる場所です。
入り口から歩いていくと、連なる湖沼の間に盆景灘瀑布が現れます。 海抜2000m付近なので、夏でも涼しい風が心地よく感じられました。
ところが、2020年の全国人民代表大会で「国家通用語文」普及政策が決議され、これに基づき教育内容が大きく変更されました。 同年9月の新学期から、小中学校の「語文(国語)」「政治(道徳)」「歴史」は漢語の教科書を使用し、授業も漢語で行うことが決定。つまり、1年生から漢語による授業が始まることになったのです。
私が龍門石窟を訪れたのは、五一(メーデー)の休暇。 当時(2008年)はまだ旅行アプリなど使っておらず、 ガイドブックを見てホテルに電話し、中国語で予約していました。
龍門石窟は北魏の龍門期(494〜520)に始まり、 その後、隋・唐の時代まで掘り続けられ、 実に400年以上にわたって造営が続いた巨大な石窟群です。
この時の衝撃は、今でも忘れられません。
歴史上は雲崗石窟の後に龍門石窟が造られましたが、 私はその順序も知らず、 しかも龍門が“初めて訪れた石窟”でした。
中国では長く儒教が中心でしたが、西暦1世紀ごろ、インドから仏教が伝来しました。 漢の時代を経て五胡十六国の混乱期に入り、北魏では一時「廃仏」が行われます。 しかし文成帝が仏教を復興し、僧・曇曜に命じて460年、ついに雲崗石窟(うんがんせっくつ)の開削が始まりました。
バス停「雲崗石窟」で降りて歩き始めると、 遠くに大きな石仏が見えてきます。 これが最初に削り出された曇曜の五窟。 北魏の初代・道武帝から文成帝までの五人の皇帝になぞらえて造られたものです。
粗い砂岩質の岸壁を削り出して造られた巨大仏。 460年から60年以上、途切れることなく彫り続けられたといいます。 しかも失敗なく、均整の取れた美しい姿を保っている―― その事実を前にすると、 「これは本当に人間の手によるものなのか」と思わず息をのみました。
北魏は孝文帝の時代(494年)、都を平城から洛陽へ遷都しました。 それにより、460年から続いた雲崗での仏教彫刻――雲崗期は終わりに近づき、 新たに洛陽での仏教彫刻、すなわち龍門期が始まります。
最近、 あるネットユーザーが
旅客列車の“行李車(荷物車)”を表す記号なんです。


