中国旅の思い出(第5回)

400年掘り続けられた祈り ― 龍門石窟との出会い

494年、北魏の孝文帝は都を平城から洛陽へ移しました。 これにより、仏教彫刻史は雲崗期(460〜494)から、 新たな龍門期(494〜520)へと舞台を移します。 今回ご紹介するのは、その龍門期の中心地――龍門石窟(ろんもんせっくつ)です。

■ 牡丹の季節、洛陽へ

私が龍門石窟を訪れたのは、五一(メーデー)の休暇。 当時(2008年)はまだ旅行アプリなど使っておらず、 ガイドブックを見てホテルに電話し、中国語で予約していました。

中国語が堪能ではなかったため、 電話口で相手が早口でまくしたてると、ほとんど理解できません。 この時も色々言われましたが、 「可以(カーイ/はい)」「不可以(ブカーイ/いいえ)」以外は言うな、と自分に言い聞かせ、 「〇月〇日、一人、泊まりたい」とだけ伝えると、可以と言われて予約成立。

洛陽のホテルに着いて、ようやく相手が言いたかったことが判明しました。

中国の国花は牡丹。 そして牡丹の名所といえば洛陽。 5月はちょうど牡丹の季節で、街では牡丹節が開催されており、 宿泊費が通常の約1.5倍になる―― これを伝えたかったようです。

せっかくの機会なので、まず中国国家牡丹園を訪れました。 牡丹は「富貴の花」と呼ばれるだけあって、 可憐というより、堂々と華やかで、見事な美しさでした。

■ 400年以上掘り続けられた石窟群

牡丹の余韻を胸に、龍門石窟へ向かいました。

龍門石窟は北魏の龍門期(494〜520)に始まり、 その後、隋・唐の時代まで掘り続けられ、 実に400年以上にわたって造営が続いた巨大な石窟群です。

雲崗の粗い砂岩質とは異なり、 龍門は緻密で硬い岩質のため、巨大な石窟を開削することはできませんでした。 そのため、仏像の様式も変化し、 面長でなで肩、首が長く華奢な印象が強まり、 西域風の意匠は薄れ、中国固有の造形が際立つようになります。

石窟は伊河沿いに約1kmにわたり続き、 10万体の仏像が納められていると言われます。

■ 小さな石窟の連続、そして突然現れた巨大仏

市バスの「龍門石窟」停留所で降り、 北魏時代に掘り始められた古陽洞から順に見ていきました。

小さな石窟や仏像が延々と続き、 「10万体と言われても確かに納得だな」と思いながら歩き続けること1時間以上。 少し疲れを感じ始めたその瞬間――

目の前に、巨大な仏像が突然現れたのです。

この時の衝撃は、今でも忘れられません。

そこは奉先寺洞。 唐の時代(675年)に完成した龍門石窟の象徴で、 本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)が鎮座しています。

当時の実権を握っていた則天武后に似ていると噂された仏像で、 静かに、しかし圧倒的な存在感で私たちを見下ろしていました。

■ 石窟を知らずに訪れたからこそ

歴史上は雲崗石窟の後に龍門石窟が造られましたが、 私はその順序も知らず、 しかも龍門が“初めて訪れた石窟”でした。

石窟がどんなものかもほとんど知らない状態で、 突然あの巨大仏が目の前に現れた時の驚き―― 言葉ではとても伝えきれません。

ぜひ皆さんも、中国を旅して、 自分だけの“驚き”を見つけてみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です