中国旅の思い出

中国旅の思い出(第1回)

はじめての一人旅 ― 小桂林・肇慶へ

中国を旅した日々の思い出を、これから数回にわたって綴っていきたいと思います。 お付き合いいただき、「ここは私も行ってみたい」と感じていただければ嬉しい限りです。

中国には数えきれないほどの景勝地があります。 その中でも最初にご紹介したいのは、私が中国に赴任して間もない頃、初めて一人で出かけた小さな旅のことです。もう20年ほど前の話になります。もちろん日帰りの小旅行でした。

 

■ 目的地は「小桂林」肇慶市

広東省広州市から西へ約80km。 ガイドブック『地球の歩き方・広州編』に「小桂林」と紹介されていた肇慶市に、ふと思い立って出かけることにしました。

朝7時、広州駅に着くと切符売り場は長蛇の列。 なんとか肇慶行きの切符を買えたものの、列車はなんと「12時過ぎ」。 料金は8元。最悪、捨ててもいいか…と気持ちを切り替えました。

駅を出ると、人の流れができており、ついていくと広東省のバスターミナルに到着。 ここもまた長蛇の列でしたが、掲示板を見ると「肇慶行き」が1時間に2本。料金は20元。 「これなら今日中に行ける」と思い、すぐにバスの切符を購入。 8時過ぎの便に乗り込み、約1時間半で肇慶に到着しました。

■ 七星岩 ― 湖に浮かぶカルストの峰々

肇慶に着くとまず帰りのバスの切符を確保し、売店で地図を購入。 すぐ近くに「七星岩」の門があり、そこが“小桂林”と呼ばれる景勝地でした。

当時はまだ本場の桂林を訪れたことはありませんでしたが、 湖面にニョキニョキと突き出すように立つ峰々を見て、 「ああ、これがカルスト地形なのか」と胸が高鳴りました。

語学力はまだ乏しく、一人で食堂に入る自信もなかったので、 屋台で蒸しトウモロコシを買い、かじりながら一日中歩き回りました。 広い湖と奇峰の景色は、今でも鮮明に思い出せます。

■ 帰りのバスで出会った大学生

夕方前にバスターミナルへ戻り、帰りのバスに乗ると、 私の席(1番)には若い女性が座っていました。 切符を見せると、彼女は隣の2番に移動。

バスが走り出し、私は日本から持ってきた日本語版の『三国志』を読み始めました。 すると彼女が英語で「日本人ですか」と声をかけてきました。

彼女は広州の大学2年生。 五一(メーデー)の休暇で故郷から戻る途中で、 持ち帰ったお菓子を次々と分けてくれました。

さらに、乗っていたバスが広州駅ではなく「広州北バスターミナル」行きだと分かると、 彼女は降車後すぐにタクシーを探し、 10元で私のアパートまで行けるように交渉してくれました。 当時のタクシーはメーターではなく、ほとんどが交渉制。 旅慣れていない私には本当にありがたい助けでした。

こんな経験をしたら、中国を好きにならずにはいられません。 それ以来、長期休暇のたびに一人旅をするようになりました。

■ 次回は景勝地をたっぷりご紹介

今回は「初めての旅」ゆえにハプニング続きで、 景勝地の紹介は少し控えめになりました。

次回からは、私が訪ね歩いた中国各地の美しい風景を、 写真を思い出すように一つひとつご紹介していきます。

どうぞお楽しみに。

 


中国旅の思い出(第2回)

天下第一の名山・泰山をゆく

今回ご紹介するのは、山東省の省都・済南の南にそびえる泰山(たいざん)です。 中国の道教における五つの霊山「五岳」のひとつで、東岳泰山として古来より「天下第一山」と称えられてきました。標高は1532m。 中華文明の五千年の歴史を象徴する山であり、秦の始皇帝から清朝に至るまで、13代の皇帝が国家の繁栄を祈る儀式「封禅」を行った場所としても知られています。

■ 7000段の石段を、ただひたすらに

登山口は麓の町・泰安。 ここから山頂までは、なんと約7000段の石段が続きます。

ロープウェイもありますが、 「霊験あらたかな山なのだから、自分の足で登りたい」 そんな思いが勝り、歩いて登ることにしました。

最初の目標は中天門。 出発して1時間ほどで到着し、ここでようやく中間点近く。 遠くには、次の目標である南天門が小さく見えています。

しかし、見れば見るほど険しそうな道のり。 それでも当時の私は楽天的で、 「まあ、なんとかなるだろう」と歩みを進めました。

1時間、2時間、3時間…… 頂上が近づくにつれ、休憩の回数はどんどん増え、 最後は10段、20段登るごとに休むほどの状態に。 それでも途中には多くの石刻があり、 それらを眺めながら息を整える時間もまた楽しいものでした。

そしてついに南天門へ到着。 思わず「万歳」と叫びたくなる達成感でした。

■ 「五岳独尊」の石刻と、あふれる人の波

山頂手前には、泰山を象徴する有名な石刻 「五岳独尊」があります。 ここは絶好の撮影スポットですが、 訪れたのが国慶節の大型連休だったため、 あたりは「人人人」という状態。 誰も写り込まない写真を撮るのは、さすがに不可能でした。

本当は山頂に泊まり、 中国水墨画にもよく描かれる泰山の日の出を見たかったのですが、 今回は駆け足の旅で叶わず。 お参りを済ませ、下山はロープウェイを利用しました。

■ 「五岳から帰れば山を見ず」

中国にはこんなことわざがあります。

「五岳から帰れば山を見ず」 五岳を見てしまえば、ほかの山は目に入らなくなるほど素晴らしい、という意味です。

そしてこの言葉には続きがあります。

「〇〇から帰れば岳を見ず」

この“〇〇”に入る場所こそ、五岳をも超える名所。 その答えは、また次回のお楽しみに。


中国旅の思い出(第3回)

「五岳を見ず」と言わせる名山 ― 黄山の仙境へ

前回の終わりに触れたことわざ、 「五岳から帰れば山を見ず、〇〇から帰れば岳を見ず」。 この“〇〇”に入るのが、今回ご紹介する黄山(こうざん)です。

黄山は安徽省の南端、上海・江蘇・浙江の西側に位置し、 中国人が「天下第一」と称えるほどの名山。 その美しさは古来より水墨画の題材として愛され、 峰々と雲海が織り成す風景は、まさに仙人が住む世界――仙境と呼ばれています。

黄山の四絶は、 怪石・雲海・奇松・温泉。 「天下の名勝、黄山に集まる」と言われるのも納得の景観です。

■ 69の峰、16の名峰を目指して

本来なら、仙境のような黄山をゆったり巡るのが理想でしょう。 しかし、貧乏性の私は「ここが良い」「あそこが美しい」と聞けば、 どうしても全部見たくなってしまいます。

黄山には69の峰があり、そのうち16の峰が特に素晴らしいとガイドブックに紹介されていました。 山中で1泊する予定だったので、 「2日間で16峰すべて制覇しよう」と意気込んで出発しました。

黄山の標高は約1800m。 1000m前後の峰が多いのですが、 峰から峰へ移動するたびに、必ず下って、また登る。 これが本当に堪えます。

1日目の最後に登った峰では、 宿に明るいうちに着きたくて、景色をゆっくり楽しむ余裕もなく下山。 ところが宿の人から、 「黄山で一番美しい夕日は丹霞峰(排雲閣)ですよ」と聞かされ、 それがまさに“最後に登った峰”だったと知り、思わずがっくり。 さすがに登り返す気力は残っていませんでした。

■ 光明峰で迎えた、忘れられない日の出

翌朝は暗いうちに出発し、 日の出が最も美しいと言われる光明峰へ向かいました。

まだ夜明け前だというのに、山頂はすでに多くの観光客でいっぱい。 やがて東の空が白み始め、太陽が顔を出した瞬間、 あたり一面に歓声と拍手が響き渡りました。

雲海の向こうから昇る朝日を拝むことができ、 胸がいっぱいになるほどの感動でした。

■ 最後の峰、登るか引き返すか

感動の余韻も束の間、 2日目の残りの峰を次々と巡り、 ついに最後の峰に差し掛かりました。

すぐ近くにはロープウェイ。 「ここで終わりにするか、それとも登るか」 本気で悩みました。

しかし、 「二度と来ることはないだろう」 そう思い、最後の力を振り絞って登ることを決断。

達成感はありましたが、 正直、体力的には限界に近かったです。

■ もし訪れるなら、三主峰を

黄山には三主峰と呼ばれる 蓮花峰・光明峰・天都峰があります。

この三つに絞って登れば、 景色をゆっくり味わいながら、 優雅に黄山を楽しめるのではないかと思います。

ぜひ、機会があれば挑戦してみてください。

 

 


中国旅の思い出(第4回)

北魏が刻んだ壮大な祈り ― 雲崗石窟の迫力

中国では長く儒教が中心でしたが、西暦1世紀ごろ、インドから仏教が伝来しました。 漢の時代を経て五胡十六国の混乱期に入り、北魏では一時「廃仏」が行われます。 しかし文成帝が仏教を復興し、僧・曇曜に命じて460年、ついに雲崗石窟(うんがんせっくつ)の開削が始まりました。

■ 大同の郊外、武周山の岸壁に刻まれた巨大石窟

雲崗石窟は山西省の最北、大同市の西15kmほどの武周山に位置します。 北魏の都・平城(現在の大同)に近く、公共バスで行ける場所ですが、 周囲にはほとんど何もなく、静かな荒野の中に突然“巨大な仏の世界”が現れる―― そんな印象が残っています。

バス停「雲崗石窟」で降りて歩き始めると、 遠くに大きな石仏が見えてきます。 これが最初に削り出された曇曜の五窟。 北魏の初代・道武帝から文成帝までの五人の皇帝になぞらえて造られたものです。

正面にそびえるのは第20窟の露天大仏。 雲崗石窟の象徴ともいえる存在です。 もともとは窟内にありましたが、10世紀頃に崩落し、 現在のように“空の下に露わになった大仏”となりました。

■ 西域文化の息づかい ― くっきりした目鼻立ち

雲崗の仏像は、目鼻立ちがくっきりしているのが特徴です。 西域や北方民族の文化の影響が色濃く、 ガンダーラ美術やグプタ朝の様式が感じられます。

粗い砂岩質の岸壁を削り出して造られた巨大仏。 460年から60年以上、途切れることなく彫り続けられたといいます。 しかも失敗なく、均整の取れた美しい姿を保っている―― その事実を前にすると、 「これは本当に人間の手によるものなのか」と思わず息をのみました。

奈良の大仏と同じほどの大きさですが、 鋳造ではなく“岩を削って造る”という技法は、 想像を絶する労力と技術が必要です。 ただただ圧倒されるばかりでした。

現在、53の石窟が現存し、約5万体の仏像が残っています。 雲崗石窟は、中国四大石窟のひとつとして世界的にも知られています。

■ 雲崗期から龍門期へ

北魏は孝文帝の時代(494年)、都を平城から洛陽へ遷都しました。 それにより、460年から続いた雲崗での仏教彫刻――雲崗期は終わりに近づき、 新たに洛陽での仏教彫刻、すなわち龍門期が始まります。

次回は、その龍門石窟の旅へと続きます。 どうぞお楽しみに。