中国旅の思い出(第5回)

400年掘り続けられた祈り ― 龍門石窟との出会い

494年、北魏の孝文帝は都を平城から洛陽へ移しました。 これにより、仏教彫刻史は雲崗期(460〜494)から、 新たな龍門期(494〜520)へと舞台を移します。 今回ご紹介するのは、その龍門期の中心地――龍門石窟(ろんもんせっくつ)です。

■ 牡丹の季節、洛陽へ

私が龍門石窟を訪れたのは、五一(メーデー)の休暇。 当時(2008年)はまだ旅行アプリなど使っておらず、 ガイドブックを見てホテルに電話し、中国語で予約していました。

中国語が堪能ではなかったため、 電話口で相手が早口でまくしたてると、ほとんど理解できません。 この時も色々言われましたが、 「可以(カーイ/はい)」「不可以(ブカーイ/いいえ)」以外は言うな、と自分に言い聞かせ、 「〇月〇日、一人、泊まりたい」とだけ伝えると、可以と言われて予約成立。

洛陽のホテルに着いて、ようやく相手が言いたかったことが判明しました。

中国の国花は牡丹。 そして牡丹の名所といえば洛陽。 5月はちょうど牡丹の季節で、街では牡丹節が開催されており、 宿泊費が通常の約1.5倍になる―― これを伝えたかったようです。

せっかくの機会なので、まず中国国家牡丹園を訪れました。 牡丹は「富貴の花」と呼ばれるだけあって、 可憐というより、堂々と華やかで、見事な美しさでした。

■ 400年以上掘り続けられた石窟群

牡丹の余韻を胸に、龍門石窟へ向かいました。

龍門石窟は北魏の龍門期(494〜520)に始まり、 その後、隋・唐の時代まで掘り続けられ、 実に400年以上にわたって造営が続いた巨大な石窟群です。

雲崗の粗い砂岩質とは異なり、 龍門は緻密で硬い岩質のため、巨大な石窟を開削することはできませんでした。 そのため、仏像の様式も変化し、 面長でなで肩、首が長く華奢な印象が強まり、 西域風の意匠は薄れ、中国固有の造形が際立つようになります。

石窟は伊河沿いに約1kmにわたり続き、 10万体の仏像が納められていると言われます。

■ 小さな石窟の連続、そして突然現れた巨大仏

市バスの「龍門石窟」停留所で降り、 北魏時代に掘り始められた古陽洞から順に見ていきました。

小さな石窟や仏像が延々と続き、 「10万体と言われても確かに納得だな」と思いながら歩き続けること1時間以上。 少し疲れを感じ始めたその瞬間――

目の前に、巨大な仏像が突然現れたのです。

この時の衝撃は、今でも忘れられません。

そこは奉先寺洞。 唐の時代(675年)に完成した龍門石窟の象徴で、 本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)が鎮座しています。

当時の実権を握っていた則天武后に似ていると噂された仏像で、 静かに、しかし圧倒的な存在感で私たちを見下ろしていました。

■ 石窟を知らずに訪れたからこそ

歴史上は雲崗石窟の後に龍門石窟が造られましたが、 私はその順序も知らず、 しかも龍門が“初めて訪れた石窟”でした。

石窟がどんなものかもほとんど知らない状態で、 突然あの巨大仏が目の前に現れた時の驚き―― 言葉ではとても伝えきれません。

ぜひ皆さんも、中国を旅して、 自分だけの“驚き”を見つけてみてください。

中国旅の思い出(第4回)

北魏が刻んだ壮大な祈り ― 雲崗石窟の迫力

中国では長く儒教が中心でしたが、西暦1世紀ごろ、インドから仏教が伝来しました。 漢の時代を経て五胡十六国の混乱期に入り、北魏では一時「廃仏」が行われます。 しかし文成帝が仏教を復興し、僧・曇曜に命じて460年、ついに雲崗石窟(うんがんせっくつ)の開削が始まりました。

■ 大同の郊外、武周山の岸壁に刻まれた巨大石窟

雲崗石窟は山西省の最北、大同市の西15kmほどの武周山に位置します。 北魏の都・平城(現在の大同)に近く、公共バスで行ける場所ですが、 周囲にはほとんど何もなく、静かな荒野の中に突然“巨大な仏の世界”が現れる―― そんな印象が残っています。

バス停「雲崗石窟」で降りて歩き始めると、 遠くに大きな石仏が見えてきます。 これが最初に削り出された曇曜の五窟。 北魏の初代・道武帝から文成帝までの五人の皇帝になぞらえて造られたものです。

正面にそびえるのは第20窟の露天大仏。 雲崗石窟の象徴ともいえる存在です。 もともとは窟内にありましたが、10世紀頃に崩落し、 現在のように“空の下に露わになった大仏”となりました。

■ 西域文化の息づかい ― くっきりした目鼻立ち

雲崗の仏像は、目鼻立ちがくっきりしているのが特徴です。 西域や北方民族の文化の影響が色濃く、 ガンダーラ美術やグプタ朝の様式が感じられます。

粗い砂岩質の岸壁を削り出して造られた巨大仏。 460年から60年以上、途切れることなく彫り続けられたといいます。 しかも失敗なく、均整の取れた美しい姿を保っている―― その事実を前にすると、 「これは本当に人間の手によるものなのか」と思わず息をのみました。

奈良の大仏と同じほどの大きさですが、 鋳造ではなく“岩を削って造る”という技法は、 想像を絶する労力と技術が必要です。 ただただ圧倒されるばかりでした。

現在、53の石窟が現存し、約5万体の仏像が残っています。 雲崗石窟は、中国四大石窟のひとつとして世界的にも知られています。

■ 雲崗期から龍門期へ

北魏は孝文帝の時代(494年)、都を平城から洛陽へ遷都しました。 それにより、460年から続いた雲崗での仏教彫刻――雲崗期は終わりに近づき、 新たに洛陽での仏教彫刻、すなわち龍門期が始まります。

次回は、その龍門石窟の旅へと続きます。 どうぞお楽しみに。

客車に印字された「XL」って何の意味?

ネット民:まさか“特大サイズ”?

最近、 あるネットユーザーが

「列車に乗ったとき、車体に“XL”で始まる アルファベット+数字の番号があった。 これって車両にも“加大碼(特大サイズ)”があるの?」

と投稿し、話題になりました。

実はこの「XL」

旅客列車の“行李車(荷物車)”を表す記号なんです。

車体には「XL」以外にも 「YZ」「RZ」「YW」「RW」「KD」など さまざまな記号が書かれています。

これらはすべて 列車の“身分証明書”のようなもの

客車の外側にある番号は3つの要素で構成

  1. 車種(用途)

  2. 车型(車両形式)

  3. 车号(車両番号)

それぞれの意味を見ていきます。

左側の大文字2文字

→ 車両の用途を表す

用途は中国語のピンイン頭文字で示されます。

  • YZ → 硬座(普通座席)

  • RZ → 軟座(ソフトシート)

  • YW → 硬臥(硬い寝台)

  • RW → 軟臥(ソフト寝台)

  • CA → 餐車(食堂車)

  • XL → 行李車(荷物車)

  • KD → 発電車(空調発電車)

※「CA」は“can(餐)”の頭2文字 ※ 発電車は正式名称が「空調発電車」のため「KD」を使用

さらに、 二階建て客車は先頭に“S”が付くのが特徴。 例:SYZ → 二階建て硬座車

中央の数字+アルファベット

→ 車体の長さ+車両形式

例:25G

  • 25 → 車体長25m級

  • G → 改良型(時速120km)

よく見かける形式は以下のとおり。

  • B → 標準型(120km/h)

  • G → 改進型(120km/h)

  • K → 快速型(140km/h)

  • T → 提速型(160km/h)

右側の数字

→ 車種+製造番号

右端にある6桁の数字は車号で、 車種や製造番号などの情報を示しています。

「X局X段」

→ 車両の配属先

車体には「○局○段」という表示もあります。 これは車両の“所属”を示すもので、 人間でいえば戸籍地のようなもの。

例: 「沈局長段」=中国鉄路瀋陽局集団有限公司 長春車両段に所属

配属先は、 その車両の所有・管理・保守・運用責任を担う重要な情報です。

車体の番号にはこんなに多くの意味が

次に列車に乗るときは、 ぜひ車体の“身分証”を眺めてみてください。 意外な発見があるかもしれません。


出典: 《人民鉄道》報業有限公司遼寧記者站(瀋陽局集団公司融媒体中心) 長春車両段融媒体工作室 文・写真:刘天明、王猛、葛馥亮、贺国明、李鹏博、尹晨曦 編集:齐美华 校閲:李孝佺

中国旅の思い出(第3回)

「五岳を見ず」と言わせる名山 ― 黄山の仙境へ

前回の終わりに触れたことわざ、 「五岳から帰れば山を見ず、〇〇から帰れば岳を見ず」。 この“〇〇”に入るのが、今回ご紹介する黄山(こうざん)です。

黄山は安徽省の南端、上海・江蘇・浙江の西側に位置し、 中国人が「天下第一」と称えるほどの名山。 その美しさは古来より水墨画の題材として愛され、 峰々と雲海が織り成す風景は、まさに仙人が住む世界――仙境と呼ばれています。

黄山の四絶は、 怪石・雲海・奇松・温泉。 「天下の名勝、黄山に集まる」と言われるのも納得の景観です。

■ 69の峰、16の名峰を目指して

本来なら、仙境のような黄山をゆったり巡るのが理想でしょう。 しかし、貧乏性の私は「ここが良い」「あそこが美しい」と聞けば、 どうしても全部見たくなってしまいます。

黄山には69の峰があり、そのうち16の峰が特に素晴らしいとガイドブックに紹介されていました。 山中で1泊する予定だったので、 「2日間で16峰すべて制覇しよう」と意気込んで出発しました。

黄山の標高は約1800m。 1000m前後の峰が多いのですが、 峰から峰へ移動するたびに、必ず下って、また登る。 これが本当に堪えます。

1日目の最後に登った峰では、 宿に明るいうちに着きたくて、景色をゆっくり楽しむ余裕もなく下山。 ところが宿の人から、 「黄山で一番美しい夕日は丹霞峰(排雲閣)ですよ」と聞かされ、 それがまさに“最後に登った峰”だったと知り、思わずがっくり。 さすがに登り返す気力は残っていませんでした。

■ 光明峰で迎えた、忘れられない日の出

翌朝は暗いうちに出発し、 日の出が最も美しいと言われる光明峰へ向かいました。

まだ夜明け前だというのに、山頂はすでに多くの観光客でいっぱい。 やがて東の空が白み始め、太陽が顔を出した瞬間、 あたり一面に歓声と拍手が響き渡りました。

雲海の向こうから昇る朝日を拝むことができ、 胸がいっぱいになるほどの感動でした。

■ 最後の峰、登るか引き返すか

感動の余韻も束の間、 2日目の残りの峰を次々と巡り、 ついに最後の峰に差し掛かりました。

すぐ近くにはロープウェイ。 「ここで終わりにするか、それとも登るか」 本気で悩みました。

しかし、 「二度と来ることはないだろう」 そう思い、最後の力を振り絞って登ることを決断。

達成感はありましたが、 正直、体力的には限界に近かったです。

■ もし訪れるなら、三主峰を

黄山には三主峰と呼ばれる 蓮花峰・光明峰・天都峰があります。

この三つに絞って登れば、 景色をゆっくり味わいながら、 優雅に黄山を楽しめるのではないかと思います。

ぜひ、機会があれば挑戦してみてください。

中国旅の思い出(第2回)

天下第一の名山・泰山をゆく

今回ご紹介するのは、山東省の省都・済南の南にそびえる泰山(たいざん)です。 中国の道教における五つの霊山「五岳」のひとつで、東岳泰山として古来より「天下第一山」と称えられてきました。標高は1532m。 中華文明の五千年の歴史を象徴する山であり、秦の始皇帝から清朝に至るまで、13代の皇帝が国家の繁栄を祈る儀式「封禅」を行った場所としても知られています。

■ 7000段の石段を、ただひたすらに

登山口は麓の町・泰安。 ここから山頂までは、なんと約7000段の石段が続きます。

ロープウェイもありますが、 「霊験あらたかな山なのだから、自分の足で登りたい」 そんな思いが勝り、歩いて登ることにしました。

最初の目標は中天門。 出発して1時間ほどで到着し、ここでようやく中間点近く。 遠くには、次の目標である南天門が小さく見えています。

しかし、見れば見るほど険しそうな道のり。 それでも当時の私は楽天的で、 「まあ、なんとかなるだろう」と歩みを進めました。

1時間、2時間、3時間…… 頂上が近づくにつれ、休憩の回数はどんどん増え、 最後は10段、20段登るごとに休むほどの状態に。 それでも途中には多くの石刻があり、 それらを眺めながら息を整える時間もまた楽しいものでした。

そしてついに南天門へ到着。 思わず「万歳」と叫びたくなる達成感でした。

■ 「五岳独尊」の石刻と、あふれる人の波

山頂手前には、泰山を象徴する有名な石刻 「五岳独尊」があります。 ここは絶好の撮影スポットですが、 訪れたのが国慶節の大型連休だったため、 あたりは「人人人」という状態。 誰も写り込まない写真を撮るのは、さすがに不可能でした。

本当は山頂に泊まり、 中国水墨画にもよく描かれる泰山の日の出を見たかったのですが、 今回は駆け足の旅で叶わず。 お参りを済ませ、下山はロープウェイを利用しました。

■ 「五岳から帰れば山を見ず」

中国にはこんなことわざがあります。

「五岳から帰れば山を見ず」 五岳を見てしまえば、ほかの山は目に入らなくなるほど素晴らしい、という意味です。

そしてこの言葉には続きがあります。

「〇〇から帰れば岳を見ず」

この“〇〇”に入る場所こそ、五岳をも超える名所。 その答えは、また次回のお楽しみに。

中国・最近の話題-白いパンダが再び話題に

中国・四川省のジャイアントパンダ国立公園で、山中を歩く“白いパンダ”の最新映像が公開されました(新華ネット・5月26日付)。 白いパンダが初めて確認されたのは2019年。四川の自然保護区管理局が、保護区内で撮影した1枚の写真を公表し、大きな話題となりました。今回公開された映像は、その個体が成長した現在の姿を捉えたものです。

全身の毛は真っ白で、写真では分かりにくいものの、目はやや赤みを帯びているとのこと。また、手足が少し茶色く見える部分がありますが、これは毛の経年変化による黄ばみで、本来は白い毛だと説明されています。

陝西省には“茶色いパンダ”も

あまり知られていませんが、中国・陝西省の「秦嶺四宝科学公園」には“茶色いパンダ”がいます。名前は「七仔(チーザイ)」。2009年に秦嶺山脈で発見・保護された個体です。

七仔は、目の周り、耳、肩、手足、尻尾など、本来黒くなる部分がはっきりと茶色になっています。これは生まれつきの遺伝的な特徴で、模様が固定された“正真正銘の茶色いパンダ”です。

一方、四川で撮影された白いパンダは、偶発的なアルビノ(白化個体)であり、七仔とは全く異なるタイプだとされています。

パンダの生息状況と亜種の違い

中国の山地に棲む野生パンダは、現在およそ2,000頭。 大きく次の2つの亜種に分かれています。

  • 四川亜種(四川省・甘粛省に分布)

  • 秦嶺亜種(陝西省・秦嶺山脈に分布)

両者は1万年以上前に分岐し、その後は地理的に隔てられたまま交流・交配がないとされています。生息数は四川亜種が全体の約3分の2を占め、圧倒的に多い状況です。

興味深いのは、これまで確認された“茶色いパンダ”7頭がすべて秦嶺亜種であり、四川亜種には一例も見つかっていないこと。なぜ茶色い個体が秦嶺亜種だけに現れるのか、科学的な理由はまだ解明されていません。

参考資料

  • 新華ネット(2026年5月26日)

  • テレビ朝日NEWS(2026年5月25日)

  • 新華社サービスセンター(2026年6月3日)

  • SciencePortal China(2026年5月29日)

中国旅の思い出(第1回)

はじめての一人旅 ― 小桂林・肇慶へ

中国を旅した日々の思い出を、これから数回にわたって綴っていきたいと思います。 お付き合いいただき、「ここは私も行ってみたい」と感じていただければ嬉しい限りです。

中国には数えきれないほどの景勝地があります。 その中でも最初にご紹介したいのは、私が中国に赴任して間もない頃、初めて一人で出かけた小さな旅のことです。もう20年ほど前の話になります。もちろん日帰りの小旅行でした。

 

■ 目的地は「小桂林」肇慶市

広東省広州市から西へ約80km。 ガイドブック『地球の歩き方・広州編』に「小桂林」と紹介されていた肇慶市に、ふと思い立って出かけることにしました。

朝7時、広州駅に着くと切符売り場は長蛇の列。 なんとか肇慶行きの切符を買えたものの、列車はなんと「12時過ぎ」。 料金は8元。最悪、捨ててもいいか…と気持ちを切り替えました。

駅を出ると、人の流れができており、ついていくと広東省のバスターミナルに到着。 ここもまた長蛇の列でしたが、掲示板を見ると「肇慶行き」が1時間に2本。料金は20元。 「これなら今日中に行ける」と思い、すぐにバスの切符を購入。 8時過ぎの便に乗り込み、約1時間半で肇慶に到着しました。

■ 七星岩 ― 湖に浮かぶカルストの峰々

肇慶に着くとまず帰りのバスの切符を確保し、売店で地図を購入。 すぐ近くに「七星岩」の門があり、そこが“小桂林”と呼ばれる景勝地でした。

当時はまだ本場の桂林を訪れたことはありませんでしたが、 湖面にニョキニョキと突き出すように立つ峰々を見て、 「ああ、これがカルスト地形なのか」と胸が高鳴りました。

語学力はまだ乏しく、一人で食堂に入る自信もなかったので、 屋台で蒸しトウモロコシを買い、かじりながら一日中歩き回りました。 広い湖と奇峰の景色は、今でも鮮明に思い出せます。

■ 帰りのバスで出会った大学生

夕方前にバスターミナルへ戻り、帰りのバスに乗ると、 私の席(1番)には若い女性が座っていました。 切符を見せると、彼女は隣の2番に移動。

バスが走り出し、私は日本から持ってきた日本語版の『三国志』を読み始めました。 すると彼女が英語で「日本人ですか」と声をかけてきました。

彼女は広州の大学2年生。 五一(メーデー)の休暇で故郷から戻る途中で、 持ち帰ったお菓子を次々と分けてくれました。

さらに、乗っていたバスが広州駅ではなく「広州北バスターミナル」行きだと分かると、 彼女は降車後すぐにタクシーを探し、 10元で私のアパートまで行けるように交渉してくれました。 当時のタクシーはメーターではなく、ほとんどが交渉制。 旅慣れていない私には本当にありがたい助けでした。

こんな経験をしたら、中国を好きにならずにはいられません。 それ以来、長期休暇のたびに一人旅をするようになりました。

■ 次回は景勝地をたっぷりご紹介

今回は「初めての旅」ゆえにハプニング続きで、 景勝地の紹介は少し控えめになりました。

次回からは、私が訪ね歩いた中国各地の美しい風景を、 写真を思い出すように一つひとつご紹介していきます。

どうぞお楽しみに。

CCTV国際ニュースで見かけた“日米防衛協議”のワンシーン

― 2026年5月25日 中国中央テレビ(CCTV)夜のニュースより ―

昨晩、CCTV4の国際ニュースを視聴していたところ、番組の中でごく短い時間ではありましたが、日本の小泉防衛大臣と米国のヘグセス国防長官が言葉を交わしている映像が映りました。 その後すぐに画面はトマホーク巡航ミサイルの映像に切り替わり、会談の様子は一瞬で終わってしまいましたが、話の大まかな流れはつかめたように思います。

◆ミサイル売却に関するやり取りの印象

番組の伝え方では、ヘグセス長官が小泉大臣に次のような趣旨の話をしているように見えました。

  • イランとの戦闘で米軍はミサイルを多く使用した

  • 今後、米国はミサイルの増産を進める

  • 日本では憲法改正の動きがある

  • その流れの中で「トマホークを日本に400機売却する」 (番組では「1機あたり約400万ドル」と紹介)

映像では、小泉大臣がそれを受け止めるような表情を見せていたように感じました。

◆番組が示した“国際社会から見た日本”

今回のニュースは日本を批判する内容ではありませんでしたが、 「日本の安全保障環境が変わりつつある」 という視点がにじんでいたように思います。

また、米国側が日本を重要な同盟国として位置づけている様子を強調するような編集で、国際放送ならではの視点が感じられました。 見る側としては、日米関係の変化を外からどう見られているのか、改めて考えさせられる内容でした。

◆CCTV4は世界向けの放送

CCTV4は国際放送チャンネルで、このニュースも世界中に向けて発信されています。 日本国内の報道とは少し異なる角度から伝えられることも多く、今回もその一例と言えるかもしれません。

兵馬俑にまつわる知られざる物語

― 兵庫県連・今年の中国旅行で出会った“歴史の鼓動” ―

今年、日中友好協会兵庫県連の中国旅行は、甘粛省の敦煌、嘉峪関、そして陝西省の古都・西安を巡る一週間の旅でした。 その旅のハイライトとなったのが、20世紀最大の考古学的発見とも称される世界遺産「始皇帝兵馬俑」です。

4月15日付の県連ブログでは、 「壮大な歴史と大自然に抱かれた一週間、兵馬俑の“圧倒的存在感”に心が震える」 と題した旅行記が掲載されました。 記事には、 「兵馬俑はただ“圧巻”の一言。その迫力に参加者の誰もがしばらく言葉を失っていました」 と記されており、現地での感動がそのまま伝わってきます。

その“言葉を失うほどの兵馬俑”には、実はあまり知られていない発見と発掘の物語があります。 5月13日にNHK・BSで放送された番組では、その秘話が紹介されました。

■ 井戸掘りの村人が見つけた「歴史の扉」

1974年3月。 西安市臨潼区・西楊村の荒れ地で井戸を掘っていた村人、楊志発(ヤン・ジーファ)さんが、偶然陶製の人形のような破片を掘り当てました。

その地域では以前から似たような陶片が出土しており、 ・水入れに使う ・子どもが首の部分を転がして遊ぶ といった、なんとも素朴な扱いをされていたそうです。

しかしこの日、楊さんは掘り出した陶片を丁寧に集め、リヤカーに載せて村役場へ届けました。 ところが役場は「こちらで処理する」と言ったきり、何の連絡もなかったといいます。

■ 発掘に踏み切った考古学者・袁仲一先生

役場から連絡を受けたのが、考古学者の袁仲一(エン・チョンイー)先生でした。 陶片が「人形の頭部や体の一部」であること、そして始皇帝陵の近くで見つかったことから、 「これは始皇帝陵の副葬品ではないか」 と直感し、本格的な発掘に踏み切ります。

掘り進めると、想像をはるかに超える規模の兵馬俑が次々と姿を現しました。

しかし当時の中国は文化大革命の最中。 「旧思想・旧文化」を破壊する“破四旧運動”が吹き荒れ、寺院や石碑、古文書が次々と破壊されていた時代です。

もし「古い埋葬品が出た」と噂が広がれば、紅衛兵が押しかけて破壊される危険がありました。

袁先生は、毛沢東主席が秦の始皇帝を例外的に尊敬していたことに着目。 発掘品が始皇帝に関わる確かな証拠を探し求め、ついに武人俑の刀に刻まれた 「秦の宰相・呂不韋(りょふい)」 の名を発見。 これにより兵馬俑が始皇帝陵の副葬軍団であることが確定し、破壊を免れる道が開かれました。

■ 世界に兵馬俑を知らせた女性記者・オードリ・トッピング

しかし、発掘の事実は中国政府により厳重に秘匿され、写真撮影も固く禁じられていました。 そんな中、世界で初めて兵馬俑の姿を写真で紹介したのが、アメリカの女性ジャーナリスト オードリ・トッピングさんです。

外交官の父に同行して中国入りし、さまざまな制限をかいくぐって発掘現場に到達。 撮影した写真をアメリカの雑誌に発表し、世界を驚かせました。

「どうやって撮影できたのか」と問われた際、 オードリさんは冗談めかして 「女の涙は武器なのよ」 と語ったそうですが、真相は今も謎のままです。

■ 兵馬俑を“現代に呼び戻した”三人の功労者

こうして兵馬俑は破壊を免れ、世界の宝として日の目を見ることになりました。 その陰には、

  • 偶然の発見者・楊志発さん

  • 発掘を導いた考古学者・袁仲一先生

  • 世界に知らせたジャーナリスト・オードリ・トッピングさん

この三人の存在がありました。

県連旅行の添乗員・宋敏さんは、 「楊志発さんとお会いして感動した」 とSNSに投稿されていますが、その気持ちは多くの人が共感できるものだと思います。

■ 参考資料

  • 新華ネット(2026年5月15日)

  • 中日新聞(2022年9月15日)

  • NHK・BS(2026年5月12日放送「兵馬俑は見ていた」)

  • 百度百科

  • 宋敏さん Facebook(2026年5月)

13面27線!大型高速鉄道ハブ駅、まもなく開業へ!

5月7日、西安東駅が駅舎および関連工事の静態検査(静的验收)を正式に開始しました。 これは、西北地域の特大型鉄道総合交通ハブが竣工検査の最終段階へ全面的に移行したことを示し、今後の開業に向けて重要な一歩となります。

■ 静態検査とは

静態検査は、新設鉄道の竣工検査における重要工程で、 工務・通信・信号・電力・牽引供電・建築・環境保全など、 多くの専門分野にわたる現地検査とシステム総合検査を含みます。

■ 西安東駅の概要

西安東駅は、陝西省西安市灞橋区の「高鉄東城」核心エリアに位置し、 東に白鹿原、西に浐河を望みます。 デザインコンセプトは「秦山渭水・シルクロード長安」。

  • 駅規模:13面27線

  • 交通結節点:高速鉄道・在来線・地下鉄・バスなどが一体化

  • 国家「八縦八横」高速鉄道網の重要ノード

■ 静態検査の実施期間と範囲

第一段階の静態検査は5月7日〜9日に実施。 対象は駅舎建築、「四電」設備(通信・信号・電力・牽引供電)、 および付帯する生産・生活施設など。 駅舎・駅構内・設備・付帯工事を全方位で確認します。

■ 周辺路線の進捗

同時に、

  • 西十高鉄(西安〜十堰)

  • 西延高鉄(西安〜延安)耿鎮〜西安東駅区間

  • 西安鉄道ハブ郭北連絡線

などの連調連試(試運転・総合試験)も順調に進行中。 これらは西安東駅と同時に開業予定です。

■ 開業後の所要時間(予定)

  • 西安 → 十堰:1時間で直達

  • 西安 → 武漢:3時間で到達

  • 西安 → 延安:1時間以内に短縮

地域間移動が大幅に効率化されます。

■ 西安東駅の意義

西安東駅が開業すれば、

  • 西安鉄道ハブの旅客流動を大幅に緩和

  • 全国鉄道網における西安の拠点性がさらに強化

  • 内陸部の改革開放の新たな高地づくりを支援

  • 西部大開発の新たな局面形成に寄与

  • 「一帯一路」高品質発展の重要な支点に

といった多方面で大きな効果が期待されます。

 

供稿:《人民鉄道》報業有限公司 陝西記者站(西安局グループ会社 融媒体センター) 文字:申琦・李弢・黄鹏・柯航・刘盼利・牛欣 写真:刘翔・黄鹏・郝凯航 編集:段星佚 校閲:高珊