晩唐の詩人・杜牧「清明」

清明(清明節)は、春分の日から十五日目

清明は花の季節であり、人々は郊外に遊び、またピクニックをかねて墓参りをした。晩唐の詩人杜牧(803~53)に「清明」と題する七言絶句がある。

清明時節雨紛紛 清明の時節 雨紛紛

路上行人欲断魂 路上の行人 魂を断たんと欲す

借問酒家何処有 借問す 酒家 何れの処にか有る

牧童遥指杏花村 牧童 遥かに指す 杏花の村

花の季節は雨が多い。「常年 春日 春晴すくなし」、あるいは「一春 略ね十日の晴なし」などといわれるように、春は雨の日が多い。清明の時節に、しきりに降る雨。雨の降りしきる道を、ひとりの旅人がゆく。楽しかるべきこの季節、ただひとり旅ゆく人の胸は、かえってさみしさにしめつけられる。せめてこのさみしさを酒にまぎらわそうと、借問す、ちょっとたずねてみる。居酒屋はどのあたりにあるのかね。たずねられたのは、牛の背にまたがった少年、牧童である。少年は黙ったままゆっくりと指さした。それは杏の花咲くかなたの村だった。

一幅の画を見るようなこの詩を、ベトナムの故ホー・チ・ミン大統領は、次のように詠みかえている。

清明時節雨紛紛 清明時節 雨紛紛 

籠裏囚人欲断魂 籠裏の囚人 魂を断たんと欲す

借問自由何処有 借問す 自由 何れの処にか有る

衛兵遥指弁公門 衛兵 遥かに指す 弁公門

「籠裏」牢獄の中。ホー・チ・ミンは、1942年、ベトナム独立同盟から使命を託されて中国に入り、蒋介石の軍隊にとらえられて牢獄につながれた。その時の、いわば戯作である。「弁公門」は役所の門。ここでは刑務所の門をさす。この詩、あまりにも原詩につきすぎているが、ホー氏のユーモアは、その楽天性にうらうちされている。(一海知義著・漢詩一日一首より)

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