沖縄、4・28「屈辱の日」から71年

4・28「屈辱の日」捨て石、分断繰り返すな!

1952年のサンフランシスコ講和条約で沖縄が本土から切り離され米統治下におかれた「屈辱の日」から今年で71年となった4月28日、玉城デ二―知事は沖縄県庁で会見し「米軍基地の集中が県民生活に影響を及ぼしている、県民の目に見える形で実感を伴う基地負担の軽減が図られる必要がある」と語りました。「琉球新報」は「屈辱の日」について以下の社説を掲載しています。

71年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した。沖縄戦で「捨て石」にされた沖縄はこの日、日本の独立と引き換えに「分断」された。「捨て石」「分断」の歴史が繰り返されてはならない。沖縄は本土決戦を遅らせるための「捨て石」として戦われ、一般住民と現地招集などを含めた12万2千人余の県民の命を失った。避難していた壕から日本兵に追い出されたり、スパイの嫌疑で殺害されたりした県民もいた。この悲劇から「軍隊は住民を守らない」という教訓を得た。

戦後、米軍は県民の土地を奪い基地を建設した。米軍の圧政にあえぐ沖縄を日本は切り離す。昭和天皇が、米軍による沖縄の長期占領を望むという「天皇メッセージ」や、それを具体化した吉田茂首相の提案が影響し、講和条約3条で施政権は分断された。1972年に日本に復帰したものの、「本土並み」の基地負担軽減を切願した県民の思いはないがしろにされ、大多数の米軍基地は残った。「捨て石」として日本防衛の盾にされ、日本独立のために切り離された挙げ句、今も全国の米軍専用施設(面積)の7割が沖縄に集中する。

知事選や県民投票などで繰り返し「反対」の民意が示された辺野古新基地の建設を強行するなど、今日に至るまで沖縄は基地を押し付けられている。今に続く苦難の歴史を忘れてはならないという意思に基づき、県民は4月28日を「屈辱の日」として記憶しているのである。ところが日本政府は沖縄の歴史に背を向けた。10年前の2013年4月28日、「主権回復の日」として式典を開いたのである。県内では強い反発が起き、式典と同時刻に抗議の大会が開かれ、「屈辱」と県民が呼ぶ日を祝賀する政府を厳しく批判した。

10年前の式典について琉球新報社が今回、県議会議員48人と県選出国会議員10人にアンケートを実施したところ「式典を開催してよかった」と答えた議員は1人だけで、「どちらでもない」が29人、「開催しない方がよかった」は28人であった。沖縄の苦難の歩みを直視しない違和感や反発が反映された結果といえる。式典から今日までの10年で沖縄の置かれた環境は厳しさを増している。現在、日米両政府は東アジア地域の安全保障環境の悪化を理由に米軍、自衛隊の基地機能の強化を沖縄で進めている。この軍備強化は、県民が求める基地負担軽減に逆行する。再び沖縄を盾にするつもりなのか。県民は強い危機感を抱いている。周辺国を軍事的に刺激すれば必然的に緊張が高まる。平和のため、同盟国だけでなく周辺国とも良好な関係を構築する外交努力により力を入れるべきだ。悲惨な歴史と屈辱は再びあってはならない。県民は日常生活の安寧と恒久平和を求めている。(4月28日琉球新報デジタル版社説より、写真は2013年4月28日、政府の「主権回復の日」式典への抗議集会、琉球新報より

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