講演「中華人民共和国建国70周年を考える」

協会は中国をどう評価し、どう付き合うか?

日中友好協会東神戸支部は12月15日午後、神戸市内で支部総会、「記念講演会」を開催しました。記念講演会は、井上久士本部会長(駿河台大学教授)が「中華人民共和国建国70周年を考える」と題し講演しました。

井上教授は、波瀾万丈の中国近代史を紹介する中で、200年前の世界について語り、1820年の世界国別GDP推計の表を示し、当時の中国(清朝時代)のGDPは世界の28.7%(GDPの世界総計に占める割合、人口の世界総計に占める割合は35.5%)でインド、フランス、英国と続き日本は第6位の3・1%、米国は1.8%の第9位にあった。

アヘン戦争以降、欧米列強や日本の侵略によりその割合は激減し「東亜病夫」(ひん死の病人)などと侮辱され屈辱感を味わうこととなる。その後の中華民国、中華人民共和国にあっても「悔しさ」が土台にあった。列強国の中でも、「大日本帝国」が特に嫌われるのは、中国が立ち上がろうとしていた時期に侵略し強力な軍事力で暴虐の限りを尽くし、その被害の大きさと戦争責任の曖昧さにあると語りました。

中華人民共和国建国について井上教授は、「鉄砲から政権が生まれた」のか?と問いかけ、事実はその様な簡単なことではない。中国の人々は大へんな苦労をしている。中華人民共和国建国と東西対立の国際的な状況、日中友好協会結成の歴史について話しました。また、中国の「文化大革命」について、「文革」とは一体何だったのか、その特徴について語りました。

日中友好協会の立場について井上教授は、1966年10月以後33年間、協会と中国との交流が断絶したのは、毛沢東や「文革」の評価をめぐって関係が断絶したのではなく、原因は、中国側による日本国民の自主的運動への干渉行為、分裂組織(日中友好協会「正統本部」、現・公益社団法人日中友好協会)をつくり、日中友好協会を「ニセ日中」などと呼んで攻撃したことにあると語りました。

協会と中国側の関係は1999年10月に中国国際交流協会との関係が修復し、2000年に中日友好協会との関係が正常化しました。その内容は、①「文革」時の干渉の事実を中国が認める②自主・平等・内部問題不干渉の原則を守る。日中友好協会の教訓として、建国以来、中国発展への期待が強かった・中国革命の歴史から日本も学ぼうとする意識がかなりあった・反面、中国の国内問題への冷静な分析(例えば大躍進政策)は非常に弱かったと指摘しました。

日本の戦争責任と中国の「文革」責任について、国民を分断した点で似た所はある。最近の動きにふれ、尖閣諸島海域への中国公船の度重なる侵入・香港の運動・多数のウイグル人を強制教育施設へ収容などの人権問題はあるがこれらは「文革」時期の日本国民の運動への干渉とは全く違うものと語りました。最後に、この40年で中国は急速に大国になった。世界に与える影響もそれだけ大きくなった。本当の大国として、中国は王道を歩んでもらいたい。中華民国の創始者、孫文の言葉を思い出すべきであると語り講演を終え、会場からの質問にも応えました。

孫文の言葉、一部を紹介

「中国がもし強大になったら、われわれはわが民族の地位を取り戻すだけではなく、世界に対して一大責任を負う必要があるのであります。もし中国がこの責任を負えなかったならば、中国が強大になったところで、世界にとって大した利益はなく、むしろ大きな害になるのであります。では中国は世界に対してどんな責任を負う必要があるのか。・・・

われわれはまず一つの政策、すなわち、『弱い者を救い、危うい者を助ける』ことを決定する必要がある。それでこそ、われわれの民族の天職をつくすことなのであります。・・・

・・・われわれは、こんにち、発展に先立って、まず危うい者を助け弱い者を救うという志を立て、将来、強大になった時、いま自分の受けている列強の政治、経済の圧迫の苦痛を思いおこし、弱小民族が、もし将来、同じ苦しみを受けるなら、われわれはこれら帝国主義を消滅しなければならない。それでこそ、国を治め天下を平らかにすることになるのであります」(孫文『三民主義』、1924年)

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