1937年7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍が中国軍に攻撃されたとした盧溝橋事件をきっかけにして、日本は1945年の敗戦まで中国全土への侵略戦争を推し進め南京大虐殺をはじめとした数々の加害行為を重ねて、言語に絶する苦しみを中国の民衆に与えました。今年は盧溝橋事件から86年目を迎えています。今年はまた、日中平和友好条約締結から45周年の節目の年でもあります。
―日中平和友好条約締結45周年にあたって―
「戦争の犠牲になるのは無辜の市民」
ロシアの侵略によってウクライナの市民が犠牲になっているなかで、日本中国友好協会は、日本軍国主義が推し進めた中国侵略戦争で日本軍の兵士たちが加害に走る鬼と化した歴史事実をふまえ、戦争は多くの兵士の人間性を奪ってしまうこと、そして戦争で犠牲を強いられるのは常に罪のない市民であることを訴えています。
今年は日中平和友好条約締結45周年の節目にあたります。1978年の日中平和友好条約で日中両政府は、平和五原則と国際連合憲章の原則に基づいて「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と約束しました。ロシアのウクライナ侵略戦争をはじめとした全ての紛争を平和的に解決するために、国際社会が日中平和友好条約の精神に立ち返ることを強く訴えます。
「侵略戦争を体験した兵士たちの証言」日中友好新聞より
「私の思考は『一人の捕虜を斬った』で止まっているが、被害者」は将来の可能性の全てを奪われ、その被害者には親、兄弟、妻子があるだろう。息子、夫を失った家族の前途に何が待ち構えているのかと、その影響の大きさに慄然とした。(将校・富永正三さん)
「軍国主義教育というものに対して正しく判断する能力を持とうとせず、上から言われるままに動き、さらに自分から進んで飛び込んでいく。人を殺すことを当たり前と思い、全く罪の意識を感じない。これがかつての私でした」。(特務機関兵・湯口知正さん)