1937年7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋で
1937年7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍が中国軍に攻撃されたとした盧溝橋事件をきっかけにして、日本は1945年の敗戦まで中国全土への侵略戦争をおしすすめ、南京大虐殺、731細菌戦部隊、戦時性暴力事件、燼滅掃討作戦(三光作戦)、強制連行・強制労働事件、重慶などへの無差別爆撃、遺棄毒ガス事件をはじめとした加害行為を重ねて、言語に絶する苦しみを中国の民衆に与えました。盧溝橋事件を契機に日本は戦火を中国全土へと拡大しました。「暴支膺懲」(暴戻支那ヲ膺懲スの略)、つまり、日本の侵略に応戦する中国に対し、「言うことを聞かない中国を懲らしめる」これが、当時、日本政府が戦火を拡大する理由とされました。(写真上:北京郊外の豊台西方を流れる永定河に架かる盧溝橋)
1931年の柳条湖事件(満州事変)に始まる日本軍国主義による中国への侵略戦争は、「道義に欠ける中国を懲らしめて反省させる」との主張のもとに進められたものでした。いま、尖閣、香港、人権問題などをめぐって日本国民の対中感情が悪化する中、中国の軍事力増強に対抗するとして日米軍事同盟の強化と一体化が進められ、日本を戦争の出来る国にするための「改憲」の動きが強まっています。
侵略戦争の反省と教訓をもとに不再戦平和運動を進めてきた日本中国友好協会は、中国の国際法に反する行動の誤りを率直に指摘するとともに、あらゆる軍事的な対抗措置に断固反対します。パンデミックや地球温暖化の中で重視すべきは国際協調であり、体制の違いを越えて、人類共通の課題を克服するために世界が力を結集すべきことを強く訴えます。(写真下:1937年9月、東京朝日新聞号外)