卑弥呼時代のイメージが華やかに!
日中友好協会加古川支部主催の中国歴史講座新シリーズ「古代日本人の世界観」の第2回が7月3日(土)に加古川市内で開催され市民57人が参加しました。来村多加史阪南大学教授が「卑弥呼が見た中国文化」をテーマに講演しました。
来村教授は写真や年表、地図入りの手づくり資料をもとに解説。「魏志倭人伝」に記された倭人たちの暮らしや風俗を同時代の中国(後漢・三国)と対比し遺跡の写真や挿絵を示し説明。倭の諸国の位置と戸数、風俗や物産、卑弥呼の即位の経緯、朝貢の記録などについて解説しました。
倭人の男子は、身分の高い者まで顔から全身に刺青を施し、その模様により出身地を判別する習慣があったこと。一方、中国では儒教の影響で刺青は罪人の証として用いられていた。この風習は日本では古墳時代まで続き、人物埴輪で確認できるが飛鳥時代には施さなくなったと説明しました。
また、男女の髪型と衣服については、遺跡の写真や挿絵も活用し、日中の違いを解説しました。倭人男性の髪型はマゲを露出するの対し、当時の中国の成人男性はマゲを隠すことが習慣であった。女性の髪型は、長い髪を結わず後ろへ垂らし、先を折って結ぶ髪型で「高松塚古墳の女性群像」でも明瞭です。中国の女性の一般的髪型は三種あり、小女・成人・年配の他、多様で女性のオシャレのポイントはカンザシとクシにあり、男のオシャレのポイントは腰に鍵や飾りのものをいっぱいぶら下げていた。
女性の衣服については、倭人女性は「貫頭衣」で、中国では当時、布を縫い合わせ広くゆったり」とした衣服の時代となっていた。また倭人の風習に、身体に朱丹を塗り魔除けの力があると思っていたの対し、中国人は顔に白粉(おしろい)を塗っていた。
最後に来村教授は、女王卑弥呼が魏の都、洛陽に使者を派遣した際の献上品に対する魏帝よりの贈答品の品々についても詳しく触れ、それまでは九州止まりであった精良な銅鏡が機内に及んだのは銅鏡下賜に関連する現象かも、と説明しました。
来村教授の講演を聞いた参加者からは、「今まで考えつかなっかた髪型・衣服・風俗などを知り大へん興味深かった」「卑弥呼の時代のイメージが華やかになった」「魏志倭人伝の中味がとてもわかり易く楽しい講座でした」などの感想がアンケートで多数寄せられました。