中国漢方(中医学)の由来

漢方の名称は江戸時代に日本で生まれた―蘭方に対し漢方と

中国漢方は、古代中国哲学「陰陽五行説」の考えを基にした伝統医学です。理論体系は漢代に出来上がり、医学書「黄帝内経」が前漢代頃にまとめられた。その後、後漢代に、植物・動物・鉱物など365種類の生薬を分類し効能を記した「神農本草経」がまとめられた。同じく後漢代、感染症などの急性疾患や、慢性疾患についての治療法と処方を解説する「傷寒雑病論」が張仲景により著された。

唐代には、後に薬王と称された医師の孫思邈により、近代臨床医学の分類方法を採用し自身の臨床経験をまとめた「備急千金要方」とその補完版「千金翌方」が著された。金・元代には、金元四大家と呼ばれた劉完素、張従正、李東垣、朱震亨らにより「黄帝内経」の理論が発展し、多くの新処方が誕生した。清代に入ると「傷寒」とは発病の原因が異なる熱病が流行したことにより、「温病」についての研究が盛んになった。

中華人民共和国成立後、中国漢方の名称は「中医学」と定められた。その後、中医薬大学が設立され、西洋医学と同等に国が中国漢方の発展を推進している。「漢方」という名称は江戸時代に日本で生まれたもので、「蘭方」(西洋医学)に対し、漢の時代の「黄帝内経」を基本とする伝統医学を「漢方」と呼んだのが始まりです。(中国百科より)

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