世界初の砂漠鉄道環状線を訪ねて

和田〜ウルムチ間を結ぶ「バザール列車」の旅
「焼き包子(パオズ)が焼き上がりましたよ!」
和田発ウルムチ行きの5818次列車の車内に、威勢のいい掛け声が響くと、乗客たちが一斉に集まり、誰かが新疆舞踊を踊り始めました。車内は一気に活気づき、まるで移動する市場「バザール」が始まったかのようです。

熱々の包子は、香ばしい匂いとともに次々と売れていきます。商人の柔則・艾力さんは、わずか20分で80個を完売し、400元以上の売上を得ました。

「桃はまず味見してから買ってください。甘くなければお代はいただきません!」
農家のヌルママティさんは、朝に収穫したばかりの桃を背負って列車に乗り込み、乗客に試食を勧めます。「自分の畑で育てたものだから、売れた分がそのまま収入になります。和田の果物は本当に甘いですよ」と笑顔で語ります。

この列車は、和田〜ウルムチ間を走る5818、5815/5816、5817次列車で、全長1706km。和若鉄道、格庫鉄道、南疆鉄道をつなぎ、14駅を経由する世界初の砂漠鉄道環状線です。月に2回、車内で「バザール(ウイグル語で市場)」が開かれ、沿線の住民が農産物や特産品を持ち込み販売する、まさに「地方創生列車」と呼ぶにふさわしい取り組みです。

7号車には、胸に党員バッジをつけたウイグル族の老党員、サイディ・トゥルディさんの姿がありました。74歳の彼は、38年の党歴を持ち、娘に会うためにこの列車でチェモへ向かっています。「入党した頃は、ただ『共産党について行けば食べていける』という思いでした」と目を輝かせながら語ります。

「若い頃は、和田からウルムチまで行くのにロバに乗るか徒歩で、3〜4か月かかっていました。今はこの列車で22時間です」とトゥルディさん。鉄道開通前は、北疆へ行ったことがない人も多く、列車の登場は人々の生活に大きな変化をもたらしました。

和田の人々の暮らしも大きく変わりました。泥道は舗装され、平屋はマンションに、小型車を持つ家庭も増えました。「共産党がなければ、今の幸せはなかった」とトゥルディさんは語ります。

列車はタクラマカン砂漠の南縁を走り、車窓からは果てしない砂の海が広がります。貴州省から観光に訪れた70歳の陳新萍さん夫妻は、「私たち、新疆と同い年なんです!」と笑顔で話します。彼女は車窓を指さし、「見て、線路の両側にある草方格は、砂を固定するためのものよ」と説明。和若鉄道は、計画段階から風砂との戦いを続け、5000万㎡の草方格を設置し、1300万本以上の植物を植え、11.4万ムーの緑化を実現しました。

「この砂漠の“縁取り”を見るのが、今回の旅の目的のひとつなんです」と陳さんは語ります。

車内では、言葉の通じないウイグル族の乗客に対し、車掌のマミナさんが迅速に対応。彼女は2014年から南疆方面の列車勤務を続け、2022年の和若鉄道開通以来、この「地方創生列車」に乗務しています。

列車は運行開始から3年で、延べ285.6万人の乗客を運びました。南北疆の距離を縮めただけでなく、沿線住民の収入増にも貢献しています。800km超の和若鉄道は、南疆の「特色産業回廊」として、和田のメロン、民豊のナツメ、洛浦の絨毯、于田の砂漠のバラなどを効率的に運び、物流コストを40%削減しました。

列車が陽光を浴びて走る中、音楽大学に合格したばかりの青年・ヤセンジャンさんが、民族楽器サタールを演奏。車内は拍手に包まれます。彼はウルムチから広州へ向かう切符を見せながら、「初めて新疆を出ます。大学生活が楽しみです」と語ります。

「今は民族楽器しか学べていませんが、広州では電子ピアノを学びたいです」と夢を語るヤセンジャンさん。大都市への憧れが、彼の学びの原動力になっています。
新疆の70年の歩みを振り返ると、鉄道がタクラマカン砂漠を囲む環状線を形成し、地域の発展を牽引してきました。かつて「死の海」と呼ばれた砂漠は、今や地方創生の希望に満ちた音色を奏でています。