この写真の人物は一体誰だ?

石川禎浩京都大学教授が毛沢東イメージの変遷について語る

日中友好協会加古川支部が加古川市内で5月12日に開いた公開特別講演会で、「中国共産党史研究」の第1人者で京都大学人文科学研究所教授の石川禎浩氏が「『赤い星』は如何にして昇ったか」と題し講演しました。

エドガー・スノウ撮影の毛沢東肖像写真が海外へ拡散

アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノウ(1905年~1972年)が1936年に撮影した毛沢東の写真が海外へ拡散していく過程でイメージが変遷し、顔写真や似顔絵が変化していく様子や情報の流れを豊富な写真を映しながら解説しました。

日本外務省が1937年発表の毛沢東と称する写真は一体誰だ?

1937年8月発行の日本外務省情報部「支那共産軍を語る」(「官報附録週報」内閣印刷局発行 第44号、1937年8月)に、中華ソビエト人民共和国中央政府主席・毛沢東と中国工農紅軍革命軍事委員会主席・朱徳の顔写真が並んで掲載されている。朱徳の写真は、1922年に上海で写された写真から似顔絵を経て伝わったと推測されるが、毛沢東の写真は明らかに全くの別人であることがわかる。

外務省の毛沢東認識、歴史からどう学ぶか

石川教授は、当時の外務省が本当にこの人物を毛沢東だと思っていたのなら相手の顔も知らずに日中戦争を戦っていたことになる。或は日本国民に『共匪』のマイナスイメージを植え付けるための情報操作・世論誘導だとすればそれは当時の政府の愚民政策だ、と語りました。ではこの人物は一体誰なのか?答えはまだ出ていません。

※石川禎浩先生は、加古川支部の「中国近現代史」研究会にも来られます。日程は6月22日(土)JR加古川駅東すぐのサンライズビル5F。詳しくは090-8753-5972(前田さんへ)


講演会資料の一部は下記からダウンロードできます。(JPEG)

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