「中国問題講演会」は会場満席

中国はどこに向かう?日本はどう向き合うか

11月24日、尼崎市で開催した中国問題講演会は、「習近平政権が目指す『中国の夢』―中国社会の過去・現在・未来」と題し山本恒人大阪経済大学名誉教授が講演しました。会場には次々と参加者が来場し満席の熱気に包まれ中国問題への関心の高さが表れていました。

山本教授の講演は、1820年に世界のGDPの32・9%を占めていた中国(清国)は、アヘン戦争の敗北により欧米列強国や日本軍国主義の侵略により半殖民地化となり「東亜病夫」「睡獅」などと呼ばれ屈辱感、絶望感を味わうことになる。中華人民共和国成立直後の1950年にはGDPは4.6%にまで落ち込んでいます。

1987年2月の「中国的歴史教育青年」で鄧小平は、「中国がアヘン戦争によって半殖民地半封建社会に貶められ、中国人は世界から“東亜病夫”と呼ばれるようになった。以来、一世紀近く、孫中山はじめ我国の識者たちは皆中国の出路を探し求めてきたのである」と述べています。

山本教授は、その後の中国の経済発展の足取りと今後の「『中国製造2025』―三段階発展戦略(習近平)」について具体例を示しながら解説する中で、中国はモノづくり大国ではあるが「強国」とは言えないと語りました。米中貿易摩擦問題でのトランプ政権の狙いは「中国の先進国化」潰しで、アメリカの時代の終焉を告げる思想でありその標的は「中国製造2025」にあると強調します。

世界が注目する「香港問題」にも触れ、山本教授は自身の考えを次のように述べています。「逃亡犯条例改定案」は「一国両制」すなわち香港には高度な自治を認め、それを法制化した「香港基本法」があり、それに抵触するものです。50年の期限の中間で両制の「一制」化に踏み出したことによって、中国は信用失墜の過程にあると言わなければなりません。香港市民・学生の「共同五大要求」は広範な支持を受けている。香港行政当局が「逃亡犯条例改定案」を正式撤回したのは正しいとはいえ、「両制」を堅持させる役割を担わなければなりません。「五大要求」への対応の弱さが市民・学生を失望させ運動の過激化の要因となっているのです。

学生・市民は「五大要求」の貫徹で結束し、あくまで非暴力・平和的行動・対話という運動の原点に回帰しなければなりません。警察暴力には暴力をという風潮の拡大・それによる市民生活の障害は広範な市民の支持を失いかねず、さまざまな徴発勢力による運動の妨害・破壊行為を招いています。さらには、それを引き金とする香港駐屯人民解放軍の全面出動にすら至りかねない緊迫した局面を迎えています。

香港高等法院は、行政当局がデモ隊の覆面を禁止する「覆面禁止規則」を布告した措置を「香港基本法」違反とする理性ある判断を示し、警察もその適用を即刻停止しました(11月17日)。「香港行政当局」は警察による実弾発砲拡大を規制し、秩序ある治安行動を指示し、間違っても「香港基本法」に基づく人民解放軍出動を要請するようなことがあってはなりません。

中国は社会主義なのか?についても参加者に問いかけながら語ります。若い時に学んだ社会主義とは、「生産手段の社会化」「労働に対する搾取をなくし、労働に応じた配分」などなど・・これまでは経済的な理解が重点だったが現在は人権・自由・民主主義が重視されるようになっている。自ら称し、他からも「社会主義」と言われてきた中国、どうなっている、どこへ行く・・。社会主義でないとは、資本主義ということか?「社会主義市場経済」の「市場経済」と資本主義は同じ?ちがう?もし資本主義なら指導者中国共産党は資本主義政党なのか?あの「独裁体制」はそれこそ社会主義じゃないの?貧しかった途上国中国は先進国になれるのか?豊かさの追及はいいことじゃないの?国民の財布が一杯になればどちらでもいいんじゃないの?最大の資本主義アメリカと衝突しているのは資本主義中国?

「中国の夢」は、近現代史から見て、21世紀の現時点から見ても、私たちも十分に理解することができるものです。しかし、その「中国の夢」の実現は、アメリカから見れば世界「覇権の交代」を意味しており、それがアメリカ特にトランプ政権にとって許せないのです。でも「中国の夢の実現」はどこから見ても避けがたいようです。

一方、「中国はアメリカとともにアジアの軍拡を主導しているとみられている。中国の経済発展と豊かさへの前進は称賛に値するが、平和・軍縮・自由と民主主義の旗手たり得ていない」。これは今まで中国に対する楽観主義を特徴としてきた井手啓二先生の言葉です。それでは「中国の夢」の実現が、アメリカのような「世界覇権」の確保ではなく、「平和・反核・軍縮・環境保全・自由と民主主義の旗手」「世界運命共同体」のリーダーとなるような道はあるのでしょうか?

作られた「中国脅威論」を一掃する。日本に「戦争の道」を歩ませないために、私たち自身が最大限の努力を惜しみなく行うことです。「憲法九条」を守りぬくことです。「日中不再戦」を国民世論とし、それを達成すれば、中国軍拡の道は大幅に縮小に向かうでしょう。

日本の現状からみても、日中関係は経済界や日中友好を願う民間の交流が主導権を持つべきでしょう。両国の国民がそれぞれの国の歩みに主体的に責任をもってこそ、両国関係は改善に向かうのです。

戦前の侵略・戦争による中国・韓国・アジアへの加害の歴史認識を今一度明確にし、日中韓関係の正常化と三国国民の融和こそ東アジア・世界の平和と安定の要であり、日本の使命だということを確認いたしましょう。(2019年11月24日、尼崎市での講演要旨)

中国茶講座で「普洱茶」を学ぶ

生茶と熟茶、氷島五寨の生茶を飲み比べ

11月20日の中国茶講座は「普洱茶」について高級茶芸師・高級評茶員の神田貴子さんから詳しい説明を聞き、生茶と熟茶、近年大へん人気のある産地の一つ氷島五寨の生茶を飲み比べました。

普洱茶とは、中国6大分類の中で黒茶に分類される後発酵茶の一種で、中国雲南省で生産され、雲南大葉種という品種が使われます。製造工程の違いにより「生茶」と「熟茶」があり、円盤型やレンガ型などに固めた圧縮茶や散茶があります。長期保存が可能で、経年により熟成が進みます。

生茶・経典韵品(雲南省臨滄市)2011年産  生茶の餅茶357gと熟茶・大益七子餅茶7262、2005年産  熟茶の餅茶を試飲し茶葉、湯色、香り、味の違いなどを体験しました。氷島五寨の古樹茶4種(生茶の散茶)を飲み比べ微妙な味の違いを学びました。(写真上:熟茶・大益七子餅茶7262、下:生茶・経典韵品)

次回「中国茶講座」は12月18日(水)午後1:30~開催します。2020年1月、2月は講師の都合により休講します。

「中国全土の強制連行」数の多さに大ショック!

映像で見た万人坑の遺骨数は「南京」の比ではない大量なもの!

10月27日に開催した日中友好協会兵庫県連合会主催の「記念講演会」は、青木茂さん(平和を考え行動する会)が2000年から2018年までの19年間に中国大陸に現存する東北地方から華南の海南島に至るまでの「万人坑」の内、42ゕ所を訪問し、印象に残った「北票炭坑万人坑」と「大同炭鉱万人坑」についてリアルな映像を映しながら詳しく紹介しました。(写真は10月27日の記念講演会会場)

強制連行した中国人を強制労働で酷使し地下鉱物資源を略奪

日本が占領し支配下においた「北票炭坑」(遼寧省「旧熱河省」北票市)では、1933年に占領以降12年間で、石炭840万トンを略奪、凄惨な強制労働により31200人を死亡させている。「大同炭鉱」(山西省大同市)では1937年に占領以降8年間で石炭1400万トンを略奪、劣悪な条件の下での苛酷な強制労働で60000万人余りの中国人労工を死亡させ、その結果、主要な万人坑だけでも20ゕ所が大同炭鉱周辺に残っている

使い捨てにされた労工の遺骨が大量に眠っている「万人坑」

青木さんは自身が撮影した写真を多数映しながら万人坑の様子について詳しく説明しました。映像には無数の遺体(人骨)が鮮明に映し出され、その中には「ミイラ化」した遺体や針金で手足を縛りその上に重しの石を載せた「生き埋め」にされたと思われる無念な表情を残す犠牲者の映像も確認できた

日本企業の営利活動と日本軍の侵略行為は消すことが出来ない

最後に青木さんは、「強制連行」について、「撫順炭坑」(遼寧省)だけでも、敗戦までに石炭2億トンを略奪し、強制労働で、25万人を死亡させ、30ゕ所以上の万人坑を残していることを紹介しました。これは、日本政府が閣議決定により「日本国内への労働力確保」で日本国内へ強制連行した中国人38935人、死者6830人と比較しても桁違いに多い。中国全土での強制労働4000万人に及ぶ被害、犠牲を生み出した日本企業の営利活動(金儲け)と日本軍の侵略行為の史実は消し去ることは出来ず、この事実は、「侵略を否定する歴史改竄主義者やその筆頭格である安倍晋三首相らへの回答」となるでしょうと語りました。

中国人労工を消耗資材と記録、遺骨数は南京の比ではない

参加者からはアンケートに、「日満商事の記録にある、中国人労工を「資材」の「消耗」として記録されていたことを聞き怒りを覚えた。食事も殆ど与えず、石炭・鉄を採掘させて正に人捨て場をつくったのですね。強制連行・労働は中国全土で4000万人と聞き大ショック!スライドで見た人骨は「南京」の比ではない大量なものでした」との感想が寄せられています。

下の写真:上2枚は「北票炭鉱万人坑」上は、労工の遺体が大量に投げ込まれた深い谷。(白っぽい建物の下、写真手前に谷がある)

上から2枚目:遺骨保存展示館C/展示館内部の遺骨の一部

写真3、4枚目は「大同炭鉱」、3枚目:煤峪口万人坑の入口

4枚目:20世紀初頭に開削された坑道が廃坑になったあと、そこに犠牲者の遺体が無造作にかつ大量に捨てられた。

これら4枚の写真は青木茂氏が撮影、「万人坑を知る旅」より転載

漢詩を読む会・王維「秋夜独坐」を読む

白楽天の詩には王維の生き方や詩を意識したところがみられる

10月19日に開催した第19回「漢詩を読む会」は、盛唐の詩人・王維の「秋夜独坐」を中心に丹羽博之大手前大学教授の解説で読みました。

「王維」(701~761、生没年は699年~759とする説もある)。字は摩詰、太原(山西省)の人。子どもの時から聡明と言われた。15歳の時、科挙の準備で都へ出て、優れた詩を作り、画・書・音楽の才能にも恵まれ王侯貴族たちの寵児となった。王維の多才な資質はもてはやされ、21歳の若さで進士に及第する。

役人となった王維は、官僚生活の合間に心を休める別荘を都の南藍田山の麓に求め「輞川荘」と名づけ半官半隠の暮らしを楽しんだ。晩年の755年に勃発した安禄山の乱で賊軍に捕まり裁判にかけられた。要職にあった弟の嘆願により官を下げれただけで事なきを得てその後、尚 書右丞(書記官長)にまで進んだ。王維は熱心な仏教信者であった。

王維の生き方や詩は白居易(字は楽天、772~846)にも影響を与えている。江州司馬に左遷された白は、盧山に草堂を構え、秋の一夜、雨の中独り草庵に坐し、王維の「秋夜独坐」の境遇に共感した。白楽天が政争の渦巻く都長安から逃れて、独善・保身を図る処世法を選んだ背景の一つに、王維の生き方があったのではないか。

  「秋夜独坐」 王維

独坐悲双鬢 独坐 双鬢を悲しみ

空堂欲二更 空堂 二更ならんと欲す

雨中山果落 雨中 山果落ち

灯火草虫鳴 灯火 草虫鳴く

白髪終難変 白髪 終に変じ難く

黄金不可成 黄金 成すべからず

欲知除老病 老病を除くを知らんと欲せば 

唯有学無生 唯 無生を学ぶ有るのみ

「廬山草堂、夜雨独宿  寄牛二・李七・庾三十二員外」 白楽天

丹霄攜手三君子 丹霄手を攜ふ 三君子 

白髪垂頭一病翁 白髪頭に垂る 一病翁

蘭省花時錦帳下 蘭省花時 錦帳の下

廬山夜雨草庵中 廬山夜雨 草庵の中

終身膠漆心応在 終身膠漆 心応に在るべし

半路雲泥跡不同 半路雲泥 跡同じからず

唯有無生三味観 唯だ無生三味の観有るのみ

栄枯一照両成空 栄枯一照 両に空と成る

次回「漢詩を読む会」は12月14日(土)午後2時~4時

参加予約は ☎078-412-2228 へ

福建・広東・台湾の烏龍茶を試飲

烏龍茶の四大生産地、特徴と代表的な茶について学ぶ

10月16日に開催した「中国茶講座」は満席の盛況で、烏龍茶について講師の茶芸師・神田貴子さんから四大生産地、産地別の特徴、代表的な茶の種類、銘柄などを聞き全員が試飲しました。

烏龍茶は主に中国の南部地域で生産され、主要生産地は「閩北(福建省北部)・閩南(福建省南部)・広東(広東省東部)・台湾(台湾全域)の四地域です。

閩南烏龍茶(福建省南部)・安渓鉄観音(福建省泉州市安渓県)、閩北烏龍茶(福建省北部)・大紅袍(福建省武夷山市)、広東烏龍茶・鳳凰単叢密蘭香(広東省潮州市)、台湾烏龍茶・台湾高山茶、杉林渓高山茶、阿里山烏龍、阿里山金萱、梨山高山茶の産地、発酵度、味、香りなどについて講師から詳しい説明を受け、6種の試飲を楽しみました。(写真上:10月16日の講座風景、下は鳳凰単叢蜜蘭香と台湾高山茶、杉林渓高山茶の茶葉)。

次回「中国茶講座」は11月20日(水)午後1:30~です。

世界遺産・黄山の絶景と中国の古代農村の面影残す村落②

ツアー参加者が撮った写真で見る世界遺産「黄山と古村落」の素晴らしい景観&朱家角運河、上海抗戦紀念館

日中友好協会兵庫県連合会企画の中国ツアー「中国安徽省の黄山、雄大な自然と歴史の残る世界遺産の街と上海の旅」は天候に恵まれ、参加者は、世界遺産黄山の素晴らしい景観と歴史ある古村落の散策を楽しみました。引き続き写真の一部を紹介します。(写真はHHさん提供)

飛来石(黄山)

西逓村内の通路
西逓村内での民族パレード
朱家角運河
松沪抗戦記念館全景(上海)
記念館内部(上海)

世界遺産・黄山の絶景と中国の古代農村の面影残す村落

ツアー参加者が撮った写真で見る世界遺産「黄山と古村落」の素晴らしい景観

日中友好協会兵庫県連合会企画の中国ツアー「中国安徽省の黄山、雄大な自然と歴史の残る世界遺産の街と上海の旅」が9月24日(火)~28日(土)に行われ18名が参加しました。天候に恵まれ、参加者は、世界遺産黄山の素晴らしい景観と歴史ある古村落の散策を楽しみました。写真の一部を紹介します。(MTさん撮影)

世界遺産「黄山」の絶景
世界遺産黄山の山頂から望む絶景
古代農村の面影を残す宏村・村の路地
古民居群の中の路地風景(西逓)
月沼の水面に映る古民居群(宏村)
西逓村入り口に建つ牌坊

中国茶講座で黄茶・緑茶/花茶・工芸茶を学ぶ

9月18日に開催された「中国茶講座」では、希少性の高い「黄茶」、蒙頂山の「緑茶」、価格が高騰する福建省の「ジャスミン茶」、開花する「工芸茶」について講師の高級茶芸師・高級評茶員・神田貴子さんからそれぞれの茶の生産地、製造工程、湯色、香り、味の特徴、抽出の仕方、効能などの説明を受けました。(写真上:福建省のジャスミン茶「左・茉莉茶王、右・茉莉銀針」)

希少性の高い「黄茶」は、中国茶6大分類の一つに分類される軽発酵茶の総称で、茶葉も湯色も黄色っぽい色をしています。緑茶に似た爽やかな味わいですが、軽く発酵させているため緑茶にはないコクも感じられます。主な銘茶としては君山銀針(湖南省)、蒙頂黄芽(四川省)、霍山黄芽(安徽省)があります。(写真:福建省工芸茶・金元宝、外形は古代のお金を型どっている)

見た目も美しい「工芸茶」は、球状の工芸茶にお湯を注ぐと茶葉がゆっくり開いて中から様々な花が姿を現し楽しませてくれます。工芸茶は緑茶やジャスミン茶を原料に、漢方生薬としても使われる様々な花を加え、糸で縛って球状に形成したお茶で、4~5回抽出した後の茶殻は水に入れ、水中花としても楽しめます。開花富貴、金元宝、水中花籠、東方美人など何れも福建省の工芸茶です。(球状の茶葉にお湯を注ぐと写真のように花が開いたように美しい)

次回の「中国茶講座」は、10月16日(水)午後1:30~

◇参加ご予約受付けています!    078-412-2228

強制連行による中国人犠牲者を追悼

読経と焼香で強制労働による中国人犠牲者を追悼

9月8日午後厳しい残暑の中、日中友好協会兵庫県連主催による「第22回強制連行・強制労働による中国人犠牲者を慰霊する集い」が神戸市兵庫区の宝地院で開かれました。

戦争末期、日本国内の労働力不足を補うめ、当時の日本政府は国策として中国大陸から38,939人の中国人を国内へ強制連行し、全国135事業所で強制労働をさせ、全国で6,834人の犠牲者を出しています。兵庫県内では、神戸港で17人、相生の播磨造船所(当時)で28人が亡くなっています。

宝地院本堂で中川正興住職の読経と参加者の焼香により犠牲者を追悼しました。読経後の講話で、中川住職は、最近の情勢について、「仏教の教えで、『怨親平等』という言葉があります。敵、味方関係なく人として平等に接し、お互いの存在を大事にする気持ちが大切ではないでしょうか。為政者も省みて考えて頂きたいと思います」と語りました。

中国を侵略している日本軍将兵にラジオで呼びかけ

犠牲者追悼を終え、集会室で「長谷川テルの生涯に学ぶ」と題し、平松悦雄大阪府連常任理事が講演しました。長谷川テルの生い立ちや学生時代以後の年譜、写真、当時の新聞記事などの資料を映像で映しながら話しました。

奈良高等師範学校4年の時、治安維持法で検挙され、釈放後退学した長谷川テルはエスペラントを学びはじめ、中国人留学生の劉仁と結婚、上海へ渡ります。上海へ渡った長谷川テルはそこで日本軍の蛮行で大きな被害を受けている一般市民、子どもの姿を目の当りにしショックを受け、抗日反戦への決意を固めます。

1938年7月、漢口で初めてマイクの前に立つことを決断します。流暢な日本語で日本軍将兵に戦争中止をラジオで訴えたのです。日本に住む家族に害が及ぶことがわかっている中での決断です。ラジオで訴えた言葉は次のような内容です。

「日本の将兵のみなさん!どこでこの放送をお聞きでしょうか戦争はいかなる時でも不幸なものです。あなたの撃った砲弾や銃弾はたくさんの子どもたちの命を奪っています。でもそれはあなたたちが悪いのでしょうか。みなさんはこの戦争は聖戦だと教え込まれ、そう信じているかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。ちがいます。

この戦争は、大資本家と軍部の野合世帯である軍事ファシストが、自分たちの利益のために起こした侵略戦争なのです。日本にいるあなたのご家族は、皆さんのご無事を祈り、一日も早く平和が訪れることを望んでおります。

日本の将兵のみなさん!皆さんの熱い血を、あやまって流さないでください。みなさんの敵は海を隔てたこの地にはいないのです!お元気でどうかどうか生き抜いて下さい」

1947年1月にテルが、4月に劉仁が亡くなり、残された2人の子ども、劉星と暁嵐(長谷川暁子)は国家により手厚く保護、養育されます。テルと劉仁は中国東北の佳木斯・烈士墓園に埋葬され墓碑には「国際主義戦士 緑川英子」と刻まれています。最後に平松氏は、長谷川テルがエスペラントを通じ世界へ日本軍の蛮行を発信し続けた反戦への堅い決意が戦後70年を経てようやく意識され評価されるようになったと語りました。(U)

戦争で苦しむのは、いつの時代も民衆である

中国反戦詩の伝統~古代から「原爆行」まで

第18回「漢詩を読む会」が8月10日午後、猛暑の中で開催されました。今回のテーマは土田竹雨(名は久泰 1887~1958)の「原爆行」。講師の丹羽博之大手前大学教授が当日取り上げた題材(資料)は2003年6月1日の「月間しにか」161号に書かれた故・一海知義氏の「中国反戦詩の伝統」古代から「原爆行」まで。詩を読む前に少しその前文を紹介します。

「一将功成って万骨枯る」。一人の将軍が手柄を立てる時、そのかげでは、何万という兵士が戦死し、その骨が朽ち果ててゆくのだから。この詩の作者曹松は、反戦詩人ではない。その彼がこの名セリフを後世に遺したのは、戦争の悲惨を、詩人が冷静に客観的に見つめることができたからであろう。時代が唐から宋、元、明、清と降って行っても反戦詩の伝統は消えず、少なからぬ詩人が作品を残している。中国二千年の伝統をふまえて、現代日本の漢詩人も反戦の詩を作っている。

「原爆行」―原爆の行(うた)作者・土田竹雨

怪光一綫下蒼旻  怪光一綫 蒼旻より下り

忽然地震天日昏  忽然として地震い 天日昏し  

一刹那間陵谷変  一刹那の間 陵谷変じ

城市台樹帰灰燼  城市台樹 灰燼に帰す

此日死者三十万  此の日 死者三十万

生者被創悲且呻  生者は創を被り 悲しみ且つ呻く

死生茫茫不可識  死生茫茫として 識る可からず

妻求其夫児覓親  妻は其の夫を求め 児は親を覓む

阿鼻叫喚動天地  阿鼻叫喚 天地に動し

陌頭血流屍横陳  陌頭 血流れて 屍 横陳す

殉難殞命非戦士  殉難して命を殞すは 戦士に非ず

被害総是無辜民  害を被るは 総て是無辜の民

広陵惨禍未曾有  広陵の惨禍 未だ曾て有らざるに

胡軍更襲崎陽津  胡軍更に襲う 崎陽の津

二都荒涼鶏犬尽  二都荒涼として鶏犬尽き

壊牆墜瓦不見人  壊牆墜瓦 人を見ず

如是残虐天所怒  是の如き残虐は 天の怒る所

驕暴更過狼虎秦  驕暴更に過ぐ 狼虎の秦

君不聞啾啾鬼哭夜達旦 君聞かずや 啾啾たる鬼哭 夜より旦に達するを 

残郭雨暗飛青燐   残郭 雨暗くして 青燐飛ぶ

次回第19回「漢詩を読む会」は10月19日(土)です。