犠牲者追悼式典に1万人が出席
1937年8月から始まった第二次上海事変に伴い派遣された日本陸軍の上海派遣軍(司令官・松井岩根)は国民政府軍の激しい抵抗を受けて苦戦を強いられたが、11月5日に第10軍(司令官・柳川平助)を杭州湾に上陸させ中国軍の背後を突き、3か月にわたる上海戦に決着をつけた。上海派遣軍と第10軍をあわせて編成された中支那方面軍(司令官・松井岩根)は上海戦のために派遣された軍であった。それが、武藤章、松井岩根、柳川平助らの野心によって、準備も作戦、装備もなかった南京攻略作戦を参謀本部の統制に反して現地軍の独断専行で強行し、「南京大虐殺事件」を引き起こしたのである。
大本営の正式の命令もないまま、参謀本部の統制に反するかたちで、中支那方面軍が独断専行で開始した南京攻略戦であったが、日本の大新聞は同作戦に便乗して、大規模な報道陣を前線へ派遣し、従軍記者に少なからぬ犠牲者を出しながらも、「南京城に日章旗が翻る日はいつか」「どこの郷土部隊が南京城一番乗りを果たすか」などの報道合戦を繰り広げた。国民は南京城に迫る日本軍部隊の報道に注目し、興奮するようになった。国民も「中国一撃論」に幻惑され、南京が陥落すればあたかも日中戦争が決着して、日本が勝利するかのような期待感を抱くようになった。
1937年12月、日本軍は首都南京の攻略戦で、投降した中国軍の兵士や一般市民、難民に対して虐殺を行いました。日本軍による中国人虐殺は20万人に及びます。中国はユネスコに南京虐殺の資料を世界記憶遺産として登録申請し、2015年10月10日に登録が発表されました。
南京大虐殺事件から86年となった今年12月13日、南京市の南京大虐殺遇難同胞紀念館の広場で犠牲者追悼の記念式典が開催され、生存者や犠牲者の遺族、学生、市民、日本など国外からの参加者など約1万人が参加し中国国家公祭日として虐殺の犠牲者に黙祷し追悼しています。式典であいさつした全国人民代表大会常務委員会副委員長・李洪忠氏は「人類文明史の暗黒の1ページだ。国際法に明確に違反する暴行で、誰であれ、どのような勢力であれ否定することの出来ない反人類的犯罪である」と強調しました。今年は日中平和友好条約締結45周年であり、両国は建設的で安定的な中日関係の構築に努力し、アジアと世界の平和、安定、繁栄に貢献しなければなりません」と呼びかけました。南京事件の生存者は現在38人となり、平均年齢は93歳を超えています。