中国帰国者の公墓・記念碑がいよいよ竣工

残留孤児の苦難の歴史を銘文として残す

 中国「残留日本人孤児」は74年前までの戦争において、中国で幼い時に両親や兄弟、姉妹と死別或は生き別れました。そして異国の地で孤児となり中国の養父母に育てられました。

 10数年前、老後の生活と尊厳の回復を求めて、全国の「残留孤児」は、国の責任を問うべく裁判を開始しました。裁判は敗訴が続きましたが、唯一神戸地裁で勝訴判決を勝ち取りました。そして2007年に、ようやく中国残留邦人に対する新しい支援法ができました。

 これまで安住の地である兵庫県に帰国者のための共同墓地を建立したいと運動を進め、建設費募金への協力を訴えてきました。幸いにも神戸市から舞子墓園に建設土地の提供を受け、その地に墓とともに、残留孤児の苦難の歴史を銘文(碑文)として残す記念碑の建設にも取り組んできました。

 この度、かねてより建設中であった公墓・記念碑が間もなく完成する運びとなり下記の通り竣工式を執り行うこととなりました。私たちの墓碑建立の願いに多くの方々から暖かいご支援、ご協力を頂きました心より感謝申し上げます。

2019年3月

兵庫県中国帰国者の会 代表 植田恒陽

―公墓および記念碑竣工式―

日時:2019年3月26日(火)午後1時30分~2時

場所:神戸市立舞子墓園 管理事務所南、園内臨時駐車場

中国帰国者2世にも「新・支援法」適用を!

「人間らしく生きたい」と署名活動に取り組む

2008年4月、「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律の改正法(新・支援法)」が施行され、老齢基礎年金の満額給付や、支援給付制度の創設等新たな支援策が実施されました。

ところが、帰国者2世については一切適用されず、2世の生活は経済的に困窮し、多くが生活保護に頼らざるを得ない状況です。これは、国が1世と国費同伴帰国できる2世を未婚の20歳未満に限定したこと、これまで2世に対する有効な支援策を全く講じてこなかったことに起因するものです。

福岡県中国帰国者2世の会会長の小島北天さん(72歳)は、1947年、奉天(現在の瀋陽)で生まれ、1996年49歳で帰国、支援交流センターで8か月日本語教育を受けましたが日本語がうまく話せず転職を余儀なくされ、正社員で働けたのは僅か4年間だけ、現在受け取っている年金は1か月1万9000円で今も働かないと生活できませんと話しています。帰国者2世は「人間らしく生きたい」と帰国者2世にも「新・支援法」の適用を訴え署名活動を続けています。(日中友好新聞より・福岡市内での署名行動、写真提供:日中友好協会福岡県連合会)

署名にご協力お願いします。用紙はダウンロードの上、署名は下記へお送り下さい。

〒658-0072神戸市東灘区岡本1丁目14-10  岡本住宅ビル3F 

日本中国友好協会兵庫県連合会

コスモスの会・尼崎日本語教室「新年交流会」

広場ダンスや曲芸など多彩な演芸披露に拍手喝采!

中国帰国者支援団体・コスモスの会(宗景正代表)は1月26日(土)、尼崎市内で「2019年新年交流会」を開催、中国帰国者やその家族、支援者、ボランティアスタッフなど約150人が参加し賑やかに行われました。尼崎市代表や日中友好会などから来賓あいさつを受け、帰国者とスタッフが朝早くから用意した餃子などの料理を食べながら歓談。舞台では多彩な演芸が披露されました。明石日本語教室・大阪中国帰国者センターの広場ダンス、伊丹日本語教室・大阪八尾中国帰国者支援交流会の太極扇、中国語サロンの皆さんの歌や皿回し、中国のコマ回しなどの曲芸が次々登場し会場からの拍手喝采で熱気に包まれました。

尼崎市内で中国帰国者支援活動を続けているコスモスの会は、昨年、発足10周年を迎え10月に記念集会を開催、市民から注目されています。コスモスの会は尼崎市からの委託事業で日本語教室を毎週開催する傍ら、健康体操・歌・広場ダンス・将棋・ゲームを楽しむことができる「楽しい健康の会」や単語の聞き取り・ピンイン・発音の練習ができる「中国語サロン」などのサークル活動を定期的に開き、帰国者にとってなくてはならない存在となっています。新年交流会は最後にみんなで「北国の春」「365歩のマーチ」を合唱し、今年も健康で頑張ろうと誓い合いました。(写真下は、色鮮やかな布を身に付けて秧歌踊りを舞う帰国者。中国東北地方の農民が田植えの際に踊ったのが起源と言われている。ヤンガー・ヤンコ踊り)

中国帰国者が生活講座で生け花を体験

真剣な眼差しで正月用の生け花を体験

神戸市の委託事業として中国帰国者に日本語教室や日本の文化、習慣などを紹介する「生活講座」を毎週開いている中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会は、12月25日午後、2018年最後の生活講座を「岡本教室」で開催しました。

講座には、帰国者28人と学習を支えるボランティアスタッフ13人が参加しました。生け花教室は、佳生流師範の石井敏子さんが、用意された正月用のめでたい花材、松・柳・千両・万年青・葉牡丹や水引について説明、生ける順序や枝ぶり、方向などをアドバイスしました。帰国者はボランティアの手助けを受けながら茎を切ったり、花の向きを考えたりしながら真剣な眼差しで取り組んでいました。生け花を体験した帰国者は自分が生けた生け花を手に、これでよいお正月が迎えられますと言って笑顔で教室を後にしていました。2019年は1月10日(木)から日本語教室が始まります。

心に響いた中国残留邦人の言葉

「理解を深める集い」尼崎で200人、神戸で300人超

中国残留邦人への理解を深める集いが県内2ヵ所で開催されました。10月20日に尼崎市で開催された集いでは約200人の市民が参加、「残留孤児」1世、2世、支援者が参加したシンポジウムや特別記念講演でジャーナリストの大谷昭宏氏が「みんなの命輝くために」と題し講演しました。

11月18日には神戸市で開催、300人を超す市民が参加しました。先ず、日本民謡藤本流の皆さんによるミニコンサートがあり、続いて大橋晴美さん母子が中国の生まれ故郷を訪ね、戦争と友好を見つめる旅を記録した信越放送テレビ局制作のドキュメンタリー映画「遼太郎のひまわり~日中友好の明日へ」を鑑賞。最後に帰国者2世の大橋晴美さんが「中国帰国者2世の思い」と題し講演しました。「戦争がなければ私は生まれてこなかった命、存在そのものへの不条理、その苦悩は今も消えない。戦争の歴史ゆえに中国では非難を受け、日本では偏見の中で生きてきた」と自身の半生を語りました。大橋さんの言葉に参加者は心打たれ聞き入っていました。(写真上は尼崎市の集い、左はジャーナリストの大谷昭宏氏。写真下、神戸市の集いで演奏する民謡藤本流の皆さん)

中国帰国者が証言します―日中の狭間に生きて―

元「残留孤児」が語る―忘れられない戦争の年月

中国帰国者の宮島満子さんは、1938年3歳の時、一家11人で当時の「満州」東安省密山県(現・黒龍江省)に第6次長野村開拓団として入植。父親、長兄が根こそぎ動員で兵隊にとられ、ソ連侵攻後、ソ連機の銃撃の下で地獄のような逃避行の途上、兄弟・姉妹、母親が衰弱と病気で次々亡くなり孤児となりました。

その後中国人養父に育てられ、1985年5月に永住帰国するまで中国大陸で想像を絶する苦難の体験を重ね生き抜いてこられました。この度、兵庫の「語りつごう戦争」展で自身の体験を証言します。ぜひお聞き下さい。(写真・右側が宮島満子さん、中央は奥山イク子さん、左側は大中はつゑさん、何れも中国帰国者)

日時:2018年12月7日(金)午後1時30分

会場:妙法華院 3階会議室 ―参加無料―

※神戸高速鉄道「新開地」駅西口を上がり、南へすぐ。神鉄ビル南側

証言者:宮島満子さん(1935年長野県生まれ)

主催:兵庫の「語りつごう戦争」展実行委員会

神戸市兵庫区永沢町4丁目5-8   連絡先:☎090-5896-6048(上野)

中国残留邦人への理解を深める集い

中国「残留日本人孤児」の歴史を語りつぐために

―ドキュメンタリー映画上映と講演―

中国残留邦人2世の大橋晴美さんを主人公として信越放送テレビ局制作のドキュメンタリー。2012年の夏、大橋晴美さん、遼太郎さん親子は中国の生まれ故郷や戦跡を訪ねた。戦争と友好を見つめる旅である。二人は戦争の歴史とどのように向き合ったのか、そしてどのように未来への希望を見出していくのか

■日時:2018年11月18日(日)13:00~16:15

■会場:神戸市立垂水勤労市民センターレバンテホール

JR/山陽「垂水駅」東口北東へ3分

◆ミニコンサート 日本民謡藤本流

内山欣子さん(藤本流師範)、内山太志さん(藤本流名取)、内山美歌さん(藤本流名取)

◆SBCスペシャル「遼太郎のひまわり~日中友好の明日へ~」

信越放送テレビ局制作のドキュメンタリー映像(40分)

◆講演:大橋晴美さん「中国帰国者2世の思い」(60分)

※大橋晴美さんプロフィール

1970年中国遼寧省生まれ。祖父母は満蒙開拓団として下伊那郡豊丘村から旧満州へ渡り、中ソ国境近くに入植。戦後の混乱の中で中国に残された父親はやがて結婚し、三人の息子と晴美さんを育てあげた。1978年家族6人で祖父母の故郷、長野県に帰国。1994年長野県公立中学校英語教諭となる。2007~2010年中国北京師範大学教育学院比較教育学専攻博士課程に留学。著書に「国際理解ハンドブック 中国と出会おう」(共著)など。

入場無料 予約不要

主催:神戸市(委託団体:中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会) 

お問い合わせ:☎090-8539-7021(水野)

中国残留日本人への理解を深める集い

中国「残留孤児」の歴史と今後を考える

尼崎市に大谷昭宏氏(ジャーナリスト)迎え記念講演

中国残留日本人支援団体「コスモスの会」は今年で発足10周年を迎えました。改めて中国残留日本人の悲惨な人生を再認し、今後の支援につなげていきたいと思います。一人でも多くの方に中国残留日本人について知っていただき、支援の輪に加わってほしいと願っています。

と き:2018年10月20日(土)13:00~16:15

ところ:アルカイックホール・ミニ(尼崎市総合文化センター2F「玉翔の間」(阪神尼崎駅から立体遊歩道徒歩5分)

入場無料

◆特別記念講演 大谷昭宏氏(ジャーナリスト)

「みんなの命輝くために」―中国残留日本人の歴史~過去、現在、そしてこれから―

◆音楽のひととき ヴァイオリンとピアノのアンサンブル

ヴァイオリン 吉川哲波(あきは)さん

ピアノ 田中さおりさん

◆シンポジウム 支援活動に参加して

中国残留日本人1世、2世、支援者が参加

主催:尼崎市(委託事業団体コスモスの会)

協賛:近畿中国帰国者支援・交流センター

問合わせ:コスモスの会 090-1483-0510(田中さん)

HP:http://kosumosunokai.sakura.ne.jp/

中国「残留孤児」が記念碑建立めざす

苦難の歴史を碑に刻んで残したい

「先の戦争で、日本は中国を侵略しました、そして敗戦国となりました。両国民はこの悲惨な戦争の被害者でした。私たちも残留孤児になりました。幼い時に、両親、兄弟・姉妹と死別、生き別れとなりました。戦後40年以上経てようやく祖国日本の土を踏むことができました。しかし国は十分な日本語教育の支援を提供してくれず、早く仕事をするよう迫られました。多くの帰国者は日本語がわからないまま仕事を始めざるを得ず、汚い、危険、きつい「3K」の重労働に就くしかありませんでした」

「10数年前、老後の生活と尊厳の回復を求めて、全国の残留孤児たちは、国の責任を問うべく裁判を開始しました。裁判は敗訴が続きましたが、唯一神戸地裁で勝訴判決を勝ち取りました。そして2007年にようやく中国残留邦人に対する新しい支援策ができました。しかしその支援策も決して十分なものではなく、まだ様々な問題が存在しています」

「私たちは2015年12月6日に兵庫県中国帰国者の会を発足させ、今も活動を続けています。しかしながら活動経費は少なく拠って活動する場所もありません。これまで安住の地である兵庫県に帰国者のための共同墓地建設を心から望んで運動を進めてきました。併せて残留孤児の苦難の歴史を記念碑に銘文(碑文)として刻み残したいと願っています。私たちのこの願いを実現するために皆さまのご支援、募金へのご協力を心からお願い申し上げます」

兵庫県中国帰国者の会 代表 植田恒陽

募金にご協力頂ける方は、お名前・住所・電話・メールアドレスをご記入の上、郵便振替用紙をご利用下さい。

郵便振替口座:00980-3-236555 

加入者名:兵庫県中国帰国者の会

帰国者支援「生活講座」で素麺味わう

日本の夏の麺料理、帰国者と共に素麺を味わう

神戸市と明石市の委託を受け帰国者支援活動を続けている中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会は、7月26日午後、神戸・岡本教室で、生活講座学習の一環として日本の夏の麺料理、「素麺」について紹介しました。猛暑の中、ボランティアスタッフが麺をゆがき、大葉・錦糸タマゴ・茗荷・シイタケなど9種の薬味を用意し、試食準備が整うまでの間スタッフが素麺のゆがき方、食べ方、ダシの作り方などについてプリントを配り説明しました。

参加した帰国者、スタッフ合わせて23人が氷水で冷やした素麺を椀に入れ、好みの薬味を加え味わいました。帰国者の一人は、こんな細い麺は中国で見たことはありません。これまでも、中国へ里帰りの際、素麺を土産に持参し、冷麺や汁麺をつくり食べたことがあります、とても美味しいですと話していました。