中国の日本人に対するビザ発給一時停止問題

ビザ発給一時停止発表の背景と本音

駐日中華人民共和国大使館は1月10日、訪中する日本人へのビザ発給を一時停止すると発表しました。1月3日の中国外交部の定例記者会見で、中国からの渡航者に対し、厳しい水際対策を取る一部の国に対し、中国は相応の対抗措置を取ると表明していたが、その対抗措置の一つが今回のビザ発給の一時停止のようだが、これは中国の実態を反映していない、とし遠藤誉氏(中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士)が1月12日付のYahooNetニュースでその背景を分析し解説しています。要約して紹介します。

岸田首相のG7メンバー国歴訪に対する警告

1月9日から始まった岸田首相のG7メンバー国の歴訪、ビザ発給停止を通告した同じ日の1月10日に中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」は「東京は一刻も早く戦略に関して目を覚ませ」という社評を掲載した。としてその概要5点紹介しています。

1、日本の岸田首相は1月9日からG7の5ヵ国訪問を開始した。多くの西側メディアは、今回の岸田氏の歴訪のテーマの一つを「中国の脅威に対する協調的な対応」と要約している。

2、G7の持ち回り議長国である日本が、会議前にメンバー国を訪問して事前調整をするのは自然なことで如何なる問題もない。しかし、岸田氏は、他のG7メンバーとの二国間会議で、中国に対して強硬姿勢を示し、「地域脅威論」を売り込み、さらには「反中連結」を実行しようとしている。これは不必要であるだけでなく、非常に危険だ。これが2023年の日本外交の主な方向性だとしたら、それは大きな間違いだ。

3、歴訪期間、岸田氏はこの歴訪5ヵ国との2国間軍事関係を強化するとのこと。日本はNATOをアジア太平洋に引き込む先導者になってはならない。

4、日本はG7国で唯一のアジアのメンバー国として、本来ならばアジア諸国の利益を代表する役割を果たさなければならないはずなのに、岸田氏はその逆で、欧米に追随し、アジア太平洋地域の平和と安定を積極的に乱すための役割を買って出ている。

5、このままでは日本は国際的地位とイメージを高めることは困難だ。「中国脅威論」の誇張を装い、「平和憲法」を破り、大規模に軍事力を発展させようとする日本の行動は、一層憂慮すべきだ。日本のメディアは「2023年の日本の外交努力を2倍にしなければならない」と主張している。しかし方向性が間違っていれば、頑張れば頑張るほど、目標から遠ざかっていく。これはアジアの人々に、日本がかつて第二次世界大戦でアジアにもたらした恐ろしい災害を思い起させる。東京はできるだけ早く戦略的に目覚めなければならない。

日本の新安保戦略は国際社会の懸念を招いている

1月9日の「人民日報」電子版「人民網」は「日本の新安保戦略は国際社会の懸念を招いている」というタイトルで、日本の安保体制と昨年末に閣議決定した安保3文書(国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画)を批判している。

日本は「反撃能力」を開発する一方で、防衛費をGDPの約2%にまで増加させ、宇宙、ネットワーク、電磁、認知などの新しい分野での戦闘力を開発し、軍事力を大幅に強化する予定だ。中国の領土である台湾からわず110kmしか離れていない与那国島にはミサイル部隊が配備されている。

戦後、日本は長期にわたり防衛費を削減し、軍事大国ではないことを明確にし、経済・社会の発展を重視してきたことにより国際社会の信用を得てきた。しかし、現在の日本の外交・安全保障戦略は一方的に陣営の対立を強調し、一部の西側諸国のメガホンに成り下がり、欧米が言ったことを受け売りするだけの国になってしまった。これは東洋の文化的伝統に沿うものではなく、決して賢明な行動でもない。日本は今や自らの深い施行に基づく戦略性を持たず、戦略的思考の怠惰と傲慢さを露呈するだけの国になり果ててしまった。日本が本当に戦後から脱却するために必要なのは、軍隊を増強して強化することではなく、平和発展の道を歩むことである。以上が中国ネットから読み取れる中国側の裏事情である。

感染爆発の状況で国民を自由に海外へ渡航させることは無責任

最後に遠藤氏は、中国のゼロコロナ政策の大転換について、日本人としては「このような感染爆発を起こしている中国大陸の人々を海外に自由に渡航させること自体が間違っているのではないか」と言いたい。ワクチン接種による免疫も少なく、ほぼ14億人全員に感染させて免疫を付けさせようとしている中国大陸の民を、無条件で海外に放つこと自体に問題がある。新しい変異株が生まれているかもしれない人々を海外に送り込み他国に新たな感染者を生むかもしれないような無責任なことをしていいはずがない。中国国内の事情は中国国内で解決し、国境から出すべきではないだろう。中国の国内事情とは別に、個人的見解として主張したいと。結んでいます。(記事は1月12日付、yahooニュースより抜粋、画像は日本テレビ及び内閣広報室より)

日中平和友好条約締結45年周年

日中両国は、1972年9月に日中共同声明を発出し、日中間の国交が正常化しました。6年後の1978年8月12日に北京で日中平和友好条約が締結され今年45周年を迎えています。この日中平和友好条約は日中共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、国連憲章の原則が十分尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和、安定に寄与することを希望して両国間の平和関係を強固にし、発展させるために条約締結が決定されたものです。

45年を経た今日、条約の内容は両国により遵守されているでしょうか。改めて5条からなる条文を紹介します。(写真はNHK、上は1978年8月北京・下は1978年10月東京での批准書交換

第一条 

1、両条約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和関係を発展させるものとする。

2、両条約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、全ての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

第二条

両条約国は、そのいすれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しょうとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

第三条

両条約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

第四条

この条約は、第三国との関係に関する各条約国の立場に影響を及ぼすものではない。

第五条

1、この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、10年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによって終了するまで効力を存続する。

2、いずれの一方の条約国も、一年前に他方の条約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。

以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。1978年8月12日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。

日本国のために  園田    直  (署名)

中華人民共和国のために   黄    華(署名)

2023南京町春節祭

中国史人游行や変臉(変面)など披露

旧暦で節句を祝う中国では、旧歴のお正月を「春節」として盛大に祝います。祝い事には欠かせない龍や獅子が舞踊り大いに賑わいます。神戸・南京町でも旧歴の正月に合わせ、1987年から「春節」をアレンジし「春節祭」として開催が始まりました。この春節祭は1997年に神戸市の地域無形民俗文化財に指定されています。

期間:2023年1月22日(日)旧歴元日、27日(金)~29日(日)

場所:神戸南京町一帯(JR/阪神元町駅から南へ徒歩約5分)

「中国史人遊行」玄宗皇帝・項羽・呂布、楊貴妃・虞姫・貂蝉

「変臉(変面)」南京町広場ステージ(四川の伝統芸能)

「関帝・祭壇参拝」南京町広場(料金100円・線香代)

◇天候やコロナの状況により中止となる場合があります。

春節近づくシンガポール中華街

中国系の人々が人口の7割ほどと言われているシンガポールで、中華街の写真が本日(1月14日)届きましたので紹介します。クリスマスが終わると、街は春節を祝う鮮やかな飾り物がストリートを埋め尽くし赤一色になります。。写真の建物はトゥーステンプル(新加坡佛牙寺)で、朝から多くの人々が集まり行事が開かれているようです。中華街の賑わいは暫く続きそうです。ライブストリーミングもあると伝えてきています。

良寛の漢詩「下翠岑」を読む

子供らの天真爛漫をこよなく愛した

良寛(1757~1831)は越後の名主の長男に生まれたが、家は弟に譲り、出家して良寛と称し、大愚と号した。国仙和尚に従って備中の玉島で十七年間修業したが、和尚の死後、越後に帰った。生家には戻らずあちこちの寺や草案を転々とした。四十七歳から十三年間、山中に隠遁している。五十九歳で村里に下り「霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日も暮らしつ」などの歌で知られるように。村の子どもの相手をして暮らしたが、彼はその子どもらの天真爛漫をこよなく愛した。そして、その逆の「気取り」を極度に嫌った。好まぬもの三つ、詩人の詩、書家の書、料理人の料理という。

漢詩については、技巧の詩を批判した詩に「心中の物を写さざれば、多と雖も復た何をか為さん」といい、詩の形式である押韻や平仄などおかまいなしの破格ばかり作った。この詩も韻は踏んでいるが、平仄は無視した破格である。そして、「誰か我が詩を詩と謂う、我が詩は是れ詩に非ず、我が詩の詩に非ざるを知り、はじめて与(とも)に詩を言うべきのみ」とその主張を五言詩に作っている。

「下翠岑」 翠岑(すいしん)を下る 五言絶句 良寛

擔薪下翠岑 薪を担って翠岑を下る

翠岑路不平 翠岑路平かならず

時息長松下 時に息(いこ)う長松の下

靜聞春禽聲 静かに聞く春禽の声

薪を背負って、緑一色の小高い山を下りる

緑の山道は険しくて平らかではない

時に大きな松の根元で一息入れる

そこここから春の鳥の鳴き声が聞こえ心静かに耳を傾ける

(石川忠久編 漢詩鑑賞事典より)

2023年新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます!

いつも当協会のHPをご覧いただいている皆さまに心から新年のごあいさつを申し上げます。

この3年間、コロナウイルス感染症の拡大により様々な制約の中で、日中友好協会兵庫県連合会・支部は平和と友好の諸活動を展開して参りました。昨年、日中国交正常化50周年の記念行事として実行委員会に積極的に加わり、敗戦後、旧「満州」からの邦人引揚を大型絵画に描いた王希奇教授の大作「一九四六」神戸展を開催し内外から大きな反響と励ましを頂きました。また、記念講演会や学習会、平和と日中友好のための多彩な文化行事を連合会・支部で開催し多くの方々からご協力、ご支援を頂き厚く御礼申し上げます。

昨年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は全世界に「戦争か平和か」の問題を提起しました。今こそ国境を越えた平和とコロナ禍からの脱却が求められ、連帯と協働がますます重要となっています。こうした情勢が続く中、日本の岸田政権は「安全保障関連三文書」の改定を閣議決定しました。「専守防衛」を放棄し、敵基地攻撃能力の保有は、日本への攻撃がない段階においても他国への軍事攻撃ができるとの宣言に他なりません。まさに「戦争する国」への歴史的転換であり、事実上の憲法改悪で「日中共同声明」の精神にも逆行するものです。

いま、中国には世界の厳しい目が注がれ、大国となった役割と責任が求められています。日中友好協会は、1950年10月1日の創立以来、運動の原点である「日中不再戦・平和友好」を基本に「中国を正しく知る」、中国を深く理解するための「中国百科検定への挑戦」などの学習活動、楽しく学べる多彩な文化活動を継続的に発展させるために皆様と共に今年も進めて参ります。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2023年1月吉日   日本中国友好協会兵庫県連合会

「ゼロコロナ政策」の方針を大転換

厳しい感染チェックや外出制限など、新型コロナ感染症封じ込めの「ゼロコロナ政策」を続けてきた中国政府が方針を大転換した。外から見ると、いかにも極端な方針転換だが、冷静にみると、「流れ」に柔軟な大国・中国の党の「舵取り」といっていい。実際の生活はどうなって、コロナウイルスをうまく抑え込めるか、そこが重要だ。

報道によると、中国・国家衛生健康委員会が12月7日に発表したコロナ対策緩和策は、①健康コードの廃止②自宅での隔離が可能に③ロックダウンの制限➃ワクチン接種の推進⑤国内移動の規制緩和―など。すでに11月に指示された20項目に続き、10項目にわたり「感染防止と経済社会の発展のよりよい調整」の方針を示した。感染しても無症状なら自宅療養が可能になり、「陰性照明」がないと店に入れなかったりした事態がなくなるなど、国民にとっては、当然の「朗報」だろう。

契機になったのは、新疆ウイグル自治区のウルムチで11月24日、マンション火災が起き、街の「封鎖」で消火や避難が遅れたため、19人が死傷した事件。抗議デモが上海、武漢、成都、北京と広がり、「行動の自由」の要求は、言論・表現の自由を掲げる動きに発展。「習近平は下野せよ」のスローガンまで登場した。もともと「百花斉放」、「ことば」と「常識」の国でもある。言い方を変えれば、極端な封鎖や行動制限の方が異常だった。

「文革」(1966年~76年)直後の中国で25年も村長をしているという男性に会った。中央権力が次々変わり、方針は変わる。「どう対応したか」と聞くと、彼曰く、「ある時は従い、ある時は反対意見を言い、ある時は忘れて、黙っていました・・・」。大国・中国の政策決定は、どうしても大きな基本を打ち出しながら、具体的には地方政府に任せ、その土地、その時の状況にあった政策で、方針を決めていかざるを得ない。一方メディアの報道は、その大きな方向を見極めながら、それぞれの「土地」と「いま」を伝えることからしか始まらない。「コロナ対策」には世界中が悩んでいる。(丸山重威・ジャーナリスト、日中友好新聞「中国レーダー」より・写真は共同ニュース)

安保関連3文書の改定に抗議する協会声明

協会本部が首相官邸と報道各社に声明文を送付

岸田内閣が「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」のいわゆる安保関連3文書の改定を閣議決定した。この改定では、軍事的な脅威として「ロシアのウクライナ侵略、北朝鮮の大量破壊兵器や弾道ミサイル等の増強、中国の台湾周辺における威圧的な軍事活動の活発化」を挙げ、侵略を抑止するために防衛力を抜本的に強化するとし、相手の領域で有効な反撃を加えることを可能にする能力を持つことが強調されている。この改定は、日本自らが侵略国としてアジア太平洋諸国に多大な惨禍をもたらした過ちの反省と教訓から日本国憲法に明記した「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しょうと決意した」との精神を元にした外交努力をしないままに、国是としてきた「専守防衛」をかなぐり捨てて、危険な軍事的な対抗の道に突き進むものと言わざるを得ない。加えて、このような安全保障政策の大転換を国会での審議もないままに閣議決定のみで行うことは決して許されない。

日本はかつて、「暴支膺懲」(横暴な中国を懲らしめよ)をスローガンに中国への侵略戦争を正当化し、泥沼の戦争へ突き進み、国内外に言語に絶する惨禍をもたらした。為政者が他国の「脅威」を唱え、仮想敵国を作り出して軍備を増強し、後戻りできない戦争への道を突き進み、相手国と自国の無辜の市民に多大な犠牲を強いた歴史を忘れてはならない。1972年の日中国交正常化時の日中共同声明で日中両政府は、平和五原則と国連憲章の原則に基づいて「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と宣言した。安保関連3文書の改定は、日中両国の友好と信頼関係の基礎である日中共同声明の精神をないがしろにするものであり、日中友好に逆行する軍事的な対立関係に陥ることを強く危惧する。

さらに、2027年度に防衛費をGDP比2%へ倍増させることが明記されたが、そもそも、この増額は米国が2020年から同盟国に対して求めてきたものである。米国は台湾の独立を煽るような動きを強めているが、米国と日本が「台湾は中国の一部である」とのこれまでの約束を守れば、台湾をめぐる軍事的な緊張は起こり得ない。この中国と台湾などの対立軸を意図的に作りながら軍事費を増大させようとする米国の思惑に従うことがあってはならない。国内メディアの報道や世論には、増税などの財源のみを問題視し、防衛費の倍増を容認する論調も広がっている。北朝鮮や中国の脅威が喧伝されているが、日本が侵略される危険性が現実に存在するのか、軍事的な緊張を未然に防ぐ外交努力がなされているのか、あらためて厳しく検証されるべきである。日本がなすべきは、隣国である中国や北朝鮮、ロシアとの対話の道を開き、軍事的な対立ではない話し合いによる外交努力によってアジアと世界の平和の構築に向けて全力をあげることである。日本の安全保障のあり方を根本から転換させ、平和憲法を形骸化させる安保関連3文書の改定に断固反対し、軍事力ではない外交努力に全力を傾けることを岸田政権に強く求めるものである。

2022年12月21日 日本中国友好協会

戦争犯罪を見つめなおす、今問われている問題

日本の侵略戦争の闇「平頂山事件を考える」

90年前、1932年9月16日に何が起きたかご存じですか?日本の侵略戦争における住民大量虐殺事件の出発点、平頂山事件が起きたのです。事件が隠蔽された延長上に南京事件や東南アジアでの日本軍の住民虐殺があります。

平頂山事件とは、1932年9月16日、中国東北部の撫順市近郊にある平頂山集落で発生した住民虐殺事件です。当時、平頂山には、3000人以上の村民が住み、その多くは撫順炭鉱の労働者でした。撫順炭鉱を警備する日本軍の「撫順守備隊」が、その前夜抗日ゲリラに炭鉱襲撃を受け、その報復として日本軍は記念写真を撮るなどとだまし、住民を崖下の一か所に集め、村民が写真機と思ったのは実は機関銃でした。機関銃を覆っていた布が取り払われると、住民は逃げる間もなく機銃掃射されました。一斉掃射の後生存者がいれば銃剣で刺して回り、とどめを刺しました。遺体にガソリンを撒いて焼き払い、崖を爆破して遺体を埋め事件を隠蔽しました。(写真上:平頂山殉難同胞紀念碑)

ロシアがウクライナに軍事侵攻している今、平頂山事件研究の第一人者である井上久士駿河台大学法学部教授・日本中国友好協会会長が著書「平頂山事件を考える」で事件を解明し、警鐘を鳴らします。(写真:井上久士教授、日中友好協会会長)

 

帰国者2世が人間の尊厳を回復できる新支援法の改正を!

3点の請願事項を求める署名にご協力下さい!

多くの中国帰国者2世は、日本政府が帰国を制限したことにより、高齢になってから私費帰国を余儀なくされました。日本政府は私費帰国者に対しては就労支援も日本語習得支援も行わなかったため、言葉の壁や高齢により、低賃金の単純な肉体労働の仕事にしか就けず、新支援法が成立する前の帰国者1世と同様に、老後を支える貯蓄も年金もないまま生活保護に頼らざるを得ない状況となっているか、もしくは、仕事ができなくなれば生活保護に頼るしかない状況となっています。さらに、多くの帰国者2世が、日本語でコミュニケーションをとることができず社会の中で孤立した状況に置かれています。

帰国者2世は日本と中国にルーツがあり日中友好の架け橋になれる大事な存在です。この帰国者2世が人間の尊厳を回復し、日中友好のために活躍できる場をつくることが強く求められています。日中友好協会は、帰国者2世においても、帰国者1世ないしその配偶者と同様に、安定した老後の生活が送れるよう、また、人間の尊厳を回復し社会で活躍できる場を提供できるよう「中国帰国者2世の生活支援等を求める請願署名」に取り組んでいます。1人でも多くの方に署名へのご協力をお願いしています。何卒よろしくお願い申し上げます。(写真:本山日本語教室で学ぶ帰国者1世と残留婦人2世)

「請願事項」

1、国費帰国と私費帰国との区別することなく全ての帰国者2世に対し、帰国者1世ないしその配偶者への支援(新支援法)に準ずる支援給付金が可能となる法改正を行うこと。

2、全ての帰国者2世が適正な医療・行政サービスが受けられるように利用施設への通訳人の派遣・常駐を行い、または、希望する帰国者2世に対して通訳機器の貸与を行うこと。

3、全ての中国帰国者(残留婦人、残留孤児、帰国者2世、それらの配偶者)の「人間の尊厳」を尊重し回復するため、国と自治体の各関係機関との連携を強化し、柔軟かつ実効的な「就労支援」「日本語学習・文化交流支援」「生活保護受給者への渡航期間制限撤廃」を実現するための法改正、または行政運用を行うこと。

好評の2023年版カレンダー「中国悠久の旅」

中国へと誘う12ヵ月の旅―日中友好協会制作

日中友好協会制作の2023年カレンダー「中国悠久の旅」は現在好評発売中です。専門家により厳選された写真が皆さまを中国へと誘う12カ月の旅。カレンダーは使いやすい中綴じタイプ、サイズはB4判で写真説明つき、一部を紹介します。

1月の写真「重慶市人民広場」撮影者:小寺貞次郎さん

三峡下りの起点、重慶市は霧の多い街、また「中国3大火炉」の一つで夏は酷暑となる。人民広場は市の中心部にあり、奥には1954年に完成した高さ65m、4層からなる人民大会堂が聳えている。重慶の代表的建物で、伝統建築と西洋建築の融合した荘厳なつくりであり、重慶の観光スポットになっている。大ホールは3,400人を収容できる。

2月の写真「貴州省ミャオ族の季刀村歓迎式(長裾苗族) 撮影者:兼子修一さん

中国の苗族の約半数が住む貴州省、その東南に季刀村は位置する。大きな銀の冠、華麗な手刺繍、ろうけつ染の民族衣装を着た女性や蘆笙を吹き鳴らす男たちが牛角酒で最高のもてなしをしてくれる。広場では民族色あふれた踊りと男女の歌会を見せてくれる。苗年祭蘆笙祭など毎年お祭りで華やぎ、欧米系の外国人も見学に訪れる。

●B4判(縦257㎜✖横364㎜) ●28ページ中綴じ

●定価:1,200円(税込、送料350円/1部、510円/2部)

●お申込みは下記へ(お名前、ご住所、電話番号、部数)

●国内どこへでも発送出来ます!

日本中国友好協会兵庫県連合会

〒658-0003神戸市東灘区本山北町3丁目4-9 甲南ビラ201号

Tel&Fax: 078-412-2228

E-mail: okmt50@nicchu-hyogokenren.net