よく聞いて、木が歌っている!

南京大虐殺記念館・平和公園の欅の木から音楽が

記念館の平和公園には欅の木がある。この木は青々として、まるで開いた大きな傘のようである。来館者の多くは「南京大虐殺史実展」を見学した後、木の下に座って休んでいる。最近、驚いたことは、木から音楽が聞こえるということである。

「南京難民合唱曲」から「共感」、「勝利の光」まで、周りのベンチから違う音楽が聞こえる。これは前例のない「音楽の木」で、中国の博物館では初めての試みだと言われている。

見学者たちは、木の南側の「生命力」と書かれたベンチに腰を下ろし、紫金草の若葉を見て、そして1938年に南京に滞在した国際友人――難民が南京安全区の「食糧輸送大使」と親しまれるマッカラン氏が創作した「南京難民合唱曲」が聞こえてくる。

南京陥落後、食料問題が一層深刻になった1938年の初め、国際友人たちは、上海から集めたソラマメを南京の難民に配布するために努力した。マッカラン氏はそれによって歌を創作し、難民に「ソラマメの歌」と呼ばれている。

ソラマメで朝ごはんを作り

ソラマメで昼ご飯を作り

ソラマメで晩ご飯を作りたい

こののびやかで、やや悲しい歌は、難民への慰めと励ましであり、人々へ暖かさと希望を伝えている。

木の東側の椅子には、「希望の思い」という文字が刻まれている。そこに座って展示場の方向に向かい、歴史を振り返ることができる。見学者たちはここに座り、「共感」という歌を聞くことができる。この歌は、戦争中の南京鼓楼病院に滞在した外科医、リチャード・ブレイディ氏の孫娘のメ―ガン・ブレディ氏が、2019年「ろうそく祭・国際平和集会」で歌った曲である。1938年2月、リチャード・ブレイディ氏は困難を乗り越えて鼓楼病院に戻り、南京に滞在していたウィルソン医師と一緒に難民を救助していた。

孫娘のメ―ガン・ブレイディーは大人になってから、曾祖父の過去に深く触れ、「共感」という歌を創作した。この歌を通して、世界各地の若者が南京大虐殺の歴史に「共感」することが望まれている。

木の北側には、「勝利の歌」という文字が座席に刻まれいる。見学者がここに座り、勝利の壁に向かい、木から流れてくる「勝利の角笛」の歌に耳を傾け、段々と沸き立ち激昂する旋律を通じて、中国人民の苦戦を経て最後の勝利に至る努力が感じられる。

木の西側の座席には、「平和への願い」という文字がある。ここに来た見学者は、平和の女神に向かって「生命の光」を聞き、平和の大切さを感じる。「生命の光」は、大規模なオリジナルオペラ『ラーベの日記』から選ばれ、」ジョン・ラーベ氏、ミニー・ヴォ―トリン女史ら、南京に滞在していた外国人に対する感謝の気持ちが込められている。彼らは当時、難民を保護し、救助し、日本軍の残虐行為を記録し、抗議するために全力を尽くし、その努力は人間の輝きを放っていた。

なぜ欅の木が「歌う」ことができるのだろうか。その秘訣は樹冠にある。観客が素敵な音響体験ができるように、記念館はデザイナー、音響技術専門家、音楽家を招き、4台の指向性超音波音響伝導装置を樹冠の中に設置することを繰り返し試みた。その他、座席も特別である。座席は北から南へ向かって高く伸びており、記念碑のような建築空間感を形成している。4つの方向はそれぞれのテーマに対応し、選ばれた曲も4つのテーマに対応している。(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館、南京国際平和通信第38号「よく聞いて、木が歌っている」より。)

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