天の湖へ ― 初めてのチベット、ラサと納木错
今回は、私にとって初めてのチベットの旅です。 チベット自治区の首都・ラサに降り立ちました。標高はなんと3700m。 富士山より高い場所に街があるという事実を、体で思い知らされることになります。
■ ラサ到着直後、階段が上れない
中国の旅では、いつも安ホテルを利用しています。 今回も写真にあるような二階建ての素朴なホテルに宿泊しました。
いつものように、まずは地図を買って歩き回るつもりでしたが、 ホテルに着いて二階の部屋へ上がろうとした瞬間、 階段を上るだけで息が上がり、精いっぱい。 部屋に入ってベッドに横になると、起き上がる気力が湧きません。
「空気が薄い」とはこういうことか―― 頭も少し痛み、お腹もすいているのに動けず、 その日は何もできずに静かに休むことにしました。
■ 翌朝は回復、まずはポタラ宮へ
翌朝、頭痛も消え、ようやく元気が戻りました。 ホテル近くの幅2mほどの小さな雑貨屋でバナナと飲み物を買い、 今回の第一目的地であるポタラ宮へ向かいました。
しかし、もらえたのは入場整理券のみ。 入場できるのは翌日とのこと。 そこで予定を変更し、ラサから北へ約100kmの場所にある 納木错(ナムツォ)湖へバスで向かうことにしました。
■ 標高4700m、天の湖・ナムツォ
納木错の標高は4700m。 酸素ボンベを携帯しての訪問です。
湖の大きさは70km×30kmという巨大な塩湖。 何万年も前に隆起してできたのでしょう。 チベット語で「天の湖」を意味するナムツォは、 その名の通り、空と湖が溶け合うような神々しい景観でした。
湖の向こうには、 万年雪をいただく7000m級のニェンチェンタンラ山脈が横たわり、 静寂の中に圧倒的な美しさが広がっています。
この湖はチベット仏教の聖地であり、 多くの巡礼者が訪れます。 湖を一周する巡礼者もいるほどで、 周囲には祈祷旗(タルチョ)で覆われた仏塔が点在しています。
祈祷旗は五色で、それぞれが自然の元素を表します。
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白:雲
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赤:火
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緑:水
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黄:土
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青:空
色があせるほど、祈りが風に運ばれた証とされ、縁起が良いとされています。
■ チベットの生活を支えるヤクの糞
この神聖な湖でも、祈祷旗と同じくらいよく見かけるものがあります。 それはヤクの糞です。
チベットでは非常に重要な資源で、 料理や暖房に使われる燃料になります。 牧畜地域では、先人が残した家畜の糞が命綱となり、 その道が次の人々の移動を支える―― そう考えると、ヤクの糞がいかに大切かがよく分かります。
■ 再びラサへ、明日はポタラ宮
午後を過ぎると、また少し頭が痛くなってきました。 標高4700mの場所では、体が正直です。
ラサへ戻り、翌日のポタラ宮訪問に備えました。 いよいよチベットの象徴ともいえる宮殿へ向かいます。



同盟国に使用中止を働きかけ
NVIDIA製半導体の供給を止めようとしたものの、DeepSeekは独自に半導体を確保し高性能AIを完成。 その影響でNVIDIA株が急落したことも紹介されています。
前回ご紹介した九塞溝のすぐ隣、 といっても山ひとつ隔てて何十キロも離れていますが、 四川省北部にはもう一つの絶景、黄龍(ホアンロン)があります。
ここは、石灰分を含んだ湧水が 気の遠くなるような年月をかけて自然に作り上げた石灰棚。 その棚田のような段々に、 彩池(さいち)と呼ばれる湖沼がどこまでもどこまでも続いています。
私は文学の才能はありませんが、 黄龍を歩きながら「水色とは何か」を考えさせられました。
「共産党員号」機関車は、中国鉄路沈陽局集団有限公司・沈陽機務段に所属し、牽引機は「和諧D3D1921」型。 2016年7月1日に正式に「共産党員号」と命名され、今年でちょうど10周年を迎えました。
「共産党員号」には10名の運転士が所属しており、全員が共産党員。 1本の列車には2名が乗務し、走行中は交代しながら運転します。
編成は硬臥(ハード寝台)13両、軟臥(ソフト寝台)3両、高級軟臥1両の計17両。 機関車の特別な意味合いから、停車駅のホームでは記念撮影をする旅客の姿も多く見られます。
赤い車体は星の光を映し、 「共産党員号」は今日も前へ進み続けます。 使命を胸に、力強く駆け抜け、 新たな旅路でその栄光をさらに刻んでいくのです。
今回は、中国内陸部・四川省の北端に位置する九塞溝(きゅうさいこう/ジウジャイゴウ)です。 省都・成都から飛行機なら1時間足らず、現在では高鉄(新幹線)で約2時間と、アクセスは非常に便利になりました。
九塞溝には数多くの名勝がありますが、その代表格が五花海です。
九塞溝の最奥、海抜3100mに位置する五彩池は、 まさに九塞溝の象徴ともいえる場所です。
入り口から歩いていくと、連なる湖沼の間に盆景灘瀑布が現れます。 海抜2000m付近なので、夏でも涼しい風が心地よく感じられました。
ところが、2020年の全国人民代表大会で「国家通用語文」普及政策が決議され、これに基づき教育内容が大きく変更されました。 同年9月の新学期から、小中学校の「語文(国語)」「政治(道徳)」「歴史」は漢語の教科書を使用し、授業も漢語で行うことが決定。つまり、1年生から漢語による授業が始まることになったのです。
私が龍門石窟を訪れたのは、五一(メーデー)の休暇。 当時(2008年)はまだ旅行アプリなど使っておらず、 ガイドブックを見てホテルに電話し、中国語で予約していました。
龍門石窟は北魏の龍門期(494〜520)に始まり、 その後、隋・唐の時代まで掘り続けられ、 実に400年以上にわたって造営が続いた巨大な石窟群です。
この時の衝撃は、今でも忘れられません。
歴史上は雲崗石窟の後に龍門石窟が造られましたが、 私はその順序も知らず、 しかも龍門が“初めて訪れた石窟”でした。
中国では長く儒教が中心でしたが、西暦1世紀ごろ、インドから仏教が伝来しました。 漢の時代を経て五胡十六国の混乱期に入り、北魏では一時「廃仏」が行われます。 しかし文成帝が仏教を復興し、僧・曇曜に命じて460年、ついに雲崗石窟(うんがんせっくつ)の開削が始まりました。
バス停「雲崗石窟」で降りて歩き始めると、 遠くに大きな石仏が見えてきます。 これが最初に削り出された曇曜の五窟。 北魏の初代・道武帝から文成帝までの五人の皇帝になぞらえて造られたものです。
粗い砂岩質の岸壁を削り出して造られた巨大仏。 460年から60年以上、途切れることなく彫り続けられたといいます。 しかも失敗なく、均整の取れた美しい姿を保っている―― その事実を前にすると、 「これは本当に人間の手によるものなのか」と思わず息をのみました。
北魏は孝文帝の時代(494年)、都を平城から洛陽へ遷都しました。 それにより、460年から続いた雲崗での仏教彫刻――雲崗期は終わりに近づき、 新たに洛陽での仏教彫刻、すなわち龍門期が始まります。
最近、 あるネットユーザーが
旅客列車の“行李車(荷物車)”を表す記号なんです。



前回の終わりに触れたことわざ、 「五岳から帰れば山を見ず、〇〇から帰れば岳を見ず」。 この“〇〇”に入るのが、今回ご紹介する黄山(こうざん)です。
黄山には69の峰があり、そのうち16の峰が特に素晴らしいとガイドブックに紹介されていました。 山中で1泊する予定だったので、 「2日間で16峰すべて制覇しよう」と意気込んで出発しました。
翌朝は暗いうちに出発し、 日の出が最も美しいと言われる光明峰へ向かいました。
黄山には三主峰と呼ばれる 蓮花峰・光明峰・天都峰があります。