中国旅の思い出(第3回)

「五岳を見ず」と言わせる名山 ― 黄山の仙境へ

前回の終わりに触れたことわざ、 「五岳から帰れば山を見ず、〇〇から帰れば岳を見ず」。 この“〇〇”に入るのが、今回ご紹介する黄山(こうざん)です。

黄山は安徽省の南端、上海・江蘇・浙江の西側に位置し、 中国人が「天下第一」と称えるほどの名山。 その美しさは古来より水墨画の題材として愛され、 峰々と雲海が織り成す風景は、まさに仙人が住む世界――仙境と呼ばれています。

黄山の四絶は、 怪石・雲海・奇松・温泉。 「天下の名勝、黄山に集まる」と言われるのも納得の景観です。

■ 69の峰、16の名峰を目指して

本来なら、仙境のような黄山をゆったり巡るのが理想でしょう。 しかし、貧乏性の私は「ここが良い」「あそこが美しい」と聞けば、 どうしても全部見たくなってしまいます。

黄山には69の峰があり、そのうち16の峰が特に素晴らしいとガイドブックに紹介されていました。 山中で1泊する予定だったので、 「2日間で16峰すべて制覇しよう」と意気込んで出発しました。

黄山の標高は約1800m。 1000m前後の峰が多いのですが、 峰から峰へ移動するたびに、必ず下って、また登る。 これが本当に堪えます。

1日目の最後に登った峰では、 宿に明るいうちに着きたくて、景色をゆっくり楽しむ余裕もなく下山。 ところが宿の人から、 「黄山で一番美しい夕日は丹霞峰(排雲閣)ですよ」と聞かされ、 それがまさに“最後に登った峰”だったと知り、思わずがっくり。 さすがに登り返す気力は残っていませんでした。

■ 光明峰で迎えた、忘れられない日の出

翌朝は暗いうちに出発し、 日の出が最も美しいと言われる光明峰へ向かいました。

まだ夜明け前だというのに、山頂はすでに多くの観光客でいっぱい。 やがて東の空が白み始め、太陽が顔を出した瞬間、 あたり一面に歓声と拍手が響き渡りました。

雲海の向こうから昇る朝日を拝むことができ、 胸がいっぱいになるほどの感動でした。

■ 最後の峰、登るか引き返すか

感動の余韻も束の間、 2日目の残りの峰を次々と巡り、 ついに最後の峰に差し掛かりました。

すぐ近くにはロープウェイ。 「ここで終わりにするか、それとも登るか」 本気で悩みました。

しかし、 「二度と来ることはないだろう」 そう思い、最後の力を振り絞って登ることを決断。

達成感はありましたが、 正直、体力的には限界に近かったです。

■ もし訪れるなら、三主峰を

黄山には三主峰と呼ばれる 蓮花峰・光明峰・天都峰があります。

この三つに絞って登れば、 景色をゆっくり味わいながら、 優雅に黄山を楽しめるのではないかと思います。

ぜひ、機会があれば挑戦してみてください。

中国旅の思い出(第2回)

天下第一の名山・泰山をゆく

今回ご紹介するのは、山東省の省都・済南の南にそびえる泰山(たいざん)です。 中国の道教における五つの霊山「五岳」のひとつで、東岳泰山として古来より「天下第一山」と称えられてきました。標高は1532m。 中華文明の五千年の歴史を象徴する山であり、秦の始皇帝から清朝に至るまで、13代の皇帝が国家の繁栄を祈る儀式「封禅」を行った場所としても知られています。

■ 7000段の石段を、ただひたすらに

登山口は麓の町・泰安。 ここから山頂までは、なんと約7000段の石段が続きます。

ロープウェイもありますが、 「霊験あらたかな山なのだから、自分の足で登りたい」 そんな思いが勝り、歩いて登ることにしました。

最初の目標は中天門。 出発して1時間ほどで到着し、ここでようやく中間点近く。 遠くには、次の目標である南天門が小さく見えています。

しかし、見れば見るほど険しそうな道のり。 それでも当時の私は楽天的で、 「まあ、なんとかなるだろう」と歩みを進めました。

1時間、2時間、3時間…… 頂上が近づくにつれ、休憩の回数はどんどん増え、 最後は10段、20段登るごとに休むほどの状態に。 それでも途中には多くの石刻があり、 それらを眺めながら息を整える時間もまた楽しいものでした。

そしてついに南天門へ到着。 思わず「万歳」と叫びたくなる達成感でした。

■ 「五岳独尊」の石刻と、あふれる人の波

山頂手前には、泰山を象徴する有名な石刻 「五岳独尊」があります。 ここは絶好の撮影スポットですが、 訪れたのが国慶節の大型連休だったため、 あたりは「人人人」という状態。 誰も写り込まない写真を撮るのは、さすがに不可能でした。

本当は山頂に泊まり、 中国水墨画にもよく描かれる泰山の日の出を見たかったのですが、 今回は駆け足の旅で叶わず。 お参りを済ませ、下山はロープウェイを利用しました。

■ 「五岳から帰れば山を見ず」

中国にはこんなことわざがあります。

「五岳から帰れば山を見ず」 五岳を見てしまえば、ほかの山は目に入らなくなるほど素晴らしい、という意味です。

そしてこの言葉には続きがあります。

「〇〇から帰れば岳を見ず」

この“〇〇”に入る場所こそ、五岳をも超える名所。 その答えは、また次回のお楽しみに。

中国・最近の話題-白いパンダが再び話題に

中国・四川省のジャイアントパンダ国立公園で、山中を歩く“白いパンダ”の最新映像が公開されました(新華ネット・5月26日付)。 白いパンダが初めて確認されたのは2019年。四川の自然保護区管理局が、保護区内で撮影した1枚の写真を公表し、大きな話題となりました。今回公開された映像は、その個体が成長した現在の姿を捉えたものです。

全身の毛は真っ白で、写真では分かりにくいものの、目はやや赤みを帯びているとのこと。また、手足が少し茶色く見える部分がありますが、これは毛の経年変化による黄ばみで、本来は白い毛だと説明されています。

陝西省には“茶色いパンダ”も

あまり知られていませんが、中国・陝西省の「秦嶺四宝科学公園」には“茶色いパンダ”がいます。名前は「七仔(チーザイ)」。2009年に秦嶺山脈で発見・保護された個体です。

七仔は、目の周り、耳、肩、手足、尻尾など、本来黒くなる部分がはっきりと茶色になっています。これは生まれつきの遺伝的な特徴で、模様が固定された“正真正銘の茶色いパンダ”です。

一方、四川で撮影された白いパンダは、偶発的なアルビノ(白化個体)であり、七仔とは全く異なるタイプだとされています。

パンダの生息状況と亜種の違い

中国の山地に棲む野生パンダは、現在およそ2,000頭。 大きく次の2つの亜種に分かれています。

  • 四川亜種(四川省・甘粛省に分布)

  • 秦嶺亜種(陝西省・秦嶺山脈に分布)

両者は1万年以上前に分岐し、その後は地理的に隔てられたまま交流・交配がないとされています。生息数は四川亜種が全体の約3分の2を占め、圧倒的に多い状況です。

興味深いのは、これまで確認された“茶色いパンダ”7頭がすべて秦嶺亜種であり、四川亜種には一例も見つかっていないこと。なぜ茶色い個体が秦嶺亜種だけに現れるのか、科学的な理由はまだ解明されていません。

参考資料

  • 新華ネット(2026年5月26日)

  • テレビ朝日NEWS(2026年5月25日)

  • 新華社サービスセンター(2026年6月3日)

  • SciencePortal China(2026年5月29日)

中国旅の思い出(第1回)

はじめての一人旅 ― 小桂林・肇慶へ

中国を旅した日々の思い出を、これから数回にわたって綴っていきたいと思います。 お付き合いいただき、「ここは私も行ってみたい」と感じていただければ嬉しい限りです。

中国には数えきれないほどの景勝地があります。 その中でも最初にご紹介したいのは、私が中国に赴任して間もない頃、初めて一人で出かけた小さな旅のことです。もう20年ほど前の話になります。もちろん日帰りの小旅行でした。

 

■ 目的地は「小桂林」肇慶市

広東省広州市から西へ約80km。 ガイドブック『地球の歩き方・広州編』に「小桂林」と紹介されていた肇慶市に、ふと思い立って出かけることにしました。

朝7時、広州駅に着くと切符売り場は長蛇の列。 なんとか肇慶行きの切符を買えたものの、列車はなんと「12時過ぎ」。 料金は8元。最悪、捨ててもいいか…と気持ちを切り替えました。

駅を出ると、人の流れができており、ついていくと広東省のバスターミナルに到着。 ここもまた長蛇の列でしたが、掲示板を見ると「肇慶行き」が1時間に2本。料金は20元。 「これなら今日中に行ける」と思い、すぐにバスの切符を購入。 8時過ぎの便に乗り込み、約1時間半で肇慶に到着しました。

■ 七星岩 ― 湖に浮かぶカルストの峰々

肇慶に着くとまず帰りのバスの切符を確保し、売店で地図を購入。 すぐ近くに「七星岩」の門があり、そこが“小桂林”と呼ばれる景勝地でした。

当時はまだ本場の桂林を訪れたことはありませんでしたが、 湖面にニョキニョキと突き出すように立つ峰々を見て、 「ああ、これがカルスト地形なのか」と胸が高鳴りました。

語学力はまだ乏しく、一人で食堂に入る自信もなかったので、 屋台で蒸しトウモロコシを買い、かじりながら一日中歩き回りました。 広い湖と奇峰の景色は、今でも鮮明に思い出せます。

■ 帰りのバスで出会った大学生

夕方前にバスターミナルへ戻り、帰りのバスに乗ると、 私の席(1番)には若い女性が座っていました。 切符を見せると、彼女は隣の2番に移動。

バスが走り出し、私は日本から持ってきた日本語版の『三国志』を読み始めました。 すると彼女が英語で「日本人ですか」と声をかけてきました。

彼女は広州の大学2年生。 五一(メーデー)の休暇で故郷から戻る途中で、 持ち帰ったお菓子を次々と分けてくれました。

さらに、乗っていたバスが広州駅ではなく「広州北バスターミナル」行きだと分かると、 彼女は降車後すぐにタクシーを探し、 10元で私のアパートまで行けるように交渉してくれました。 当時のタクシーはメーターではなく、ほとんどが交渉制。 旅慣れていない私には本当にありがたい助けでした。

こんな経験をしたら、中国を好きにならずにはいられません。 それ以来、長期休暇のたびに一人旅をするようになりました。

■ 次回は景勝地をたっぷりご紹介

今回は「初めての旅」ゆえにハプニング続きで、 景勝地の紹介は少し控えめになりました。

次回からは、私が訪ね歩いた中国各地の美しい風景を、 写真を思い出すように一つひとつご紹介していきます。

どうぞお楽しみに。

CCTV国際ニュースで見かけた“日米防衛協議”のワンシーン

― 2026年5月25日 中国中央テレビ(CCTV)夜のニュースより ―

昨晩、CCTV4の国際ニュースを視聴していたところ、番組の中でごく短い時間ではありましたが、日本の小泉防衛大臣と米国のヘグセス国防長官が言葉を交わしている映像が映りました。 その後すぐに画面はトマホーク巡航ミサイルの映像に切り替わり、会談の様子は一瞬で終わってしまいましたが、話の大まかな流れはつかめたように思います。

◆ミサイル売却に関するやり取りの印象

番組の伝え方では、ヘグセス長官が小泉大臣に次のような趣旨の話をしているように見えました。

  • イランとの戦闘で米軍はミサイルを多く使用した

  • 今後、米国はミサイルの増産を進める

  • 日本では憲法改正の動きがある

  • その流れの中で「トマホークを日本に400機売却する」 (番組では「1機あたり約400万ドル」と紹介)

映像では、小泉大臣がそれを受け止めるような表情を見せていたように感じました。

◆番組が示した“国際社会から見た日本”

今回のニュースは日本を批判する内容ではありませんでしたが、 「日本の安全保障環境が変わりつつある」 という視点がにじんでいたように思います。

また、米国側が日本を重要な同盟国として位置づけている様子を強調するような編集で、国際放送ならではの視点が感じられました。 見る側としては、日米関係の変化を外からどう見られているのか、改めて考えさせられる内容でした。

◆CCTV4は世界向けの放送

CCTV4は国際放送チャンネルで、このニュースも世界中に向けて発信されています。 日本国内の報道とは少し異なる角度から伝えられることも多く、今回もその一例と言えるかもしれません。

兵馬俑にまつわる知られざる物語

― 兵庫県連・今年の中国旅行で出会った“歴史の鼓動” ―

今年、日中友好協会兵庫県連の中国旅行は、甘粛省の敦煌、嘉峪関、そして陝西省の古都・西安を巡る一週間の旅でした。 その旅のハイライトとなったのが、20世紀最大の考古学的発見とも称される世界遺産「始皇帝兵馬俑」です。

4月15日付の県連ブログでは、 「壮大な歴史と大自然に抱かれた一週間、兵馬俑の“圧倒的存在感”に心が震える」 と題した旅行記が掲載されました。 記事には、 「兵馬俑はただ“圧巻”の一言。その迫力に参加者の誰もがしばらく言葉を失っていました」 と記されており、現地での感動がそのまま伝わってきます。

その“言葉を失うほどの兵馬俑”には、実はあまり知られていない発見と発掘の物語があります。 5月13日にNHK・BSで放送された番組では、その秘話が紹介されました。

■ 井戸掘りの村人が見つけた「歴史の扉」

1974年3月。 西安市臨潼区・西楊村の荒れ地で井戸を掘っていた村人、楊志発(ヤン・ジーファ)さんが、偶然陶製の人形のような破片を掘り当てました。

その地域では以前から似たような陶片が出土しており、 ・水入れに使う ・子どもが首の部分を転がして遊ぶ といった、なんとも素朴な扱いをされていたそうです。

しかしこの日、楊さんは掘り出した陶片を丁寧に集め、リヤカーに載せて村役場へ届けました。 ところが役場は「こちらで処理する」と言ったきり、何の連絡もなかったといいます。

■ 発掘に踏み切った考古学者・袁仲一先生

役場から連絡を受けたのが、考古学者の袁仲一(エン・チョンイー)先生でした。 陶片が「人形の頭部や体の一部」であること、そして始皇帝陵の近くで見つかったことから、 「これは始皇帝陵の副葬品ではないか」 と直感し、本格的な発掘に踏み切ります。

掘り進めると、想像をはるかに超える規模の兵馬俑が次々と姿を現しました。

しかし当時の中国は文化大革命の最中。 「旧思想・旧文化」を破壊する“破四旧運動”が吹き荒れ、寺院や石碑、古文書が次々と破壊されていた時代です。

もし「古い埋葬品が出た」と噂が広がれば、紅衛兵が押しかけて破壊される危険がありました。

袁先生は、毛沢東主席が秦の始皇帝を例外的に尊敬していたことに着目。 発掘品が始皇帝に関わる確かな証拠を探し求め、ついに武人俑の刀に刻まれた 「秦の宰相・呂不韋(りょふい)」 の名を発見。 これにより兵馬俑が始皇帝陵の副葬軍団であることが確定し、破壊を免れる道が開かれました。

■ 世界に兵馬俑を知らせた女性記者・オードリ・トッピング

しかし、発掘の事実は中国政府により厳重に秘匿され、写真撮影も固く禁じられていました。 そんな中、世界で初めて兵馬俑の姿を写真で紹介したのが、アメリカの女性ジャーナリスト オードリ・トッピングさんです。

外交官の父に同行して中国入りし、さまざまな制限をかいくぐって発掘現場に到達。 撮影した写真をアメリカの雑誌に発表し、世界を驚かせました。

「どうやって撮影できたのか」と問われた際、 オードリさんは冗談めかして 「女の涙は武器なのよ」 と語ったそうですが、真相は今も謎のままです。

■ 兵馬俑を“現代に呼び戻した”三人の功労者

こうして兵馬俑は破壊を免れ、世界の宝として日の目を見ることになりました。 その陰には、

  • 偶然の発見者・楊志発さん

  • 発掘を導いた考古学者・袁仲一先生

  • 世界に知らせたジャーナリスト・オードリ・トッピングさん

この三人の存在がありました。

県連旅行の添乗員・宋敏さんは、 「楊志発さんとお会いして感動した」 とSNSに投稿されていますが、その気持ちは多くの人が共感できるものだと思います。

■ 参考資料

  • 新華ネット(2026年5月15日)

  • 中日新聞(2022年9月15日)

  • NHK・BS(2026年5月12日放送「兵馬俑は見ていた」)

  • 百度百科

  • 宋敏さん Facebook(2026年5月)

13面27線!大型高速鉄道ハブ駅、まもなく開業へ!

5月7日、西安東駅が駅舎および関連工事の静態検査(静的验收)を正式に開始しました。 これは、西北地域の特大型鉄道総合交通ハブが竣工検査の最終段階へ全面的に移行したことを示し、今後の開業に向けて重要な一歩となります。

■ 静態検査とは

静態検査は、新設鉄道の竣工検査における重要工程で、 工務・通信・信号・電力・牽引供電・建築・環境保全など、 多くの専門分野にわたる現地検査とシステム総合検査を含みます。

■ 西安東駅の概要

西安東駅は、陝西省西安市灞橋区の「高鉄東城」核心エリアに位置し、 東に白鹿原、西に浐河を望みます。 デザインコンセプトは「秦山渭水・シルクロード長安」。

  • 駅規模:13面27線

  • 交通結節点:高速鉄道・在来線・地下鉄・バスなどが一体化

  • 国家「八縦八横」高速鉄道網の重要ノード

■ 静態検査の実施期間と範囲

第一段階の静態検査は5月7日〜9日に実施。 対象は駅舎建築、「四電」設備(通信・信号・電力・牽引供電)、 および付帯する生産・生活施設など。 駅舎・駅構内・設備・付帯工事を全方位で確認します。

■ 周辺路線の進捗

同時に、

  • 西十高鉄(西安〜十堰)

  • 西延高鉄(西安〜延安)耿鎮〜西安東駅区間

  • 西安鉄道ハブ郭北連絡線

などの連調連試(試運転・総合試験)も順調に進行中。 これらは西安東駅と同時に開業予定です。

■ 開業後の所要時間(予定)

  • 西安 → 十堰:1時間で直達

  • 西安 → 武漢:3時間で到達

  • 西安 → 延安:1時間以内に短縮

地域間移動が大幅に効率化されます。

■ 西安東駅の意義

西安東駅が開業すれば、

  • 西安鉄道ハブの旅客流動を大幅に緩和

  • 全国鉄道網における西安の拠点性がさらに強化

  • 内陸部の改革開放の新たな高地づくりを支援

  • 西部大開発の新たな局面形成に寄与

  • 「一帯一路」高品質発展の重要な支点に

といった多方面で大きな効果が期待されます。

 

供稿:《人民鉄道》報業有限公司 陝西記者站(西安局グループ会社 融媒体センター) 文字:申琦・李弢・黄鹏・柯航・刘盼利・牛欣 写真:刘翔・黄鹏・郝凯航 編集:段星佚 校閲:高珊

青海湖駅の物語

🚉全国的に有名なのに、守るのはたった一人の駅——青海湖駅の物語

2月27日の早朝、標高3260メートルに位置する青海湖駅は気温マイナス9度。刺すような寒風が、がらんとしたホームを容赦なく吹き抜けていた。

夜明け前、51歳の駅値班員・趙磊(ジャオ・レイ)はすでに一日の仕事を始めている。コンピューター画面に向かい、構内の線路使用状況や刻々と変わる信号を注視しながら、通過列車の運転士とリアルタイムで連絡を取り合う。

青海湖駅は青海省の省都・西寧から約130キロ、最寄りの海北チベット族自治州・海晏県の中心部から39キロ離れた場所にある。青蔵鉄道の五等駅で、列車の行き違いや臨時停車の確保を担う。毎日160本以上の列車がここを通過する。

駅には待合室も旅客もいない。ぽつんと建つ駅舎を守るのは、趙磊と孟青雲(モン・チンユン)の2人だけ。1週間交代で、昼夜を問わず勤務にあたっている。

「普段は調度員が遠隔で駅を管理しますが、工事や“天窓”と呼ばれる保守作業の際には、駅での手動管理に切り替わり、値班員が列車運行の組織、設備監視、各部署との調整をすべて担当します」と趙磊は説明する。

高原の冬春は厳しい寒さと雪に見舞われ、ポイント(道岔)は雪や氷で固まりやすい。そのため、ポイントの状態を常に監視し、必要に応じて保線部門へ除雪・除氷を連絡することが、冬春の重要な業務となる。

駅は町から遠く離れているため、休勤日は上下それぞれ1日1本だけの通勤列車に乗るしかない。2本の列車が青海湖駅に停車する間隔は50分。この50分が、2人が顔を合わせられる最も長い時間だ。

交代時には、引き継ぎ事項を事前にノートへ書き込み、一つひとつ丁寧に確認する。引き継ぎが終わると、互いに家から持ってきた食べ物を分け合う。列車が去れば、またどちらか一人が静かな駅を守る。

暇な時間、趙磊は行車室で軽いストレッチをして体をほぐす。ひとりの時間、駅に響くのは連絡機器の音と、時折通過する列車の「ガタン」という音だけ。あとは、ただ静寂が広がる。

行車室の窓辺には数鉢の観葉植物が置かれ、外の枯れた景色と対照的な緑を添えている。「普段はあまりに静かなので、植物を育てていると気持ちが和むんです」と趙磊は笑う。

今年は趙磊が青海湖駅を守って4年目、鉄道員としては30年目の節目。そして青蔵鉄道全線開通から20周年でもある。見届けてきた年月を思い返し、感慨深いという。

「20年で青蔵鉄道は“通る”だけの路線から、“優れた”路線へと大きく進化しました。設備はどんどん良くなり、勤務環境も整ってきました。新しい年も、孟青雲と一緒にしっかり駅を守りたいですね」と語る。

駅名は「青海湖」だが、趙磊が実際に湖を見る機会はほとんどない。多くの友人は「毎日青海湖が見られるんでしょ」と言うが、駅から湖までは直線で10キロ。ほとんどの季節、彼の目に映るのは荒涼とした風景だけだ。

2025年の夏、休勤日に友人と二郎剣景区を訪れ、ようやく青海湖を間近に見ることができた。湖畔を走る列車を眺めながら、「自分はその旅を支える側にいるんだ」と実感し、仕事の意義を改めて感じたという。

日が沈み、月が昇る。遠く離れた青海湖駅には、今日もひとり、静かに駅を守り続ける人がいる——。

柳絮が舞う中国の春

幻想的でありながら、悩みも多い季節

日本の春といえば、まず思い浮かぶのはサクラです。近畿地方では3月下旬に開花し、数日を経て満開に。やがて花びらがひらひらと舞い、サクラ吹雪となって街を彩ります。川面や池に浮かぶ花筏もまた、春の風情として人々の心を癒してくれます。

一方、中国ではサクラの名所はそれほど多くありません。そのため、サクラが春の象徴になることはあまりありません。代わって春を代表するものといえば――私は「柳絮(りゅうじょ)」だと思います。柳やポプラの綿毛のことで、華北・西北の街々では4月中頃になると、まるで吹雪のように白い綿毛が舞い散ります。

柳と楊 ― 春に綿毛を飛ばす樹木

柳(しだれ柳)も楊(ポプラ)もヤナギ科の樹木です。どちらも春になると綿毛を飛ばします。 唐代の詩人・杜甫や女流詩人・薛涛も、柳絮の幻想的な姿や儚さを詠んでおり、古くから人々の心を捉えてきました。

しかし、この柳絮。見た目は美しいものの、実はなかなかの“厄介者”でもあります。

幻想的だが、実は困りもの

柳絮が舞う季節、街を歩いたり自転車に乗ったりすると、髪や衣服に綿毛がくっつきます。目や鼻に入りやすく、アレルギー体質の人は鼻水やくしゃみ、呼吸が苦しくなることもあります。そのため、この時期の中国の街では、ゴーグルやマスクを着けて外出する人が多く、日本の花粉症の光景とよく似ています。

さらに、綿毛が最盛期を迎えると、通りは落ちた柳絮で白く覆われます。清掃員が毎朝竹箒で掃き集めても、軽い綿毛は風が吹けばすぐに散らばり、元の状態に逆戻り。まさに清掃員泣かせです。

また、柳絮には脂分が多く含まれており、非常に燃えやすい性質があります。火のついたタバコの吸い殻が落ちると燃え上がることもあるそうです。洗濯物や網戸に付着したり、排水溝や空調機の室外機に詰まったりと、扱いづらく危険な面もあります。

なぜ中国の街には柳や楊が多いのか

柳絮が多いということは、街路樹や公園に柳や楊が多いということです。では、なぜこれほど多く植えられたのでしょうか。

理由は「成長の早さ」と「利用価値」にあります。 中国では建国当時、とくに華北・西北地方の森林率が低く、砂嵐に悩まされていました。そこで政府は、成長が早く建築資材としても使える柳や楊に注目し、1960年代から70年代にかけて積極的に植樹を進めました。

とりわけ文化大革命期(1960年代後半〜70年代後半)は大衆動員が容易で、「農業発展」「生活環境の改善」といったスローガンのもと、農民や労働者、市民が大量に柳・楊を植えました。

古代には人々に愛された柳・楊ですが、現代では経済的価値を期待されて大量に植えられ、その結果として柳絮の問題が生まれ、厄介者扱いされるようになったのです。 少し気の毒な気もしますし、後先を考えずに植え続けた人間側の問題とも言えるでしょう。

現在の対策と、少しの寂しさ

もちろん、現在の中国の行政も手をこまねいているわけではありません。

  • 綿毛がついた枝に注水して飛散を抑える

  • 綿毛の発生を抑える薬剤を樹木に注入する

  • 道路に堆積した柳絮をこまめに清掃する

  • 将来的には、柳絮の出ない樹木への植え替えも検討

こうした対策が進められています。 やがて北京や西安でも、柳絮が飛ばない春が訪れるかもしれません。

しかし、そうなるとまた少し寂しい気もします。 あの幻想的な光景が見られなくなるのは、どこか惜しい――そんな気持ちも湧いてきます。 これは、ただの感傷にすぎないのでしょうか。

参考資料

① japanesebeijing.gov.cn(2026.04.08) ② CGTN(2026.04.07) ③ 西部ネット(2025.04.12) ④ 北京人民政府ネット(2026.04) ⑤ 人民ネット日本語版(2025.05.17)

全長42km、長江河口を貫く

上海軌道交通22号線(崇明線)が全線で軌道貫通

【情報提供】申通地鉄建設集団 【動画】蓝爸爸 【写真】祁稼昊 【図版】居翀斌 【編集】程小程 【本期責任編集】蓝爸爸 【本期校閲】Shining灵感

4月21日午前、崇明島・陳家鎮駅構内で中鉄五局の作業員が最後のレール溶接を完了し、上海で初めて長江を横断する軌道交通プロジェクト——上海軌道交通22号線(崇明線)が、ついに全線で軌道貫通を達成しました。 これにより、今後のき電設備の設置、システム試験、電車の走行試験に向けた重要な基盤が整いました。

上海中心部と崇明区を結ぶ新たな大動脈

上海軌道交通22号線は、全長42km超・全8駅の大規模路線です。 開業後は上海地下鉄ネットワークとシームレスに接続し、崇明区と上海中心部の移動時間を大幅に短縮。 地域の交通利便性を高めるだけでなく、長江デルタ一体化の推進にも新たな力を与えると期待されています。

① 科学的な施工管理で、効率的に軌道敷設を推進

土木工事の引き渡し状況に合わせ、施工チームは長大な越江区間という難所に正面から挑みました。 現場スペースを合理的に配置し、複数箇所で同時に作業を展開。 さらに、

  • 道床基底のコンクリート打設

  • 軌道スラブの敷設

  • 自密実コンクリートの注入

  • レール締結装置の取り付け

といった工程を“流れ作業化”することで、施工効率を大幅に向上。 1日あたり最大135mの敷設を実現し、工期の重要節目を確実に守りました。

② 独自開発の工装・工法で、品質を徹底管理

現場のニーズに合わせ、複数の自社開発工装や専用工法を導入。

  • 伸縮継ぎ目専用工装で、継ぎ目の直線性と仕上がりを確保

  • トンネルセグメントを傷つけない水路型枠工装を開発

  • 中央水路には定型鋼製型枠を採用し、排水性を高水準で確保

これらにより、構造物の品質と安全性が一段と向上しました。

③ 精密な検測・調整で、走行性を向上

専門機器を導入し、TQI(軌道平順性指数)に基づく精密な管理体系を構築。 0級軌道検測器を用いて軌道精調を行い、

  • 路線の平順性向上

  • 将来の走行騒音・レール鳴きの低減

といった効果を実現し、乗り心地の向上につなげています。

④ スマート施工で、将来の保守も効率化

軌道マーキングロボットを導入し、レールへの標識塗装を自動化。 統一された表示、高い耐候性、長期の保持力を備え、 施工の標準化だけでなく、今後の巡検・保守・運営管理にも大きく貢献します。

今後の予定

22号線の各参画企業は、

  • 安全・品質管理の強化

  • 施工組織の効率化

  • 軌道精調、駅舎内装、システム調整

などの重要工程を着実に進め、年内の路線完成を目指して全力で取り組む方針です。 上海の新たな“長江を越える鉄路”として、質の高い都市交通インフラの実現が期待されています。