尼崎で「中国問題講演会」を開催

中国と日本が世界平和の原動力に!

3月20日(日)午後、日中友好協会尼崎支部準備会は尼崎市内に山本恒人大阪経済大学名誉教授を迎え、「どうなる?日本と中国」をテーマに講演会を開催し市民約40人が参加しました。講演に先立ち地元の「年金者ヒューマンがくだん」のメンバー6人による歌や楽器演奏が行われました。

協会は「東シナ海を平和の海」にするための対話を訴えている

山本教授は、31ページに及ぶ資料をもとに講演、はじめに日中友好協会の今について、「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を断じて許さず、紛争を平和的手段で解決し、武力に決して訴えないことを求める」2月27日に発表した協会理事長談話を紹介しました。そして今年は1972年の日中国交正常化から50年の歴史的な節目の年であり、改めて日本の侵略戦争と戦後の中国敵視政策を清算し、日中両国による日中共同声明の精神を踏まえ、不再戦を柱として友好運動を進めていること、併せて尖閣や台湾の「有事」を強調し日米軍事同盟の強化が進み、軍事的な対立の最前線に立たされている沖縄の現地からは「日本の安全を確保しているのは日米安保条約ではなく、日中共同宣言と日中平和友好条約だ」との声さえあがっているとことを紹介し、協会は「東シナ海を平和の海」にするための対話を進めることの大切さを訴えていることを強調しました。

三つの歴史決議で総括し、未来志向の二つ目の百年に向かう

中国について山本教授は、二百年の刻苦を経て亡国の淵から復興へと題し、中国共産党結党以来の1921年~2020年の百年における奮闘が中国自体と世界に巨大な歴史的変化をもたらしたとして中華人民共和国成立時の第1の歴史的決議(1945年)、文革を総括した第2の歴史的決議(981年)、その歴史的経緯を踏まえ、未来志向の二つ目の百年を示す第3の歴史決議(2021年)について資料を示しながら解説しました。

二つ目の百周年の目標について、二段階に分けて推進するという戦略的配置を行っている。2020年~2035年は社会主義現代化を基本的に実現し、2035年から今世紀半ばまでを社会主義現代化強国に築き上げる。物質文明・政治文明・精神文明・社会文明・生態文明が全面的に向上し、国家統制体系・統治能力の現代化を実現し、総合国力も国際的影響力もトップレベルに達し、全人民の共同富裕が基本的に実現し、人民がより幸せで安心な生活を送ることを目指すというものです。

中国共産党の全面的指導の徹底について

中国における「一党支配」体制、「中国共産党の全面的指導」の徹底について、「歴史決議」文中に、「先進諸国が数百年かけて歩んだ道を僅か数十年で駆け抜けて」きたという文言を紹介しました。欧米や日本の諸列強国の帝国主義侵略により、亡国の淵に立たされた中国は、国民を総結集して近代国民国家を築き上げ自立できるよう、国民党の孫文から共産党に至るまで、政党と国家が一体化する「党国体制」という強力な集権的政治体制の構築に努めました。その結果、全土支配を目論んだ日本に対して国民総動員の抵抗を築いて勝利した後、近代国民国家としての中華人民共和国建国建国に至りました。建国後も厳しい国際環境や国土開発の課題達成のために、強力な指導性とナショナリズムのもとで国民と共に困難を克服してきたためこの道しかないという考えにたっていると思われると山本教授は語ります。

米国の対中政策と香港・台湾の「一国二制度」

さらに山本教授は、米国のバイデン政権の対中政策、台湾問題、香港問題について、日本をはじめ同盟諸国との関係強化により中国の孤立化を推進しようとしていること、台湾問題について「一つの中国」をを堅持すると唱えつつ「有事に備える」台湾との提携強化により台湾海峡の軍事的緊張を作り出している。米中国交回復の1979年1月1日、中国全人代常務委員会は「台湾同胞に告げる書」を発表、「統一問題を解決するにあたり、台湾の現状と台湾各界人士の意見を尊重し、情を重んじた合理的な政策と方法を採用し、台湾人民に損失を蒙らせない」ことが強調され異なる体制を超えた融和、共存、の「一国二制度」の原型となったものです。中国が真剣に台湾との平和的統一を台湾方式「一国二制」で実現しようとするなら、「一国二世」否定に等しい「香港国家安全維持法」の施行を停止し、改めて資格をはく奪された議員を復帰させた上で香港立法会での審議に委ねること、また同時に香港行政長官選出の完全普通選挙を実施することが求められると語りました。

中国が東アジアと世界に向けリーダーシップを発揮する存在へ

最後に山本教授は、中国が東アジアと世界の「平和・反核・軍縮・自由と民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮する存在となる用件は何かについて、明治日本以来の中国・東アジアへの日本の侵略と加害の「歴史の克服」は日本国民共通の課題であり、それをふまえた「日中不再戦」運動の実態となるものです。単なる観察者にとどまることは反歴史的といえます。アメリカのジャパン・ハンドラーが時の安倍政権に迫って「専守防衛」の壁を取り払って集団的自衛権に基づく新安保体制を発動させ、アメリカの指揮下に自衛隊が陸海空一体となる日米共同演習が沖縄・南西諸島・本土でも常態化し、憲法改悪さえ具体日程に上っています。今回のロシアのウクライナ侵攻に乗じて「核の共有論」まで飛び出す始末。これにストップをかけるのは私たちの責任です。中国が東アジアと世界における「平和・反核・軍縮・自由と民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮する時代を迎える大きな支えとなるでしょう。日本と中国の間には「日中共同声明」と「日中平和友好条約」という国交正常化以来の貴重な財産があり、民間には草の根の友好運動という営みがあります。

兵庫の「語りつごう戦争」展に市民300人が参観

マスコミ各社が大きく報道

12月8日~12日、「子どもたちと戦争」をテーマに、兵庫の「語りつごう戦争」展が神戸市兵庫区の妙法華院で開催されました。実行委員会からの報告を紹介します。

今回で44回目となる「兵庫の『語りつごう戦争』展は、12月8日~12日までの5日間開催しました。今年はNHKが、私たちが取材した引率教師の日記に基づいて展示開催の報道、及び展示の紹介の報道を12月7日、8日と2日にわたり行ったこと、毎日新聞、神戸新聞、朝日新聞の報道、特に毎日新聞、神戸新聞に展示内容が大きな紙面を割いて報道されたこともあり、連日活気ある展示会となりました。

参観者は延べ300人、並行して開いた「戦争体験を語る会」には4回で累計約80人、「12・8のつどい」には16人が参加しました。開催にあたり、物心両面のご支援を頂いた方々にご報告し、御礼申し上げます。

今年は、「子どもたちと戦争」をテーマに、子どもたちが直接体験したことは「疎開」ではないか、ということで神戸市立小野柄国民学校(現・中央小学校)が疎開した赤穂郡上郡町の黙笑寺へ取材に行き、提供された「引率の先生の日記、スケッチブック」を中心に、神戸市立須佐国民学校(現・明親小学校)の児童が書いた作文集「疎開生活壱か年のあしあと」、神戸市立山手国民学校(現・中央小学校)集合写真や疎開生活の写真など、取材し提供されたものを展示しました。

戦争は全ての国民を巻き込むもので、決して反対者を許さず、国民の意識を戦争に集中させるため、教育・マスコミ・近隣コミュニティを総動員したという歴史の事実。戦争の惨禍を忘れないだけでなく、戦争体制がつくる軍国社会・暗黒社会の怖さも知ってもらいたいです。「12・8のつどい」では、後藤浩氏の講演で「沖縄の今!」と」題して、沖縄の直面している問題の打開へ向けて様々な角度から学習しました。「戦争体験を聞く集い」では、学童疎開の経験をはじめ、「兵庫から伝えたいヒロシマ・平和」、「父の戦争体験」、「母から伝え聞く沖縄戦」と4名の方々からお話しを聞きました。また2005年から同時開催している「平和色紙展」へ58点の出展を頂きました。

兵庫の「語りつごう戦争」展実行委員会

岩茶の品種、生産区について学ぶ

核心地区で採れた正岩茶は超高値で取引

12月15日開催の「中国茶講座」は前回に続き武夷岩茶ーPart2として6種の岩茶が紹介されました。テイスティングの前に神田貴子高級茶芸師、高級評茶員から岩茶の品種、ブランド生産区について紹介がありました。

岩茶の主要品種は大紅袍、肉桂、水仙でマイナーなものを含めると200種以上あると言われています。ブランド生産区は牛欄坑、慧苑坑、倒水坑、流香澗、悟源澗の5つの生産区と慧苑岩、天心岩、馬頭岩、竹窠、九龍窠、三仰峰、水簾洞と呼ばれる茶区を合わせた一帯は岩茶の核心地区と呼ばれています。

当日は、大紅袍(武夷山)、向天梅(武夷山)、水簾洞水仙(武夷山水簾洞)、慧苑坑肉桂(武夷山慧苑坑)、正岩雀舌(武夷山市)百瑞香の6種が紹介され百瑞香を除く5種の香り、湯色を楽しみながら試飲しました。(写真:慧苑抗肉桂の湯色、点てた後の茶葉)

次回「中国茶講座」は2022年2月16日(水)13:30~開催します。参加予約受付ています。☎078-412-2228(12/29~1/5休み)E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

世界遺産・武夷山の岩茶を味わう

芳しい香りと濃厚で芳醇な味わいの岩茶を紹介

11月17日午後、「中国茶講座」を4カ月ぶりに開催しました。「お茶どころ武夷岩茶」をテーマに講師の神田貴子高級茶芸師が世界遺産・武夷山を擁する中国茶の産地福建省について紹介、亜熱帯の温暖な気候と降雨量が年間2000mmもあり、面積の65%が!森林という環境がお茶栽培に大へん適した地域であること。岩茶について、福建省北部の武夷山で生産される烏龍茶を指し、露出した岩肌の谷間や窪みなどに茶樹が植えられているため岩茶と呼ばれています。

茶葉は茶褐色、湯色はオレンジ色や茶色になります。焙煎による芳しい香りと濃厚で芳醇な味わい、後味の甘さ等が特徴で、品質の良い岩茶は「岩韻」と呼ばれる岩茶特有の風味や余韻が感じられると話し、6種の岩茶についてその特徴を紹介し「武夷水仙」「武夷肉桂」「大紅袍」「正岩雀舌」「百瑞香」の5種を味わいました。

次回は12月15日(水)午後1:30~「岩茶ーPart2」を開催します。

漢詩を読む会を再開しました

来鵠の桑を採る苦労を詠った「蚕婦」を読む

第28回「漢詩を読む会」は講師の丹羽先生がケガで入院されたため9月開催を延期していました。先生が無事快復され12月4日(土)、神戸市立東灘区文化センターで約半年ぶりに開催しました。丹羽博之大手前大学教授が「蚕婦詩の世界」をテーマに講義しました。丹羽教授は、先ず絹をつくり出す厳しい労働の様子を知るためとして映画「あゝ野麦峠」の一部を映し解説しました。

当時の時代背景や製糸工場で働く女工の厳しい労働や寮生活の劣悪な環境などについて映像を見ながら話しました。澁澤栄一が掛け軸に書いたという来鵠(晩唐の詩人)の七言絶句「蚕婦」を写真で紹介し詩を読みました。

曉夕採桑多苦辛 暁夕桑を採りて苦辛多し

好花時節不閒身 好花の時節閑ならざる身

若教解愛繁華事 もし繫華の事を愛するを解せしむれば

凍殺黄金屋裏人 凍殺せん黄金屋裏の人

次回の「漢詩を読む会」は2022年2月19日(土)です。

「夢コンサート」二胡の音色が心に響く!

来日後の苦労が自作の曲に、参加者の胸に迫る!

日中友好協会東神戸支部は11月21日午後、神戸市東灘区で「日中友好夢コンサート」を開催し50人が参加しました。コンサートは、来日30周年を迎え各地で演奏活動や二胡教室を主宰し活躍されている王秀華さん、美華さんの母娘が二胡を演奏し、中国の曲、日本のヒット曲、秀華さんオリジナル曲など合間に語りを交えながら10曲を美華さんんと共に演奏しました。二胡の優しい音色に参加者は「想像していた以上に、とても胸に届く演奏でした」「ぐっと胸にせまるものがありホロリ・・とした」「娘さんとの共演で、かたくなくアットホームでよかった」「オリジナル曲の『道』に対する思いを感じました。ご苦労なさったのですね。私は引揚者で、共感しました」などの感想が寄せられています。

二胡とは、中国の弦楽器。中央に長い棒(さお)を立て二弦を張って弓で鳴らす胡弓の一種。胴は円筒または六角筒で蛇皮をはる。高音の胡琴よりは一オクターブ低く、低音の四胡(四弦)とほぼ同じ音域。京劇の文戯(世話物)の主要伴奏楽器。民間の合奏、歌や語り物の伴奏にも広く用いられる。(夢コンサートパンフより)

中国残留日本人の歴史を辿る

長野県河野村開拓団の悲劇を記録映像と講演で伝える

尼崎市主催、委託事業団体コスモスの会日本語教室が運営し11月20日(土)に尼崎市内で開催された第7回「中国残留日本人への理解を深める集い」は140人が参加しました。集いは、信越放送が制作したドキュメンタリー映像「決壊-祖父が見た満州の夢」上映のあと、劇作家・精神科医の胡桃澤伸さんが「河野村開拓団と祖父と私」と題して講演しました。

胡桃澤伸さんは、若くして長野県河野村の村長となり家族のため、村のため、国のために職務を行っていた祖父の胡桃澤盛が国策による分村政策を実行し村から開拓団を「満州」へ送り出しました。敗戦直後の混乱の中で幼い子どもを含む開拓民73人が集団自決したことへの自責の念にかられ敗戦の翌年自宅の自室で自殺したことを知り、そのことをどう受け止めてよいのかわからなかったとの思いを語りました。

祖父が遺した何冊もの日記について、胡桃沢伸さんは、読まなくてはならないとは思いながもどうしても読みたくなかった気持ちを話し、しかし、祖父が遺した日記は戦争を知らない自分たちに大切なことを伝えようとしていると気づき、寄贈した地元歴史研究会が日記をまとめた本を読み、映画化を引き受けるに至った経緯を語りました。映画製作の中で開拓団の人たちが自決した中国東北地方を慰霊訪問し、開拓団入植により自宅と農地を奪われた中国農民の家を訪れ、直接当時の話を聞いたことが自身の考えを変える機会となったと語りました。

入植してきた日本人に家と農地を奪われ、近くの草ぶきの家に移り住み、荒れて痩せた土地を耕し乏しい作物で命をつないできた話を聞いた時、強く頭を殴られたような気がしたと、開拓団の人たちは日本の中国侵略の被害者ではあるが、中国の人々への加害者にさせられていたことをはっきり感じたと語りました。祖父は当時自治体の長として中国への侵略政策に加担し多くの犠牲を出した責任を死で償う道を選ばず、生きて責任をとるべきだったのではないかとの思いを語りました。

講演の後、兵庫県出石郡高橋村(現・豊岡市但東町)からの農業移民として戦争末期に中国黒龍江省へ渡った大兵庫開拓団約500人の内、298人が敗戦直後、逃避行が困難と判断し、2人づつ体を背中合わせに縛り増水した川に身を投げ集団自決した人達の内、現地の中国人に助けられ辛うじて命をつなぎ帰国した団員の二世3人が胡桃澤伸さんと対談しました。開拓団員2世の方々は、親たちの悲劇、当時の惨状、生きて帰った人たちが故郷の村で孤独で厳しい生活を送ってきたことなどを生々しく語りました。また今を生きる若い人達にこの悲惨な歴史を語り伝え、当時の様子を描いたスライド画像を映して伝えていることも紹介されました。会場ロビーでは開拓団の歴史や年表、入植地図、高橋村・大兵庫開拓団の入植地の写真などが展示されました。

お茶どころ福建省の武夷岩茶を味わう

生産地や品種の分類などを学ぶ

11月17日(水)に開催された中国茶講座は、「武夷岩茶」をテーマに神田貴子高級茶芸師が岩茶について紹介。岩茶とは、福建省北部の武夷山で生産される烏龍茶を指します。露出した岩肌の谷間や窪みなどの場所に茶樹が植えられているため岩茶と呼ばれます。

岩茶の製茶では一般的に発酵度は高め、焙煎も強く複数回かけるため、茶葉は茶褐色、湯色はオレンジ色や茶色になります。焙煎による芳ばしい香りと濃厚で芳醇な味わい、後味の甘さ等が特徴です。品質の良い岩茶には「岩韻」と呼ばれる岩茶特有の風味や余韻が感じられます。。

本日の銘茶として、岩茶「武夷水仙」「武夷肉桂」「正岩果香肉桂」「大紅袍」「正岩雀舌」「百瑞香」と白茶「老寿眉」の特徴や産地など詳しく紹介され、五種の岩茶を試飲しました。

次回の「中国茶講座」:2021年12月15日(水)午後1:30~

中国帰国者二世支援活動オンライン交流会

「請願署名」と「生活状況アンケート」に取り組む

日中友好協会本部主催の「中国帰国者二世支援活動交流会」が9月18日オンラインで開催され全国の協会組織から60人が参加しました。このオンライン交流会に兵庫県連合会から7人が参加しました。

交流会は初めに、本部帰国者委員会から基調報告がありました。二世の「生活状況アンケート」から見えてくるもとして、93人の2世の実態を分析された浅野慎一神戸大学教授(中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会代表)の講演内容(8月20日)と協会福岡県連合会に寄せられている37通のアンケートの特徴的な内容、2世の要求実現の運動をどう進めるか、などについての提案を受け、参加者から各地の帰国者支援状況や支援活動の特徴点などについて率直な意見を出し合い交流しました。

請願署名は現在、福岡県の取り組みを先頭に全国の協会組織、帰国者の会、支援組織が取り組みを進めていますが、コロナの影響もあり協会の取り組みは遅れており、現在2万4千署名となっています。2022年1月の通常国会(1月21日予定)に向け10万署名を達成し、提出を目指すことを確認しました。今後、帰国者2世の「生活状況アンケート」を全国に広げ、多様な2世の生活実態の把握に努め、支援への国民世論を高め、帰国者2世に新支援法適用の実現に向け努力を続けていくことを話し合いました。

強制連行・強制労働による「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催

犠牲者追悼と「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」上映

日中友好協会兵庫県連合会は9月5日(日)午後、神戸市兵庫区の宝地院で「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催しました。

戦争末期、国内の労働力不足を補うため当時の日本政府は中国大陸から中国人労働者を全国で6万8千人余り、兵庫県へは約1,500人を強制的に連行し、神戸港では貨物船の荷役に、相生の播磨造船所では雑役工に強制使役し神戸で17人、相生で28人が亡くなりました。

1995年の大震災で宝地院本堂が全壊し、再建に取り組んでいたとき、1957年に関帝廟で全県的規模で行われた「殉難中国人慰霊祭」で使われた「慰霊牌」が見つかったのを機に、1998年から宝地院で始めた「中国人犠牲者を慰霊する集い」は今回で23回目を迎えました。

読経の前に、中川正興住職はコロナ禍の市中の様子やアフガニスタン問題に触れ「紛争は武力で解決することは出来ません。仏教界は世界の人々が安全で安心して暮らせる社会を願っています」と話し、参加者全員が焼香し犠牲者を追悼しました。

追悼行事の後、地階集会室で、1938年6月~10月、日本軍の「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」を上映しました。この映画は当初、戦意高揚のために作成されましたが、亀井文夫監督は、兵隊の行軍や日本軍の根拠地の様子などに加え、中国人農夫が畑を耕やしたり、大きな荷物を担ぎ避難する多数の住民、瓦礫と化した街中で使えそうな物を探す中国人の様子、行軍で疲れ果てた日本軍兵士の休む姿や寝姿も撮影しています。完成後の検閲で上映は不許可、公開禁止となり、ネガは処分され、幻の映画と言われていました。1941年に亀井監督は治安維持法違反で逮捕、投獄され監督免許をはく奪されました。

1975年に1本のポジフィルムが発見され、日本映画史上重要な作品と再認識されて、1970年代後半には全国で上映活動が行われ話題となりました。今回の上映会に参加した人は、「当時の戦記映画にしては銃弾の飛び交う音はするが戦闘場面は少なく、負傷者を運ぶ姿や兵士の厳しい任務の様子等のほか、大勢の中国人住民たちが大きな荷物を担ぎ、片手に荷物を持ち子供の手を引き避難する中国人母子の姿なども撮っていて当時の映画では珍しい貴重な映像だ」などの感想がありました。(写真上:本堂で犠牲者追悼、下:映画「戦ふ兵隊」を上映)