日中合作映画「再会の奈良」

中国と日本をつなぐ戦争の歴史を今に伝え、問いかける

2005年、中国から陳ばあちゃんが、孫娘にような存在のシャオザーを頼って一人奈良にやって来る。中国残留孤児の養女・麗華を1994年に日本へ帰したが、数年前から連絡が途絶え、心配して探しに来たというのだ。麗華探しを始めた2人に、ひょんなことで知り合った元警察官の一雄が加わり、手掛かりを求めて奈良の町を訪ね歩く、おかしくも心温まる3人の旅が始まる。異国の地での新たな出会いを通して、果たして陳ばあちゃんは愛する娘との再会を果たせるのか―。

奈良を舞台に日中の魅力あふれる才能が集結

歴史に翻弄された「中国残留孤児」とその家族がたどる運命、互いを思い合う気持ちを、2005年秋の奈良・御所市を舞台に切なくもユーモア豊かに紡いだこの映画は、金鶏百花映画祭、東京国際映画祭ほか国内外の映画祭での上映を経て、日中国交正常化50周年の節目となる2022年についに日本劇場公開を迎えます。

脚本・監督:ポンフェイ 出演:國村隼、ウー・イエンシュー、イン・ズー、秋山真太郎、長瀬正敏

(日本、中国/2020/99分/カラー/日本語・中国語)

2022年2月4日(金)~ 「シネ・リーブル神戸」で上映開始

問い合わせ:☎078-334-2126(神戸朝日会館地下1F)

中国残留日本人の歴史を辿る

長野県河野村開拓団の悲劇を記録映像と講演で伝える

尼崎市主催、委託事業団体コスモスの会日本語教室が運営し11月20日(土)に尼崎市内で開催された第7回「中国残留日本人への理解を深める集い」は140人が参加しました。集いは、信越放送が制作したドキュメンタリー映像「決壊-祖父が見た満州の夢」上映のあと、劇作家・精神科医の胡桃澤伸さんが「河野村開拓団と祖父と私」と題して講演しました。

胡桃澤伸さんは、若くして長野県河野村の村長となり家族のため、村のため、国のために職務を行っていた祖父の胡桃澤盛が国策による分村政策を実行し村から開拓団を「満州」へ送り出しました。敗戦直後の混乱の中で幼い子どもを含む開拓民73人が集団自決したことへの自責の念にかられ敗戦の翌年自宅の自室で自殺したことを知り、そのことをどう受け止めてよいのかわからなかったとの思いを語りました。

祖父が遺した何冊もの日記について、胡桃沢伸さんは、読まなくてはならないとは思いながもどうしても読みたくなかった気持ちを話し、しかし、祖父が遺した日記は戦争を知らない自分たちに大切なことを伝えようとしていると気づき、寄贈した地元歴史研究会が日記をまとめた本を読み、映画化を引き受けるに至った経緯を語りました。映画製作の中で開拓団の人たちが自決した中国東北地方を慰霊訪問し、開拓団入植により自宅と農地を奪われた中国農民の家を訪れ、直接当時の話を聞いたことが自身の考えを変える機会となったと語りました。

入植してきた日本人に家と農地を奪われ、近くの草ぶきの家に移り住み、荒れて痩せた土地を耕し乏しい作物で命をつないできた話を聞いた時、強く頭を殴られたような気がしたと、開拓団の人たちは日本の中国侵略の被害者ではあるが、中国の人々への加害者にさせられていたことをはっきり感じたと語りました。祖父は当時自治体の長として中国への侵略政策に加担し多くの犠牲を出した責任を死で償う道を選ばず、生きて責任をとるべきだったのではないかとの思いを語りました。

講演の後、兵庫県出石郡高橋村(現・豊岡市但東町)からの農業移民として戦争末期に中国黒龍江省へ渡った大兵庫開拓団約500人の内、298人が敗戦直後、逃避行が困難と判断し、2人づつ体を背中合わせに縛り増水した川に身を投げ集団自決した人達の内、現地の中国人に助けられ辛うじて命をつなぎ帰国した団員の二世3人が胡桃澤伸さんと対談しました。開拓団員2世の方々は、親たちの悲劇、当時の惨状、生きて帰った人たちが故郷の村で孤独で厳しい生活を送ってきたことなどを生々しく語りました。また今を生きる若い人達にこの悲惨な歴史を語り伝え、当時の様子を描いたスライド画像を映して伝えていることも紹介されました。会場ロビーでは開拓団の歴史や年表、入植地図、高橋村・大兵庫開拓団の入植地の写真などが展示されました。

中国「残留日本人孤児」の日本語教室再開

5か月ぶりに笑顔で再会、会話がはずむ

神戸市と明石市の委託事業として中国帰国者向け日本語教室を開催している中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会は、コロナ感染症拡大の影響で今年5月以降休講していた日本語「本山教室」と「明石教室」を10月7日(木)に再開しました。

再開初日の7日、「本山教室」には残留孤児と残留婦人2世の6人、スタッフ、ボランティア11人が参加し久しぶりの無事再会を喜び合いました。教室は週1回開催で、2つのグループに分け、半数づつが隔週交互に参加します。7日の教室は漢字の読み書き(1)を中心に、スタッフが用意した下記の会話文のようなプリントをテキストに日本語文の漢字の読み書きと使い方をスタッフ、ボランティアのアドバイスを聞きながら学んでいました。次週はもう一つのグループが参加し学習することになっています。

「三ノ宮まできたいんですが、バス電車とどちらがいといますか。・・・・・電車いといます

中国帰国者二世支援活動オンライン交流会

「請願署名」と「生活状況アンケート」に取り組む

日中友好協会本部主催の「中国帰国者二世支援活動交流会」が9月18日オンラインで開催され全国の協会組織から60人が参加しました。このオンライン交流会に兵庫県連合会から7人が参加しました。

交流会は初めに、本部帰国者委員会から基調報告がありました。二世の「生活状況アンケート」から見えてくるもとして、93人の2世の実態を分析された浅野慎一神戸大学教授(中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会代表)の講演内容(8月20日)と協会福岡県連合会に寄せられている37通のアンケートの特徴的な内容、2世の要求実現の運動をどう進めるか、などについての提案を受け、参加者から各地の帰国者支援状況や支援活動の特徴点などについて率直な意見を出し合い交流しました。

請願署名は現在、福岡県の取り組みを先頭に全国の協会組織、帰国者の会、支援組織が取り組みを進めていますが、コロナの影響もあり協会の取り組みは遅れており、現在2万4千署名となっています。2022年1月の通常国会(1月21日予定)に向け10万署名を達成し、提出を目指すことを確認しました。今後、帰国者2世の「生活状況アンケート」を全国に広げ、多様な2世の生活実態の把握に努め、支援への国民世論を高め、帰国者2世に新支援法適用の実現に向け努力を続けていくことを話し合いました。

帰国者2世の国会請願署名にご協力を!

中国帰国者2世の願いを国会へ届けるために!

福岡の中国帰国者2世の会は国会請願活動を継続させるためクラウドファンディングや街頭で募金を訴え、目標額を超える協力を得るなど、マスコミも注目する活動を続けています。日中友好協会は6月12日の第70回全国大会(オンライン会議)後、国会請願で署名提出を予定しています。日程が迫り、コロナ禍の困難な状況の下ですが帰国者2世に1世同様の支援法適用を求める「中国『残留孤児・婦人』2世の生活支援等を求める請願署名」に何卒ご協力をお願い致します。  

兵庫県連合会には現在(5月27日現在)1,050署名が寄せられ、5,000署名を目標に取り組みを続けています。全国では10万署名が 目標です。帰国者2世には、国からの支援は全くなく、言葉の壁や習慣の違いによる差別、偏見など言葉に言い尽くせないほどの困難を抱え日々生活を送っています。帰国者が普通の日本人として日本の地で生きられることを願い開始した署名活動です。何卒ご協力をお願い致します。署名用紙はダウンロードして頂きご家族、友人、周囲の人々へ広めて頂きますようお願い致します。

署名用紙は下記へ郵送でお送り下さい。

〒658-0003神戸市東灘区本山北町3丁目4-9甲南ビラ201号

日本中国友好協会兵庫県連合会

Tel&Fax:078-412-2228

E-mail: okmt50@nicchu-hyogokenren.net

中国「残留孤児」支援の日本語教室再開

日本の文化や習慣に馴染み、日常生活が支障なく過ごせるように

新型コロナウイルスの感染拡大により、今年1月以来休講していた帰国者のための神戸岡本「日本語教室、生活講座」が4月8日から再開しました。明石教室は3月から再開しています。ただ、感染予防の対策を徹底し、両教室とも隔週交互の参加とし、一回の参加者数を半減にしての開催となっています。

委託事業者の中国「残留日本人孤児」を支援する会は、事業目的について「中国帰国者の日本語習得のニーズに応えながら、幼少期からの生活環境と全く違う日本で、帰国者が日本の文化や習慣に馴染み日常生活を支障なく過ごし、生活に潤いを持つことで、楽しく心豊かに暮らせるようにする。日本の文化的な習慣を学習したり、自身の生活を保持し、知識を高める学習の機会をつくることは、帰国者同士の交流ばかりではなく帰国者自身が日本語で色々な場面での言い方を習得し、コミュニケーションの力を高め、地域でのかかわりに目を向けたり、文化的な趣味や娯楽に興味関心をもったりして、日常生活を積極的に過ごせることにつながると考えます」と事業実施計画に記しています。

「中国残留日本人孤児」の人生が問いかけること

―日本人として、日本の地で、人間らしく生きるために―

中国「残留日本人孤児」への支援事業として、神戸市と明石市の委託を受け、日本語教室や生活講座などを開催している中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会(浅野慎一代表)は、毎年1回、11月に中国残留邦人への理解を深める集い(神戸市主催)を神戸市内で開催していますが、昨年は新型コロナウイルス感染症の拡大により開催を中止しました。代替え事業として、中国残留日本人孤児への理解を深めるために昨年末、動画を作成し、多くの市民に見て頂くために現在Youtubeで公開しています。動画は「中国残留日本人孤児が問いかけること」―日本人として、日本の地で、人間らしく生きるために―、をテーマに、前半は浅野慎一代表(神戸大学教授)による日本語版、後半は佟岩さんによる中国語版です、ぜひご覧下さい。

中国「残留孤児・婦人」2世の生活支援等を求める請願署名

「10万人国会請願署名」へご協力のお願い!

2001年の東京地裁を皮切りに「中国残留日本人孤児」2211人が全国各地で提訴し、100万人署名を軸にした国民世論で「中国帰国者新支援法」(2007年11月28日)が成立してから13年になります。しかし、この法律は2世、3世には適用されません。2世、3世の尊厳回復のためには、新たな「新支援法」(仮称)を成立させる以外にありません。

2世はすでに60代、3世も30~40代となり、「日本語が話せない」「日本社会に溶け込めない」などの厚い壁によって、1世同様、あるいはそれ以上の苦境に置かれている人も多くいます。この人たちの「人間としての尊厳」を回復させることが早急に求められています。日中友好協会本部は一昨年の大会以来、請願署名に取り組んでいますが、昨年の大会で改めて取り組みの強化を決め、今年の大会(2021年6月)までに「10万人署名達成」を呼びかけています。署名へのご協力をお願い致します。(署名用紙はダウンロードして頂き下記へお送り下さい。写真は2020年11月28日尼崎市で、親や祖母と共に歩んできた苦難の人生を語る残留孤児2世、残留婦人3世の方々)

日本中国友好協会兵庫県連合会

〒658-0072 神戸市東灘区岡本1丁目14-10 岡本住宅ビル3F

Tel&Fax(078)412-2228

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

第6回「中国残留日本人への理解を深める集い」

残留孤児の半生朗読と二世、三世が親たちの人生を語る

11月28日(土)午後、尼崎市内で第6回「中国残留日本人への理解を深める集い」が開催され約150人が参加しました。尼崎市が主催し、委託事業団体「コスモスの会」(宗景正代表)が企画・実行しました。初めに、稲村和美尼崎市長が開会あいさつし、朗読グループ「ま・どんな」のメンバー3人が、中国「残留孤児」宮島満子さん(84歳、尼崎市在住、長野県出身)が1938年、3歳の時、長野から一家11人で中国東北の東安省密山県へ開拓団として入植し、戦後40年も経ってから帰国した頃までの半生を証言を基に朗読しました。

ソ連が「満州」へ侵攻し、父親はソ連兵に連行されたまま戻らず、残された家族が開拓団からの指示で、ソ連機の銃撃の下、地獄の逃避行へ、その途中で兄弟は次々亡くなり、奉天まで来て、臨時の収容所となっている小学校で母親も飢えと寒さで衰弱し亡くなります。兄弟と3人が残され、このままでは死んでしまうと思った兄の説得で宮島さんは中国人家庭に預けられます。2度目の養父母に育てられ小学校へ入学、3年生の時、日本人ということでいじめられ、毎日衣服に唾をかけられたり、石を投げられ「小日本鬼子」(日本の鬼っ子)と罵られ学校へ行けなくなります。青年期には自殺も考えるが死にきれず辛い生活を送ってきました。宮島さんは、当時44歳の父親の消息について、ソ連へ連行されたあと強制労働させられる中で、赤痢のような病気にかかり、仕事が出来ない人や死んだ人と一緒にトラックに乗せられて山に放り出され、石油をかけられ生きたまま焼き殺されたことを知ったと証言しています。

日本へ一時帰国した際、生きて日本に帰っていた兄と再開を果たしますが、永住帰国したいと話すと兄は言葉もわからず、兄の家も人数が多く面倒が見れず、日本で仕事に就くのは難しい、習慣も違う日本で生活するのは無理だと言われ断念します。1980年代の後半、兵庫県への永住帰国がやっと叶い、兄の世話にもならずにすむと有馬温泉の旅館に住み込みで働き始めました。しかし、言葉が不十分なため、毎日「アホ、バカ、中国へ帰れ!」と怒鳴られながら辛抱してきた、と宮島さんの証言朗読は続きます。

集いは朗読の後、「国境に入植した開拓団について」コスモスの会代表の宗景正さんが写真や地図などを映しながら紹介しました。集いの第2部では「音楽のひととき」で、ピアニストの安達さおりさんがショパンの2曲とリストの1曲を演奏しました。その後、残留孤児2世と残留婦人3世が「親たちの人生を語る」と題し対談しました。聞き手のスタッフから、「親や祖母が残留孤児、残留婦人だと知った時どう思ったか」、「日本へ帰国してよかったこと、悪かったことは」などの問いに応える形で対談は進められました。その中で残留孤児2世の一人は、親たちは、中国で『日本鬼子』『日本へ帰れ』などといじめられ、日本へ帰国すれば『中国人は来るな』『中国へ帰れ』などと罵られ耐えがたい苦痛を味わっています、と声を詰まらせ涙声で訴えていました。

今回の集いを通じ感じたことは、この悲劇の大元には日本の中国への侵略戦争があり、中国の人々は、日本が中国を侵略したことにより何千万人もの中国人が被害を受け、命が奪われ、土地を奪い取られ、強制連行や強制労働により労働力を搾り取られ、動けなくなったら息があってもゴミのように捨てられた。また戦時、中国各地の鉱山では日本の大企業により膨大な量の地下鉱物資源が略奪され、抵抗すれば殺害された歴史をよく知っています。こうした加害について戦後の日本政府は公式に認めず、日本国民に知らせず、1990年代になり被害者やその家族が訴訟しても時効を盾に門前払い、謝罪も補償もしないという態度です。口先でいくら「日中友好、中国は日本にとって大切な隣国」などと言っても中国の人々には通用しないでしょう。今こそ日本の多くの人々が、「日本は中国でなにをしたか」の歴史を知る努力が必要ではないでしょうか、今後この様な悲劇が繰り返されることがないように。

会場ロビーでは宗景正さん撮影「ソ満国境に入植した開拓団」写真展も開催され多くの参加者が見入っていました。(U)

宮島満子さんの詳しい証言は2008年発行(高文研)の「私たち何じんですか?」に紹介されています。(樋口岳大・宗景正共著 1,700円)

中国残留日本人の歩んできた道

理解を深める集いで中国「残留孤児」の手記を朗読

2008年4月に発足し、同年10月に尼崎市の委託を受け、支援法に基づく支援事業として日本語教室を開設しているコスモスの会尼崎日本語教室(宗景正代表)は毎年1回「中国残留日本人への理解を深める集い」を開催しています。今年は、中国「残留日本人孤児」の手記朗読、2世・3世の対談、写真展「ソ満国境に入植した開拓団」を開催します。新型コロナウイルス感染症対策として、会場内の三密を避けるための座席配置で開催されます。また参加の際はマスク着用を呼びかけています。

日時:2020年11月28日(土)午後1時~4時30分

会場:尼崎市立中央北生涯学習プラザ1階大ホール

入場無料

・宮島満子さんの手記「朗読」~八人の家族を満州で失って~

 朗読グループ「ま・どんな」の皆さん

・音楽のひととき

・対談「親たちの人生を語る」2世、3世のみなさん

・写真展「ソ満国境に入植した開拓団」(撮影:宗景正)

 同会場1階ロビー 期間:11月25日(水)~28日(土)

 午前9時~午後9時、28日は午後5時まで

主催:尼崎市(委託事業団体:コスモスの会尼崎日本語教室)

後援:尼崎教育委員会

協賛:近畿中国帰国者支援・交流センター、大阪中国帰国者センター

お問合せ:コスモスの会 石打謹也(090-7489-7091)

HP:kosumosunokai.sakura.ne.jp/kosumosu.html