二世問題の解決なくして、残留日本人問題の解決なし

「有隣通信」―中国帰国者と市民をつなぐ交流紙より

中国残留日本人の二世は、年齢も30歳代から70歳代と幅広く、仕事や日常言語も様々です。そこで二世全体に共通する「二世問題」は見えにくくなり、何か問題があっても自己責任・個人差とみなされてしまいがちです。

でも二世の多様性は、単なる個人差ではありません。日本政府の政策が生み出した多様性です。日本政府は、残留日本人(一世)の帰国を厳しく制限しました。そこで一世は帰国が遅れ、日本に帰国した後も苦難の生活を余儀なくされました。そして政府は二世の帰国を、一世よりさらに一層厳しく制限しました。一世が帰国する時点で20歳以上だった二世には、一世よりさらに大幅に帰国が遅れてしまいました。

1980年代までに20歳未満で、一世と同伴帰国できた若い二世は、二世全体の2割程度にすぎません。こうした若い二世には、一部ではありますが、日本の学校で学び、中国と日本の両方の文化を生かして活躍している人もいます。しかし若い二世もやはり、同世代の日本生まれの日本人と比べれば、大きなハンディを背負っています。特に義務教育の学齢を越えて16歳以上で帰国した若い二世には、日本で高校に進学出来ず、不安定な就職・生活を余儀なくされてきた人が少なくありません。

二世の約8割は、1990年代以降になってから20歳以上で帰国しました。その約半数は、40歳をすぎるまで帰国できず、現在はもう60~70歳代になっています。こうした中高年の二世は、日本で公的な日本語教育を受けられず、言葉もほとんどできないまま、帰国した直後から苛酷な労働条件の下、非正規雇用で働くしかありませんでした。職場での労災事故の発生率は驚くほど高く、重労働のため身体を壊した人も少なくありません。また帰国が大幅に遅れたため、退職後の年金はとても少額で、年金ではまったく生活できません。公的な医療通訳もなく、安心して医療も受けられません。中国語で介護が受けられる施設も少ないので、言葉も通じない中、孤立した「老老介護」も蔓延しています。中高年の二世は、かつての残留孤児(一世)とほとんど同じ、または公的支援がまったくなかったので一世よりさらに深刻な苦難の生活を強いられています。

中国残留日本人の二世は、一世と同様、日本政府による帰国制限政策、および自立支援の欠如が生み出した被害者です。二世問題の解決なくして、中国残留日本人問題の真の解決はありません。残留日本人の歴史的被害を、次の世代まで積み残してはなりません。二世問題の解決を、心より期待します。(中国帰国者と市民をつなぐ交流紙-「有隣通信」より、浅野慎一神戸大学教授、中国残留日本人孤児を支援する兵庫の会世話人代表)

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