中国残留日本人の歴史を辿る

長野県河野村開拓団の悲劇を記録映像と講演で伝える

尼崎市主催、委託事業団体コスモスの会日本語教室が運営し11月20日(土)に尼崎市内で開催された第7回「中国残留日本人への理解を深める集い」は140人が参加しました。集いは、信越放送が制作したドキュメンタリー映像「決壊-祖父が見た満州の夢」上映のあと、劇作家・精神科医の胡桃澤伸さんが「河野村開拓団と祖父と私」と題して講演しました。

胡桃澤伸さんは、若くして長野県河野村の村長となり家族のため、村のため、国のために職務を行っていた祖父の胡桃澤盛が国策による分村政策を実行し村から開拓団を「満州」へ送り出しました。敗戦直後の混乱の中で幼い子どもを含む開拓民73人が集団自決したことへの自責の念にかられ敗戦の翌年自宅の自室で自殺したことを知り、そのことをどう受け止めてよいのかわからなかったとの思いを語りました。

祖父が遺した何冊もの日記について、胡桃沢伸さんは、読まなくてはならないとは思いながもどうしても読みたくなかった気持ちを話し、しかし、祖父が遺した日記は戦争を知らない自分たちに大切なことを伝えようとしていると気づき、寄贈した地元歴史研究会が日記をまとめた本を読み、映画化を引き受けるに至った経緯を語りました。映画製作の中で開拓団の人たちが自決した中国東北地方を慰霊訪問し、開拓団入植により自宅と農地を奪われた中国農民の家を訪れ、直接当時の話を聞いたことが自身の考えを変える機会となったと語りました。

入植してきた日本人に家と農地を奪われ、近くの草ぶきの家に移り住み、荒れて痩せた土地を耕し乏しい作物で命をつないできた話を聞いた時、強く頭を殴られたような気がしたと、開拓団の人たちは日本の中国侵略の被害者ではあるが、中国の人々への加害者にさせられていたことをはっきり感じたと語りました。祖父は当時自治体の長として中国への侵略政策に加担し多くの犠牲を出した責任を死で償う道を選ばず、生きて責任をとるべきだったのではないかとの思いを語りました。

講演の後、兵庫県出石郡高橋村(現・豊岡市但東町)からの農業移民として戦争末期に中国黒龍江省へ渡った大兵庫開拓団約500人の内、298人が敗戦直後、逃避行が困難と判断し、2人づつ体を背中合わせに縛り増水した川に身を投げ集団自決した人達の内、現地の中国人に助けられ辛うじて命をつなぎ帰国した団員の二世3人が胡桃澤伸さんと対談しました。開拓団員2世の方々は、親たちの悲劇、当時の惨状、生きて帰った人たちが故郷の村で孤独で厳しい生活を送ってきたことなどを生々しく語りました。また今を生きる若い人達にこの悲惨な歴史を語り伝え、当時の様子を描いたスライド画像を映して伝えていることも紹介されました。会場ロビーでは開拓団の歴史や年表、入植地図、高橋村・大兵庫開拓団の入植地の写真などが展示されました。

お茶どころ福建省の武夷岩茶を味わう

生産地や品種の分類などを学ぶ

11月17日(水)に開催された中国茶講座は、「武夷岩茶」をテーマに神田貴子高級茶芸師が岩茶について紹介。岩茶とは、福建省北部の武夷山で生産される烏龍茶を指します。露出した岩肌の谷間や窪みなどの場所に茶樹が植えられているため岩茶と呼ばれます。

岩茶の製茶では一般的に発酵度は高め、焙煎も強く複数回かけるため、茶葉は茶褐色、湯色はオレンジ色や茶色になります。焙煎による芳ばしい香りと濃厚で芳醇な味わい、後味の甘さ等が特徴です。品質の良い岩茶には「岩韻」と呼ばれる岩茶特有の風味や余韻が感じられます。。

本日の銘茶として、岩茶「武夷水仙」「武夷肉桂」「正岩果香肉桂」「大紅袍」「正岩雀舌」「百瑞香」と白茶「老寿眉」の特徴や産地など詳しく紹介され、五種の岩茶を試飲しました。

次回の「中国茶講座」:2021年12月15日(水)午後1:30~

中国帰国者二世支援活動オンライン交流会

「請願署名」と「生活状況アンケート」に取り組む

日中友好協会本部主催の「中国帰国者二世支援活動交流会」が9月18日オンラインで開催され全国の協会組織から60人が参加しました。このオンライン交流会に兵庫県連合会から7人が参加しました。

交流会は初めに、本部帰国者委員会から基調報告がありました。二世の「生活状況アンケート」から見えてくるもとして、93人の2世の実態を分析された浅野慎一神戸大学教授(中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会代表)の講演内容(8月20日)と協会福岡県連合会に寄せられている37通のアンケートの特徴的な内容、2世の要求実現の運動をどう進めるか、などについての提案を受け、参加者から各地の帰国者支援状況や支援活動の特徴点などについて率直な意見を出し合い交流しました。

請願署名は現在、福岡県の取り組みを先頭に全国の協会組織、帰国者の会、支援組織が取り組みを進めていますが、コロナの影響もあり協会の取り組みは遅れており、現在2万4千署名となっています。2022年1月の通常国会(1月21日予定)に向け10万署名を達成し、提出を目指すことを確認しました。今後、帰国者2世の「生活状況アンケート」を全国に広げ、多様な2世の生活実態の把握に努め、支援への国民世論を高め、帰国者2世に新支援法適用の実現に向け努力を続けていくことを話し合いました。

強制連行・強制労働による「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催

犠牲者追悼と「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」上映

日中友好協会兵庫県連合会は9月5日(日)午後、神戸市兵庫区の宝地院で「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催しました。

戦争末期、国内の労働力不足を補うため当時の日本政府は中国大陸から中国人労働者を全国で6万8千人余り、兵庫県へは約1,500人を強制的に連行し、神戸港では貨物船の荷役に、相生の播磨造船所では雑役工に強制使役し神戸で17人、相生で28人が亡くなりました。

1995年の大震災で宝地院本堂が全壊し、再建に取り組んでいたとき、1957年に関帝廟で全県的規模で行われた「殉難中国人慰霊祭」で使われた「慰霊牌」が見つかったのを機に、1998年から宝地院で始めた「中国人犠牲者を慰霊する集い」は今回で23回目を迎えました。

読経の前に、中川正興住職はコロナ禍の市中の様子やアフガニスタン問題に触れ「紛争は武力で解決することは出来ません。仏教界は世界の人々が安全で安心して暮らせる社会を願っています」と話し、参加者全員が焼香し犠牲者を追悼しました。

追悼行事の後、地階集会室で、1938年6月~10月、日本軍の「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」を上映しました。この映画は当初、戦意高揚のために作成されましたが、亀井文夫監督は、兵隊の行軍や日本軍の根拠地の様子などに加え、中国人農夫が畑を耕やしたり、大きな荷物を担ぎ避難する多数の住民、瓦礫と化した街中で使えそうな物を探す中国人の様子、行軍で疲れ果てた日本軍兵士の休む姿や寝姿も撮影しています。完成後の検閲で上映は不許可、公開禁止となり、ネガは処分され、幻の映画と言われていました。1941年に亀井監督は治安維持法違反で逮捕、投獄され監督免許をはく奪されました。

1975年に1本のポジフィルムが発見され、日本映画史上重要な作品と再認識されて、1970年代後半には全国で上映活動が行われ話題となりました。今回の上映会に参加した人は、「当時の戦記映画にしては銃弾の飛び交う音はするが戦闘場面は少なく、負傷者を運ぶ姿や兵士の厳しい任務の様子等のほか、大勢の中国人住民たちが大きな荷物を担ぎ、片手に荷物を持ち子供の手を引き避難する中国人母子の姿なども撮っていて当時の映画では珍しい貴重な映像だ」などの感想がありました。(写真上:本堂で犠牲者追悼、下:映画「戦ふ兵隊」を上映)

加古川市で平和のための戦争展開く

コロナ感染症が拡大する中でしたが、8月12日~14日、加古川市内で第22回「加印平和のための戦争展」が開催されました。展示会場では、地元の戦跡紹介や兵士の遺品などが多数展示されました。また、平和の旅を通じて得た「日本軍は東南アジアで何をしたか」の説明資料や沖縄の米軍基地についての資料、「広島から次世代へ平和のバトン展」では被爆写真や惨状を描いた絵などが展示されました。

戦争展は資料展示と開催期間中、別会場で連日講演会が開催されました。14日(土)午前の講演会で前田清氏(日中友好協会県連会長)が「日

米首脳会談と台湾問題」と題し講演しました。台湾問題について、中国は「台湾問題は核心的利益」と強く主張、米国は「『専制主義と民主主義の競争』で台湾を支援(軍事)」と表明し、日本の自衛隊最高幹部は「台湾は日本にとっても守るべき第一列島線の直ぐ西にある戦略上の要衝であり、日本防衛の最前線」と指摘している。さらに前田氏は、台湾問題をめぐる米バイデン政権と日本の菅政権の動きや日米首脳会談と日米共同声明、G7主要7ゕ国会議の内容について説明し、また台湾の歴史についても詳しく解説しました。

講演終了後、ゲストとして会場を訪れていたスオナ奏者・李拓さん(兵庫県在住の日本人高校生)が紹介され、自己紹介のあと一曲を披露しました。李拓さんは、中学生の時、両親と一緒に中国を訪れた際、スオナの演奏を間近で聞き、その音色に魅了されスオナを購入し練習を始めたそうです。昨年10月からは演奏活動を開始し、スオナの魅力を全国に伝えたいと抱負を語っていました。

好評の「中国歴史講座」

卑弥呼時代のイメージが華やかに!

日中友好協会加古川支部主催の中国歴史講座新シリーズ「古代日本人の世界観」の第2回が7月3日(土)に加古川市内で開催され市民57人が参加しました。来村多加史阪南大学教授が「卑弥呼が見た中国文化」をテーマに講演しました。

来村教授は写真や年表、地図入りの手づくり資料をもとに解説。「魏志倭人伝」に記された倭人たちの暮らしや風俗を同時代の中国(後漢・三国)と対比し遺跡の写真や挿絵を示し説明。倭の諸国の位置と戸数、風俗や物産、卑弥呼の即位の経緯、朝貢の記録などについて解説しました。

倭人の男子は、身分の高い者まで顔から全身に刺青を施し、その模様により出身地を判別する習慣があったこと。一方、中国では儒教の影響で刺青は罪人の証として用いられていた。この風習は日本では古墳時代まで続き、人物埴輪で確認できるが飛鳥時代には施さなくなったと説明しました。

また、男女の髪型と衣服については、遺跡の写真や挿絵も活用し、日中の違いを解説しました。倭人男性の髪型はマゲを露出するの対し、当時の中国の成人男性はマゲを隠すことが習慣であった。女性の髪型は、長い髪を結わず後ろへ垂らし、先を折って結ぶ髪型で「高松塚古墳の女性群像」でも明瞭です。中国の女性の一般的髪型は三種あり、小女・成人・年配の他、多様で女性のオシャレのポイントはカンザシとクシにあり、男のオシャレのポイントは腰に鍵や飾りのものをいっぱいぶら下げていた。

女性の衣服については、倭人女性は「貫頭衣」で、中国では当時、布を縫い合わせ広くゆったり」とした衣服の時代となっていた。また倭人の風習に、身体に朱丹を塗り魔除けの力があると思っていたの対し、中国人は顔に白粉(おしろい)を塗っていた。

最後に来村教授は、女王卑弥呼が魏の都、洛陽に使者を派遣した際の献上品に対する魏帝よりの贈答品の品々についても詳しく触れ、それまでは九州止まりであった精良な銅鏡が機内に及んだのは銅鏡下賜に関連する現象かも、と説明しました。

来村教授の講演を聞いた参加者からは、「今まで考えつかなっかた髪型・衣服・風俗などを知り大へん興味深かった」「卑弥呼の時代のイメージが華やかになった」「魏志倭人伝の中味がとてもわかり易く楽しい講座でした」などの感想がアンケートで多数寄せられました。

コロナにも猛暑にも負けず「平和美術展」盛況

平和を願い124人&6グループから237点の作品展示

「平和の壁に花一輪を」を合言葉に、7月21日~25日、兵庫県民アートギャラリーで開催された第54回兵庫県平和美術展には124人と6グループから237点の作品が展示され会場を訪れた人々は静かに見入っていました。

「新型コロナの感染が世界的に広がり、収束の目途がいまだに立っていません。コロナ禍で日本の医療体制の弱さが浮き彫りになったにもかかわらず、国は予算を削減しています。一方で軍事費は9年連続で増額しています。2021年1月22日に、核兵器の開発、保有、使用を禁ずる「核兵器禁止条約」が発効しました。世界で唯一の被爆国である日本は批准に背を向けています。

平和を願う私たちにとって、新型コロナの一日も早い収束を願うとともに、人権抑圧、乱開発や自然破壊、軍事など人と地球を傷つけることに抗議します。私たちは、核兵器廃絶、ジェンダー平等、平和を願い、暮らしに希望を見出せるよう、自らの表現活動を大切にし、新たな意欲で取り組んでいます。毎回、新しい出品者が登場し、新鮮な風を送ってくれています」(美術展パンフより)

第54回「兵庫県平和美術展」には、124人と6グループから237点の絵画・写真・書・新聞ちぎり絵・ちぎり絵・絵手紙・きり絵・写佛・網戸絵・絵と詩コラージュ・川柳・漫画・短歌・木版画・立体・ボビンレース・カービング・木彫・陶芸・民芸・ちりめん細工・小物・ファッション・帽子・着物リメイク・フラワーアレンジ・パッチワーク・タペストリー・クラフトの各分野からの作品が展示されました。

来年、2022年は7月27日(水)~31日(日)に開催されます。

世界から高く評価を受けている中国紅茶

渋味が少なく、茶葉本来の旨味が感じられる

中国茶講座の講師で、高級茶芸師の神田貴子さんの説明によれば、紅茶は世界中で広く親しまれ、その生産量は全世界のお茶生産量の6~7割を占めています。紅茶の発祥は中国で、はっきりした起源は不明ながら17世紀には紅茶生産が始まっていたと考えられています。最初に福建省で小種紅茶が作られ、18世紀になると、より製造が複雑で技術を要する工夫紅茶が登場し、次第に中国各地で輸出用の紅茶が生産されるようになっていきます。

現在、世界の紅茶の主流はCTC紅茶(顆粒状紅茶)で、機械で大量生産できるため、世界で生産される紅茶の6割以上がこのタイプです。その一方、中国では現在でも多くの工夫茶(カットせず葉の原型を留めたリーフティー)が作られています。工夫茶は、生産コストが高く大量生産向きではありませんが、渋みが少なく甘みが強いのが特徴で、茶葉本来の旨味が感じられるため、世界でも高く評価されています。

7月21日の「中国茶講座」は、神田貴子高級茶芸師、高級評茶員から中国茶紅茶についての詳しい説明を聞き、福建省の紅茶2種(武夷老叢紅茶・福建密桃香紅茶)、雲南省の紅茶3種(滇紅金芽針・雲南野生古樹紅茶・蝉蜒紅有機紅茶)、広東省の紅茶Ⅰ種(南嶺野生紅茶)を味わい、生産地、香り、味、湯色、茶葉の特徴などについて説明を受けました。(写真の紅茶は、雲南省の紅茶・滇紅金芽針を水出しで頂きました)

兵庫県連合会が第67回総会開く

干渉にも屈せず、自主的立場を貫いてきた歴史を教訓に運動の前進を目指す

日中友好協会兵庫県連合会は、7月4日午後、神戸市東灘区で第67回総会を開催しました。開会にあたり前田清県連会長は、来年の日中国交正常化50年を前に、1966年からの「文革」以後、1999年の中国側との関係正常化まで、協会は中国の大国主義干渉と闘い、日本人の自主的立場を貫いてきた、この運動の歴史を教訓として受け止め、真の日中友好の発展のため「中国を知る学習会」や多彩な文化活動、国民レベルの友好交流活動を積極的に展開し運動を前進させようと呼びかけました。

ゲストとして招いた中国人留学生は、コロナ禍で授業は全てオンライン、評価を受けないと大学に行けず友人とも会えません。3月に大学院を終了し、現在就活中ですが採用が制限され、面接もオンラインとなり多くの留学生が帰国を予定しています。アルバイトで凌いでいますが、この間、時短や休業でバイト収入は3分の1に減少し困っています、と現状を語っています。

総会での討議は多岐に渡り、中国問題や日中情勢、マスコミの中国報道、支部活動の現状や支部総会開催と会員を増やす取り組み、太極拳教室の現状、「中国百科検定」などについて発言がありました。総会は提案された議案を採択、新役員を選出し大会宣言を拍手で採択しました。

韓国併合時の教育にも利用された漢詩

「少年老い易く学成り難し」の作者は日本の僧侶か?

6月19日に開催された漢詩を読む会は、「『少年老い易く学成り難し』の作者について」をテーマに、丹羽博之大手前大学総合文化学部教授が講義しました。

丹羽教授は、学校の漢文授業でこの詩は朱子の作と習ったが今では朱子の作ではないというのが定説で、日本人の偽作と言われています。朝倉和氏の国文学攷一八五号の「『少年老い易く学成り難し』詩の作者は観中中諦か」を紹介、その中で朝倉氏は、この詩は漢文入門の教材として広く人々に知られ起承句が慣用句として親しまれている。この「偶成」詩は、実は朱子(朱熹、1130~1200)の作ではなく、和製で、しかも近世初期以前の禅林僧侶の手に成るか、とセンセーショナルな発表をされたのは、柳瀬喜代志氏である。さらに、岩山泰三氏は、この詩は朱熹の詩文集に見られず、室町前期の五山詩を集成した「翰林五鳳集ー三七」に「進学軒」の題で五山僧、惟肖得巌(1360~1437)の作として収録されているこを指摘された、と記されていることを紹介しています。また柳瀬氏、岩山氏の説は出典の認定が異なっており、この作者問題はいまだに流動的で、決着がついていないような印象を受けるとも述べています。

丹羽教授は、この詩は日本統治下の朝鮮半島でも広まり、朝鮮語の「勧学歌」(恐らく日本の役人の作)にも利用され、その歌詞と楽譜を紹介し、この歌を明治期の日本の唱歌軍歌「勇敢なる水兵」(明治28年頃)のメロディで歌わせ、朝鮮支配に利用していたのだろうと語りました。また21世紀のソウルの地下鉄駅にもこの詩が掲げてあったと写真を示しながら解説しました。

「漢詩を読む会」8月はお休みで次回は9月に開催します。