協会の歴史、「尖閣問題」について県連会長が講演

外交手段による話し合い解決に努力すべき問題

日中友好協会尼崎支部は5月29日、再建総会後に記念講演会を開催、前田清県連会長が「日中国交正常化50周年―日中共同声明の精神を生かして」と題し約2時間にわたり講演しました。以下は講演要旨です。

前田氏は先ず、中国について面積、人口、民族、行政区や王朝の歴史、文化などについて触れた後、友好運動を進める協会について語りました。協会が進める運動の基本は、かつて日本が中国を侵略したことへの反省のうえに立ち、日中不再戦を原点に党派を超えた国民的平和友好、交流を進める民間の草の根団体であると紹介しました。

協会創立(1950年10月)後、戦争末期に国内へ強制連行され、苛酷な強制労働で亡くなった中国人犠牲者の遺骨送還運動はじめ日中国交回復三千万署名運動を行ってきたことや中国の「文化大革命」では、日本国民の自主的運動として中国側からの大国主義干渉と闘い自主性を堅持してきたことで33年間(1966~1999年)中国側との公式交流を絶たれたこと、日本国民の自主的運動として中国側の干渉と闘う中で協会が分裂し、中国へ追従せず自主性を守った協会が「反中国」「ニセ日中」などと呼ばれた歴史についても語りました。

いま日中間の問題となり、日本国民の中国に対する感情悪化の原因となっている「尖閣諸島問題」について、日清戦争以降の歴史を解説しながら日中双方の主張や態度、沖縄との関係、さらに沖縄の施政権が日本へ返還された際の尖閣の帰属に対する米国の態度などを話しました。2010年の「漁船衝突事件」以後の日本政府の態度について、当時の石原東京都知事の米国講演での尖閣購入発言を受け、野田政権が尖閣三島国有化を行い現状変更したことで日中関係は最悪となった経緯を説明しました。

日中双方で「領土ナショナリズム」が激しくなりお互いに「固有の領土」論が飛び交い出口が見えなくなっている。前田氏は、「領土問題」の紛争解決には「譲渡(割譲を含む)・共同使用・棚上げ・戦争で決着」などあるが戦争は絶対に避けなければならない。この問題は、外交交渉により多国間または二国間の条約によって規定されるべき問題であり、友好関係を優先させるか、領土を優先させるかにある。地球・世界は一つ、人類皆兄弟、「和則共利 則闘倶傷」(和すれば共に利あり、闘えば共に傷つく)の精神で、時間はかかっても外交手段による話し合い解決に努力すべき問題であると強調しました。

中国茶講座―緑茶と花茶(ジャスミン)を味わう

緑茶と花茶(ジャスミン)の製造工程などを学ぶ

5月18日(水)、久しぶりに開催された「中国茶講座」ではこの時期にふさわしい緑茶とジャスミンの香りの花茶について神田貴子高級茶芸師から製造工程や茶葉の特徴などについて説明を受け、緑茶2種(西湖龍井茶・太平猴魁)と花茶3種(茉莉茶王・茉莉精針王・茉莉龍珠)を味わいました。

緑茶や花茶は漢方では涼性に属し、体内にこもった熱や不要な水分を排出する効果があります。また、花茶に使われるジャスミンの香りには鎮静作用やリラックス効果があるため、この時期、気象病(気圧や湿度の変化に伴う頭痛やめまいなどの症状)に悩まされる方には、不快な症状を緩和する効果が期待できます。

次回「中国茶講座」は7月20日(水)午後1:30~開催予定

白楽天「新楽府」より二首を読む

中唐詩人・白居易(下邽の人、字は楽天、772~846)

4月16日(土)午後開催した「漢詩を読む会」は前回に続き「蚕婦詩の世界」をテーマに丹羽博之大手前大学総合文化学部教授の解説で白楽天の「新楽府」より二首を読みました。

白楽天は、十五歳の頃から科挙の受験勉強に励み二十九歳で進士科に及第、及第者中最年少であった。その後、翰林学士、左拾遺の官を歴任。四十三歳の時、母の喪が明けた翌年宰相武元衡暗殺事件が起き、犯人逮捕を上奏したことが越権行為として咎められ、江州(江西省九江)に左遷された。

左拾遺在職中から始めていた「新楽府」「秦中吟」などの諷喩詩が権力者たちからの憎しみを買っていたことも理由の一つと言われています。4月16日の漢詩を読む会では「新楽府」五十首の中から蚕婦の労苦を詠った二首、蚕桑の費を憂う「紅線毯」、女工の労を念う(おもう)「繚綾」を読みました。何れも22句、23句と長い詩であり、「紅線毯」の最後の六句を紹介します。

百夫同擔進宮中 百夫同じく担いて宮中に進む

線厚絲多巻不得 線厚く糸多くして巻き得ず

宣城太守知不知 宣城の太守知るや知らずや

一丈毯用千兩絲 一丈の毯千両の糸を用うるを

地不知寒人要暖 地は寒を知らざるも人は暖なるを要す

少奪人衣作地衣 人衣を奪いて地衣と作す少かれ

※次回「漢詩を読む会」は2022年6月11日(土)、東灘文化センター8階会議室3で開催します、テーマは決まり次第お知らせ致します。(4月16日は中国人留学生2人も参加しました)

尼崎で「中国問題講演会」を開催

中国と日本が世界平和の原動力に!

3月20日(日)午後、日中友好協会尼崎支部準備会は尼崎市内に山本恒人大阪経済大学名誉教授を迎え、「どうなる?日本と中国」をテーマに講演会を開催し市民約40人が参加しました。講演に先立ち地元の「年金者ヒューマンがくだん」のメンバー6人による歌や楽器演奏が行われました。

協会は「東シナ海を平和の海」にするための対話を訴えている

山本教授は、31ページに及ぶ資料をもとに講演、はじめに日中友好協会の今について、「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を断じて許さず、紛争を平和的手段で解決し、武力に決して訴えないことを求める」2月27日に発表した協会理事長談話を紹介しました。そして今年は1972年の日中国交正常化から50年の歴史的な節目の年であり、改めて日本の侵略戦争と戦後の中国敵視政策を清算し、日中両国による日中共同声明の精神を踏まえ、不再戦を柱として友好運動を進めていること、併せて尖閣や台湾の「有事」を強調し日米軍事同盟の強化が進み、軍事的な対立の最前線に立たされている沖縄の現地からは「日本の安全を確保しているのは日米安保条約ではなく、日中共同宣言と日中平和友好条約だ」との声さえあがっているとことを紹介し、協会は「東シナ海を平和の海」にするための対話を進めることの大切さを訴えていることを強調しました。

三つの歴史決議で総括し、未来志向の二つ目の百年に向かう

中国について山本教授は、二百年の刻苦を経て亡国の淵から復興へと題し、中国共産党結党以来の1921年~2020年の百年における奮闘が中国自体と世界に巨大な歴史的変化をもたらしたとして中華人民共和国成立時の第1の歴史的決議(1945年)、文革を総括した第2の歴史的決議(981年)、その歴史的経緯を踏まえ、未来志向の二つ目の百年を示す第3の歴史決議(2021年)について資料を示しながら解説しました。

二つ目の百周年の目標について、二段階に分けて推進するという戦略的配置を行っている。2020年~2035年は社会主義現代化を基本的に実現し、2035年から今世紀半ばまでを社会主義現代化強国に築き上げる。物質文明・政治文明・精神文明・社会文明・生態文明が全面的に向上し、国家統制体系・統治能力の現代化を実現し、総合国力も国際的影響力もトップレベルに達し、全人民の共同富裕が基本的に実現し、人民がより幸せで安心な生活を送ることを目指すというものです。

中国共産党の全面的指導の徹底について

中国における「一党支配」体制、「中国共産党の全面的指導」の徹底について、「歴史決議」文中に、「先進諸国が数百年かけて歩んだ道を僅か数十年で駆け抜けて」きたという文言を紹介しました。欧米や日本の諸列強国の帝国主義侵略により、亡国の淵に立たされた中国は、国民を総結集して近代国民国家を築き上げ自立できるよう、国民党の孫文から共産党に至るまで、政党と国家が一体化する「党国体制」という強力な集権的政治体制の構築に努めました。その結果、全土支配を目論んだ日本に対して国民総動員の抵抗を築いて勝利した後、近代国民国家としての中華人民共和国建国建国に至りました。建国後も厳しい国際環境や国土開発の課題達成のために、強力な指導性とナショナリズムのもとで国民と共に困難を克服してきたためこの道しかないという考えにたっていると思われると山本教授は語ります。

米国の対中政策と香港・台湾の「一国二制度」

さらに山本教授は、米国のバイデン政権の対中政策、台湾問題、香港問題について、日本をはじめ同盟諸国との関係強化により中国の孤立化を推進しようとしていること、台湾問題について「一つの中国」をを堅持すると唱えつつ「有事に備える」台湾との提携強化により台湾海峡の軍事的緊張を作り出している。米中国交回復の1979年1月1日、中国全人代常務委員会は「台湾同胞に告げる書」を発表、「統一問題を解決するにあたり、台湾の現状と台湾各界人士の意見を尊重し、情を重んじた合理的な政策と方法を採用し、台湾人民に損失を蒙らせない」ことが強調され異なる体制を超えた融和、共存、の「一国二制度」の原型となったものです。中国が真剣に台湾との平和的統一を台湾方式「一国二制」で実現しようとするなら、「一国二世」否定に等しい「香港国家安全維持法」の施行を停止し、改めて資格をはく奪された議員を復帰させた上で香港立法会での審議に委ねること、また同時に香港行政長官選出の完全普通選挙を実施することが求められると語りました。

中国が東アジアと世界に向けリーダーシップを発揮する存在へ

最後に山本教授は、中国が東アジアと世界の「平和・反核・軍縮・自由と民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮する存在となる用件は何かについて、明治日本以来の中国・東アジアへの日本の侵略と加害の「歴史の克服」は日本国民共通の課題であり、それをふまえた「日中不再戦」運動の実態となるものです。単なる観察者にとどまることは反歴史的といえます。アメリカのジャパン・ハンドラーが時の安倍政権に迫って「専守防衛」の壁を取り払って集団的自衛権に基づく新安保体制を発動させ、アメリカの指揮下に自衛隊が陸海空一体となる日米共同演習が沖縄・南西諸島・本土でも常態化し、憲法改悪さえ具体日程に上っています。今回のロシアのウクライナ侵攻に乗じて「核の共有論」まで飛び出す始末。これにストップをかけるのは私たちの責任です。中国が東アジアと世界における「平和・反核・軍縮・自由と民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮する時代を迎える大きな支えとなるでしょう。日本と中国の間には「日中共同声明」と「日中平和友好条約」という国交正常化以来の貴重な財産があり、民間には草の根の友好運動という営みがあります。

兵庫の「語りつごう戦争」展に市民300人が参観

マスコミ各社が大きく報道

12月8日~12日、「子どもたちと戦争」をテーマに、兵庫の「語りつごう戦争」展が神戸市兵庫区の妙法華院で開催されました。実行委員会からの報告を紹介します。

今回で44回目となる「兵庫の『語りつごう戦争』展は、12月8日~12日までの5日間開催しました。今年はNHKが、私たちが取材した引率教師の日記に基づいて展示開催の報道、及び展示の紹介の報道を12月7日、8日と2日にわたり行ったこと、毎日新聞、神戸新聞、朝日新聞の報道、特に毎日新聞、神戸新聞に展示内容が大きな紙面を割いて報道されたこともあり、連日活気ある展示会となりました。

参観者は延べ300人、並行して開いた「戦争体験を語る会」には4回で累計約80人、「12・8のつどい」には16人が参加しました。開催にあたり、物心両面のご支援を頂いた方々にご報告し、御礼申し上げます。

今年は、「子どもたちと戦争」をテーマに、子どもたちが直接体験したことは「疎開」ではないか、ということで神戸市立小野柄国民学校(現・中央小学校)が疎開した赤穂郡上郡町の黙笑寺へ取材に行き、提供された「引率の先生の日記、スケッチブック」を中心に、神戸市立須佐国民学校(現・明親小学校)の児童が書いた作文集「疎開生活壱か年のあしあと」、神戸市立山手国民学校(現・中央小学校)集合写真や疎開生活の写真など、取材し提供されたものを展示しました。

戦争は全ての国民を巻き込むもので、決して反対者を許さず、国民の意識を戦争に集中させるため、教育・マスコミ・近隣コミュニティを総動員したという歴史の事実。戦争の惨禍を忘れないだけでなく、戦争体制がつくる軍国社会・暗黒社会の怖さも知ってもらいたいです。「12・8のつどい」では、後藤浩氏の講演で「沖縄の今!」と」題して、沖縄の直面している問題の打開へ向けて様々な角度から学習しました。「戦争体験を聞く集い」では、学童疎開の経験をはじめ、「兵庫から伝えたいヒロシマ・平和」、「父の戦争体験」、「母から伝え聞く沖縄戦」と4名の方々からお話しを聞きました。また2005年から同時開催している「平和色紙展」へ58点の出展を頂きました。

兵庫の「語りつごう戦争」展実行委員会

岩茶の品種、生産区について学ぶ

核心地区で採れた正岩茶は超高値で取引

12月15日開催の「中国茶講座」は前回に続き武夷岩茶ーPart2として6種の岩茶が紹介されました。テイスティングの前に神田貴子高級茶芸師、高級評茶員から岩茶の品種、ブランド生産区について紹介がありました。

岩茶の主要品種は大紅袍、肉桂、水仙でマイナーなものを含めると200種以上あると言われています。ブランド生産区は牛欄坑、慧苑坑、倒水坑、流香澗、悟源澗の5つの生産区と慧苑岩、天心岩、馬頭岩、竹窠、九龍窠、三仰峰、水簾洞と呼ばれる茶区を合わせた一帯は岩茶の核心地区と呼ばれています。

当日は、大紅袍(武夷山)、向天梅(武夷山)、水簾洞水仙(武夷山水簾洞)、慧苑坑肉桂(武夷山慧苑坑)、正岩雀舌(武夷山市)百瑞香の6種が紹介され百瑞香を除く5種の香り、湯色を楽しみながら試飲しました。(写真:慧苑抗肉桂の湯色、点てた後の茶葉)

次回「中国茶講座」は2022年2月16日(水)13:30~開催します。参加予約受付ています。☎078-412-2228(12/29~1/5休み)E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

世界遺産・武夷山の岩茶を味わう

芳しい香りと濃厚で芳醇な味わいの岩茶を紹介

11月17日午後、「中国茶講座」を4カ月ぶりに開催しました。「お茶どころ武夷岩茶」をテーマに講師の神田貴子高級茶芸師が世界遺産・武夷山を擁する中国茶の産地福建省について紹介、亜熱帯の温暖な気候と降雨量が年間2000mmもあり、面積の65%が!森林という環境がお茶栽培に大へん適した地域であること。岩茶について、福建省北部の武夷山で生産される烏龍茶を指し、露出した岩肌の谷間や窪みなどに茶樹が植えられているため岩茶と呼ばれています。

茶葉は茶褐色、湯色はオレンジ色や茶色になります。焙煎による芳しい香りと濃厚で芳醇な味わい、後味の甘さ等が特徴で、品質の良い岩茶は「岩韻」と呼ばれる岩茶特有の風味や余韻が感じられると話し、6種の岩茶についてその特徴を紹介し「武夷水仙」「武夷肉桂」「大紅袍」「正岩雀舌」「百瑞香」の5種を味わいました。

次回は12月15日(水)午後1:30~「岩茶ーPart2」を開催します。

漢詩を読む会を再開しました

来鵠の桑を採る苦労を詠った「蚕婦」を読む

第28回「漢詩を読む会」は講師の丹羽先生がケガで入院されたため9月開催を延期していました。先生が無事快復され12月4日(土)、神戸市立東灘区文化センターで約半年ぶりに開催しました。丹羽博之大手前大学教授が「蚕婦詩の世界」をテーマに講義しました。丹羽教授は、先ず絹をつくり出す厳しい労働の様子を知るためとして映画「あゝ野麦峠」の一部を映し解説しました。

当時の時代背景や製糸工場で働く女工の厳しい労働や寮生活の劣悪な環境などについて映像を見ながら話しました。澁澤栄一が掛け軸に書いたという来鵠(晩唐の詩人)の七言絶句「蚕婦」を写真で紹介し詩を読みました。

曉夕採桑多苦辛 暁夕桑を採りて苦辛多し

好花時節不閒身 好花の時節閑ならざる身

若教解愛繁華事 もし繫華の事を愛するを解せしむれば

凍殺黄金屋裏人 凍殺せん黄金屋裏の人

次回の「漢詩を読む会」は2022年2月19日(土)です。

「夢コンサート」二胡の音色が心に響く!

来日後の苦労が自作の曲に、参加者の胸に迫る!

日中友好協会東神戸支部は11月21日午後、神戸市東灘区で「日中友好夢コンサート」を開催し50人が参加しました。コンサートは、来日30周年を迎え各地で演奏活動や二胡教室を主宰し活躍されている王秀華さん、美華さんの母娘が二胡を演奏し、中国の曲、日本のヒット曲、秀華さんオリジナル曲など合間に語りを交えながら10曲を美華さんんと共に演奏しました。二胡の優しい音色に参加者は「想像していた以上に、とても胸に届く演奏でした」「ぐっと胸にせまるものがありホロリ・・とした」「娘さんとの共演で、かたくなくアットホームでよかった」「オリジナル曲の『道』に対する思いを感じました。ご苦労なさったのですね。私は引揚者で、共感しました」などの感想が寄せられています。

二胡とは、中国の弦楽器。中央に長い棒(さお)を立て二弦を張って弓で鳴らす胡弓の一種。胴は円筒または六角筒で蛇皮をはる。高音の胡琴よりは一オクターブ低く、低音の四胡(四弦)とほぼ同じ音域。京劇の文戯(世話物)の主要伴奏楽器。民間の合奏、歌や語り物の伴奏にも広く用いられる。(夢コンサートパンフより)

中国残留日本人の歴史を辿る

長野県河野村開拓団の悲劇を記録映像と講演で伝える

尼崎市主催、委託事業団体コスモスの会日本語教室が運営し11月20日(土)に尼崎市内で開催された第7回「中国残留日本人への理解を深める集い」は140人が参加しました。集いは、信越放送が制作したドキュメンタリー映像「決壊-祖父が見た満州の夢」上映のあと、劇作家・精神科医の胡桃澤伸さんが「河野村開拓団と祖父と私」と題して講演しました。

胡桃澤伸さんは、若くして長野県河野村の村長となり家族のため、村のため、国のために職務を行っていた祖父の胡桃澤盛が国策による分村政策を実行し村から開拓団を「満州」へ送り出しました。敗戦直後の混乱の中で幼い子どもを含む開拓民73人が集団自決したことへの自責の念にかられ敗戦の翌年自宅の自室で自殺したことを知り、そのことをどう受け止めてよいのかわからなかったとの思いを語りました。

祖父が遺した何冊もの日記について、胡桃沢伸さんは、読まなくてはならないとは思いながもどうしても読みたくなかった気持ちを話し、しかし、祖父が遺した日記は戦争を知らない自分たちに大切なことを伝えようとしていると気づき、寄贈した地元歴史研究会が日記をまとめた本を読み、映画化を引き受けるに至った経緯を語りました。映画製作の中で開拓団の人たちが自決した中国東北地方を慰霊訪問し、開拓団入植により自宅と農地を奪われた中国農民の家を訪れ、直接当時の話を聞いたことが自身の考えを変える機会となったと語りました。

入植してきた日本人に家と農地を奪われ、近くの草ぶきの家に移り住み、荒れて痩せた土地を耕し乏しい作物で命をつないできた話を聞いた時、強く頭を殴られたような気がしたと、開拓団の人たちは日本の中国侵略の被害者ではあるが、中国の人々への加害者にさせられていたことをはっきり感じたと語りました。祖父は当時自治体の長として中国への侵略政策に加担し多くの犠牲を出した責任を死で償う道を選ばず、生きて責任をとるべきだったのではないかとの思いを語りました。

講演の後、兵庫県出石郡高橋村(現・豊岡市但東町)からの農業移民として戦争末期に中国黒龍江省へ渡った大兵庫開拓団約500人の内、298人が敗戦直後、逃避行が困難と判断し、2人づつ体を背中合わせに縛り増水した川に身を投げ集団自決した人達の内、現地の中国人に助けられ辛うじて命をつなぎ帰国した団員の二世3人が胡桃澤伸さんと対談しました。開拓団員2世の方々は、親たちの悲劇、当時の惨状、生きて帰った人たちが故郷の村で孤独で厳しい生活を送ってきたことなどを生々しく語りました。また今を生きる若い人達にこの悲惨な歴史を語り伝え、当時の様子を描いたスライド画像を映して伝えていることも紹介されました。会場ロビーでは開拓団の歴史や年表、入植地図、高橋村・大兵庫開拓団の入植地の写真などが展示されました。