佟岩先生の日中漢字比べ

「撒」と「洒」と「澆」

中国では豆やビラを撒く時は「撒豆」「撒伝単」というが、水を撒く時は「洒水」または「澆水」という。どう違うのだろうか。

「撒く」は「手」と「散」からなり、手で撒き散らすという意味だ。昔は「散」の字を使っていた。日本では今も「散水」という。でも人が手で撒くことができるのは、豆やビラなどの個体である。「散水」といっても実際は、手ではなく、如雨露(じょうろ)や柄杓(ひしゃく)で撒いている。だから中国では液体を撒く時はあまり「撒」は用いない。

液体の撒き方にも、いろいろある。「洒」は「水」と「西」からなる。「西」は酒を漉すための竹籠だ。竹籠は目がたくさんあり、漉された酒はあちこちの目から散らばって落ちる。庭でも道でも畑でも、広い所にあちこち水を撒き散らすのが「洒」である。

一方、「澆」は「水」と「堯」からなる。「堯」は土を高く盛り上げた様子を指し、「澆」は高い所から一か所に水が注ぎこまれることだ。「澆」は、日本語でいえば「注ぐ」に近い。「澆花(花の水やり)、「火上澆油(火に油を注ぐ)」のように用いる。中国語が母語であれば無意識に使い分けているが、外国語学習では使い分けが急に難しくなる。(佟岩先生:西日本華文教育者協会理事・日中友好協会兵庫県連合会中国語講座講師)

「日中友好新聞」(月2回発行、購読料400円/月、送料126円)2021年10月15日号より抜粋

中国「残留日本人孤児」の日本語教室再開

5か月ぶりに笑顔で再会、会話がはずむ

神戸市と明石市の委託事業として中国帰国者向け日本語教室を開催している中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会は、コロナ感染症拡大の影響で今年5月以降休講していた日本語「本山教室」と「明石教室」を10月7日(木)に再開しました。

再開初日の7日、「本山教室」には残留孤児と残留婦人2世の6人、スタッフ、ボランティア11人が参加し久しぶりの無事再会を喜び合いました。教室は週1回開催で、2つのグループに分け、半数づつが隔週交互に参加します。7日の教室は漢字の読み書き(1)を中心に、スタッフが用意した下記の会話文のようなプリントをテキストに日本語文の漢字の読み書きと使い方をスタッフ、ボランティアのアドバイスを聞きながら学んでいました。次週はもう一つのグループが参加し学習することになっています。

「三ノ宮まできたいんですが、バス電車とどちらがいといますか。・・・・・電車いといます

中唐の詩人・張籍の「秋思」を読む

秋風の気配を感じ望郷の念にかられる

「張籍」(768~830?)字は文昌、和州烏江(安徽省)の人とも蘇州呉(江蘇省)の人とも言われる。汴州(河南省)における進士の予備試験で、才能を試験委員の韓愈に認められて首席に選ばれ貞元十五(799)年、31歳の時、一度で及第。国子博士、国子司業、水部員外郎などを歴官している。

韓愈門下の詩人であるが、詩風は白居易・元稹に近く、元和体という社会派の詩風を確立して同じ韓愈の党人王建と楽府に新機軸を出し、世に「張・王の楽府」と併称された。白居易からは「尤も楽府の詩を工みにす、代を挙げてその倫(ともがら)少(まれ)なり」と讃えられている。(石川忠久編「漢詩鑑賞事典」より)

秋 思(秋の思い) 張籍 七言絶句

洛陽城裏見秋風 洛陽城裏秋風を見る

欲作家書意萬重 家書を作らんと欲して意い万重

復恐怱怱説不盡 復た恐る怱怱説いて尽きざるを

行人臨發又開封 行人発するに臨んで又封を開く

・洛陽:河南省洛陽市 ・城裏:まちの中

・意萬重:つのる思いに、あれこれ書きたくなること

・怱怱(そうそう):あわただしいこと

・説不盡:言い残しがある 

・行人:旅人(ここでは手紙を託す人)

「漢詩を読む会」は現在、丹羽博之先生が怪我で入院治療中のため休講しています。心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早いご快復をお祈り申し上げます。(漢詩を読む会参加者一同)

2022年版カレンダー「中国悠久の旅」普及開始

好評の写真で訪ねる中国へ12か月の旅

長引く新型コロナウイルス感染症の拡大により、中国への観光旅行が難しくなっています。日中友好協会は毎年中国の素晴らしい自然、歴史的遺産、少数民族、街の風景などの写真を紹介するカレンダー「中国悠久の旅」を企画制作し広く提供しています。2022年版が完成し、10月より普及活動を始めます。カレンダーで見る12か月の旅をぜひお楽しみ下さい。

カレンダーは到着しています、予約受付中!

●使いやすい中綴じタイプ B4判 縦257㎜横364㎜  

●写真13枚(表紙含む) 表紙:五四広場

兵庫県の会員が撮影した写真が採用されています!

7月:「川漁師」(湖南省)叶養之助さん(姫路支部)

8月:「小ポタラ宮」(河北省)田中雅昭さん(垂水支部)

1月:松賛林寺 2月:ウイグル族新年の祈り

3月:蓮池潭の龍虎塔 4月:鳴沙山 5月:ハニ族(雲南)

6月:東巴文字が描かれている旧市街 7月:川漁師

8月:小ポタラ宮 9月:陸家嘴 10月:野柳地質公園

11月:満州里駅舎 12月:陽朔の夜市

●定価:1,200円(税込) 郵送料:1部 510円

●予約、申込み先

日本中国友好協会兵庫県連合会

〒658-0003 神戸市東灘区本山北町3丁目4-9

甲南ビラ201号 Tel&Fax:078-412-2228

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

第10回百科検定に向け「中国を知る学習講座」

5回連続講座で中国を正しく知ろう!

第10回「中国百科検定」が11月27日(土)に全国22会場で一斉に実施されます。協会兵庫県連合会は、今年3月に続き今回も神戸市中央区の兵庫県民会館で検定を実施します。検定に向け連続5回の「中国を知る学習講座」を企画しました。中国を正しく知ることが日中両国民の友好へとつながる第1歩となります。検定受験の如何にかかわらずどなたでも参加できますので中国をもっと詳しく知りたいと思われる方はこの機会にぜひご参加下さい。

 ●10月16日(土)「中国の地理」

 ●10月30日(土)「中国の歴史」

 ●11月12日(金)「中国の政治・経済」

 ●11月23日(火・祝)「文化・芸術・風俗習慣」

・講師:前田清(協会兵庫県連会長)

・時間:毎回 14時~16時

・会場:日中友好協会教室(JR摂津本山駅北口を線路沿いに東へ徒歩約1  分、甲南ビラ2階201号室、阪急岡本駅を南へ徒歩約6分、山手幹線道路南)

・資料代:200円

連絡先:078-412-2228(月~金10時~19時)

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

長編ドキュメンタリー映画「ヒロシマへの誓い」

  • 芦屋非核平和都市宣言36年、被爆76年・非核平和祈念のつどい

「ヒロシマへの誓い―サーロー節子とともに―」上映会

2021年核兵器禁止条約発効が実現します!その大きな原動力として世界で最も尊敬される女性の一人となったサーロー節子の原点を探ったドキュメンタリ―がついに登場しました。

長編ドキュメンタリー映画「ヒロシマへの誓い―サーロー節子とともに」上映会

日時:2021年10月15日(金)14:00~16:00

会場:芦屋市民センター401JR芦屋駅西へ徒歩約6分

参加協力費:500円(高校生以下無料)

先着100人まで マスク着用でお願いします

〈サーロー節子さんのプロフィール〉

広島女学院高等女学校在学中に学徒動員先にて被爆。世界各地にて英語での被爆証言活動を続け、ICAN発足当時よりICANを代表して国連や国政会議にて被爆者としての体験を語り、多くの人に影響を与えている。

主催:芦屋非核平和のつどい実行委員会

連絡先:事務局 Tel&Fax:0797-31-6634(福田)

共催:芦屋市原爆被害者の会

協賛:原水爆禁止兵庫県協議会/比較の政府を求める兵庫の会/平和と民主主義をすすめる芦屋西宮の会

中国帰国者二世支援活動オンライン交流会

「請願署名」と「生活状況アンケート」に取り組む

日中友好協会本部主催の「中国帰国者二世支援活動交流会」が9月18日オンラインで開催され全国の協会組織から60人が参加しました。このオンライン交流会に兵庫県連合会から7人が参加しました。

交流会は初めに、本部帰国者委員会から基調報告がありました。二世の「生活状況アンケート」から見えてくるもとして、93人の2世の実態を分析された浅野慎一神戸大学教授(中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会代表)の講演内容(8月20日)と協会福岡県連合会に寄せられている37通のアンケートの特徴的な内容、2世の要求実現の運動をどう進めるか、などについての提案を受け、参加者から各地の帰国者支援状況や支援活動の特徴点などについて率直な意見を出し合い交流しました。

請願署名は現在、福岡県の取り組みを先頭に全国の協会組織、帰国者の会、支援組織が取り組みを進めていますが、コロナの影響もあり協会の取り組みは遅れており、現在2万4千署名となっています。2022年1月の通常国会(1月21日予定)に向け10万署名を達成し、提出を目指すことを確認しました。今後、帰国者2世の「生活状況アンケート」を全国に広げ、多様な2世の生活実態の把握に努め、支援への国民世論を高め、帰国者2世に新支援法適用の実現に向け努力を続けていくことを話し合いました。

「戦時体験からの考察」オンライン講演会

「ヒロポン」と「特攻」女学生が包んだ「覚醒剤入りチョコレート」 梅田和子さんの戦争体験からの考察

「オンライン講演会」

日時:2021年10月3日(日)19:30~21:40

講師:相可文代さん(元大阪府中学校社会科教師)

オープン講演会 40分×3コマ

前半30分講演(休憩5分)後半30分講演視聴

質疑応答 30分  参加費:無料

申込み:氏名・メールアドレス・住まいの都道府県名・所属団体などを明記の上下記アドレス宛メールでお申込み下さい。

お申込みアドレス:uketugu@kansai.email.ne.jp

撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部事務局

元大阪府中学校社会科教員の相可文代さんが今年5月に『「ヒロポン」と「特攻」女学生が包んだ「覚醒剤入りチョコレート 梅田和子さんの戦争体験からの考察」』の冊子を発行されました。戦時中、女学生に校内で覚醒剤入りのチョコレートを包装させていたとは・・・特攻任務の酒の飲めない若い兵隊に有難いものだと「菊のご紋」までつけて飛び立つ前に食べさせていたとは・・・どこまで酷いのでしょうか・・・。

高槻地下倉庫についての記録もあり、梅田和子さんが目撃した戦時中の朝鮮人強制労働の現場や日本人下士官による朝鮮人労働者に対するリンチなどについても記載されています。冊子は大反響で、相可さんから直接お話を聴きたい方が多くおられると思いますが、コロナ禍でライブ集会は開催できませんが、オンラインで講演が視聴できるこの機会に是非ご参加下さい。参加は事前登録制となっています。

冊子「ヒロポンと特攻  女学生が包んだ覚醒剤入りチョコレート」

この冊子は、現在90歳の梅田和子さんの戦争体験をまとめ、そこから「ヒロポンと特攻」というテーマを掘り下げたものです。アジア・太平洋戦争の末期に、日本軍は「特攻」作戦を行いました。特攻兵にはさまざまな形で「ヒロポン」(覚醒剤)が提供され、興奮状態で米軍の戦艦への体当たりが強制されました。酒に混ぜたり、チョコレートに入れられていたものもありました。

「覚醒剤入りチョコレート」は、旧制茨木高等女学校(現・府立春日丘高校)で女学生が包んでいました。茨木高女は学校全体が軍需工場として陸軍に接収されていたのです。さらに梅田さんは途中で高槻地下倉庫での勤労動員を命じられました。地下倉庫では多くの朝鮮人が働かされており、梅田さんは日本軍の下士官たちが朝鮮人をリンチする現場も目撃しています。

冊子は1冊 500円(10冊以上は送料無料)お申込みは下記へ

o-fumiyo@kdt.biglobe.ne.jp

「9・18 満州事変」から90年

中国侵略15年戦争の始まりとなった「満州事変」

中国東北部に駐留していた日本の関東:軍は、1931年9月18日、奉天(現・瀋陽)近郊で、日露戦争後にロシアから譲渡され日本の南満州鉄道(株)が経営していた鉄道線路が爆破され、関東軍はこれを中国軍の仕業(戦後、関東軍の謀略と判明)として軍事行動を起こしました、これが柳条湖事件(「満州事変」、中国呼称は9・18事変)です。当初、日本政府は不拡大方針をとっていましたが、後に関東軍の軍事行動を容認します。(写真下は線路爆破現場)

関東軍は「満州」各地を軍事力で占領し、1932年日本の傀儡国家「満州国」を建国させました。これに対し、国際連盟の会合で加盟各国から非難され、国際社会で孤立した日本は国際連盟を脱退、以後、侵略戦争拡大へ突き進み、1937年7月7日の盧溝橋事件を契機に中国全土へ戦火を拡大、1941年12月8日にはアジア・太平洋戦争へと更に拡大し、2,000万人を超すアジアの人々の命を奪い、資源を略奪、国土を破壊しました。この侵略の歴史を忘れず、加害国の国民として、事実を語り伝え、二度と過ちを起こさせないと誓うことが真の信頼回復、友好へつながる道ではないでしょうか。(U)

強制連行・強制労働による「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催

犠牲者追悼と「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」上映

日中友好協会兵庫県連合会は9月5日(日)午後、神戸市兵庫区の宝地院で「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催しました。

戦争末期、国内の労働力不足を補うため当時の日本政府は中国大陸から中国人労働者を全国で6万8千人余り、兵庫県へは約1,500人を強制的に連行し、神戸港では貨物船の荷役に、相生の播磨造船所では雑役工に強制使役し神戸で17人、相生で28人が亡くなりました。

1995年の大震災で宝地院本堂が全壊し、再建に取り組んでいたとき、1957年に関帝廟で全県的規模で行われた「殉難中国人慰霊祭」で使われた「慰霊牌」が見つかったのを機に、1998年から宝地院で始めた「中国人犠牲者を慰霊する集い」は今回で23回目を迎えました。

読経の前に、中川正興住職はコロナ禍の市中の様子やアフガニスタン問題に触れ「紛争は武力で解決することは出来ません。仏教界は世界の人々が安全で安心して暮らせる社会を願っています」と話し、参加者全員が焼香し犠牲者を追悼しました。

追悼行事の後、地階集会室で、1938年6月~10月、日本軍の「武漢作戦」に従軍し撮影された戦記映画「戦ふ兵隊」を上映しました。この映画は当初、戦意高揚のために作成されましたが、亀井文夫監督は、兵隊の行軍や日本軍の根拠地の様子などに加え、中国人農夫が畑を耕やしたり、大きな荷物を担ぎ避難する多数の住民、瓦礫と化した街中で使えそうな物を探す中国人の様子、行軍で疲れ果てた日本軍兵士の休む姿や寝姿も撮影しています。完成後の検閲で上映は不許可、公開禁止となり、ネガは処分され、幻の映画と言われていました。1941年に亀井監督は治安維持法違反で逮捕、投獄され監督免許をはく奪されました。

1975年に1本のポジフィルムが発見され、日本映画史上重要な作品と再認識されて、1970年代後半には全国で上映活動が行われ話題となりました。今回の上映会に参加した人は、「当時の戦記映画にしては銃弾の飛び交う音はするが戦闘場面は少なく、負傷者を運ぶ姿や兵士の厳しい任務の様子等のほか、大勢の中国人住民たちが大きな荷物を担ぎ、片手に荷物を持ち子供の手を引き避難する中国人母子の姿なども撮っていて当時の映画では珍しい貴重な映像だ」などの感想がありました。(写真上:本堂で犠牲者追悼、下:映画「戦ふ兵隊」を上映)