こども京劇プロジェクト

孫悟空天界で大暴れ―在日京劇団「新潮劇院」公演

日時:2020年1月13日(月・祝)開演14:00(開場13:30)

会場:葺合文化センター大ホール(神戸市中央区旗塚通)

対象年齢3歳以上 定員:160人 子どもでもわかる字幕付き

一般500円/大学生以下無料(要予約)

ワークショップ:1月11日(土)、12日(日)9:30~15:00

会場:神戸芸術センター・StuidioR(神戸市中央区熊内橋通)

対象年齢3歳以上  定員:20名(大人だけの参加も可能)

参加費:一般6,000円/大学生以下2000円

主催・申込み:一般財団法人 日本京劇振興協会

☎080-4478-7009(梅木)https://www.shincyo.com

後援:中国大使館文化部/神戸市/神戸市教育委員会

講演「中華人民共和国建国70周年を考える」

協会は中国をどう評価し、どう付き合うか?

日中友好協会東神戸支部は12月15日午後、神戸市内で支部総会、「記念講演会」を開催しました。記念講演会は、井上久士本部会長(駿河台大学教授)が「中華人民共和国建国70周年を考える」と題し講演しました。

井上教授は、波瀾万丈の中国近代史を紹介する中で、200年前の世界について語り、1820年の世界国別GDP推計の表を示し、当時の中国(清朝時代)のGDPは世界の28.7%(GDPの世界総計に占める割合、人口の世界総計に占める割合は35.5%)でインド、フランス、英国と続き日本は第6位の3・1%、米国は1.8%の第9位にあった。

アヘン戦争以降、欧米列強や日本の侵略によりその割合は激減し「東亜病夫」(ひん死の病人)などと侮辱され屈辱感を味わうこととなる。その後の中華民国、中華人民共和国にあっても「悔しさ」が土台にあった。列強国の中でも、「大日本帝国」が特に嫌われるのは、中国が立ち上がろうとしていた時期に侵略し強力な軍事力で暴虐の限りを尽くし、その被害の大きさと戦争責任の曖昧さにあると語りました。

中華人民共和国建国について井上教授は、「鉄砲から政権が生まれた」のか?と問いかけ、事実はその様な簡単なことではない。中国の人々は大へんな苦労をしている。中華人民共和国建国と東西対立の国際的な状況、日中友好協会結成の歴史について話しました。また、中国の「文化大革命」について、「文革」とは一体何だったのか、その特徴について語りました。

日中友好協会の立場について井上教授は、1966年10月以後33年間、協会と中国との交流が断絶したのは、毛沢東や「文革」の評価をめぐって関係が断絶したのではなく、原因は、中国側による日本国民の自主的運動への干渉行為、分裂組織(日中友好協会「正統本部」、現・公益社団法人日中友好協会)をつくり、日中友好協会を「ニセ日中」などと呼んで攻撃したことにあると語りました。

協会と中国側の関係は1999年10月に中国国際交流協会との関係が修復し、2000年に中日友好協会との関係が正常化しました。その内容は、①「文革」時の干渉の事実を中国が認める②自主・平等・内部問題不干渉の原則を守る。日中友好協会の教訓として、建国以来、中国発展への期待が強かった・中国革命の歴史から日本も学ぼうとする意識がかなりあった・反面、中国の国内問題への冷静な分析(例えば大躍進政策)は非常に弱かったと指摘しました。

日本の戦争責任と中国の「文革」責任について、国民を分断した点で似た所はある。最近の動きにふれ、尖閣諸島海域への中国公船の度重なる侵入・香港の運動・多数のウイグル人を強制教育施設へ収容などの人権問題はあるがこれらは「文革」時期の日本国民の運動への干渉とは全く違うものと語りました。最後に、この40年で中国は急速に大国になった。世界に与える影響もそれだけ大きくなった。本当の大国として、中国は王道を歩んでもらいたい。中華民国の創始者、孫文の言葉を思い出すべきであると語り講演を終え、会場からの質問にも応えました。

孫文の言葉、一部を紹介

「中国がもし強大になったら、われわれはわが民族の地位を取り戻すだけではなく、世界に対して一大責任を負う必要があるのであります。もし中国がこの責任を負えなかったならば、中国が強大になったところで、世界にとって大した利益はなく、むしろ大きな害になるのであります。では中国は世界に対してどんな責任を負う必要があるのか。・・・

われわれはまず一つの政策、すなわち、『弱い者を救い、危うい者を助ける』ことを決定する必要がある。それでこそ、われわれの民族の天職をつくすことなのであります。・・・

・・・われわれは、こんにち、発展に先立って、まず危うい者を助け弱い者を救うという志を立て、将来、強大になった時、いま自分の受けている列強の政治、経済の圧迫の苦痛を思いおこし、弱小民族が、もし将来、同じ苦しみを受けるなら、われわれはこれら帝国主義を消滅しなければならない。それでこそ、国を治め天下を平らかにすることになるのであります」(孫文『三民主義』、1924年)

中国の紅茶について学ぶ

安徽省、福建省、雲南省、広東省、台湾の紅茶

紅茶は世界のお茶総生産量の7割を占めており、世界で最も多く飲まれているお茶です。中国福建省が紅茶の発祥地と言われていますが、発祥地中国では緑茶生産がメインで、紅茶の生産量は中国茶全体の1割程度とあまり多くはありません。現在、世界の紅茶主要生産国は生産量の多い順に、インド、ケニア、スリランカ、中国、インドネシアで、この5ヵ国で世界の紅茶の8割を生産しています。

12月18日の「中国茶講座」は神田貴子高級茶芸師、高級評茶員が中国紅茶について、安徽省の「祁門紅茶」「工芸茶紅牡丹」、福建省の「無煙香正山小種」「伝統  正山小種  青楼紅袖」、雲南省の「滇紅金芽」「滇紅毛峰」「滇紅大葉」、広東省の「茘枝紅茶」、台湾の「台湾密香紅茶」を紹介、製造工程や中国紅茶の基本の入れ方などについて説明、茶葉の香りや特徴について話し参加者全員が試飲し中国紅茶を楽しみました。

チケットレス化がすすむ中国鉄路

中国国家鉄路集団有限公司(以下『中国鉄路』)では、高速鉄道・動車組列車のチケットレス化が急速に進んでいます。

昨年(2018年)11月に海南島環状高鉄のチケットレス化を皮切りに今年(2019年)7月27日に上海-寧波城際鉄路の20駅で電子きっぷ化、8月1日からは広州南駅管轄の広珠城際線と江湛鉄路の32駅で電子きっぷ化、11月12日には杭州東、南京南、合肥南など45駅で、11月20日には上海虹橋、寧波連雲港など48駅と電子きっぷ化を進めてきました。さらに北京局、雲南、哈爾浜局でも11月にチケットレス化が始まりました。(この流れは今後も続くようです)

利用方法ですが、あらかじめ中国鉄路公式サイト(12306)や公式アプリで購入して、乗車時にはきっぷ購入時に使った身分証明書を改札機にタッチするだけで通過できます。外国人の場合はパスポートが身分証明書になりますが、パスポート対応改札機に記載欄を読み取らせれば通過できます。(ない場合は有人改札を通ります)

盛唐の詩人・高適の「除夜作」を読む

李白・杜甫とも肝胆あい照らした仲

高適(こう  せき)盛唐の詩人(?~765)滄州渤海(山東省浜州)の人。字は達夫。生年については696年とする説、707年とする説などがあり一定しない。若い時は気ままで正業に就かず任侠をこととして博徒などと交わっていた。「唐才子伝」に「年五十にして始めて詩を作ることを学び」たちまち名声を揚げたと書いてある。天宝三(744)年には、李白、杜甫と共に梁・宋(河南省)地方を遊歴し、酒と詩作にふけって肝胆あい照らした。(漢詩鑑賞辞典より)

12月の「漢詩を読む会」は、丹羽博之大手前大学教授が、盛唐の詩人・高適の「除夜作」を映像を映して解説しました。また「西湖と漢詩」で白居易の「春題湖上」と宋・蘇軾の「飲湖上初晴後雨」の二首、唐代中期の詩人・李賀「蘇小小墓」を紹介し読んで解説しました。

除夜作(除夜の作) 高適

旅館寒燈獨不眠  旅館の寒灯独り眠らず

客心何事轉凄然  客心何事ぞ転た凄然たる

故郷今夜思千里  故郷今夜千里を思う

霜鬢明朝又一年  霜鬢明朝又一年

旅館の寒々とした灯のもと、ひとり眠られぬ夜を過ごせば

どうしたことか、旅の思いはいよいよ寂しさを増すばかり

今夜は大晦日、故郷では家族が遠く旅に出ている私のことを思っていることだろう

夜が明けると、白髪の老いの身に、また一つ年をとるのだ

次回「漢詩を読む会」は2020年2月15日(土)に開催します。

南京大虐殺から82年

12月13日、中国では「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は、南京侵華日軍受害者援助協会に登録されている生存者は79人になったと発表。今年は南京大虐殺82周年、日本軍による大虐殺から生き残った人は80代、90代となっています。12月13日は6回目の「国家追悼日」です。

1937年12月12日夕方、日本軍が南京城の南側と東側の城壁と門を突破し城内に殺到すると、中国軍将兵と市民はパニックに陥った。膨大な数の退却兵・潰走兵と、軍隊と一緒に南京を脱出しょうとする避難民の大群が、北西部の挹江門から脱出、長江(揚子江)を渡って逃げようと埠頭のある下関へ殺到した。しかし、南京死守作戦を命令した唐生智南京防衛軍司令長官によって、長江を渡るための船舶はすべて撤収されていた。13日午前2時、3時頃には、城内の砲声や銃声も途絶え、中国軍の全ての抵抗は瓦解した。南京城は陥落したのです。(上図は、太線・上海から南京への侵攻図)

一方、日本に於いては、12月13日の昼には「南京陥落戦勝祝賀大会」が後楽園スタジアムで開催され、10万人が集まり君が代を大合唱。14日には、全国の小中学校も休校とし、政府・官庁・教育界の肝入りで全国で旗行列、提灯行列が繰り広げられた。陸軍中央の統制を無視して強行した南京攻略戦であったが、大元帥昭和天皇からじきじきに「首都南京を陥れたることは深く満足に思う」との「御言葉」が下される大軍功とされたのです。

日本軍が南京攻略戦と占領下の南京で行った南京大虐殺についてはすぐに世界に報道されて、国際的な非難を呼び起こしたが、日本においては、軍部と政府の厳しい報道統制によって、日本国民には知らされることはなかった。(日中友好協会編「日中友好ブックレット3~日本は中国でなにをしたか」より)

写真は「村瀬守保写真集一兵士が写した戦場の記録・私の従軍中国戦線」より(写真説明は村瀬氏)

写真上:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた南京中山門の城壁。

写真中:虐殺された後薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体、ほとんどが平服の民間人でした。

写真下:焼かれた死体を見る日本軍兵士。

マカオLRTタイパ線12月10日開業

年内は運賃無料、日本製車両が走る現地初の鉄道

マカオ(澳門)の鉄道事業者、マカオLRT社は12月6日、同社が運営するマカオLRT(新交通システム)タイパ線について12月10日に開業すると発表。2012年末の本格着工から丸7年で開業にこぎつけた。マカオではこれが初めての本格的な軌道系大量輸送機関となる。

タイパ線はマカオLRT第1期プロジェクトの一部。今回開業するのはタイパフェリーターミナル駅と海洋駅間の9.3Km、11駅。沿線には香港や広東省の深圳市などとの間を結ぶ高速船が発着するタイパフェリーターミナル、マカオ国際空港、広東省珠海市の横琴新区と陸路のボーダーにあたるコタイ・イミグレーションといった複数の玄関口のほか、大型カジノIR(総合型リゾート)が密集するコタイ地区、著名観光地のタイパビレッジ、高層マンションが建ち並ぶ新興住宅街が存在する。

運転時間は月~木曜日が午前6時30分から午後11時15分まで、金~日曜日及びパブリックホリデーが午前6時30分から午後11時59分までで運転間隔は5~10分に1本とのこと。LRTシステム一式は日本製、東京の「ゆりかもめ」と同じタイプのクリスタルムーバー型の日本製列車(ゴムタイヤ、自動運転)がマカオの街を走ることになっている。(2019年12月6日マカオ新聞ニュースより)

中国への侵略戦争の歴史を学習する旅

新型コロナウイルス肺炎の広がりで、中国湖北省への渡航が禁止されましたので、3月に予定していた訪中を中止します。(主催者1月26日発表)

第9次訪中団~成都・重慶・常徳・廠窖・武漢~

今回は西南地区(四川・重慶)と中南地区(湖南・湖北)を巡ります。日本で殆ど知られていない中国最大の民間抗日戦争博物館・建川博物館の見学、重慶爆撃当時や常徳での毒ガス被害を知る方々、廠窖惨案の幸存者も高齢になられ、お話や証言を聞き交流する貴重な機会となります。

武漢周辺の荊門や宜昌は39師団が暴れまくった所ですが、紀念館や惨案の跡は殆ど残っていないので、中帰連が記録した証言や資料で学習して頂ければと考えています。現地の夏はかなりの猛暑であり、今回は現役の教員や学生も参加しやすい春休み期間で企画しました。ぜひご参加下さい。(受け継ぐ会関西支部)

日程:2020年3月22日(日)~3月29日(日)7泊8日

旅程:関空~成都~重慶~常徳~廠窖~荊州~武漢~関空

詳細は添付のチラシをご覧下さい。

企画:撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部 

〒533-8799 大阪市東淀川郵便局私書箱17号

Tel&Fax:06-63242439 E-mail:uketugu@kansai.email.ne.jp

12月の中国茶講座は「紅茶」

中国紅茶でこの冬は暖かく過ごしましょう!

世界中で親しまれている紅茶、その始祖と言われる正山小種を始め、中国各地の紅茶を紹介します。身体を温める効果がある紅茶、この冬は中国紅茶で温かく過ごしましょう。どなたでもご参加頂けますのでお気軽にお越し下さい。

日時:2019年12月18日(水)午後1:30~3:00

会場:日中友好協会兵庫県連合会「会議室」阪急岡本駅西へ1分)

講師:神田貴子 高級茶芸師 高級評茶員

参加費:1,000円(お土産、茶菓子付) 定員:15人

事前に下記へご予約お願いします。

※2020年1月、2月は講師の都合で休講します。

連絡先:日中友好協会「中国茶講座」☎078-412-2228

証言「中国残留孤児となった弟よ!」

尼崎市で「中国残留日本人への理解を深める集い」開く

尼崎市の委託事業で毎週1回中国帰国者向けに「日本語教室」を開き、帰国者支援活動に取り組む尼崎コスモスの会(宗景正代表)は11月30日午後、尼崎市立中央北生涯学習プラザ大ホールで「第5回中国残留日本人への理解を深める集い」を開催、中国帰国者やその家族、支援者、一般市民など約200人が参加しました。(写真:「開拓団の歴史について」語る宗景正氏)

集いは最初に、宗景正代表(写真家)が「満蒙開拓団の歴史について」と題し、開拓団の歴史、年表、入植地の地図、写真をを映像で紹介し話しました。同氏が撮影した「昇平開拓団(大阪)の入植地(黒龍江省)を訪ねて」の写真展が大ホール前ロビーで27日から開催され多くの市民が参観しました。昇平開拓団は1943年の入植当時963人の団員でしたが敗戦時までに399人が亡くなっています。(写真:ロビーで開催された写真展に見入る集い参加者)

小学5年生の時、両親、姉弟7人で昇平開拓団に加わり渡「満」した田中義祐さん(1932年生まれ、87歳)が舞台に上がり、質問に応える形で入植当時の体験や思い出を証言しました。「入植から間もなく大工をしていた父親が亡くなり、母親が共同の農作業に加わり働いていました。1945年8月避難命令が出て鉄道駅のある安達へ向かって降り続く雨でぬかるんだ悪路を着の身着のままの状態で逃げ、流行っていた伝染病で沢山の人が亡くなりました。難を逃れ、私たち家族は知人の馬小屋で暮らしました。12月に哈爾濱の花園小学校に収容され、姉と外出から戻ると2人の弟たちがいなくなっていました。先を案じた母親が中国人に預けたのだった。母親はそれからしばらくして亡くなりました」

田中さんは1946年9月、開拓団の人々と共に葫蘆島から米軍の輸送船で博多へ引き揚げてきたが、弟たちの消息は不明。日中国交正常化から数年後、帰国する残留婦人が残留孤児となった弟の修さんの消息を国や大阪府に知らせてくれたことで弟の一人・修さんの所在が判明、1979年10月に一時帰国します。血液鑑定で肉親と判明し兄の田中さんは日本への永住を強くすすめ実現しました。残留孤児となったもう一人の弟は亡くなっていたそうです。義祐さんの弟・修さんは集い会場に出席し紹介されました。田中義祐さんは辛く悲しい自身の体験を集いに参加した大勢の人たちの前で証言を終え会場から励ましの大きな拍手を受けていました。最後に映画「ソ満国境15歳の夏」が上映されました。(写真:体験を証言する田中義祐さん・舞台上・中央の人、集会は数社のマスコミが取材し、動画はYouTubeでも紹介されています)