中国高鉄累計輸送人員100億人を突破

2019年第1四半期で高鉄の輸送人員が100億人を超えました。キロあたりの累計輸送人員は3.34億人にのぼります。

近年中国高速鉄路は急速に発展し、中国独自の高速鉄路発展の道を歩み始めました。〝四縦四横〟ネットワークが完成後、〝八縦八横〟ネットワーク形成を目指し進んでいます。2008年に北京-天津の高速鉄路が開業してから10年の2018年末で高鉄営業キロ数は2.9万キロに達し世界第1位となりました。他国の高鉄運営キロ総数の約2倍となります。2018年末で高速動車組列車(G)が2872往復、標準動車組列車(D)が3250往復が営業しています。2018年の高鉄輸送数は20.05億人で前年比16.8%の増加で中国鉄路総旅客数の60.4%となり、高鉄が移動の主力となってきています。

〝復興号〟列車は現在38路線で運行されており、23の省都以上の都市と香港特別行政区で運行されています。2017年6月26日の復興号運行開始後、2019年3月末で累計輸送量1.93億人、平均着座率74.9%で他の高鉄列車(和諧号)の平均着座率より1.3%高いデータとなっています。

6月の「中国茶講座」は八宝茶

自分だけのオリジナル八宝茶を作ろう!

八宝茶は、中国茶をベースにクコの実やナツメ、菊花や龍眼など漢方生薬やドライフルーツ等をブレンドした薬膳茶です。様々な材料を自由に組み合わせて、自分だけのオリジナル八宝茶を作りましょう。どなたでも参加頂けます、お気軽にご参加下さい。

日時:2019年6月19日(水)午後1:30~3:00

会場:日中友好協会兵庫県連合会「会議室」

講師:高級茶芸師 高級評茶員 神田貴子さん

参加費:1,500円(材料費500円を含む)

定員:15名(事前先着申込み順)

主催:日本中国友好協会兵庫県連合会

☎078-412-2228   E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

上海西部の水郷古鎮「朱家角」

「朱家角」は上海四大歴史名鎮のひとつ

歴史ある水郷の町として知られる「朱家角」は上海の中心から西へ約40Km、上海市青浦区の中南部に位置し、地域の面積は138平方Km(水域を含む)あります。地下鉄でも行ける便利さから多くの観光客が訪れ古運河遊覧や古い町並み散策を楽しんでいます。

今から1700年以上前の三国時代(220年~280年)に集落が形作られた長い歴史のある地域です。宋(960年~1271年)から元(1271年~1368年)の時代に自由市場が形成されると「朱家村」と呼ばれるようになり、明の時代に正式に鎮(町)となります。明末から清初にかけて米産業の好景気に沸き周辺から人や物が集まり、交易拠点としてより大きな規模となったそうです。

芸術に国境はない、舞踊は万国共通の言葉

「KOKORO」は平和と友好を願う日中両国民の心

「中国古典舞劇『楊貴妃』の舞楽」公演―主演・胡紅侶

来日30年になる舞踊家、舞姫・こころ(胡紅侶)さんが日中友好につながる日本での舞踊活動20周年記念公演を企画しています。「楊貴妃の舞楽」をメインに日中舞踊音楽コラボレーションも、琉球国祭り太鼓・福建大阪芸術団・大阪佛光寺の舞踊隊・ゆうこう(裕皓)の歌・KOKORO中国舞踊学院などの公演を予定しています。

日程:2019年7月29日(月)18:30開場 19:00開演

会場:神戸文化ホール・中ホール

料金:前売券4,000円(当日4,500円)全席自由席

公演の収益の一部を開発途上国の子どもたちに寄付させていただきます。

チケットの扱い先は下のチラシをご覧下さい。

(日中友好協会兵庫県連合会でも扱っています)

主催・企画:KOKORO舞踊音楽カンパニー/(有)プラニングスタジオシーズ 共催:サンテレビジョン/KOKORO中国舞踊学院

7種の台湾茶を飲み比べ

違いや共通点に着目し試飲しながら理解深める

製茶の季節や製造方法の微妙な違い、天候などにより出来上がったお茶の印象は大きく変わります。台湾のお茶製造の現場では、茶樹の品種改良や、ブランド力のある新たなお茶が作られています。と高級茶芸師・高級評茶員の神田貴子講師は語ります。5月15日の「中国茶講座」では7種の台湾茶をテイスティングしながら台湾茶への理解を深め合いました。

先ず、烏龍茶・文山包種茶の春摘み茶と冬摘み茶を水出しで味わい、標高の高い産地で摘まれた梨山高山茶、夏に飛来するウンカという小さな虫に葉を噛ませ、独特な蜜香を生じ、甘く香りのよいお茶・凍項貴妃茶2種、凍項烏龍茶、最も紅茶に近いと言われ、バラの花や蜂蜜のような芳醇な香りと甘みが特徴の東方美人茶を試飲し、台湾と世界のお茶事情について学びました。

次回は6月19日(水)午後1:30~開催します。

この写真の人物は一体誰だ?

石川禎浩京都大学教授が毛沢東イメージの変遷について語る

日中友好協会加古川支部が加古川市内で5月12日に開いた公開特別講演会で、「中国共産党史研究」の第1人者で京都大学人文科学研究所教授の石川禎浩氏が「『赤い星』は如何にして昇ったか」と題し講演しました。

エドガー・スノウ撮影の毛沢東肖像写真が海外へ拡散

アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノウ(1905年~1972年)が1936年に撮影した毛沢東の写真が海外へ拡散していく過程でイメージが変遷し、顔写真や似顔絵が変化していく様子や情報の流れを豊富な写真を映しながら解説しました。

日本外務省が1937年発表の毛沢東と称する写真は一体誰だ?

1937年8月発行の日本外務省情報部「支那共産軍を語る」(「官報附録週報」内閣印刷局発行 第44号、1937年8月)に、中華ソビエト人民共和国中央政府主席・毛沢東と中国工農紅軍革命軍事委員会主席・朱徳の顔写真が並んで掲載されている。朱徳の写真は、1922年に上海で写された写真から似顔絵を経て伝わったと推測されるが、毛沢東の写真は明らかに全くの別人であることがわかる。

外務省の毛沢東認識、歴史からどう学ぶか

石川教授は、当時の外務省が本当にこの人物を毛沢東だと思っていたのなら相手の顔も知らずに日中戦争を戦っていたことになる。或は日本国民に『共匪』のマイナスイメージを植え付けるための情報操作・世論誘導だとすればそれは当時の政府の愚民政策だ、と語りました。ではこの人物は一体誰なのか?答えはまだ出ていません。

※石川禎浩先生は、加古川支部の「中国近現代史」研究会にも来られます。日程は6月22日(土)JR加古川駅東すぐのサンライズビル5F。詳しくは090-8753-5972(前田さんへ)


講演会資料の一部は下記からダウンロードできます。(JPEG)

孫文「大アジア主義」講演を南京で授業する

日中間に架橋し、東アジアの平和をめざすシンポジウム

この度、村井俊之さん(県立高校教員)が、歴史教育者協議会日中交流委員会の委員として南京第一中学で、孫文の講演「大アジア主義」から読み取れることは何か、をテーマに授業しました。今回、その様子を詳しく報告頂けることになりました。

さらに、永井章夫さんと上野祐一良さんからのコメントを口火にフロアーも含めて、日中交流の意義を見つめ、東アジアの平和をめざす授業づくりを考え合いたいとシンポジウムを企画しました。

写真上:1924年11月28日、神戸高等女学校講堂で講演する孫文(右)、写真下:村井俊之さんが授業を行った南京第一中学(日本の中高一貫校にあたる)

日時:2019年6月30日(日)13:30~16:00

会場:神戸市勤労会館 美術室(JR三宮駅東)

内容:①基調報告 村井俊之さん(県立高校教員)

   歴史教育者協議会日中交流委員による南京での授業

   ―孫文による「大アジア主義」から読み取れることは何か

   ②質疑応答

   永井章夫さん(高校教員・甲南女子大学非常勤講師)

   上野祐一良さん(日中友好協会・兵庫歴史教育者協議会)

参加費:500円(学生無料)

連絡先:090-9985-6954(稲次)

E-mail:h_rekkyo2009@yahoo.co.jp

米中貿易戦争は世界と日本に何をもたらすか

協会姫路支部が総会と記念講演会を企画

 自由競争、自由貿易の旗手を標榜してきた米国は、「自国の貿易赤字の内47%が対中貿易だ」として、極端な保護主義へ転換しました。未曾有の規模での高関税を仕掛け、「貿易戦争」と呼ばれます。その結果は中国からの輸入と赤字は逆に増え、米国民には物価値上がりで負担増を押しつけています。

 一方で、中国のハイテク企業「フアーイ」を敵視し、国際的圧力で締め上げています。トランプの思惑はどこにあるのか、中国の対応と今後の世界、そして日本への影響などについて国際経済学者が解明します。二部の講演会はどなたでも参加できます、お誘い合わせてご参加下さい。

日時:2019年5月25日(土)

   一部:支部総会  13時~14時

   二部:記念講演  14時15分~16時

記念講演 講師:山本恒人 大阪経済大学名誉教授

講演テーマ:米中貿易戦争は世界と日本に何をもたらすか

会場:県立姫路労働会館2階  第3会議室(姫路市北条)

会費:500円(記念講演・資料代) 協会員は無料

主催:日本中国友好協会姫路支部

Tel&Fax:(079)284-1307(澤野)

E-mail:k-kounin@iris.eonet.ne.jp

第17回「漢詩を読む会」

6月のテーマは蘇軾「雨も亦た奇なり」

うっとうしい梅雨の季節になりますが、発想を転換して雨の日の良さを詠った漢詩を読んでいきます。白楽天も雨の日の花の美しさを詠んでいますが、蘇軾が杭州の名勝西湖の雨の美しさを詠んだ詩を紹介し、なんとそれがあの松尾芭蕉の「奥の細道」にも利用されていることをお話しします。

日時:2019年6月8日(土)午後2時~

会場:日中友好協会兵庫県連合会「会議室」

講師:丹羽博之  大手前大学総合文化学部教授

資料代:1,000円

お申し込み・お問い合わせ

Tel&Fax:(078)412-2228

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

日本中国友好協会兵庫県連合会「漢詩を読む会」

「廠窖大虐殺」事件から76年

太平洋戦争期最大の虐殺事件

日本軍の侵略、占領に抵抗する中国軍を殲滅

1943年5月、当時、中国を侵略していた支那派遣軍第11軍(司令官・横山勇中将)は、揚子江(現・長江)の輸送力強化とこの地一帯で動きを活発化する中国国民党野戦軍を撃滅することを目的に江北殲滅作戦に続き、江南殲滅作戦(4月下旬~6月初旬)を開始。

避難住民、敗残兵虐殺事件は第1期作戦中に起こった

湖南省北部の洞庭湖北西に位置し、三方を水に囲まれた廠窖(現・南県廠窖鎮)の方向に向け、日本軍は敗走する国民党軍を追跡し独立混声第17旅団、第3師団、戸田・小柴・針谷の3支隊が南県へ侵攻。避難民や敗残兵が集中する廠窖(東京の山手線内側より少し狭い面積)へ約3000名の日本兵が入り空・陸・湖、河川の三方から無差別攻撃、5月9日~11日の3日間で3万人余が犠牲に、その殆どが避難してきた民間人であったと報じられている。

廠窖は内陸の辺鄙でのどかな農村地帯

廠窖は当時、漢壽県に属し正式な地名ではなく地元住民が言い伝えてきた呼び名であった。湖沼、河川が多く住民の多くは、淡水魚漁や米、野菜、綿花栽培などの農魚業で生計を立てていた。廠窖は南京、重慶、上海などと違い辺鄙な農村で、外国の駐在機関や報道機関もなく、住民の目撃証言か被害者の身体に残る傷跡と記憶、地中に埋まった犠牲者の遺骨が事件を証明する手段となっている。軍事裁判への提訴を計画したが、その後の国共内戦、新中国建国に伴う国情の変化が続き、裏付け調査、資料収集、被害証言の聞き取りなど提訴に必要な資料作成が間に合わなかったと言われている。日本はじめ世界、中国国内でも事件については殆んど知られていなかった。(写真上は遺骨発掘作業、廠窖惨案紀念館所蔵、下は千人坑に立つ事件目撃者の全伯安さん。この地は当時池があった所で、下に遺骨が埋葬されている。)

事件から1か月後、長沙の新聞記者が現地取材し惨状を報道

残虐な虐殺事件を長沙の新聞記者が1か月後に現地取材し報道している。省都長沙の陣中日報・国民日報・力報・国民党政府中央社などの記者が事件の惨状を克明に報道している。1943年6月初旬に取材した陣中日報の袁琴心記者は6月6日付紙面に「河の両岸に焼け焦げた舟が、まるで干し魚のように並んでいて見るに忍びなかった。河の中の死体は、船が通れないほどだった。少し動くだけで、前後左右から死体が出てくる。腐乱したどろっとした肉は、舟の周りに貼りつく。埋められた死体は、数十人或いは百人余りが一つの穴に埋められ、それは至る所にあった。通りかかると臭気が漂い、骨が雨水に流され外に表れている。本当に悲惨だ」と報道している。(写真は、日本軍部隊の南県侵攻を伝える民国32年5月11日付の中央日報、廠窖惨案紀念館所蔵、民国32年は西暦1943年)

被害者・郭鹿萍さんは語る「心の痛みは表現できない」

1943年5月9日、村にやって来た日本兵に他の避難者とともに避難先で捕まり数珠つなぎにされ銃剣で腹など数か所を刺されて意識を失った地元住民の郭鹿萍さん(1925年生まれ)は、翌日の夕方意識が戻り、近くの畑まで這って身を隠し、そら豆の葉に溜まった水滴を舐めて2日間じっと耐え助けられたという。「当時は、河・池・家の周辺はどこも目の向く所は惨状ばかりで、70年以上経った今も目の前に浮かんで、心の痛みは表現できません」と語ります。当時の惨状は多くの目撃者、被害者が証言しています。廠窖事件から今年5月で76年が経ちました。侵略戦争の実態を知り、二度とこのような悲惨なことを起こさせないために今やるべきことは「戦争へとつながる道」を阻止することではないだろうか。(写真中央:銃剣で刺された傷跡を見せて証言する郭鹿萍さん。2014年12月19日、廠窖惨案紀念館にて筆者撮影)