改憲発議に反対する全国緊急署名

いま、憲法を変えさせない!緊急署名にご協力を!

 2019年7月の参院選で、安倍晋三首相の改憲に賛成する勢力が3分の2を割りました。有権者は安倍首相に憲法96条の規定による改憲発議が可能な勢力を与えませんでした。にもかかわらず、安倍首相は民意が「改憲について論議すべき」という意思を表明したなどと、全く事実に反する強弁をしています。そして、自らの総裁任期の2021年までの改憲を目指して、野党の分断をはかり、改憲勢力の再編を狙っています。

 政治が果たすべき課題は山積しています。世論の多くは安倍首相の下での改憲を望んでいません。安倍首相が改憲に固執するのは、日本の軍事大国化をさらにすすめ、「戦争する国」に変えようとの狙いからです。もし、9条をはじめとする安倍改憲が実現すれば、日本は米国とともに世界各地での戦争や紛争に介入・参加していくことになるでしょう。私たちは国会が改憲の発議をすることを許さず、すべての市民の平和と人権、生活の向上のため、憲法を守り、生かすことを求めます。

           請願事項

内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長 宛

1、安倍首相らがすすめる憲法9条などの改憲発議に反対します。

2、憲法を生かし、平和・人権・民主主義、生活の向上が実現する社会を求めます。

「署名」は下記へお送り下さい。

〒658-0072神戸市東灘区岡本1丁目14-10岡本住宅ビル3F

日本中国友好協会兵庫県連合会

または、各地「九条の会」へ

被爆75年「3・1ビキニデー」核兵器のない世界へ

「3・1ビキニデー集会」は同実行委員会の緊急事務局会議が開催され、新型コロナウイルスの感染拡大の防止にとって「この1~2週間が極めて重要な時期」との判断で中止となりました。

核兵器禁止条約に調印・非核平和の日本を!

1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験を行い、マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船などが被災しました。

焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず、“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)は「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残しその年の9月に亡くなりました。

この3・1ビキニ事件は日本国民に大きな衝撃を与え、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。「3・1ビキニデー」集会は久保山さんの遺志をひき継ぎ毎年開催が続けられてきました。

被災66年2020年3・1ビキニデー集会

日時:3月1日(日)13:00(12:00開場)~15:30

会場:焼津市文化センター・大ホール

「主な内容」

主催者報告、ビキニ水爆被災から66年、被害者の記憶と思いを伝える、海外代表の発言、全国の運動交流、文化企画、集会アピールの採択

主催:原水爆禁止世界大会実行委員会

被災66年2020年3・1ビキニデー静岡県実行委員会

中国戦線で撒かれた旧日本軍の「伝単」

日本が犯した戦争の醜さ、言葉巧みに投降を誘う

「伝単」とは、戦時において敵国の兵士、民間人の戦意喪失を目的として配布する宣伝謀略用の印刷物(ビラ)。

写真の「伝単」は、かつて中国で日本軍宣撫班に所属し、宣伝工作をしていた名古屋市の元日本兵の遺品で、遺族が「平和のために使って」と協会に寄贈されたもので協会兵庫県連がそのコピーを譲り受けたものです。1935年~1943年頃まで中国南部を中心に軍用機などからばら撒かれたそうです。

1935年から旧日本軍の特務機関で「伝単」を配ったことがあるという故・湯口智正さん(1914~2001)は生前、「この伝単を持って投降した中国人の多くが強制連行され強制労働に従事させられた、日本が中国に取り返しのつかない過ちを犯した」と語っていました。

「伝単に書かれた中国語」

:日本軍は中国の民衆を救うために戦っている。日本軍の後に着いてくる人は全て国民政府の毒牙から逃れ救われた中国の良民である。ほら、その笑い顔を見て下さい!

:来い!来い! 1、投降者がこのビラを持って日本軍の方へ来て下さい 2、日本軍はこのビラを持ってきた人を敵兵と見なさず優遇します。

戦争展で「中国人強制連行」について展示

中国大陸での強制連行・強制労働、数の多さに驚く

昨年12月6日~10日に神戸市内で開催された第42回兵庫の「語りつごう戦争」展で、日中友好協会兵庫県連合会は「万人坑と中国人強制連行」について図表や写真を数点実行委員会に提供し展示された。戦争展は期間中200人を超える市民が参観しました。

「万人坑⌉とは、15年戦争期、日本の中国侵略で犠牲となった中国人の遺体が埋められた「人捨て場」で、中国の人々は万人坑と呼んでいます。万人坑は中国の東北地方から南の海南島に至るまで数え切れないほど存在します。膨大な数の犠牲者の多くは、炭鉱や鉄鉱などの鉱山や軍事要塞、巨大ダムなどの土建工事などで強制労働させられ、主に過労と飢えにより衰弱死させられた中国人です。

「展示された写真」

■北票炭坑万人坑(遼寧省):中国人労工の遺体が大量に投げ込まれた深い谷、中央の白い建物(遺骨保存館)の手前。

■豊満水力発電所建設工事(吉林省):工事で強制労働させられる中国人労工。

■大同炭鉱煤峪口万人坑の遺体(山西省):廃鉱となった鉱脈に至る坑道に大量の遺体が捨てられ一部がミイラ化している。

(写真提供:青木茂氏)

南京大虐殺から82年

12月13日、中国では「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は、南京侵華日軍受害者援助協会に登録されている生存者は79人になったと発表。今年は南京大虐殺82周年、日本軍による大虐殺から生き残った人は80代、90代となっています。12月13日は6回目の「国家追悼日」です。

1937年12月12日夕方、日本軍が南京城の南側と東側の城壁と門を突破し城内に殺到すると、中国軍将兵と市民はパニックに陥った。膨大な数の退却兵・潰走兵と、軍隊と一緒に南京を脱出しょうとする避難民の大群が、北西部の挹江門から脱出、長江(揚子江)を渡って逃げようと埠頭のある下関へ殺到した。しかし、南京死守作戦を命令した唐生智南京防衛軍司令長官によって、長江を渡るための船舶はすべて撤収されていた。13日午前2時、3時頃には、城内の砲声や銃声も途絶え、中国軍の全ての抵抗は瓦解した。南京城は陥落したのです。(上図は、太線・上海から南京への侵攻図)

一方、日本に於いては、12月13日の昼には「南京陥落戦勝祝賀大会」が後楽園スタジアムで開催され、10万人が集まり君が代を大合唱。14日には、全国の小中学校も休校とし、政府・官庁・教育界の肝入りで全国で旗行列、提灯行列が繰り広げられた。陸軍中央の統制を無視して強行した南京攻略戦であったが、大元帥昭和天皇からじきじきに「首都南京を陥れたることは深く満足に思う」との「御言葉」が下される大軍功とされたのです。

日本軍が南京攻略戦と占領下の南京で行った南京大虐殺についてはすぐに世界に報道されて、国際的な非難を呼び起こしたが、日本においては、軍部と政府の厳しい報道統制によって、日本国民には知らされることはなかった。(日中友好協会編「日中友好ブックレット3~日本は中国でなにをしたか」より)

写真は「村瀬守保写真集一兵士が写した戦場の記録・私の従軍中国戦線」より(写真説明は村瀬氏)

写真上:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた南京中山門の城壁。

写真中:虐殺された後薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体、ほとんどが平服の民間人でした。

写真下:焼かれた死体を見る日本軍兵士。

「非核平和祈念のつどい」改めて開催

芦屋非核平和都市34周年・被爆74周年

協会芦屋支部が実行委員会に加わる「芦屋非核平和のつどい」は当初、10月12日(土)に開催予定でしたが、台風で会場が使用出来ないことと、来場する皆さんの安全を考え中止となりました。その後、実行委員会を開催し、ぜひ再度実施したいということで短期間の準備となりますが実施することとなりました。ぜひご参加下さい。(実行委員会より)

日時:2019年12月19日(木)14:00~16:00

会場:芦屋市民センター203号室(JR芦屋駅西へ徒歩6分)

内容:―被爆者として『生かされた』74年

*お話:副島圀義さん 広島で胎内被曝 兵庫県原爆被害者団体協議会事務局次長・芦屋市在住

*ドキュメンタリー映画上映「核兵器の終わりの始まり」

参加協力費:500円(高校生以下無料)

主催:芦屋非核平和のつどい実行委員会 

共催:芦屋市原爆被害者の会

連絡先:Tel&Fax:0797-31-6634

第42回兵庫の「語りつごう戦争」展

12月8日は何の日~その頃の暮らしは?

1941年12月8日の太平洋戦争開戦から78年になります。戦争の悲惨さを二度と繰り返さないために私たちは1978年から戦争展を開催し今年42回目を迎えています。

日程:2019年12月6日(金)~12月10日(火)

会場:妙法華院2階(神戸高速「新開地駅」西口上り南へすぐ)

協会創立69周年記念講演会

万人坑に見る「労工に強いられた凄惨な奴隷労働」

―知られていない侵略戦争の実態がわかります―

1950年10月1日に創立した日中友好協会は、今年69周年を迎えます。創立時より運動の柱である侵略戦争を反省した日中不再戦平和活動は今日も継続しています。兵庫県連合会は、69周年の今年、下記の記念講演会を計画しました。

中国人強制連行・強制労働といえば、戦争末期に国内へ連行されてきた約4万人のことは知られていますが、中国大陸における日本が行った強制連行・強制労働は殆ど知られていません。大陸での被害規模は桁違いに大きく、日本が占領支配した「満州国」で1640万人、華北で2000万人にものぼり、さらに華中、華南を加えるとその数は4000万人にもなると、これまで7回にわたり「万人坑を知る旅」に参加しその実態、遺骨数などの調査を続けてこられた青木茂さんは語ります。

膨大な数の犠牲者の多くは、炭坑や鉄鉱などの鉱山、軍事要塞、巨大ダム建設などで凄惨な奴隷労働を強いられ、主に過労と飢えにより衰弱死させられた中国人であり、その遺体をまとめて捨てた「人捨て場」は中国大陸の至る所に今も数え切れないほど現存し、中国人は「万人坑」と呼んでいます。(写真は:大同炭鉱万人坑遺跡紀念館、無名労働者の墓碑)

生存者の証言を聞き、中国人研究者の協力も得て数多くの万人坑について著書で詳しく紹介している青木茂さんを招き映像を見ながら話を伺います。この機会にぜひご参加下さい。

日時:2019年10月27日(日)午後2時~

会場:神戸市立兵庫勤労市民センター第3会議室(JR兵庫駅北側、陸橋を渡ったところ)

講師:青木茂   氏 平和を考え行動する会会員、撫順の奇蹟を受け継ぐ会会員、日中友好協会会員

著書華南と華中の万人坑~中国人強制連行・強制労働を知る旅(2019年花伝社)・華北の万人坑と中国人強制連行~日本の侵略加害の現場を訪ねる(2017年花伝社)・日本の中国侵略の現場を歩く~撫順・南京・ソ満国境の旅(2015年花伝社)など。

参加協力費:協力券・協会員800円、当日一般1000円(高校生以下無料)参加協力券は協会事務所にあります、下記または協会役員へ

主催:日本中国友好協会兵庫県連合会 078-412-2228

強制連行による中国人犠牲者を追悼

読経と焼香で強制労働による中国人犠牲者を追悼

9月8日午後厳しい残暑の中、日中友好協会兵庫県連主催による「第22回強制連行・強制労働による中国人犠牲者を慰霊する集い」が神戸市兵庫区の宝地院で開かれました。

戦争末期、日本国内の労働力不足を補うめ、当時の日本政府は国策として中国大陸から38,939人の中国人を国内へ強制連行し、全国135事業所で強制労働をさせ、全国で6,834人の犠牲者を出しています。兵庫県内では、神戸港で17人、相生の播磨造船所(当時)で28人が亡くなっています。

宝地院本堂で中川正興住職の読経と参加者の焼香により犠牲者を追悼しました。読経後の講話で、中川住職は、最近の情勢について、「仏教の教えで、『怨親平等』という言葉があります。敵、味方関係なく人として平等に接し、お互いの存在を大事にする気持ちが大切ではないでしょうか。為政者も省みて考えて頂きたいと思います」と語りました。

中国を侵略している日本軍将兵にラジオで呼びかけ

犠牲者追悼を終え、集会室で「長谷川テルの生涯に学ぶ」と題し、平松悦雄大阪府連常任理事が講演しました。長谷川テルの生い立ちや学生時代以後の年譜、写真、当時の新聞記事などの資料を映像で映しながら話しました。

奈良高等師範学校4年の時、治安維持法で検挙され、釈放後退学した長谷川テルはエスペラントを学びはじめ、中国人留学生の劉仁と結婚、上海へ渡ります。上海へ渡った長谷川テルはそこで日本軍の蛮行で大きな被害を受けている一般市民、子どもの姿を目の当りにしショックを受け、抗日反戦への決意を固めます。

1938年7月、漢口で初めてマイクの前に立つことを決断します。流暢な日本語で日本軍将兵に戦争中止をラジオで訴えたのです。日本に住む家族に害が及ぶことがわかっている中での決断です。ラジオで訴えた言葉は次のような内容です。

「日本の将兵のみなさん!どこでこの放送をお聞きでしょうか戦争はいかなる時でも不幸なものです。あなたの撃った砲弾や銃弾はたくさんの子どもたちの命を奪っています。でもそれはあなたたちが悪いのでしょうか。みなさんはこの戦争は聖戦だと教え込まれ、そう信じているかもしれませんが、はたしてそうでしょうか。ちがいます。

この戦争は、大資本家と軍部の野合世帯である軍事ファシストが、自分たちの利益のために起こした侵略戦争なのです。日本にいるあなたのご家族は、皆さんのご無事を祈り、一日も早く平和が訪れることを望んでおります。

日本の将兵のみなさん!皆さんの熱い血を、あやまって流さないでください。みなさんの敵は海を隔てたこの地にはいないのです!お元気でどうかどうか生き抜いて下さい」

1947年1月にテルが、4月に劉仁が亡くなり、残された2人の子ども、劉星と暁嵐(長谷川暁子)は国家により手厚く保護、養育されます。テルと劉仁は中国東北の佳木斯・烈士墓園に埋葬され墓碑には「国際主義戦士 緑川英子」と刻まれています。最後に平松氏は、長谷川テルがエスペラントを通じ世界へ日本軍の蛮行を発信し続けた反戦への堅い決意が戦後70年を経てようやく意識され評価されるようになったと語りました。(U)

芦屋市・非核平和祈念のつどい

映画「いしぶみ」上映と被爆者のお話し

昭和20年8月6日は、朝から暑い日でした。この日、広島二中の一年生は、建物解体作業のため、朝早くから本川の土手に集まっていました。端から、1、2、3、4・・と点呼を終えたその時でした。500m先の上空で爆発した原子爆弾が彼らの未来を一瞬にして奪ったのです。少年たちは、元気だった最後の瞬間、落ちてくる原子爆弾を見つめていました。あの日、少年たちに何が起こったのでしょうか・・・。

日時:2019年10月12日(土)14:00~16:30

会場:上宮川文化センター・ホール(JR芦屋から東へ5分)

お話「被爆者として『生かされた』74年 副島圀義さん

  広島で胎内被爆 芦屋市原爆被害者の会幹事 芦屋市在住

映画「いしぶみ」―碑に刻まれた旧制・広島二中の一年生321人幼くしてこの世を去った彼らが最後に残した言葉とは―

参加協力費:500円(高校生以下無料)

主催:芦屋非核平和のつどい実行委員会

Tel&Fax(0797)31-6634

共催:芦屋市原爆被害者の会

後援:芦屋市/芦屋市教育委員会/芦屋市PTA協議会