6月6日・7日の両日、「第75回全国大会」が初夏の陽光まぶしい沖縄・那覇市で開催されました。全国から代議員、評議員、役員など120名を超える参加があり、会場は久しぶりの再会を喜ぶ笑顔と、これからの活動を語り合う熱気に包まれました。兵庫県からは5名の代表が参加し、各地の仲間との交流を深めました。
■ 開会あいさつと来賓メッセージ
大会は井上久士会長の力強いあいさつで幕を開けました。続いて来賓として、中国駐福岡総領事の陽慶東さんが登壇。日本政府の中国敵視政策への懸念を述べるとともに、こうした時期だからこそ「民間交流の積み重ねが両国関係を支える」と強調され、参加者からは大きな拍手が送られました。 その後、大会に寄せられた国内外からのメッセージが紹介され、会場は温かな連帯感に包まれました。
■ 議案提案と規約改正
続いて田中義教事務局長代行より、大会議案と規約改正の提案が行われました。 今回の規約改正では、
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全国大会を「2年に1回」開催とすること
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新たに「学生会員」の規定を設けること が示され、若い世代の参加を広げるための前向きな提案として注目を集めました。
財政担当からの報告に続き、休憩を挟んで討論がスタート。初日は6名が発言し、各地の活動報告や課題、今後の展望について活発な意見交換が行われました。
■ 沖縄の夜を彩る懇親会
討論終了後は、同会場で夕食懇親会が開かれました。 沖縄料理の香りが漂う中、参加者はオリオンビールや泡盛を片手に語り合い、舞台では沖縄民謡や歌、三線の演奏、エイサーの踊りが披露されました。 会場全体が手拍子に包まれ、まさに“沖縄の夜”を満喫するひとときとなりました。
■ 2日目の討論と先進事例の共有
翌7日午前も討論が続き、12名が発言しました。 先進的な活動を進めている組織からは、 「自分たちから壁をつくらず、交流の機会を積極的に提供することが新たな出会いにつながる」 という経験が語られ、参加者の多くが深くうなずいていました。 地域の特性を生かした取り組みや、若い世代とのつながりづくりなど、今後の活動に生かせるヒントが数多く共有されました。
■ 8日のオプション企画:沖縄の歴史と現実に触れる
大会最終日の8日は、希望者が3つのコースに分かれて島内見学に参加しました。 歴史を刻む施設や文化遺産を訪ねるとともに、米軍基地の現状や、建設が進む辺野古基地の様子を自分の目で確かめる貴重な機会となりました。
沖縄が抱える課題を肌で感じた参加者からは、 「日中友好協会として果たすべき役割を改めて自覚した」 「平和を願う活動をさらに前進させたい」 といった声が聞かれ、学びと決意を胸に帰路につきました。

中国・四川省のジャイアントパンダ国立公園で、山中を歩く“白いパンダ”の最新映像が公開されました(新華ネット・5月26日付)。 白いパンダが初めて確認されたのは2019年。四川の自然保護区管理局が、保護区内で撮影した1枚の写真を公表し、大きな話題となりました。今回公開された映像は、その個体が成長した現在の姿を捉えたものです。
あまり知られていませんが、中国・陝西省の「秦嶺四宝科学公園」には“茶色いパンダ”がいます。名前は「七仔(チーザイ)」。2009年に秦嶺山脈で発見・保護された個体です。
両者は1万年以上前に分岐し、その後は地理的に隔てられたまま交流・交配がないとされています。生息数は四川亜種が全体の約3分の2を占め、圧倒的に多い状況です。
5月17日、兵庫県原水協の理事会(総会)が開かれ、午前中には4月27日~5月22日に国連本部で行われた「NPT(核不拡散条約)再検討会議」へ兵庫県から参加した4名による報告が行われました。
広東省広州市から西へ約80km。 ガイドブック『地球の歩き方・広州編』に「小桂林」と紹介されていた肇慶市に、ふと思い立って出かけることにしました。
肇慶に着くとまず帰りのバスの切符を確保し、売店で地図を購入。 すぐ近くに「七星岩」の門があり、そこが“小桂林”と呼ばれる景勝地でした。
のか」と胸が高鳴りました。
今回は「初めての旅」ゆえにハプニング続きで、 景勝地の紹介は少し控えめになりました。
1966年の文化大革命の影響で日中交流が途絶えたことを受け、「二度と戦争をしない」という思いを形にしようと全国で記念碑建立の機運が高まり、1968年に多くの市民の協力でこの碑が完成しました。 壊れたままになっていた説明板も、2019年に再び多くの人々の力で新しく設置されたとのことです。行政との調整は難航したものの、平和への願いが実を結んだエピソードに、参加者は深く耳を傾けていました。
その後、会場を料理旅館「花のいえ」へ移し、昼食交流会が行われました。 食事の前には、宇治市議会議員・佐々木まゆみさんから、市民の声をどう議会に届け、実現していくのか――市民運動と議会活動の両面から語られる実体験に、参加者は熱心に聞き入りました。
昨晩、CCTV4の国際ニュースを視聴していたところ、番組の中でごく短い時間ではありましたが、日本の小泉防衛大臣と米国のヘグセス国防長官が言葉を交わしている映像が映りました。 その後すぐに画面はトマホーク巡航ミサイルの映像に切り替わり、会談の様子は一瞬で終わってしまいましたが、話の大まかな流れはつかめたように思います。


1974年3月。 西安市臨潼区・西楊村の荒れ地で井戸を掘っていた村人、楊志発(ヤン・ジーファ)さんが、偶然陶製の人形のような破片を掘り当てました。
役場から連絡を受けたのが、考古学者の袁仲一(エン・チョンイー)先生でした。 陶片が「人形の頭部や体の一部」であること、そして始皇帝陵の近くで見つかったことから、 「これは始皇帝陵の副葬品ではないか」 と直感し、本格的な発掘に踏み切ります。
しかし、発掘の事実は中国政府により厳重に秘匿され、写真撮影も固く禁じられていました。 そんな中、世界で初めて兵馬俑の姿を写真で紹介したのが、アメリカの女性ジャーナリスト オードリ・トッピングさんです。
こうして兵馬俑は破壊を免れ、世界の宝として日の目を見ることになりました。 その陰には、

