理解は絆を強くする「中国百科検定」

中国力で可能性を広げよう!

中国百科検定とは:中国の歴史・地理・政治・経済・社会・文化・教育・スポーツなど多方面の知識関心を試すユニークな検定です。どなたでも受験可能です。年齢、国籍の制限はありません。日本語での設問となります。

1級の受験は2級の合格が、特級の受験は1級の合格が条件となります。2級、3級、初級はどなたでも受験できます。併願はできません。

第9回中国百科検定の試験日/試験時間(全国統一)

2021年3月20日(土・祝)15:00~15:50

検定会場:兵庫県民会館10階 会議室「福」(全国20会場)

JR元町駅を北へ徒歩7分、地下鉄「県庁前」東出口1から右へ50m 

申込期間:2020年12月1日~2021年2月20日

申込取扱票と詳細案内リーフレットの請求は下記へ

主催:日本中国友好協会

〒111-0053 東京都台東浅草橋5-2-3 鈴和ビル5階

Tel:03-5839-2140 Fax:03-5839-2141

E-mail:nicchu@jcfa-net.gr.jp

兵庫県連合会 Tel&Fax(078)412-2228

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

後援:(公社)日本ユネスコ協会連盟、(公財)日中友好会館(一財)日本中国文化交流協会、中国文化センター

協賛:中国駐東京観光代表処、中国日本友好協会、中国国際航空公司、日本華人教授会議、中央広播電視総台CRI日本語部

白楽天の「喜入新年自詠」を読む

楽天71歳で長寿を喜ぶ詩を詠む

第25回「漢詩を読む会」は12月19日(土)に開催され、丹羽博之大手前大学教授が「白楽天(772~846)の新年」をテーマに講義しました。

841年(会昌元年)白楽天は古希を迎えた。翌2年、71歳の正月に長寿を喜ぶ詩を作ったが、この年、太子少傳を辞し、刑部尚書の肩書きをもって致仕して、長い官僚としての生活を終える。老いのつのる中、74歳のとき、「尚歯会」を催し、「九老図」を作った。

846年、75歳の楽天は「寿は七十五に及び 俸は五十千に霑う 夫妻偕老の日 甥姪聚居の年 間事を支分し了り 背を爬きて 陽に向かって眠る」を詠じたが、これが辞世の詩となった。唐武宗の会昌6年(846)八月、洛陽の履道里の自宅でその生涯を閉じた。(石川忠久漢詩鑑賞事典より)

喜入新年自詠 新年に入るを喜び自ら詠ず

白鬢如雪五朝臣 白鬢雪の如し五朝の臣 

又値新正第七旬 又た値う新正第七旬

老過占他藍尾酒 老い過ぎて占む他の藍尾の酒

病余収得到頭身 病余収め得たり到頭の身

銷磨歳月成高位 歳月を銷磨して高位と成る

比類時流是幸人 時流に比類すれば是れ幸人

大暦年中騎竹馬 大暦年中竹馬の騎る

幾人得見会昌春 幾人か見るを得たる会昌の春

次回、第26回「漢詩を読む会」は2月13日(土)

講演「東アジアの平和と発展を考える」

ASEANは中国とどう付き合おうとしているか?

日中友好協会東神戸支部は12月13日午後、神戸市内で総会記念講演会を開催、太田和宏神戸大学教授が「東アジアの平和と発展を考える―ASEANは中国とどう付き合おうとしているか?」をテーマに講演しました。

太田教授は先ず、南シナ海で起きている最近の動きを解説。中国は今年4月、西沙諸島、南沙諸島に行政区を設定し、領有権を主張するインドネシアやベトナムなどと豊かな海を取り合っている。そしてこの半年、米中がこの領域で牽制し合っている。米国のポンペオ国務長官は「中国が南シナ海を自らの海洋帝国として扱うことを認めない」「中国の主張は全面的に非合法だ」「米国の立場はハーグ国際仲裁裁判所判決と一致している」。これに対し中国の王毅外相は「米国が南シナ海の軍事化の最大の推進者であり、平和を損なう最も危険な要素だ」「東アジアサミットEASは他国の内政に介入する場所ではない」と反論している。

南シナ海領有海域問題とはどういうことなのか。南シナ海には、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の200の島、環礁、岩からなる地域で、第2のペルシャ湾と言われるように、資源埋蔵量は367.8憶トン、天然ガス7.55兆立法メートル、多金属塊、レアアースなどの海底資源があり、重要なシーレーンでもあり、軍事拠点ともなっている。

太田教授は、この地域における中国による占拠と埋め立てについて具体的に解説し、フィリピンやベトナムなど周辺国との領有権争いについて具体的に各国の主張や係争の内容を年代順に説明しました。さらに、中国の海洋国家構想や「一帯一路」構想についてその内容を紹介し、2020年の変化として、今年5月に米国大統領府が発した中国に対する主張、「中国は米国の重要国益と他国の主権、人々の尊厳を侵害している」「競争は対立や紛争を意味しない」「中国の発展封じ込めではなく、公正競争への参加を歓迎する」との内容を紹介しました。

最後にASEANの依拠する枠組みについてASEANがこれまで行ってきた数々の議論を年代順に紹介、中国ASEAN「南シナ海関係行動宣言」DOC、行動規範COC、国連憲章、182年国連海洋法、東南アジア友好協力条約、平和五原則に基づく対応など、ASEANはルールに基づいて紛争を解決し、中立的立場に立つインド・太平洋地域を目指している。結論として、「共通のルールに基づいた協議」「紛争の平和的解決」「東南アジア平和・自由・中立地域宣言」「域外大国の介入を阻止」がASEANの立場。

講演「ポスト・コロナの世界と中国」

中国が東アジアと世界における「平和・反核・軍縮・民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮することを願う

12月13日、加古川市で開催された日中友好協会加古川支部主催の「中国問題学習講演会」で山本恒人大阪経済大学名誉教授が講演した内容の要旨を紹介します。

ポストコロナをリードする中国

中国問題を見る場合、トータルに中国を考えることが大事で、新型コロナ感染症への対応も、当初、武漢の「医師問題」に見られる失敗といわれる「欠陥と不足」を認め、初動の遅れが「建国以来の公共衛生事件」を招いた(習近平)。初動の遅れを反省し、病院の新設などの「集中的、徹底的対応」をとり、現在のコロナ感染症の統計を見ると殆ど封じ込めた状態にあるといえる。

拡大を止める速さが経済回復のテンポを決める

データをもとに、「感染拡大のストップのスピードが、経済回復のテンポを制す」として、中国のGDPの推移を他国と比較して説明。

米中は「関与」から「分離」へ

米中の経済対立とその歴史的な経緯を、ニクソン時代のキッシンジャー国務長官の「対中関与」と対比し、現ポンペイオ国務長官スピーチでの「対中関与政策を根本的に転換」し、価値観の異なる中国との全面的な対決、すなわち冷戦期のイデオロギー対立に類似した世界を見越していると説明。

中国の発展方向、三つの段階で目標、国民所得の底上げ

中国の国家発展方向について、今年開催の党19期五中全会決定で簡潔に述べている、2020年までの第一段階「小康社会の全面達成。貧困ゼロ。2035年の第二段階で近代化基本的に達成。第三段階は2050年、米・独・日に並ぶ。投資主導型から消費主導型へ。外需から内需へ。国民所得の底上げ、内需を大きくする方向、格差を縮小、先進国を目指す。

香港・台湾・少数民族問題

香港・台湾・少数民族についてその問題点を説明。台湾の「一国二制度」は切り離すことのできない「一体」概念で五十年という期間は創造的で動的な過程である。また、一国二制度とは、「自治」を進めながら国の「秩序と統一」を図り、どういう国家を建設していくかという「世界史的課題」なのである(丸山重威・日中友好新聞)。なお、香港市民、学生は、「香港独立」論や「暴力肯定」とは一線を画している。台湾については、「台湾人が共有するSARSの記憶」をもとに「水際作戦」「マスクの市場管理」など早期の対応が成功した。

大漢民族主義の風(文革期の如し)

今、最も懸念されている問題としての少数民族問題を取り上げ、習近平演説での「正しい国家観、歴史観、民族観、文化観、宗教観を確立」するための教育強化を指示。その中で、「イスラム教の中国化を堅持せよ」と語り、ウイグル族などイスラム系少数民族の信仰を党の指導下に置き、社会主義的価値観と融合させるよう求めている。また、内モンゴルで今年9月の新学期から「モンゴル語」での教育を制限。来年以降は道徳や歴史の授業も漢語の教科書にすると表明、など大漢民族主義の風が強まっていくことが懸念される。

日中韓の連帯こそ東アジア・世界への貢献

最後に、「中国は、米国と共にアジア軍拡を主導していると見られている。中国の経済発展と豊かさへの前進は称賛に値するが、平和・軍縮・自由と民主主義の旗手たりえていない」(井手啓二氏)の指摘に同意しつつ、この課題解決は中国だけでなく日本の課題でもある。明治以来の中国と東への侵略と加害の「歴史の克服」は国民共通の課題である。アメリカによる「中国脅威論」に追随し、憲法改悪・戦争への道を突進する日本の現状にストップをかけるのは私たちの責任である。その主体的な歩みこそ、中国が東アジアと世界における「平和・反核・軍縮・民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮する時代を迎える保障となり、励ましとなる。(M)

南京大虐殺事件から83年

従軍兵士が撮った写真に南京の惨状が

南京事件から83年目にあたる12月13日、中国政府主催の「南京大屠殺死難者国家公祭儀式」が南京市で行われ約3000人が出席、陳希中央政治局委員が追悼スピーチを行いました。(写真は南京市で行われた国家公祭儀式)

中国大陸を2年半にわたり転戦してきた村瀬守保さん(1909年~1988年)は、1937年7月に召集され、カメラ2台を持って、所属中隊全員の写真を撮ることで、中隊の非公式写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しています。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルピンと中国各地を第一戦部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真には南京の写真もあり、中国を侵略した日本軍の足跡そのものであり、南京虐殺、「慰安所」、日常的な加害行為など決して否定することの出来ない侵略の事実が映し出されています。(写真は、村瀬守保写真集「私の従軍中国戦線」より

1937年12月、日本軍は中国の首都・南京の攻略戦で、投降した中国軍兵士や一般の市民、難民に対して虐殺を行いました。日本軍による中国人虐殺は20万人に及びます。中国はユネスコに南京の資料を世界記憶遺産として登録申請し、2015年10月10日に登録が発表されました。今年はこの南京大虐殺事件から83年目にあたります。(写真上:虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられ焼かれた死体を見る日本軍兵士、中:工兵隊が死体に鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をしていた、下:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた中山門の城壁、ここから第十六師団の将兵が怒涛の如く南京市内へ突入した)。

中国百科検定に向け「中国を知る学習会」

第9回「中国百科検定」は2021年3月20日、兵庫県民会館で実施

第8回「中国百科検定は11月29日に全国20か所で行われ、165人が受験しました。第9回検定は2021年3月20日(土・祝)に実施されます。受験申込みは12月1日~2021年2月20日までとなっています。協会兵庫県連合会は、第9回検定を神戸市中央区の「兵庫県民会館」で実施します。検定に向け、中国を正しく知る機会として、2021年1月より連続5回の「中国を知る学習会」を開催します。検定を受験しない方ももちろん参加できます。

緊急事態宣言発出により「中国を知る学習会」は中止しています。改めて日程はお知らせします。

  • 1月13日は27日に延期しました。

会場:日中友好協会兵庫県連会議室

講師:前田清  日中友好協会兵庫県連会長

資料代:200円 マスク着用でご参加下さい!感染防止対策をして開催します。

百科検定の受験申込み・リーフレットは下記へご請求下さい!

主催:日本中国友好協会兵庫県連合会

Tel&Fax(078)412-2228

E-mail : okmt50@nicchu-hyogokenren.net

学習講演会「ポストコロナの世界と中国」

覇権か国際協調か・米大統領選後の米中新冷戦の行方

コロナ禍を克服した中国・国家と社会の役割が鮮明、世界が注視する香港・台湾・少数民族自治問題などについて山本恒人大阪経済大学名誉教授の講演を聞き学習します。どなたでも参加できますのでお誘い合わせてご参加下さい。

日時:2020年12月13日(日)午後2時~4時30分

会場:東播磨生活創造センター(かこむ)1F講座研修室

(JR加古川駅南を南東へ徒歩5~6分、県加古川総合庁舎)

講師:山本恒人大阪経済大学名誉教授、協会大阪府連副会長

資料代:500円 マスク着用でご参加お願いします

主催:日本中国友好協会加古川支部

連絡先:090-8753-5972(前田)

第43回兵庫の「語りつごう戦争」展

「戦争を遂行する文化」テーマに資料展示

今年で43回目となる兵庫の「語りつごう戦争」展が12月6日から神戸市兵庫区の妙法華院で始まりました。今年の展示テーマは「戦争を遂行する文化」で、会場には戦時中の厳しい統制の下、当時の状況を反映した雑誌や写真、戦時生活の様子がわかる現物資料などが多数展示されています。また中国を侵略した日本が中国大陸で行った太平洋戦争期最大の虐殺事件「廠窖住民大虐殺」の資料や写真、さらに大陸で日本企業が、軍隊の威を借り、中国の地下資源略奪、軍事要塞の構築などに強制連行され、強制労働を強いられ命を落とした中国人労工がゴミのように捨てられ、また生き埋めにされ、その遺骨が今に残る「万人坑」の写真なども展示しています。更に高校生が書いた作品を含め、沢山の平和色紙も同会場に展示されています。

「戦争体験を聞く集い」が6日午後、同会場で開催され市民20人が参加しました。この日は、姫路海軍航空隊鶉野基地―通称「鶉野飛行場」工事事務所に勤務して―と題し当時の体験を話す予定の藤原昭三さん(91歳)が、コロナ感染拡大の中、高齢でもあり、安全を考えご本人は来場せず、藤原さんがまとめた14ページにわたる記録を実行委員会代表を務める上野祐一良さんが代読し紹介しました。また、飛行場跡近郊の北条高校に勤務する稲次寛さんが、生徒と共に藤原さんから聞いた体験や、今に残る戦跡について高校生が課外活動として小学生に伝える活動を行っていることなどを紹介しました。戦争体験談は、12月8日を除き戦争展開催中は毎日午後1時30分から妙法華院3階会議室で開催されます。

生演奏は素晴らしい!「日中友好・夢コンサート」

すごい迫力と繊細さに魅了された!

11月28日午後、日中友好協会東神戸支部主催の「日中友好・夢コンサート」が開催され、多数の市民が参加しました。出演は、モンゴル民謡歌手で音楽プロデューサーも務める内モンゴル自治区出身の劉偉さん、ピアノ伴奏と津軽三味線奏者の久保比呂誌さん、パワフルな歌声で、世界で活躍する星千尋さんの3人。

参加者は、日本の歌、中国の音楽、ジャズやルンバなど多彩な歌と音楽で優雅なひとときを楽しんでいました。星千尋さんのしっとりとした歌からパワフルな歌、劉偉さんとのデュエットなどその素晴らしい歌声に魅了されました。また久保さんの津軽三味線オリジナル演奏は会場全体が引き込まれる素晴らしいものでした。最後に、童謡「紅葉」の合唱で終了しました。

参加者からは、「生演奏の素晴らしさを久しぶりに味わった」「すごい迫力と繊細さに魅了された」「予想以上の内容でした」「コロナの中でこそ音楽の魅力を伝えたい」などの感想が寄せられました。(日中友好新聞東神戸版より)

第6回「中国残留日本人への理解を深める集い」

残留孤児の半生朗読と二世、三世が親たちの人生を語る

11月28日(土)午後、尼崎市内で第6回「中国残留日本人への理解を深める集い」が開催され約150人が参加しました。尼崎市が主催し、委託事業団体「コスモスの会」(宗景正代表)が企画・実行しました。初めに、稲村和美尼崎市長が開会あいさつし、朗読グループ「ま・どんな」のメンバー3人が、中国「残留孤児」宮島満子さん(84歳、尼崎市在住、長野県出身)が1938年、3歳の時、長野から一家11人で中国東北の東安省密山県へ開拓団として入植し、戦後40年も経ってから帰国した頃までの半生を証言を基に朗読しました。

ソ連が「満州」へ侵攻し、父親はソ連兵に連行されたまま戻らず、残された家族が開拓団からの指示で、ソ連機の銃撃の下、地獄の逃避行へ、その途中で兄弟は次々亡くなり、奉天まで来て、臨時の収容所となっている小学校で母親も飢えと寒さで衰弱し亡くなります。兄弟と3人が残され、このままでは死んでしまうと思った兄の説得で宮島さんは中国人家庭に預けられます。2度目の養父母に育てられ小学校へ入学、3年生の時、日本人ということでいじめられ、毎日衣服に唾をかけられたり、石を投げられ「小日本鬼子」(日本の鬼っ子)と罵られ学校へ行けなくなります。青年期には自殺も考えるが死にきれず辛い生活を送ってきました。宮島さんは、当時44歳の父親の消息について、ソ連へ連行されたあと強制労働させられる中で、赤痢のような病気にかかり、仕事が出来ない人や死んだ人と一緒にトラックに乗せられて山に放り出され、石油をかけられ生きたまま焼き殺されたことを知ったと証言しています。

日本へ一時帰国した際、生きて日本に帰っていた兄と再開を果たしますが、永住帰国したいと話すと兄は言葉もわからず、兄の家も人数が多く面倒が見れず、日本で仕事に就くのは難しい、習慣も違う日本で生活するのは無理だと言われ断念します。1980年代の後半、兵庫県への永住帰国がやっと叶い、兄の世話にもならずにすむと有馬温泉の旅館に住み込みで働き始めました。しかし、言葉が不十分なため、毎日「アホ、バカ、中国へ帰れ!」と怒鳴られながら辛抱してきた、と宮島さんの証言朗読は続きます。

集いは朗読の後、「国境に入植した開拓団について」コスモスの会代表の宗景正さんが写真や地図などを映しながら紹介しました。集いの第2部では「音楽のひととき」で、ピアニストの安達さおりさんがショパンの2曲とリストの1曲を演奏しました。その後、残留孤児2世と残留婦人3世が「親たちの人生を語る」と題し対談しました。聞き手のスタッフから、「親や祖母が残留孤児、残留婦人だと知った時どう思ったか」、「日本へ帰国してよかったこと、悪かったことは」などの問いに応える形で対談は進められました。その中で残留孤児2世の一人は、親たちは、中国で『日本鬼子』『日本へ帰れ』などといじめられ、日本へ帰国すれば『中国人は来るな』『中国へ帰れ』などと罵られ耐えがたい苦痛を味わっています、と声を詰まらせ涙声で訴えていました。

今回の集いを通じ感じたことは、この悲劇の大元には日本の中国への侵略戦争があり、中国の人々は、日本が中国を侵略したことにより何千万人もの中国人が被害を受け、命が奪われ、土地を奪い取られ、強制連行や強制労働により労働力を搾り取られ、動けなくなったら息があってもゴミのように捨てられた。また戦時、中国各地の鉱山では日本の大企業により膨大な量の地下鉱物資源が略奪され、抵抗すれば殺害された歴史をよく知っています。こうした加害について戦後の日本政府は公式に認めず、日本国民に知らせず、1990年代になり被害者やその家族が訴訟しても時効を盾に門前払い、謝罪も補償もしないという態度です。口先でいくら「日中友好、中国は日本にとって大切な隣国」などと言っても中国の人々には通用しないでしょう。今こそ日本の多くの人々が、「日本は中国でなにをしたか」の歴史を知る努力が必要ではないでしょうか、今後この様な悲劇が繰り返されることがないように。

会場ロビーでは宗景正さん撮影「ソ満国境に入植した開拓団」写真展も開催され多くの参加者が見入っていました。(U)

宮島満子さんの詳しい証言は2008年発行(高文研)の「私たち何じんですか?」に紹介されています。(樋口岳大・宗景正共著 1,700円)