戦争展で「中国人強制連行」について展示

中国大陸での強制連行・強制労働、数の多さに驚く

昨年12月6日~10日に神戸市内で開催された第42回兵庫の「語りつごう戦争」展で、日中友好協会兵庫県連合会は「万人坑と中国人強制連行」について図表や写真を数点実行委員会に提供し展示された。戦争展は期間中200人を超える市民が参観しました。

「万人坑⌉とは、15年戦争期、日本の中国侵略で犠牲となった中国人の遺体が埋められた「人捨て場」で、中国の人々は万人坑と呼んでいます。万人坑は中国の東北地方から南の海南島に至るまで数え切れないほど存在します。膨大な数の犠牲者の多くは、炭鉱や鉄鉱などの鉱山や軍事要塞、巨大ダムなどの土建工事などで強制労働させられ、主に過労と飢えにより衰弱死させられた中国人です。

「展示された写真」

■北票炭坑万人坑(遼寧省):中国人労工の遺体が大量に投げ込まれた深い谷、中央の白い建物(遺骨保存館)の手前。

■豊満水力発電所建設工事(吉林省):工事で強制労働させられる中国人労工。

■大同炭鉱煤峪口万人坑の遺体(山西省):廃鉱となった鉱脈に至る坑道に大量の遺体が捨てられ一部がミイラ化している。

(写真提供:青木茂氏)

恒例のコスモスの会「新年交流会」

餃子、料理を作り、食べて歌って踊ってワイワイ交流!

尼崎市の委託事業で中国帰国者向け日本語教室を開催しているコスモスの会は2020年「新年交流会」を開催します。

日時:2020年1月18日(土)12:30~4:00

会場:尼崎市立生涯学習プラザ1F 大ホール

参加費:コスモスの会会員500円 一般の方1200円

参加には申込みが必要です。(氏名・所属・連絡先)

問合わせ:コスモスの会 ☎080-8318-0858(田村)

2020年新年のごあいさつ

日頃は、兵庫県連合会と支部の諸活動に暖かいご支援を賜りありがとうございます。

いま世界は、かつての大国=米・英・露などの凋落と、中国をはじめ新興国の台頭が、米中貿易摩擦、英国とEU離脱問題、日韓問題、北朝鮮問題など先行きが見えない状況を生み出し、軍事領域でもNATOと米国、東アジアで韓国と日本への米国の米軍駐留経費負担問題などが浮上しています。米国の凋落と中国の台頭が背景にあり、正に大激動・動乱時代を迎えていることが懸念されます。こうした時代だからこそ、世界とりわけ東アジアと日本が平和の方向へ、友好と交流へ前進できるかどうか、また安倍暴走政治がたくらむ、戦争する自衛隊にする憲法改悪の道を許すかどうかが問われる重要な年になるでしょう。

日中友好協会は、「日中不再戦」の原点に立つ民間の平和・友好団体として、その役割は大きく、歴史を学び、草の根の相互交流・相互理解のために、更なる前進を目指します。兵庫県連合会や姫路支部などが企画する平和友好ツアー、全国で実施される「中国百科検定」の受験者拡大と「中国を知る学習会」に取り組み、絆を広げるために全力で取り組みます。特色を生かした楽しい多彩な文化活動を大いに進め、これらの取り組みの中で、尼崎支部の再建をはじめ、会員、準会員を迎える活動を広げて参ります。本年も一層のご支援とご協力をお願い申し上げます。

2020年1月吉日

兵庫県連合会会長 前田清

中国帰国者が新春を祝う生け花を体験

花材や生ける順序、正月飾りなどを学ぶ

神戸市の委託事業で毎月3回日本語教室、毎月1回生活講座を開催している中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会「岡本教室」は12月26日の生活講座で新春を祝う生け花について紹介しました。これまで生活講座で生け花を始めて8年目となります。

講師の佳生流師範・石井敏子さんが、生け花用の松・柳・千両・葉ボタンなど正月を祝う花材一つずつが持つ意味を説明し、花を生ける順序や角度、茎の切り方など詳しく説明しました。

参加した帰国者は講師やボランティアの人たちからアドバイスを受け、一つ一つ考えながら生け花を体験しました。完成した生け花は参加者同士お互いの作品を鑑賞し合い日本の文化、生け花の生け方について学習しました。

第21回「漢詩を読む会」

梅の詩―林和靖(967~1028)の梅妻鶴子

北宋の時代、名勝西湖の孤山に隠棲し、梅と鶴を愛した詩人の代表作「山園小梅」を読みます。ほのぐらい夜に薫る梅を歌い、彼の代表作として有名です。彼のことは、あの芭蕉も句に詠んでいます。さらに林和靖は、白楽天から多くの影響を受けていることもお話し頂きます。

日時:2020年2月15日(土)午後2時~4時

会場:日中友好協会兵庫県連合会「会議室」

講師:丹羽博之  大手前大学総合文化学部教授

参加費:1000円 事前に参加ご予約お願い致します。

終了後、近くの中国料理店で講師との懇親会もあります(参加任意)

主催:日中友好協会兵庫県連合会「漢詩を読む会」

連絡先:電話:078-412-2228

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net 

こども京劇プロジェクト

孫悟空天界で大暴れ―在日京劇団「新潮劇院」公演

日時:2020年1月13日(月・祝)開演14:00(開場13:30)

会場:葺合文化センター大ホール(神戸市中央区旗塚通)

対象年齢3歳以上 定員:160人 子どもでもわかる字幕付き

一般500円/大学生以下無料(要予約)

ワークショップ:1月11日(土)、12日(日)9:30~15:00

会場:神戸芸術センター・StuidioR(神戸市中央区熊内橋通)

対象年齢3歳以上  定員:20名(大人だけの参加も可能)

参加費:一般6,000円/大学生以下2000円

主催・申込み:一般財団法人 日本京劇振興協会

☎080-4478-7009(梅木)https://www.shincyo.com

後援:中国大使館文化部/神戸市/神戸市教育委員会

講演「中華人民共和国建国70周年を考える」

協会は中国をどう評価し、どう付き合うか?

日中友好協会東神戸支部は12月15日午後、神戸市内で支部総会、「記念講演会」を開催しました。記念講演会は、井上久士本部会長(駿河台大学教授)が「中華人民共和国建国70周年を考える」と題し講演しました。

井上教授は、波瀾万丈の中国近代史を紹介する中で、200年前の世界について語り、1820年の世界国別GDP推計の表を示し、当時の中国(清朝時代)のGDPは世界の28.7%(GDPの世界総計に占める割合、人口の世界総計に占める割合は35.5%)でインド、フランス、英国と続き日本は第6位の3・1%、米国は1.8%の第9位にあった。

アヘン戦争以降、欧米列強や日本の侵略によりその割合は激減し「東亜病夫」(ひん死の病人)などと侮辱され屈辱感を味わうこととなる。その後の中華民国、中華人民共和国にあっても「悔しさ」が土台にあった。列強国の中でも、「大日本帝国」が特に嫌われるのは、中国が立ち上がろうとしていた時期に侵略し強力な軍事力で暴虐の限りを尽くし、その被害の大きさと戦争責任の曖昧さにあると語りました。

中華人民共和国建国について井上教授は、「鉄砲から政権が生まれた」のか?と問いかけ、事実はその様な簡単なことではない。中国の人々は大へんな苦労をしている。中華人民共和国建国と東西対立の国際的な状況、日中友好協会結成の歴史について話しました。また、中国の「文化大革命」について、「文革」とは一体何だったのか、その特徴について語りました。

日中友好協会の立場について井上教授は、1966年10月以後33年間、協会と中国との交流が断絶したのは、毛沢東や「文革」の評価をめぐって関係が断絶したのではなく、原因は、中国側による日本国民の自主的運動への干渉行為、分裂組織(日中友好協会「正統本部」、現・公益社団法人日中友好協会)をつくり、日中友好協会を「ニセ日中」などと呼んで攻撃したことにあると語りました。

協会と中国側の関係は1999年10月に中国国際交流協会との関係が修復し、2000年に中日友好協会との関係が正常化しました。その内容は、①「文革」時の干渉の事実を中国が認める②自主・平等・内部問題不干渉の原則を守る。日中友好協会の教訓として、建国以来、中国発展への期待が強かった・中国革命の歴史から日本も学ぼうとする意識がかなりあった・反面、中国の国内問題への冷静な分析(例えば大躍進政策)は非常に弱かったと指摘しました。

日本の戦争責任と中国の「文革」責任について、国民を分断した点で似た所はある。最近の動きにふれ、尖閣諸島海域への中国公船の度重なる侵入・香港の運動・多数のウイグル人を強制教育施設へ収容などの人権問題はあるがこれらは「文革」時期の日本国民の運動への干渉とは全く違うものと語りました。最後に、この40年で中国は急速に大国になった。世界に与える影響もそれだけ大きくなった。本当の大国として、中国は王道を歩んでもらいたい。中華民国の創始者、孫文の言葉を思い出すべきであると語り講演を終え、会場からの質問にも応えました。

孫文の言葉、一部を紹介

「中国がもし強大になったら、われわれはわが民族の地位を取り戻すだけではなく、世界に対して一大責任を負う必要があるのであります。もし中国がこの責任を負えなかったならば、中国が強大になったところで、世界にとって大した利益はなく、むしろ大きな害になるのであります。では中国は世界に対してどんな責任を負う必要があるのか。・・・

われわれはまず一つの政策、すなわち、『弱い者を救い、危うい者を助ける』ことを決定する必要がある。それでこそ、われわれの民族の天職をつくすことなのであります。・・・

・・・われわれは、こんにち、発展に先立って、まず危うい者を助け弱い者を救うという志を立て、将来、強大になった時、いま自分の受けている列強の政治、経済の圧迫の苦痛を思いおこし、弱小民族が、もし将来、同じ苦しみを受けるなら、われわれはこれら帝国主義を消滅しなければならない。それでこそ、国を治め天下を平らかにすることになるのであります」(孫文『三民主義』、1924年)

中国の紅茶について学ぶ

安徽省、福建省、雲南省、広東省、台湾の紅茶

紅茶は世界のお茶総生産量の7割を占めており、世界で最も多く飲まれているお茶です。中国福建省が紅茶の発祥地と言われていますが、発祥地中国では緑茶生産がメインで、紅茶の生産量は中国茶全体の1割程度とあまり多くはありません。現在、世界の紅茶主要生産国は生産量の多い順に、インド、ケニア、スリランカ、中国、インドネシアで、この5ヵ国で世界の紅茶の8割を生産しています。

12月18日の「中国茶講座」は神田貴子高級茶芸師、高級評茶員が中国紅茶について、安徽省の「祁門紅茶」「工芸茶紅牡丹」、福建省の「無煙香正山小種」「伝統  正山小種  青楼紅袖」、雲南省の「滇紅金芽」「滇紅毛峰」「滇紅大葉」、広東省の「茘枝紅茶」、台湾の「台湾密香紅茶」を紹介、製造工程や中国紅茶の基本の入れ方などについて説明、茶葉の香りや特徴について話し参加者全員が試飲し中国紅茶を楽しみました。

盛唐の詩人・高適の「除夜作」を読む

李白・杜甫とも肝胆あい照らした仲

高適(こう  せき)盛唐の詩人(?~765)滄州渤海(山東省浜州)の人。字は達夫。生年については696年とする説、707年とする説などがあり一定しない。若い時は気ままで正業に就かず任侠をこととして博徒などと交わっていた。「唐才子伝」に「年五十にして始めて詩を作ることを学び」たちまち名声を揚げたと書いてある。天宝三(744)年には、李白、杜甫と共に梁・宋(河南省)地方を遊歴し、酒と詩作にふけって肝胆あい照らした。(漢詩鑑賞辞典より)

12月の「漢詩を読む会」は、丹羽博之大手前大学教授が、盛唐の詩人・高適の「除夜作」を映像を映して解説しました。また「西湖と漢詩」で白居易の「春題湖上」と宋・蘇軾の「飲湖上初晴後雨」の二首、唐代中期の詩人・李賀「蘇小小墓」を紹介し読んで解説しました。

除夜作(除夜の作) 高適

旅館寒燈獨不眠  旅館の寒灯独り眠らず

客心何事轉凄然  客心何事ぞ転た凄然たる

故郷今夜思千里  故郷今夜千里を思う

霜鬢明朝又一年  霜鬢明朝又一年

旅館の寒々とした灯のもと、ひとり眠られぬ夜を過ごせば

どうしたことか、旅の思いはいよいよ寂しさを増すばかり

今夜は大晦日、故郷では家族が遠く旅に出ている私のことを思っていることだろう

夜が明けると、白髪の老いの身に、また一つ年をとるのだ

次回「漢詩を読む会」は2020年2月15日(土)に開催します。

南京大虐殺から82年

12月13日、中国では「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」

侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は、南京侵華日軍受害者援助協会に登録されている生存者は79人になったと発表。今年は南京大虐殺82周年、日本軍による大虐殺から生き残った人は80代、90代となっています。12月13日は6回目の「国家追悼日」です。

1937年12月12日夕方、日本軍が南京城の南側と東側の城壁と門を突破し城内に殺到すると、中国軍将兵と市民はパニックに陥った。膨大な数の退却兵・潰走兵と、軍隊と一緒に南京を脱出しょうとする避難民の大群が、北西部の挹江門から脱出、長江(揚子江)を渡って逃げようと埠頭のある下関へ殺到した。しかし、南京死守作戦を命令した唐生智南京防衛軍司令長官によって、長江を渡るための船舶はすべて撤収されていた。13日午前2時、3時頃には、城内の砲声や銃声も途絶え、中国軍の全ての抵抗は瓦解した。南京城は陥落したのです。(上図は、太線・上海から南京への侵攻図)

一方、日本に於いては、12月13日の昼には「南京陥落戦勝祝賀大会」が後楽園スタジアムで開催され、10万人が集まり君が代を大合唱。14日には、全国の小中学校も休校とし、政府・官庁・教育界の肝入りで全国で旗行列、提灯行列が繰り広げられた。陸軍中央の統制を無視して強行した南京攻略戦であったが、大元帥昭和天皇からじきじきに「首都南京を陥れたることは深く満足に思う」との「御言葉」が下される大軍功とされたのです。

日本軍が南京攻略戦と占領下の南京で行った南京大虐殺についてはすぐに世界に報道されて、国際的な非難を呼び起こしたが、日本においては、軍部と政府の厳しい報道統制によって、日本国民には知らされることはなかった。(日中友好協会編「日中友好ブックレット3~日本は中国でなにをしたか」より)

写真は「村瀬守保写真集一兵士が写した戦場の記録・私の従軍中国戦線」より(写真説明は村瀬氏)

写真上:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた南京中山門の城壁。

写真中:虐殺された後薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体、ほとんどが平服の民間人でした。

写真下:焼かれた死体を見る日本軍兵士。