「日中友好平和の塔」建立50周年記念のつどい

日中平和友好条約締結45周年・「日中友好平和の塔」前記念集会

日時:2023年7月8日(土)午前11時~

場所:「日中友好平和の塔」周辺(芦屋公園内・43号線南)

阪神芦屋駅から、川沿いに国道43号線を南へ、芦川公園内

雨天決行

今年は日中平和友好条約締結45周年にあたります。日中友好協会芦屋支部・兵庫県連合会は塔建立50周年を記念し塔前周辺で記念集会を開催します。

1967年2月、当時、中国の「文革」による干渉が強まる中、協会本部は第16回大会を開催し、日本の軍国主義復活による中国侵略を許さず、日中両国民は再び戦わないという決意を確認し、翌年の第17回大会で「日中不再戦」という表現を明文化しました。

この頃、全国で不再戦碑・平和の塔・慰霊碑などの建立が続き、不再戦・平和運動の中心の一つとして大きな役割を果たしています。兵庫県では、1970年、芦屋市政30周年と日中友好協会創立20周年を記念し、当時の協会芦屋支部が中心的役割を担い、芦屋市民でつくる平和の塔建設委員会をつくり、広く市民や友好団体に寄付金への協力を訴え、盧溝橋事件から36年目にあたる1973年7月7日に塔を建立し今年50周年を迎えています

今日の厳しい日中関係の中、「日中友好平和の塔」の存在意義は極めて重要です。7月7日(7・7事変)は日本の侵略を中国全土へ拡大する契機となった「盧溝橋事件」勃発の日でもあります。日中両国の平和と友好を心から願う多くの市民の皆さんのご参加を呼びかけます。

みんなで学ぶ「中国近現代史」学習会始まる

今の中国を理解するためには近現代史の学習から

中国を理解するために始めた「みんなで学ぶ  中国近現代学習会」の第1回は5月20日(土)午後開催し7人が参加しました。テキスト「中国史」下巻(山川出版社)第5章「中華帝国の繁栄、1.明帝国の成立―元末期から明帝国へ、2.明末~激流の時代」についてページ毎のポイントをまとめた詳しいプリントを教材として感想や疑問点を出し合いながら学びました。プリントの一部を紹介します。

「明帝国の建設」の項の一部では、「朱元璋集団の特徴。第一は、困難な戦いを勝ち抜いてきた軍団の質実剛健の気風。元朝の自由放任的な政策の下で貧困農民を犠牲にして繁栄していた都市や先進地域中心の社会経済に対して、強い引き締め政策をとった。第二は、流民的略奪集団と一線を画する儒教的な正統主義である。もともと朱元璋は、白蓮教反乱集団の一武将として頭角を現したが、のちに知識人や儒学者をブレーンにしたことにより、刹那的な富貴より、天下をとるという大目標に向けて、有徳の君主の伝統的モデルに沿って自らを律するようになる。

その後、朱元璋は、兵士による婦女財物の略奪や焼き討ちを厳罰をもって禁じた。白蓮教をさえ「妖術」と罵り、かつて自分が属していた「紅巾軍」にたいし、「都市を焼き尽くし士大夫を殺戮した」としてその破壊的傾向を糾弾した。帝位につく以前から、科挙制度や祭壇の建設、律令の編纂など歴代王朝の伝統に則る諸制度の整備が学者グループによって精力的にすすめられ、「天命を受けた仁義ある君主」のイメージに支えられ朱元璋は新王朝を樹立した。朱元璋自身は、儒学的教養とは縁のない環境に育ち、成人後も戦争に明け暮れていたにもかかわらず、皇帝となった時は儒教の古典や歴史に対する相当の素養を身につけていた。

第二回学習会にご参加下さい!

日時:2023年6月17日(土)午後2時~4時

会場:日中友好協会兵庫県連合会「教室」

テキスト「中国史」下 お持ちの方はご持参下さい。

テキストがなくても参加できます。

資料代:500円

主催:日本中国友好協会兵庫県連合会

Tel&Fax: 078-412-2228

E-mail: okmt50@nicchu-hyogokenren.net

記念講演会「もっと知ろう台湾」

協会姫路支部第17回総会で記念講演会

「台湾」にいま世界の注目が集まっています。最近では、「台湾有事」というと物騒な言葉が毎日のように飛び交う時代になってしまったからです。日本に一番近いこの島が「戦争になる」と言い立てて、沖縄の先島諸島にミサイル基地を強化し、「敵基地攻撃能力保有」を目指すなど、私たちの日本を戦場にする計画としか考えられません。いま、日本は、戦争の準備ではなく、平和の準備をこそするべきです。

このような時期にあたり、意外と知られていない「お隣の『台湾』そのものをもっと知りたい」という声に応えて、安井三吉先生に講演をお願いしました。どうぞお誘い合わせてご参加下さい。

と き:2023年6月24日(土)14:30~16:30

ところ:県立姫路労働会館サークルA室

講 師:安井三吉 神戸大学名誉教授

テーマ:もっと知ろう台湾~人と歴史そして今~

会 費:500円(資料代)日中友好協会員は無料

主催:日本中国友好協会姫路支部

☎090-8528-8374(河野) 090-3494-0247(澤野)

中国茶講座6月は「中国紅茶+α」

中国紅茶や周辺国で作られた紅茶を紹介

6月は「中国紅茶」をテーマに開催します。中国紅茶には、伝統的な紅茶から新たな製法で作られたユニークな紅茶まで様々なタイプがあります。一風変わった中国紅茶や、周辺国で作られた紅茶等を紹介します。

日時:2023年6月21日(水)13:30~15:00

会場:日中友好協会兵庫県連合会「教室」

テーマ:中国紅茶+α

講師:神田貴子さん 高級茶芸師 高級評茶員

参加費:1,500円(茶菓子、お土産付き)

定員:12名 事前予約が必要です。

申し込み先:日本中国友好協会兵庫県連合会

神戸市東灘区本山北町3丁目4-9 甲南ビラ201号

(JR摂津本山駅北口を東へ線路沿いを徒歩約1分ほど)

Tel&Fax: 078-412-2228

E-mail: okmt50@nicchu-hyogokenren.net

北宋の司馬光「初夏」を読む

司馬光(1019年~86)の名は、「資治通鑑」の著者として、また革新派王安石に対立する保守派の巨頭として、知られる。革新派に革新らしい詩があるように、保守派には保守派らしい詩が残っている。題して「初夏」。

四月清和雨乍晴  四月清和雨乍ち晴れ

南山当戸転分明  南山戸に当たって 転た分明なり

更無柳絮因風起  更に柳絮の風に因って起こるなく

惟有葵花向日傾  惟だ葵花の日に向かって傾くあるのみ

「四月」は陽暦の五月から六月にかけて、初夏である。「清和」は、すがすがしくなごやかなこと。「転」は、ますます、いちだんと。「柳絮」は、まっ白い綿毛をつけた柳の種子、それが空いちめんに舞うのは、晩春から初夏にかけての風景である。「葵花」は、ひまわりの花。

夏のはじめ、気候はすがすがしくなごやかに、雨が降っていたかと思うとたちまちあがる。雨があがり、南の山は玄関の真正面に、いちだんとくっくり姿を見せる。いつもなら空いちめんに舞う柳の綿毛も、今日はいっこうに風に舞いたつ気配もない。静かな昼下がり。ただひまわりの花だけが、太陽に向かって咲きほこっている。

漢詩を和訳するのは難しい。解釈はできても、訳をつけるのは、なかなか困難である。コンパクトな漢語をシラブルの多い和語に移すときに生ずる違和感、また、日本語のぬけがたいリズムである七五調や五七調のもつなだらかな雰囲気と漢語あるいは訓読調のもつ緊迫感との落差、それらが壁になる。しかし、上の詩などは、文語調の和訳をあるていど許容するかに見える。土岐善磨氏は、この詩を次のように訳している(「新版鶯の卵」春秋社)。

はつなつ

サツキの雨は いま晴れて

みなみの山は あざやかに

柳のはなの  飛びもせず

ひまわりのみぞ 日に向う

漢詩の和訳は、さらにさまざまな実験がこころみられてもよいのではないか。(一海知義著 漢詩一日一首 春・夏編 平凡社)

地図でめぐる孫文と神戸、華僑ゆかりの地

孫文は1924年11月、神戸高等女学校で「大アジア主義」講演

辛亥革命(1911年)で清朝を倒し、アジアで初めての共和国が誕生しました。1912年1月、中華民国臨時政府が南京で成立し孫文が臨時大総統に就任(1月1日~4月1日)しました。孫文(1866年~1925年)は1895年~1924年の間に18回にわたり神戸を訪れたと言われています。1924年11月28日に県立神戸高等女学校講堂(現兵庫県庁1号館のあたり)で超満員の聴衆を前に「大アジア主義」講演を行っています。来年は孫文の神戸講演から100年となります。神戸には孫文・華僑ゆかりの地が数多くあります。地図を見ながら辿ってみると神戸での歴史、孫文の足跡がよりわかりやすくなるでしょう。更に詳しく知ろうと思われる方は孫文記念館、華僑歴史博物館を訪れてみてはいかがでしょうか。(地図は孫文記念館・神戸華僑歴史博物館共作より)

3期目に入った習近平体制と台湾有事

協会の井上会長が現在の情勢と友好運動を語る

1978年から2011年までの中国の平均経済成長率は9・7%でした。これは60年代の日本の高度経済成長を30年以上続けたことに匹敵します。これが可能になったのは、中国を取り巻く国際環境が比較的平和であったこと、先進諸国の技術や経験から学べるという後発の利点を指摘できます。また、中国の政治は確かに強権的ですが、社会は基本的に安定し、質の高い安価な労働力が豊富に存在していました。経済成長期の日本と類似しています。

10年代になり、高成長から中成長へと状況が変化してきました。国内の社会的格差の拡大、少子高齢化の進行などの難題ととに、対外的にアメリカとの対立が浮上してきたわけです。昨年10月の中国共産党20回大会で、習近平が3期目の総書記となり、今年3月の全人代で国家主席に就任しました。習体制は、新型コロナによるマイナスからの回復という喫緊の問題とともに、量から質へ経済成長の転換をはかりながら、社会の安定と秩序をいかに維持するかなど、多くの国内課題を抱えています。

習体制の下、政府に対する党の指導的立場の強化が進むと見られます。党の最高指導部を習近平と関係が強い人物でかためたことで、敏速な決定がしやすくなる反面、国民の多様な意見を政策にいかに反映できるか注目すべきでしょう。また国民の人権や言論の自由が拡大するかどうか、見守っていく必要があります。

昨年8月、ペロシ米下院議長が台湾を訪問したのに対し、中国は、「一つの中国」原則が「中国の核心的利益の中の核心」であるとして、台湾海峡周辺で大規模な軍事演習を実施しました。日本では、「台湾有事は日本有事」とか「ウクライナは明日の東アジア」などという危機を煽る物騒な表現が飛び交っています。安保関連3文書は、こうした文脈の中で強引に閣議決定されたわけです。

しかし、習新体制でも中国の立場はこれまでと変わらず、台湾の平和的統一をめざすということです。また、台湾の民意は、ペロシ訪台後の世論調査でも、86.3%が基本的に現状維持です。台湾が独立を宣言するようなことは、冷静に考えれば、まず考えられない想定なのです。危機を煽り、中国を念頭に大軍拡に走るのは、日本にとって愚策としか言いようがありません。(日中友好新聞5月1日号より、後半は「友好交流活動」のページで紹介します)

神戸東灘区の伝統文化「本山だんじりパレード」

青空の下、活気に満ちただんじり囃子が響く

5月4日の昼過ぎ、東灘区を東西に走る山手幹線道路上に住吉川以東の10地区から大勢の人たちに綱で引かれてきた地車が終結し、JR摂津本山駅北側交差点付近の「練り場」で、勇壮で華麗な伝統あるだんじりの上で囃子に合わせ大声を張り上げながら色鮮やかな布切れを振る若者たちの力強い掛け声が響き、沿道を埋め尽くす大勢の見物の人たちに感動を与えていました。子供たちが並んで引く子どもパレードもあった、次世代を担う子供たちには大きくなったら頼むよ!何時までもこの文化を大切に守ってほしいと願いながら見守ります。

2020年以降は新型コロナウイルス感染症の広がりでパレードは中止を余儀なくされ、4年ぶり開催となりました。待ちに待った地元の人たちの思いが伝わってきます。パレードを企画した世話役の人たち、地車に乗る人、綱を引く人、その姿を楽しく、頼もしく見守る多くの人たちの心が一つになっているように感じ感動しました。これが昔から伝わる素晴らしい伝統文化、これからもこの貴重な文化を守り後世まで引きつぎ残してほしいものと心から願うばかりです。

沖縄、4・28「屈辱の日」から71年

4・28「屈辱の日」捨て石、分断繰り返すな!

1952年のサンフランシスコ講和条約で沖縄が本土から切り離され米統治下におかれた「屈辱の日」から今年で71年となった4月28日、玉城デ二―知事は沖縄県庁で会見し「米軍基地の集中が県民生活に影響を及ぼしている、県民の目に見える形で実感を伴う基地負担の軽減が図られる必要がある」と語りました。「琉球新報」は「屈辱の日」について以下の社説を掲載しています。

71年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した。沖縄戦で「捨て石」にされた沖縄はこの日、日本の独立と引き換えに「分断」された。「捨て石」「分断」の歴史が繰り返されてはならない。沖縄は本土決戦を遅らせるための「捨て石」として戦われ、一般住民と現地招集などを含めた12万2千人余の県民の命を失った。避難していた壕から日本兵に追い出されたり、スパイの嫌疑で殺害されたりした県民もいた。この悲劇から「軍隊は住民を守らない」という教訓を得た。

戦後、米軍は県民の土地を奪い基地を建設した。米軍の圧政にあえぐ沖縄を日本は切り離す。昭和天皇が、米軍による沖縄の長期占領を望むという「天皇メッセージ」や、それを具体化した吉田茂首相の提案が影響し、講和条約3条で施政権は分断された。1972年に日本に復帰したものの、「本土並み」の基地負担軽減を切願した県民の思いはないがしろにされ、大多数の米軍基地は残った。「捨て石」として日本防衛の盾にされ、日本独立のために切り離された挙げ句、今も全国の米軍専用施設(面積)の7割が沖縄に集中する。

知事選や県民投票などで繰り返し「反対」の民意が示された辺野古新基地の建設を強行するなど、今日に至るまで沖縄は基地を押し付けられている。今に続く苦難の歴史を忘れてはならないという意思に基づき、県民は4月28日を「屈辱の日」として記憶しているのである。ところが日本政府は沖縄の歴史に背を向けた。10年前の2013年4月28日、「主権回復の日」として式典を開いたのである。県内では強い反発が起き、式典と同時刻に抗議の大会が開かれ、「屈辱」と県民が呼ぶ日を祝賀する政府を厳しく批判した。

10年前の式典について琉球新報社が今回、県議会議員48人と県選出国会議員10人にアンケートを実施したところ「式典を開催してよかった」と答えた議員は1人だけで、「どちらでもない」が29人、「開催しない方がよかった」は28人であった。沖縄の苦難の歩みを直視しない違和感や反発が反映された結果といえる。式典から今日までの10年で沖縄の置かれた環境は厳しさを増している。現在、日米両政府は東アジア地域の安全保障環境の悪化を理由に米軍、自衛隊の基地機能の強化を沖縄で進めている。この軍備強化は、県民が求める基地負担軽減に逆行する。再び沖縄を盾にするつもりなのか。県民は強い危機感を抱いている。周辺国を軍事的に刺激すれば必然的に緊張が高まる。平和のため、同盟国だけでなく周辺国とも良好な関係を構築する外交努力により力を入れるべきだ。悲惨な歴史と屈辱は再びあってはならない。県民は日常生活の安寧と恒久平和を求めている。(4月28日琉球新報デジタル版社説より、写真は2013年4月28日、政府の「主権回復の日」式典への抗議集会、琉球新報より

中国の積極的外交に注目!

日中友好新聞東神戸版に掲載された投稿記事

3月の「全人代」を終え3期目に入った中国の習近平国家主席は、ウクライナ侵攻を続けるロシアを訪問しプーチン大統領と会談、停戦に向けての提案を行ったと伝えられました。欧米諸国がウクライナ支援を続ける中、中国が中立的立場で停戦へのイニシアティブを発揮できるかが注目されるところです。

2016年以来、外交関係を断絶していたサウジアラビアとイランが3月10日、国交正常化協定に調印したが、その仲介をしたのが中国です。今年2月、イランのライシ大統領の中国訪問などを経て実現したものです。

4月5日から7日の日程で、フランスのマクロン大統領が国賓として訪中し、閲兵式や公式会談、晩餐会など盛大な歓迎を受けました。講演でマクロン大統領は「習近平氏が提案しているウクライナ戦争に関する政治的、外交的解決案である和平案を歓迎する。フランスは和平案全体に同意するわけではないが、和平案は紛争の解決に寄与する」という趣旨のことを述べました。これに対する内外からの批判には「フランスはアメリカの下僕ではない」とも語っています。

習近平氏は4月14日、国賓として中国を訪問したブラジルのルラ大統領と北京の人民大会堂で会談しました。習近平氏はルラ大統領の訪中に熱烈な歓迎の意を示し、「中国とブラジルはそれぞれ東半球、西半球の最大の発展途上国であり、重要な新興市場国だ。互いを全面的戦略パートナーとして、幅広く利益を共にしている。新時代の両国関係の新たな未来を開き、両国人民により多くの幸福をもたらし、世界の平和・安定と繁栄・発展のために積極的で重要な役割を果たしていきたい」と述べています。

今年、日本はG7議長国として大きな役割を担っています。5月19日から広島サミットが開かれます。岸田首相には世界の平和・繁栄に貢献できる役割を果たしてもらいたいものです。(H・H、日中友好新聞東神戸支部版5月号より)