講演「東アジアの平和と発展を考える」

ASEANは中国とどう付き合おうとしているか?

日中友好協会東神戸支部は12月13日午後、神戸市内で総会記念講演会を開催、太田和宏神戸大学教授が「東アジアの平和と発展を考える―ASEANは中国とどう付き合おうとしているか?」をテーマに講演しました。

太田教授は先ず、南シナ海で起きている最近の動きを解説。中国は今年4月、西沙諸島、南沙諸島に行政区を設定し、領有権を主張するインドネシアやベトナムなどと豊かな海を取り合っている。そしてこの半年、米中がこの領域で牽制し合っている。米国のポンペオ国務長官は「中国が南シナ海を自らの海洋帝国として扱うことを認めない」「中国の主張は全面的に非合法だ」「米国の立場はハーグ国際仲裁裁判所判決と一致している」。これに対し中国の王毅外相は「米国が南シナ海の軍事化の最大の推進者であり、平和を損なう最も危険な要素だ」「東アジアサミットEASは他国の内政に介入する場所ではない」と反論している。

南シナ海領有海域問題とはどういうことなのか。南シナ海には、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の200の島、環礁、岩からなる地域で、第2のペルシャ湾と言われるように、資源埋蔵量は367.8憶トン、天然ガス7.55兆立法メートル、多金属塊、レアアースなどの海底資源があり、重要なシーレーンでもあり、軍事拠点ともなっている。

太田教授は、この地域における中国による占拠と埋め立てについて具体的に解説し、フィリピンやベトナムなど周辺国との領有権争いについて具体的に各国の主張や係争の内容を年代順に説明しました。さらに、中国の海洋国家構想や「一帯一路」構想についてその内容を紹介し、2020年の変化として、今年5月に米国大統領府が発した中国に対する主張、「中国は米国の重要国益と他国の主権、人々の尊厳を侵害している」「競争は対立や紛争を意味しない」「中国の発展封じ込めではなく、公正競争への参加を歓迎する」との内容を紹介しました。

最後にASEANの依拠する枠組みについてASEANがこれまで行ってきた数々の議論を年代順に紹介、中国ASEAN「南シナ海関係行動宣言」DOC、行動規範COC、国連憲章、182年国連海洋法、東南アジア友好協力条約、平和五原則に基づく対応など、ASEANはルールに基づいて紛争を解決し、中立的立場に立つインド・太平洋地域を目指している。結論として、「共通のルールに基づいた協議」「紛争の平和的解決」「東南アジア平和・自由・中立地域宣言」「域外大国の介入を阻止」がASEANの立場。

講演「ポスト・コロナの世界と中国」

中国が東アジアと世界における「平和・反核・軍縮・民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮することを願う

12月13日、加古川市で開催された日中友好協会加古川支部主催の「中国問題学習講演会」で山本恒人大阪経済大学名誉教授が講演した内容の要旨を紹介します。

ポストコロナをリードする中国

中国問題を見る場合、トータルに中国を考えることが大事で、新型コロナ感染症への対応も、当初、武漢の「医師問題」に見られる失敗といわれる「欠陥と不足」を認め、初動の遅れが「建国以来の公共衛生事件」を招いた(習近平)。初動の遅れを反省し、病院の新設などの「集中的、徹底的対応」をとり、現在のコロナ感染症の統計を見ると殆ど封じ込めた状態にあるといえる。

拡大を止める速さが経済回復のテンポを決める

データをもとに、「感染拡大のストップのスピードが、経済回復のテンポを制す」として、中国のGDPの推移を他国と比較して説明。

米中は「関与」から「分離」へ

米中の経済対立とその歴史的な経緯を、ニクソン時代のキッシンジャー国務長官の「対中関与」と対比し、現ポンペイオ国務長官スピーチでの「対中関与政策を根本的に転換」し、価値観の異なる中国との全面的な対決、すなわち冷戦期のイデオロギー対立に類似した世界を見越していると説明。

中国の発展方向、三つの段階で目標、国民所得の底上げ

中国の国家発展方向について、今年開催の党19期五中全会決定で簡潔に述べている、2020年までの第一段階「小康社会の全面達成。貧困ゼロ。2035年の第二段階で近代化基本的に達成。第三段階は2050年、米・独・日に並ぶ。投資主導型から消費主導型へ。外需から内需へ。国民所得の底上げ、内需を大きくする方向、格差を縮小、先進国を目指す。

香港・台湾・少数民族問題

香港・台湾・少数民族についてその問題点を説明。台湾の「一国二制度」は切り離すことのできない「一体」概念で五十年という期間は創造的で動的な過程である。また、一国二制度とは、「自治」を進めながら国の「秩序と統一」を図り、どういう国家を建設していくかという「世界史的課題」なのである(丸山重威・日中友好新聞)。なお、香港市民、学生は、「香港独立」論や「暴力肯定」とは一線を画している。台湾については、「台湾人が共有するSARSの記憶」をもとに「水際作戦」「マスクの市場管理」など早期の対応が成功した。

大漢民族主義の風(文革期の如し)

今、最も懸念されている問題としての少数民族問題を取り上げ、習近平演説での「正しい国家観、歴史観、民族観、文化観、宗教観を確立」するための教育強化を指示。その中で、「イスラム教の中国化を堅持せよ」と語り、ウイグル族などイスラム系少数民族の信仰を党の指導下に置き、社会主義的価値観と融合させるよう求めている。また、内モンゴルで今年9月の新学期から「モンゴル語」での教育を制限。来年以降は道徳や歴史の授業も漢語の教科書にすると表明、など大漢民族主義の風が強まっていくことが懸念される。

日中韓の連帯こそ東アジア・世界への貢献

最後に、「中国は、米国と共にアジア軍拡を主導していると見られている。中国の経済発展と豊かさへの前進は称賛に値するが、平和・軍縮・自由と民主主義の旗手たりえていない」(井手啓二氏)の指摘に同意しつつ、この課題解決は中国だけでなく日本の課題でもある。明治以来の中国と東への侵略と加害の「歴史の克服」は国民共通の課題である。アメリカによる「中国脅威論」に追随し、憲法改悪・戦争への道を突進する日本の現状にストップをかけるのは私たちの責任である。その主体的な歩みこそ、中国が東アジアと世界における「平和・反核・軍縮・民主主義・環境保全」に向かってリーダーシップを発揮する時代を迎える保障となり、励ましとなる。(M)

生演奏は素晴らしい!「日中友好・夢コンサート」

すごい迫力と繊細さに魅了された!

11月28日午後、日中友好協会東神戸支部主催の「日中友好・夢コンサート」が開催され、多数の市民が参加しました。出演は、モンゴル民謡歌手で音楽プロデューサーも務める内モンゴル自治区出身の劉偉さん、ピアノ伴奏と津軽三味線奏者の久保比呂誌さん、パワフルな歌声で、世界で活躍する星千尋さんの3人。

参加者は、日本の歌、中国の音楽、ジャズやルンバなど多彩な歌と音楽で優雅なひとときを楽しんでいました。星千尋さんのしっとりとした歌からパワフルな歌、劉偉さんとのデュエットなどその素晴らしい歌声に魅了されました。また久保さんの津軽三味線オリジナル演奏は会場全体が引き込まれる素晴らしいものでした。最後に、童謡「紅葉」の合唱で終了しました。

参加者からは、「生演奏の素晴らしさを久しぶりに味わった」「すごい迫力と繊細さに魅了された」「予想以上の内容でした」「コロナの中でこそ音楽の魅力を伝えたい」などの感想が寄せられました。(日中友好新聞東神戸版より)

花茶の香りと茶外茶を学び楽しむ

花茶(ジャスミン茶)と茶外茶(健康茶)を味わう

中国茶六大分類では、製造方法の違いにより、「白茶・黄茶・緑茶・烏龍茶・紅茶・黒茶」の6つに分類しています。これら6つをまとめて基本茶類と呼びます。基本茶類に再度手を加え加工したお茶を「再加工茶」と呼び、六大茶類とは別のカテゴリーに分類しています。ジャスミン茶などの花茶や、茶葉を固めた緊圧茶、ティーバッグや粉末のお茶などが再加工茶にあたります。その他、茶樹以外の植物から作られるお茶も「茶外茶」として,広義の意味で中国茶に含まれています。

「講座」では、「花茶」の製造工程や特徴などについて詳しく説明を受け、茉莉花茶3種(茉莉茶王、茉莉小精針、茉莉龍珠)と桂花紅茶(桂花九曲紅梅)を味わいました。「茶外茶」では強い苦味が特徴の海南苦丁茶と漢方の生薬として使われているという胖大海を試飲しました。

※「中国茶講座」12月はお休みします。

兵庫県連合会が第66回大会を開く

11月8日(日)午後、日中友好協会兵庫県連合会は神戸市内で第66回大会を開催しました。コロナ禍の下、会場の人数制限を受けながらも県内各地からの代表が参加しました。

今年創立70周年を迎えた協会の歴史を振り返り、中国国内や日中間の問題、平和に関わる問題など激動する情勢の下で協会が果たすべき役割、課題について真剣な討議を行いました。

2019年度の活動の総括と2020年度活動方針では、「不再戦平和活動」「中国帰国者支援活動」「文化諸活動」「中国百科検定」「組織・財政活動」などについて提案があり、9人が発言しました。

「毎月定期的に役員会を開催し、仲間づくりや行事開催を議論をし活動を続けてる。4年間連続で増勢を迎えている」「中国帰国者支援では一緒に楽しむことを企画し交流したい」。「機関紙配付や会費の集金を手分けして行っている」「協会の広報、宣伝力の強化を望む」など幅広い分野にわたる発言が続きました。(写真は発言後フルスを演奏する参加者)

各地、各分野の報告を踏まえ、提案された議案を採択し、新役員が承認されました。最後に、協会組織の強化、拡大と運動の発展を誓い合い、大会宣言と大会決議を採択しました。

晩唐の詩人・杜牧「山行」を読む

10月31日に開催した第24回「漢詩を読む会」は晩唐の詩人・杜牧の「山行」を映像を見ながら、丹羽博之大手前大学総合文化学部教授の解説で読みました。

杜牧(803~852)

字は牧之、号は樊川(はんせん)。京兆万年(陝西省西安市)の人。憲宗朝の宰相で「通典」の著者として有名な杜佑の孫にあたる。太和二(828)年、進士に及第、さらに賢良方正科にも及第してエリート官僚として第一歩を踏み出す。弘文館校書郎、左武衛兵曹参軍を経て、広西観察̪使であった沈伝師に招かれ、部下として洪州(広西省南昌市)へ赴く。太和四(830)年、沈伝師の転任により宣州(安徽省宣城県)へ移り、その地で3年間を過ごす。その後揚州、洛陽を経て都に戻り、再び湖州(浙江省呉興県)の刺史となり、約一年後に孝功郎中、知制誥に任命されて長安に戻り、大中六(852)年、中書舎人に進み、同年11月に50歳で没した。

杜牧の詩は、軽妙洒脱が持ち味でセンスがよい。特に七言絶句にその才が遺憾なく発揮された。盛唐から中唐へと洗練されてきた詩の美しさ、うまさの感覚が、風流な貴公子・杜牧の才をまって花開いた、と考えられる。杜甫を「老杜」というのに対し、「小杜」と呼ばれる。(石川忠久 漢詩鑑賞事典より)

山 行 杜牧〈七言絶句〉

遠上寒山石徑斜  遠く寒山に上れば石径斜めなり

白雲生處有人家        白雲生ずる処人家有り  

停車坐愛楓林晩        車を停めて坐に愛す楓林の晩

霜葉紅於二月花        霜葉は二月の花よりも紅なり

この詩の最大の妙味は、霜にうたれて色づいた楓の葉を、二月の春の盛りの花よりもさらに赤いと言い放った奇想天外さにある。

次回の第25回「漢詩を読む会」は12月19日(土)です。

テーマは「白楽天の新年」

中国茶講座で六大茶類を学ぶ

製造方法を基に緑茶・白茶・黄茶・烏龍茶・黒茶・紅茶に分類

10月21日開催の「中国茶講座」は定員を上回る16名が参加しました。神田貴子高級茶芸師・高級評茶員が中国茶の分類について発酵や製造工程の違い、特徴を説明しました。また、中国茶4大茶区(江北茶区・江南茶区・西南茶区・華南茶区)の産地名や主に生産される茶類についても紹介しました。六大茶類の製法、生産状況、中国茶の基本の入れ方(茶葉、湯量、洗茶、抽出時間と回数、推奨茶器など)について詳しく説明し、緑茶の「西湖龍井茶」・黄茶の「君山銀針」・白茶の「花香白牡丹」・烏龍茶(青茶)の「安渓鉄観音」、「大紅袍」・黄茶の「君山銀針」・紅茶の「祁門紅茶」、黒茶の「谷庄普洱茶(熟茶)」について個々の産地、製造工程、味、香り、湯色など特徴を詳しく紹介し試飲しました。

次回中国茶講座は11月18日(水)午後1:30 テーマ:未定

参加予約を受け付けています。定員15人

「香港問題」で山本恒人大阪経済大学名誉教授が講演

9月13日(日)神戸市内で開催された「どうなる香港!学習講演会」で山本恒人大阪経済大学名誉教授が「香港基本法=一国二制度遵守は国際公約―なぜ中国政府は〈最善手〉をふみ外したのか―」をテーマに講演し市民50人が参加しました。

中国は19世紀始めまで世界トップの経済大国であった

英国が仕掛けた阿片戦争に敗れ、1842年の中英共同声明で香港島が英国領となり、その後、新界などを99年間英国が租借し香港全域が植民地化しました。中国(清朝)は19世紀初頭、世界のGDPの三分の一を占めていた超大国であったが、阿片戦争に敗れ、中華世界が半植民地となりその恥辱は想像を絶するものがあります。

新中国を建国するのに100年を要した

その後の帝国主義諸国による侵略に抗して新中国(中華人民共和国)を建国するのに100年を要しています。1984年の中英共同声明で香港返還を決定し、世界に表明しました。1997年香港は中国に返還され、「一国二制度」が開始しました。山本教授はその後、2019年の「逃亡犯条例」改正案をめぐる香港市民の大規模な反政府デモに至るまでの香港の動きを具体的に紹介。

香港返還後のスタートラインは「沿海発展戦略」

「沿海発展戦略」は別称「広東の香港化、中国の香港化」とも呼ばれ、NIEs(ニーズ:新興国群―韓国・台湾・香港・シンガポール)の一員としての香港経済発展の経験と教訓が大きな役割を果たしました。中国人の「融通無碍」の柔軟さに世界は驚かされたものです。

中国が「平和・反核・軍縮・自由と民主主義・環境保全」に向け東アジアと世界におけるリーダーシップを発揮することを願う

現在、香港で繰り広げられている事態は、中国の世界における存在が巨大化するにつれて、統治方式が次第に国内基準だけでは通用しなくなり、国際的な場でも認知される新たな基準を中国自らが開発し、獲得していく新しい時代を迎えています。それゆえ、国際公約・50年(1997年―2047年)にわたる香港の「一国二制度」を放棄する行為を深く憂慮するものです。

香港への「国家安全維持法」導入には批判と擁護、必然論の両論がある

山本教授は、香港への「国家安全維持法」導入については批判的報道と擁護、導入必然論があることを具体的な内容の一部を示し紹介しました。さらに、中国における「一党支配」体制と対外路線について、後発国における国民国家形成のための凝縮力としての制度「党国体制」と、スターリン時代のソ連を踏襲した「プロレタリア独裁」型中央集権体制の下で、肥大化する「官僚制」国家とそれを統括する超法規的存在(主権在党)としての共産党の一党支配、「超法規的主権在党」は社会主義とは相いれないものですと語りました。

スタンフオード大学のフランシス・フクヤマ氏の重要な指摘

「中国は最も早く『近代国家』を成立させました。官僚制があって中央集権的で、能力本位で、さほど縁故主義ではない。中国はそうした制度をつくるのが得意です。ただ、そこには、『法の支配』や『民衆に対しての説明責任』という仕組みがない。この2つは国家を縛り、国家権力が公共的な目的で使われるよう担保するものです」。「権力行使に制度的な抑制がきかないため、中国に悪い皇帝(トップ)が出たときには、対処する方法がない。これは歴史的に中国が抱えている問題で、未解決なままです」とフクヤマ氏の言葉を紹介し山本教授は講演を終えました。

講演会参加者から多くの質問や意見が出ました

講演終了後、会場から多くの質問やアンケートで講演に対する感想、意見が出ています。その一部を紹介します。

「『香港国家安全維持法』導入など『一国二制度』の下で香港の本土並み支配をめざす中国指導部の狙いはどこにあるのか」「中国政府は一体何を恐れて香港市民の運動を弾圧しているのか」「中国共産党が超法規的存在となっている状況は、戦前日本の天皇のようだ、米国も今はそのようになっているように思う、それが混乱の原因ではないか」「今の中国は、民間の大資本も出現して、階級関係がよくわからなくなっているがどう思うか」「この先、中国はどう進んでいくのか、今の路線が大きく修正されて社会主義の大道に立ちかえることが出来るのか、先が見えず不安です」「『法の支配』や『民衆に対しての説明責任』の欠如はまさに今の日本です」「中国では中国共産党が超法規的存在になっているようですが、戦前の大日本帝国では天皇が、戦後では米国が超法規的的存在になっているように思います。そこに国をゆがめる根源があるのではないか」。

中国残留婦人二世が「文革」時の体験を語る

酷寒の地へ下放し苛酷な労働を5年余り務める

8月30日午後、日中友好協会西宮支部総会で中国残留婦人二世の河野文江さんが記念講演しました。中国人で元満州警察官の父親と残留日本人の母親の間に1951年9月、中国黒竜江省ハルビンで生まれた河野文江さんはこれまで体験した苦難の人生を語りました。

「1966年、私が15歳の時、大規模な政治闘争が始まりました。それは巨大な嵐で「文化大革命」の始まりでした。私はその理由もわからないままに紅衛兵となりました。学校は授業停止状況で、毎日「大字報」(壁新聞)を書いたり、「走資派」(資本主義の復活を目指す実権派)を糾弾する批判大会に参加していました。機会があって、ぎゅうぎゅう詰めの夜行列車に仲間と共に乗り込み北京の天安門広場へ向かいました。そこで天安門上の毛沢東に接見したときは胸がドキドキしました。

その後、上海を見学しハルビンへ戻りました。当時、革命は全国に広がっていました。あらゆるところで紅衛兵組織がつくられ、批判大会が行われました。省長や市政府の官僚などが糾弾されました。天安門広場のことが忘れられず私はその年の11月再び北京へ行きました。それから恐れていた私の父母が批判対象になり、私は紅衛兵の腕章を外し家に立てこもっていました。

1968年、下放運動(国民を地方へ送り出す政策)が始まったとき、私は志願して下放しハルビンを離れました。下放先は、労働改造所(刑務所)が運営する農場で、冬は氷点下30度を超える酷寒の地で、肥料に使う凍った糞を道具で叩いて解す重労働を5年間耐えて働いてきました。

1972年の日中国交回復以後、日本の肉親捜しで帰国する母と共に神戸へ帰国しました。県の担当者から貿易会社を紹介され勤めながら大阪の日本語教室に通い、日本料理も習いました。その後、和歌山へ移り、和歌山市と中国山東省済南市との友好都市提携に際し市からの依頼で通訳を務めました。貿易会社には30年勤務し、退職後は神戸の大手介護関係の会社で働き今も勤めています。紅衛兵時代に行ったことは間違っていたと今になってわかりました、日本と中国が仲良くすることは私の願いです」と語りました。講演終了後、司会者から、河野さんの体験は「ハルビンの空」に詳しく書かれていますのでぜひご購読下さいとの紹介がありました。(写真は何れも8月30日に筆者撮影)

李白と杜甫の出会いと交流

李白に敬慕の情を抱き続けた杜甫

8月8日の「漢詩を読む会」は李白と杜甫をテーマに、丹羽博之大手前大学教授の解説で下記の二首を読みました。

李白(701~762)と杜甫(712~770)が初めて出会ったのは、天宝三(744)年、李白44歳、杜甫33歳の時であった。李白は宮廷から遠ざけられ、杜甫は科挙に落第し二人とも失意の中で東都洛陽で出会い、その後二人は2年余りにわたり放浪の旅に出た。杜甫は先輩詩人李白から大きな影響を受けた。以後、李白との再会はかなわなったが杜甫は一生李白の身を案じ、再会を念じながら李白を思う詩を十五編残している。

この詩は李白46歳の時の作。杜甫と山東省一帯をめぐった後、魯郡の東にあたる石門山で、杜甫と別れる時に作ったもの。

魯郡東石門送杜二甫(魯郡の東石門にて杜二甫を送る)李白

醉別復幾日 醉別復た幾日ぞ

登臨徧池臺 登臨池台に徧(あまね)

何言石門路 何ぞ言わん石門の路

重有金樽開 重ねて金樽の開くこと有らんと

秋波落泗水 秋波泗水(しすい)に落ち

海色明徂徠 海色徂徠に明かなり

飛蓬各自遠 飛蓬各自に遠し

且盡林中盃 (しばら)く林中の盃を尽さん

下の詩は杜甫35歳の作。当時、杜甫は長安にあり、ここで先輩詩人の李白に寄せる敬慕の気持ちをうたったものである。

春日憶李白(春日李白を憶う)杜甫

白也詩無敵 白也詩無敵

飄然思不群 飄然として思群せず

淸新庾開府 清新は庾(ゆ)開府

俊逸鮑參軍 俊逸は鮑参軍

渭北春天樹 渭北春天の樹

江東日暮雲 江東日暮の雲

何時一樽酒 何れの時か一樽の酒

重與細論文 重ねて与(とも)に細かに文を論ぜん

次回「漢詩を読む会」は10月10日(土)14:30~開催します。