尼崎で「鞍山市青少年芸術交流展」

中国鞍山市・若手アーティストの芸術交流展

中国遼寧省の中央部に位置する鞍山市は古くから鉄の産出で知られている都市で、1983年2月に兵庫県尼崎市と友好都市提携を結んでいます。この度、尼崎市は友好都市の中国・鞍山市青少年芸術交流展を2か所で計画しています。

●2021年3月2日(火)~17日(水)8:45~17:30(土・日除く

場所:尼崎市役所中館2階

●2021年3月20日(土・祝)~3月31日(水)10:00~20:00

場所:あまがさきキューズモール3F(ドコモショップ向かい

(キューズモールはJR尼崎駅北口からデッキを渡ったところ)

※参観に際し、念のため日程・会場を下記へご確認下さい。

主催:尼崎市・鞍山市

問合せ先」尼崎市文化振興担当(細井さん)

☎06-6489-6017 Fax:06-6489-6702

E-mail:ama-kokusai-koryu@city.amagasaki.hyogo.jp

   キューズモールへのアクセス

中国歴史講座「古代日本人の世界観」

来村多加史先生講演ー弥生人が見た中国ー

東アジアを視点に古代中国と日本の歴史を学ぶ講座は新しいシリーズに入ります。古来、日本人が中国とどう付き合ってきたかを、文献記録や考古資料で探り、現代の日中外交史を考える上での基本を追及します。

NHK歴史番組などでお馴染みの来村多加史先生の「中国歴史講座」です。中国の歴史を基本に、同時代の日本人=弥生人はどういう世界観をもっていたのか?わかりやすく、大好評の先生手作りのテキストによる講義で学びます。どなたでも参加できます。

日時:2021年2月27日(土)午後2時~4時30分(質疑応答含む)

会場:東播磨生活創造センター(かこむ)1F講座研修室

講師:来村多加史 阪南大学国際観光学部教授

資料代:1,000円、大学生800円、高校生以下無料

感染予防対策をして開催します。必ずマスク着用下さい!

コロナ感染拡大状況により変更になる場合がありますので、参加に際しては下記へご確認下さい。

主催:日中友好協会加古川支部 090ー8753-5972

記念講演「コロナ禍の中の現代中国社会」

―監視社会論からの視点―Zoom視聴も可能

非核の政府を求める兵庫の会は2月13日に第35回総会を開催します。当日、神戸大学大学院・梶谷懐教授を迎え総会記念講演会が開催されます。講演会にはどなたでも参加できます。

コロナ禍が全世界に広がる中、アジア諸国と欧米との対応の差が目立ちます。その象徴が、発生源である武漢を皮切りに都市を封鎖し、人々の移動の自由を奪った上で、スマートフォンのアプリで個人情報を記録し徹底した感染対策を行った中国と、いくつかの都市を封鎖しながらも、感染対策を基本的に個人の判断に任せ、結果として世界最悪の感染拡大を招き、40万人に迫る死者を出しつつある米国という二大大国の対比でしょう。

本報告では、コロナ禍によって顕在化した、個人情報を利用した感染対策の徹底化とプライバシー保護との相克という問題を、功利主義と監視社会という切り口から考えてみたいと思います。

日時:2021年2月13日(土)14:30~16:30(総会は1:30~

会場:兵庫県保険医協会6階会議室

JR/阪神「元町」駅東口を南へ徒歩7分、兵庫県農業会館向かいの神戸フコク生命海岸通ビル6階(078-393-1833)

講師:梶谷 懐 神戸大学大学院経済学研究科教授

参加費:1,000円(会員は無料、Zoomも同様)

「Zoom視聴について」

メールの件名を「非核の会Zoom視聴希望」にし、本文に①お名前②電話番号③会員、非会員の区分、を記載の上、前日までに下記アドレスへ送信して下さい。案内メールを返信します。

Zoom申込用メールアドレス hikakunokai.hyogo@gmail.com

主催:非核の政府を求める兵庫の会

事務局:電話 078-393-1833

e-mail:yamakawa-t@doc-net.or.jp

元八路軍兵士の日本人「私は八路軍の少年兵だった」

元八路軍兵士となった日本人の体験記録

著者の藤後(とうご)博巳さん(1929年生)は、1943年(昭和18年)、高等小学校卒業後、満蒙開拓青少年義勇軍に志願。茨城県内原訓練所に入所。1944年2月渡「満」四平省昌図訓練所に入所後、ハルビン郊外の嚮導訓練所に移る。1945年8月、敗戦とともにソ連軍の捕虜となり、海林捕虜収容所を経て牡丹工捕虜収容所に収容される。同年10月釈放されてハルビン郊外の難民収容所に収容される。1946年、ハルビンに進駐してきた八路軍に加わり、以後、各地を転戦。1955年(昭和30年)帰国。以来、日中友好運動に携わる。現日中友好協会大阪府連合会顧問。

日本と中国との関係は歴史的に古く、絶ち難い強い絆で結ばれていますが、その背景には過去も今も、様々な人間のドラマがあります。その卑近な例を挙げるとしますと、一つに中国残留―日本人孤児たちがあります。歴史に翻弄されて苛酷な人生の苦渋を余儀なくされたこの人たちは、日本の中国侵略戦争のもたらした「負の歴史」の生き証人でもあります。その日本の子どもたちが、中国の人の手によって育てられ、成長し、その多くが中国の地に根を下ろしているその意義は深く、かつ重いものがあります。そしてその動機はともかく、中国の養父母たちの人道精神は、私たちに深い感銘を与えました。その孤児たち一人ひとりの心情はどうであろうとも、かれらこそ日中両国のかすがい的存在であることは何人も否定できません。

いま一つに、戦後、日本人でありながら八路軍(現中国人民解放軍)の兵士として戦後内戦に参加し、前線で、あるいは後方で、中国人たちとともに新しい国づくりに協力した人たちがいました。世間ではほとんど知られていない戦後の日本人の足跡があります。実は私もその一人だったのです。(著書の「はじめに」より抜粋)

(藤後さんの体験は2020年8月22日付毎日新聞夕刊に大きく紹介されました。上)

著書「私は八路軍の少年兵だった」お申込みは下記へお問い合わせ下さい。

E-mail:tougohiromi@yahoo.co.jp (藤後博巳さん)

中国人にとっての吉祥シンボルは多様

吉祥図像のシンボル化は10種類に分類できる

中国人にとっての吉祥シンボルの種類は多様です。吉祥図像のシンボル化には①名前やその音、字形に基づくもの②形態、特質という手法があります。他方、その内容としては、①福禄寿②勇気③喜慶④子どもへの期待⑤生活指針⑥向上心⑦花鳥風月⑧神仙・英雄⑨鬼神や怪物、珍獣⑩警世といった10種類に分類することができるでしょう。

色彩の代表は赤

中国における吉祥の色は赤。「紅」の字をあてますが祝賀会も結婚式も会場は赤が基調です。日本でよく使われる「紅白」の色にもその影響が引き継がれていると考えられます。

動物シンボルの代表・蝙蝠(こうもり)

麺のお椀には「喜字」や「雲龍紋」、長寿の「桃」や「寿老人」の模様が入っている。「飯店」には「福・禄・寿」のシンボル画が掲げられている。街には多子多福や立身出世の図像が満ちている。便箋や書籍には文人たちがあこがれた魚や蝙蝠(こうもり)の絵が描かれている。蝙蝠の「蝠」は中国人には「福」に通じるとされているからです。

植物シンボルの代表・桃

「桃」のつくりの「兆」は「分なり」と古代の字書「説文解字」にあります。さらに古い字書「爾雅」には「始めなり」と書かれています。母から生まれて母の分身になるのが出産だから、桃は妊娠のシンボルともなる。他方、「仙桃」「仙果」との別名を持ち、桃の木で作った刀には秘力があるとされています。悪霊を追い払うと信じられ、桃の木を使ってお守りが作られる。(中国百科検定公式テキスト中国百科より、図像は百度百科)

講演「東アジアの平和と発展を考える」

ASEANは中国とどう付き合おうとしているか?

日中友好協会東神戸支部は12月13日午後、神戸市内で総会記念講演会を開催、太田和宏神戸大学教授が「東アジアの平和と発展を考える―ASEANは中国とどう付き合おうとしているか?」をテーマに講演しました。

太田教授は先ず、南シナ海で起きている最近の動きを解説。中国は今年4月、西沙諸島、南沙諸島に行政区を設定し、領有権を主張するインドネシアやベトナムなどと豊かな海を取り合っている。そしてこの半年、米中がこの領域で牽制し合っている。米国のポンペオ国務長官は「中国が南シナ海を自らの海洋帝国として扱うことを認めない」「中国の主張は全面的に非合法だ」「米国の立場はハーグ国際仲裁裁判所判決と一致している」。これに対し中国の王毅外相は「米国が南シナ海の軍事化の最大の推進者であり、平和を損なう最も危険な要素だ」「東アジアサミットEASは他国の内政に介入する場所ではない」と反論している。

南シナ海領有海域問題とはどういうことなのか。南シナ海には、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の200の島、環礁、岩からなる地域で、第2のペルシャ湾と言われるように、資源埋蔵量は367.8憶トン、天然ガス7.55兆立法メートル、多金属塊、レアアースなどの海底資源があり、重要なシーレーンでもあり、軍事拠点ともなっている。

太田教授は、この地域における中国による占拠と埋め立てについて具体的に解説し、フィリピンやベトナムなど周辺国との領有権争いについて具体的に各国の主張や係争の内容を年代順に説明しました。さらに、中国の海洋国家構想や「一帯一路」構想についてその内容を紹介し、2020年の変化として、今年5月に米国大統領府が発した中国に対する主張、「中国は米国の重要国益と他国の主権、人々の尊厳を侵害している」「競争は対立や紛争を意味しない」「中国の発展封じ込めではなく、公正競争への参加を歓迎する」との内容を紹介しました。

最後にASEANの依拠する枠組みについてASEANがこれまで行ってきた数々の議論を年代順に紹介、中国ASEAN「南シナ海関係行動宣言」DOC、行動規範COC、国連憲章、182年国連海洋法、東南アジア友好協力条約、平和五原則に基づく対応など、ASEANはルールに基づいて紛争を解決し、中立的立場に立つインド・太平洋地域を目指している。結論として、「共通のルールに基づいた協議」「紛争の平和的解決」「東南アジア平和・自由・中立地域宣言」「域外大国の介入を阻止」がASEANの立場。

南京大虐殺事件から83年

従軍兵士が撮った写真に南京の惨状が

南京事件から83年目にあたる12月13日、中国政府主催の「南京大屠殺死難者国家公祭儀式」が南京市で行われ約3000人が出席、陳希中央政治局委員が追悼スピーチを行いました。(写真は南京市で行われた国家公祭儀式)

中国大陸を2年半にわたり転戦してきた村瀬守保さん(1909年~1988年)は、1937年7月に召集され、カメラ2台を持って、所属中隊全員の写真を撮ることで、中隊の非公式写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しています。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルピンと中国各地を第一戦部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真には南京の写真もあり、中国を侵略した日本軍の足跡そのものであり、南京虐殺、「慰安所」、日常的な加害行為など決して否定することの出来ない侵略の事実が映し出されています。(写真は、村瀬守保写真集「私の従軍中国戦線」より

1937年12月、日本軍は中国の首都・南京の攻略戦で、投降した中国軍兵士や一般の市民、難民に対して虐殺を行いました。日本軍による中国人虐殺は20万人に及びます。中国はユネスコに南京の資料を世界記憶遺産として登録申請し、2015年10月10日に登録が発表されました。今年はこの南京大虐殺事件から83年目にあたります。(写真上:虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられ焼かれた死体を見る日本軍兵士、中:工兵隊が死体に鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をしていた、下:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた中山門の城壁、ここから第十六師団の将兵が怒涛の如く南京市内へ突入した)。

記念講演会「東アジアの平和と発展を考える」

ASEANは、中国とどう付き合おうとしているか?

 新型コロナウイルス感染症拡大は、世界に大きな困難をもたらしています。最初に発症した中国は、徹底した検査と医療資源の投入で抑え込みに成功しました。日本を含め韓国、台湾、ベトナムなど東アジアの国々は、比較的安定した状況となっています。

 こうした状況下で中国は、東シナ海、南シナ海への海洋進出を強めています。日本が実効支配する尖閣諸島への領海侵犯も激しくなっていますが、南シナ海の島々への軍事基地化はベトナムやフィリピンとの領有権問題も絡み複雑化しています。

 こうした中国の動きに対し、ASEANの国々はどう対応し、どう解決の方向を目指しているのか。フィリピンを中心とした東アジア、東南アジアを研究している太田和宏神戸大学教授を迎え、お話しして頂きます。

日時:2020年12月13日(日)午後2時~4時

会場:神戸市立東灘区文化センター 8階第1会議室

講師:太田和宏神戸大学教授

プロフィ-ル:東南アジア政治、アジア安全保障研究。主要業績「貧困の社会構造分析」法律文化社2018年、論文「アジアの中の日米安保ー南シナ海問題に」関連して」(「法の科学」第47号2016年)など。

参加協力費:500円 マスク着用でご参加お願いします。

主催:日本中国友好協会東神戸支部

Tel&Fax(078)412-2228 

E-mail:sps98kg9@kobe.zaq.jp(兵頭)

2021年版カレンダー「中国悠久の旅」

2021年版協会オリジナルカレンダー普及開始!

日中友好協会オリジナルカレンダー「中国悠久の旅」の制作普及は18年目を迎えました。2020年版から規格がB4長辺中綴じ冊子となっています。(従来のB3を二つ折りにした形態で封筒に入れて普及します。飾った際の寸法は従来と変わりません。カレンダーは到着しています。コロナ禍の下、素晴らしい写真で中国悠久の旅を味わって下さい。

  • 2021年版カレンダー「中国悠久の旅」
  • 企画:制作:日本中国友好協会
  • 規格:B4(縦約257mm×横約364mm)長辺中綴じ冊子・カラー28頁
  • 頒価:1,200円(税込)
  • 送料:実費

お申込みは下記または県内各支部へ

日本中国友好協会兵庫県連合会

Tel&Fax:(078)412-2228

E-mail: okmt50@nicchu-hyogokenren.net 

中国残留日本人の帰国促進運動の歴史

戦後、民間三団体により3万数千人の在華邦人引き揚げが実現

戦争中に中国へ渡った日本人、日本の敗戦当時、中国には400万人近い民間人、軍人がいました。300万人近くは、1945年の敗戦から1948年にかけて日本へ引き揚げましたが、当時まだ多くの日本人が中国に残留していました。また引き揚げの中で多くの民間人が死亡しました。

1952年12月、当時の日本政府が1949年10月に誕生した中華人民共和国を認めない中で、日本赤十字社、日中友好協会、平和連絡会(現在の日本平和委員会)の三団体が訪中、翌年3月、中国紅十字会と在華邦人帰国協定を結び、3月に第1次集団帰国が実現しました。その後1958年の21次まで帰国促進運動は行われ、合計3万数千人の在華邦人が帰国しました。

1972年の日中国交回復後、1975年から公開調査が行われ、残留日本人の帰国が促進され、1981年には「残留日本人孤児」の訪日調査が開始されました。しかし今日に至るもまだ帰国者の生活に関わる問題や残留日本人孤児を育ててくれた中国人養父母の問題などがあり、帰国者への支援活動は続けられています。(日中友好運動のあゆみより)