漢詩の起こりと進化①

詩経~楚辞~五言詩へ

儒教の最初の経典、孔子やその弟子が編んだとされる書物に「四書五経」(大学・中庸・論語・孟子・詩経・書経・易経・礼記・春秋)があります。「詩経」は春秋時代の中期頃の当時の中国北x中部の地域の歌305篇を集めたもので、編纂者は孔子と言われている。「詩経」は風・雅・頌の3つに分類されます。

「詩経」の詩から300年ほどのちも、南の楚の国の歌を集めた「楚辞」が編まれ、「楚辞」の中心的な作者は屈原です。楚の王族の出身とされる屈原は、大臣として活躍するが勢力争いに敗れて追放され、失意の内に汨羅(べきら・川の名)に身を投げて死んだと言われています。屈原の代表作は「離騒」で、楚辞の代表作でもあり、失意のどん底にあった屈原が、その怒りと悲しみを詠った作品です。(画像は屈原)

詩はその後、後漢から六朝時代にかけて五言詩が一般的となり、さらに七言詩が生まれてきます。こうした形態は漢代に起こった「楽府」という歌謡が起源と考えられます。南北朝時代に編纂された詩や文の選集「文選」収録の「古詩十九首」が古い五言詩として最も有名です。

三国時代の魏の皇帝一族である曹操、曹丕、曹植はいずれも文学者としても高い能力を持ち、多くの五言詩を残しています。中でも曹植は三国から南北朝時代を通じてもトップクラスの文学者です。東晋から南北朝時代の南朝宋の時代の詩人、陶淵明は、隠逸詩人と呼ばれる。他の詩人たちが宮廷で詩を詠んだのに対して、農村で暮らしながら自然や農村での生活を詠った、当時としては異質の詩人です。代表作の「飲酒」は陶淵明の生活、日々の過ごし方が目に浮かぶような、誰もが安心感を覚える作品と言えるでしょう。(中国百科検定公式テキスト中国百科より、画像は陶淵明、何れも百度百科より)

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