漢詩の起こりと進化②「漢詩の全盛期」

中国を代表する盛唐の大詩人

李白と杜甫は中国を代表する大詩人です。その2人が同時代に生きたということは、繁栄と混乱を合わせもつ激動の時代が彼らを、そして彼らの作品を作り上げたと言っても過言ではありません。唐を初唐・盛唐・中唐・晩唐の4期に分ける区分方法があります。これは唐の王朝としての繁栄度合による区分ではなく、文学の流れによる区分であり、李白と杜甫が生きた時代を盛唐とするのは2人への評価の高さを示すものです。

李白は「詩仙」と称され、8世紀に活躍した李白の生涯は不明な点が多い。若い頃は道士修行や、侠客との交際など、放浪の生活だった。玄宗の時に推薦により翰林供奉となるが、約2年で辞職。安史の乱の混乱期も生き抜いたが、最期は月を取ろうとして長江に落ちたという伝説もある。李白は七言絶句を得意とし、自由な発想と豪快な表現を特徴とする。

「詩聖」と称される杜甫は、李白より10歳ほど年少。役人を志すもかなわず、仕官のため生活のために人生の大半を放浪して過ごした杜甫の作品には、失意と沈鬱さがあふれている。中でも、彼は社会の矛盾を訴える詩を多く作る。日本では「春望」が有名。盛唐には他に、自然を詠った詩の多い孟浩然、王維、辺境地帯の風土を詠んだ辺塞詩に特色を持つ高適、岑参、王昌齢といった詩人がいる。

韓愈と白居易など、官僚としても出世をした詩人が登場します。文章家でもある韓愈は、その文章と同じく詩も非常に難解だが、細やかな表現が特徴です。韓愈のいわば弟子のような存在で、その作風を受け継ぐ詩人に猛郊、賈島、李賀らがいる。特に27歳で亡くなった李賀は、怪奇な題材を好み、異様な雰囲気の作品が有名です。白居易はその字の白楽天のほうが日本では馴染みがあります。白居易は韓愈と異なり、平易な言葉を用いて作詞を行った。玄宗と楊貴妃の悲劇を詠った「長恨歌」は七言百二十句の長編です。(中国百科検定公式テキスト中国百科より、画像は百度百科)

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