形から読み解く甲骨文字の面白さ

「甲骨文字=漢字を学ぶ」展示と講演会

甲骨文字は、中国の殷(商)時代の遺跡から出土した古代文字で、古代中国で行われた占卜を、当時の文字で亀の甲羅や牛の肩甲骨に刻みつけて記録したものです。漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖型を伝えており、亀甲獣骨文字、甲骨文とも言われています。(Wikipedia)

日中友好協会加古川支部は、ものしり文字会主宰の藤田而響先生を迎え「形から読み解く甲骨文字の面白さ」と題し講演をして頂きます。同時に、漢字の発祥といわれる甲骨文字を題材にした書なども展示します。どなたでも参加頂けますのでお気軽にご参加下さい。

日時:2022年9月11日(土)午後2:00~4:30

会場:東播磨生活創造センター1階講座研修室

講演:藤田而響さん(ものしり文字会主宰)

テーマ:形から読み解く甲骨文字の面白さ

参加費:500円

主催:日本中国友好協会加古川支部(☎090-8753-5972) 

協力:印象工作室

王希奇教授の「一九四六」絵画展 8月31日から開催

「満州」からの引揚げ超大型絵画  鑑賞のポイント

中国人画家・王希奇魯迅美術学院教授が、「戦争では何時の時代も弱い立場の人が苦しむ、彼らも戦争の犠牲者だ」との思いに至り描いたという葫蘆島からの日本人難民引揚の超大型絵画(縦3m×横20m)を展示する「一九四六」神戸展が8月31日(水)から始まります。この超大型絵画鑑賞のポイントを紹介します。

(1)2011年に王希奇教授が偶然目にした写真集に掲載されていた「遺骨を抱いた男装の少女」が中心部に描かれています。

(2)大作「一九四六」では、暗黒の画面に浮かび上がる無数の白くて小さな灯火は、自ら光を放つ「蛍」を表しています。王教授がこの「蛍」を通して表現したかった事は、人間が発する喜びと希望と伺いました。敗戦による悲惨な難民生活を終え、日本帰還の喜びと期待を表現しているのです。また、初盆の頃まで生息する蛍は淡い灯を放ちます。日本人の私は、点滅する蛍の淡い光に、寧ろ日本に帰る事ができなかった50万人近い、残留日本人や集団自決した死者の無念さを感じざるを得ません。

(3)絵画には米国と日本船舶が4隻描かれており、安定した三角形の構図となっています。そしてその右の海は画面の広がりだけでなく、日中の歴史的繋がりを連想させる遇らいが施されています。また、画面上部や右奥の海を遇らうことにより、奥行きの広がりを感じることができます。手前の2隻の船舶へは乗り込みが終わり、これから出航するのでしょうか?尚、満州からの邦人引揚げのために、米国が提供したLST輸送船(戦車揚陸艦)は85隻、リバティ輸送船(戦時標準船)は100隻、病院船は6隻でした。(M)

展示会場には、超大型の「一九四六」の他に一九四六見守る海、一九四六帰路、記憶、一九四六下絵の10作品が展示されます。

「一九四六」神戸展  日程・会場

日時:2022年8月31日(水)~9月4日(日)10:00~18:00

(最終日は15:00まで)

入場料:1,000円(大学院生以下無料)

会場:兵庫県立原田の森ギャラリー(JR灘駅北、阪急王子公園駅西)

●受付の混雑を避けるためチケットをご持参下さい、チケットを入手出来ない方は、直接会場へお越し下さい。

●コロナ感染症予防のため、体温測定、マスク着用、手指消毒をお願いします。発熱や咳のある方は入館をお控え頂きますようお願い致します。

●チケット購入方法

チケットぴあ https://t.pia.jp (pコード686082)

ローソンチケット https://l-tike.com/(Lコード53821)

事前予約の方は展示場入口で入場券を現金と引換にお渡しします。

●「一九四六」神戸展HPをご覧下さい!

https://free.yokatsu.com/koube

9月の漢詩を読む会は「仲秋の名月」

連日の猛暑とコロナ感染症の爆発的な拡大が続き大へん厳しい夏となっています。9月の「漢詩を読む会」を開催する頃には何れも減少してほしいと願うばかりです。6月以降休講していた「漢詩を読む会」は下記の通り再開します。

今回は、白楽天が仲秋の名月の夜に、遠くへ左遷中の親友・元九(元稹)を思いやった友情の漢詩を講読します。(画像は白楽天と元稹、百度中国より)

日時:2022年9月17日(土)午後2時~4時

会場:神戸市立東灘区文化センター8階会議室3(旧東灘区民センター)

JR住吉駅下車、改札を出て、表示に従い渡り回廊を東へ徒歩約3分

講師:丹羽博之 大手前大学総合文化学部教授

テーマ:「仲秋の名月」

資料代:1.000円   定員:20人

「白居易」 中唐 772~846

字は楽天。下邽(陝西省渭南)の人。自らは先祖の出身地を称して太原(山西省太原)の人という。その家は代々役人を出してはいるが、名望ある家柄ではなかった。父の白季庚は地方の役人で生涯を終わり、白居易が生まれたころは経済的にも恵まれない状態であった。十五歳のころから科挙の受験勉強に励み、そのため目を悪くし、頭に白髪がまじるほどであった。二十九歳の時、最初の受験で進士科に及第したが、十七人の及第者中、最年少であった。次いで三十二歳の時、試判抜萃科に及第した。この時の及第者八人の中に元稹がおり、共に校書郎を授けられ、終生の友情を交わすきっかけとなった。(石川忠久編 漢詩鑑賞事典より抜粋

主催:日本中国友好協会兵庫県連合会「漢詩を読む会」

連絡先:Tel&Fax:078-412-2228

E-mail: okmt50@nicchu-hyogokenren.net

辺野古新基地建設「遺骨土砂問題」を語る

ヤマトンチュとして沖縄に向き合う

今年は沖縄復帰50年になります。兵庫の「語りつごう戦争」展の会は8月15日(月)午後、神戸市兵庫区の妙法華院で「8・15平和の集い」を開催し市民43人が参加しました。集いは、米国イェール大学在籍中の西尾慧吾さん(1998年生れ)が「ヤマトンチュとして沖縄に向き合う」と題し、辺野古新基地建設の遺骨土砂問題について講演しました。

沖縄県民の「基地のない平和の島」の願いとは逆に名護市辺野古では米軍の新基地建設が強行されています。この新基地建設に沖縄戦戦没者の遺骨が染み込んだ沖縄島南部の土砂を使い埋め立てが行われようとしています、政府との交渉や毎月のように講演会などで基地建設中止を訴え、地方自治体の意見書採択は210を超えている。地方や国民が何を言おうと辺野古新基地建設は進めるというのが国の方針。

軟弱地盤に杭を打ち込み土砂で埋め立てようとしているが杭は70mまで、その下へは対応できず、建設は不可能です。軟弱地盤での埋め立てと環境破壊という点では大阪の夢洲と似ている。西尾さんは、遺骨の染み込んだ土砂は粉砕された遺骨が殆どでDNA鑑定出来る遺骨はほんの一部、人道上の問題として遺骨発掘作業を行い遺族に応えようとしている人たちが多くいると話しています。また沖縄の基地問題について、ヤマトメディアでの報道は貧弱で全国的な問題提起がされないから何時までもウチナンチュ(沖縄人)の人々に負担が押し付けられている。

必要なのはヤマトンチュの覚悟と想像力だと。自分たちの差別性を自覚し、自己批判する覚悟がないとウチナンチュ側は安心して問題提起できない。構造的な加害・被害の関係を直視する必要があります。ウチナンチュは「被害者ぶっている」のではなく、実際に構造的被害者のポジショナリティを持っている。差別・抑圧をやめる力を持っているのはマジョリティの側で「加害者」としての当事者意識を持ち、自己変革しようとしなければ現在の社会問題は解決しないと語りました。辺野古新基地建設問題の現状を皆さん方が出来る方法で紹介してほしいと訴えました。(U)

靖国神社への岸田首相の玉串料奉納と閣僚の参拝に強く抗議する

岸田首相と靖国神社参拝の3閣僚への抗議声明全文

 8月15日の終戦記念日の当日、岸田文雄首相は靖国神社に玉串料を奉納し、秋葉賢也復興相と高市早苗経済安全保障相の2閣僚が同神社を参拝したと報じられた。さらに13日には西村康稔経済産業相が参拝しており、閣僚の靖国神社参拝は3人にのぼった。

 靖国神社は中国をはじめとしたアジア諸国への侵略戦争に国民を動員した国家神道の中心的な神社であり、この戦争の責任者であるA級戦犯を合祀し、今もなお侵略戦争を美化・宣伝する施設となっている。首相の玉串料奉納と閣僚の参拝は政教分離を定めた憲法に違反する宗教行為であり、日本が歴史の真実に背を向けているとの国際的な疑念を招くものである。

 この首相と閣僚の一連の行為への中国と韓国の強い反発に対して、「いつまで謝罪を続けなければならないのか。過去にこだわらず未来志向で行くべきだ」との主張も聞こえてくるが、繰り返されている靖国神社への首相の供物の奉納と閣僚の参拝こそが、未来志向の道を閉ざし、日本の歴史認識を繰り返し問わざるを得なくしている原因であり、歴史を改ざんする行為と言わざるを得ない。

 日本中国友好協会は、岸田首相の靖国神社への玉串料の奉納と閣僚の同神社参拝に強く抗議するとともに、岸田首相をはじめとした閣僚が、侵略戦争の加害責任を明らかにし、国際社会が共有する歴史認識に立ち、アジアと世界の平和と安定のために力を注ぐことを、繰り返し強く求めるものである。

2022年8月17日  日本中国友好協会

協会本部は、上記の「抗議声明」を本日首相官邸へ送りました。

日中国交正常化50周年記念シンポジウム

9月17日、東京で開催・会場参加&Zoomライブ配信

日中国交正常化50周年を記念し、日本中国友好協会本部(東京)は記念シンポジウムを開催します。会場への参加とZoomでもライブ配信されます。

日時:2022年9月17日(土)午後1時開会

会場:KFC  Hal  l&Rooms(国際ファッションセンター)

東京都墨田区横網1丁目6番1号(JR両国駅から徒歩6分)

 

参加費:1,000円(Zoomで参加される方は1口500円以上の募金へのご協力をお願いします)

あいさつには、鳩山友紀夫元首相、中国大使館、中日友好協会などが予定されています。

「第一部」日中共同声明の精神に立ち返り、平和発展のために(各界からの発言)

「第二部」未来を担う青年トーク

太極拳の演舞なども披露されます。

会場参加:事前申込み 先着順100人

Zoom参加:下記へメールでお申込み下さい。

申込受付開始:8月25日〈木)~

記念シンポジウムの詳細は、日中友好新聞9月1日号でお知らせします。

申込先:日本中国友好協会本部

電話:03(5839)2140 Fax:03(5839)2141

E-mail: nicchu@jcfa-net.gr.jp

第23回「加印平和のための戦争展」

戦時資料の展示とビデオ上映会や講演会を開催

加印平和のための戦争展実行委員会は、再び戦争への道を歩まぬために、過去の歴史から学び、「平和のバトン」を次世代へ渡して行こうと第23回「加印平和のための戦争展」を開催します。

日程:8月12日(金)午後1:00~14日(日)午後4時

会場:加古川総合庁舎(東播磨生活創造センター)1F

資料展示場:タパス・展示ギャラリー 9:00~20:30

12日(金)は13:00~、14日(日)は16:00まで

「展示内容」:加印地域の戦争遺跡・日中戦争・平和のバトン展―広島から次世代へ・治安維持法犠牲者 三木清、哲学記念碑など・毒ガスの島 大久野島・戦没者名簿・地元提供の遺品・子どもの兵隊など

「記念講演会」8月12日(金)14:00~16:00 講座研修室

テーマ:「91年前(1931年)日本はなぜ戦争を始めたのか」―今、それを考える意義―

講師:小南浩一(元兵庫教育大学教授)

「講演会」8月14日(日)13:30~15:30 講座研修室

テーマ:「憲法と戦争」 講師:明日わか弁護士

「ビデオ上映会」13日(土)、14日(日)午前・午後

・13日(土)「NHKスペシャル太平洋戦争前編・後編」

「関口宏のもう一度近現代史  日本国憲法公布」

1回目:10:00~12:30 2回目:14:00~16:30

・14日(日)「NHKスペシャル「沖縄返還史」10:00~11:40

報道特集・沖縄本土復帰50年・「国会爆竹事件と沖縄の今」

※マスク着用お願いします。緊急事態宣言が出た場合は中止します。

主催:加印平和のための戦争展実行委員会

後援:加古川市・高砂市・稲美町・播磨町・加古川市教育委員会・高砂市教育委員会・稲美町教育委員会・播磨町教育委員会

連絡先:☎ 080-6158-2371(菊本さん)

中国人犠牲者を慰霊する集い

戦時下、劣悪な環境の下での強制労働で多数の犠牲者

今年は日本による中国への侵略戦争が中国全土へと拡大する契機となった盧溝橋事件から85年になります。

太平洋戦争末期、当時の日本政府は国内の労働力不足を補うために中国大陸から中国人を強制的に連行し国内135事業所で苛酷な労働を強いて全国で6,834人が犠牲となりました。兵庫県内では神戸港の貨物船荷役などの重労働と栄養失調などで17人、相生の造船所では造船の雑役工として強制労働をさせられ28人が亡くなっています。

神戸では、神戸駅周辺の旅館を軍が撤収し宿舎として使用していました。筆者が1970年代半ばに、宿舎の一つとして使用されていた当時の旅館の主人から直接聞いた証言では、部屋は畳を取り外しアンペラを敷き雑魚寝状態で、衣類の支給はなく連行されてきたときの衣服のまま、冬は寒さに震え、ドンゴロス(麻袋)などを体に巻き付けていた者もいたと言います。風呂を使用させないので強烈なにおいがして近所から苦情が出るほどであった。食べ物は支給されていたが監視役がピンハネ、連行されてきた人たちは病気になったり、常に腹をすかせ歩くことも出来ない状態の者もいたと言います。

当時一室を住居として軍から使用を許されていた旅館の主人は、見るに見かねて時々台所に握りメシを置いておくと夜中にこっそりきて顔を合わせば謝々と小声で礼を言って部屋へ持っていき何人かと少しづつ分け合って食べていたようだ、亡くなった人のほとんどは過労と栄養失調による衰弱死だろうと語っていました。

戦後、中国への遺骨送還運動が全国で行われるようになり、1957年、相生の市営墓地に眠る犠牲者の遺骨を宝地院の当時の住職や協会役員が市と交渉し、許可を得て3柱の遺骨を宝地院へ持ち帰り仮通夜を行い、翌日神戸の関帝廟で県をあげて慰霊祭が行われました。当時の住職は遺骨壺を何度も抱きしめ「さぞ辛かったやろな」と言ったそうです。ゆかりある宝地院で今年も「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催し犠牲者を追悼します。(写真は現在の宝地院本堂、右下が地階への入口)

日時:2022年9月11日(日)午後1:30~4:00

場所:宝地院(地図参照下さい)

「犠牲者追悼」午後1:30~ 本堂 (10分前に着席)

「セミドキュメンタリー映画上映」午後2:00~地階集会所

―私はシベリアの捕虜だった―1952年制作(86分)配給:東宝

シベリアの捕虜生活体験者の証言を忠実に再現しています。タイ国向けに作成された映像が米国、国立公文書館で発見されDVD化した作品。

お供え料:500円(本堂下の地階集会所受付けにて)

◇マスク着用でご参加下さい。体調の優れない方は参加をご遠慮下さい。

主催:日本中国友好協会兵庫県連合会

Tel&Fax:078-412-2228

第12回「中国百科検定」は9月1日から申込み開始

全国24会場で実施、成績優秀者には表彰と副賞も

中国百科検定とは、中国の歴史・地理・政治・経済・社会・文化・教育・スポーツなど多方面の知識関心を試すユニークな検定です。

日程:2022年12月3日(土)15:00~15:50(50分)

◇会場:兵庫県民会館(全国24会場で一斉に実施)

●申込期間:2022年9月1日(木)~11月4日(金)

受験資格:どなたでも受験可能です。年齢、国籍の制限はありません。日本語での設問となります。1級のお受験は2級の合格者が、特級の受験は1級の合格が条件となります。2級・3級・初級はどなたでも受験できます。但し、併願はできません。

●受験料(税込)学生割引あります

初級 2,200円  学生 1,000円

3級 3,200円  学生 2,000円

2級 4,200円  学生 3,000円

1級 5,200円  学生 4,000円

特級   5,200円  学生 4,000円

特級は地理、政治経済、歴史、文化・芸術・風俗習慣の4分野から1分野を選択。

●問題形式:3級・2級・1級は全60問、初級は全40問、4者択一のマークシート方式。特級は全40問、記述式。

成績優秀者には、中国駐東京観光代表処などから賞が授与されます。また中国文化センター、中国国際航空公司などから副賞が提供されます。さらに中国側の協力のもと、新型コロナウイルス感染収束後に、大学生など青少年をはじめとした成績優秀者を中国に招待いたします。具体的な訪中時期は中国の受け入れ機関と調整します。

●お申込み方法:申込書(払込取扱票)付きリーフレットをご請求下さい。郵送します。

PC、スマートフォンからは中国百科検定ホームページの申込フォームをご利用下さい。

中国百科検定公式サイト https://www.jcfa-net.gr.jp/kentei/

お問い合わせ:日本中国友好協会事務局

〒111-0053 東京都台東区浅草橋5-2-3 鈴和ビル5階

E-mail: nicchu@jcfa-net.gr.jp

受付は10時~午後5時 土・日・祝日は除く

高松塚壁画発見50周年―来村多加史教授が記念講演

高松塚壁画の源流が唐王朝にあると思わせるもの

7月30日(土)午後、日中友好協会加古川支部は、高松塚壁画発見50周年を記念し講演会を開催しました。講演会では来村多加史阪南大学国際観光学部教授が「画家が伝えた中国の最先端文化」と題し約2時間講演しました。その一端を紹介します。

唐墓、章懐太子墓・懿徳(イトク)太子墓・永泰公主墓の3墓の墓室壁画は一流の画家により描かれた名作となっている。700年前後に築造されたものと推測される高松塚古墳の壁画は、3墓の壁画と時期をほぼ一にするものであるだけに、それらが比較検討されるのは当然のことであろう。高松塚壁画の画家が黄文連本実であるならば、彼が渡航して唐朝の絵画を学んだ時期は、3墓が営まれた時期よりも半世紀前である。比較するならば、その時期かそれ以前の唐墓壁画を引き合いに出すべきであろう。高松塚壁画の構図や運筆には、唐士(もろこし)においても一流と認められる技量が感じられる。よって、最先端の文化を担う画家たちの作品を見なければならない。

東アジアの墓室壁画概説

1、中国 およそ西周時代から墓室壁画の発想が現れるが、発見例は限られている本格的に発展するのは前漢時代になってからのことである。主題は、神々の世界を天井に表現し、魂の「昇天」を願うものであったが、後漢時代になると、壁面に現実世界の絵画が描かれ、被葬者が生前に送った生活を再現して見せるようになる。南北朝時代に西安や洛陽などの黄土地帯に深い土洞墓が掘削されるようになると、墓室には侍従や侍女に囲まれた屋内での生活風景が描かれ、墓道には、威儀を正して外出する儀仗出行の場面が描かれるようになった。

2、朝鮮半島 主に高句麗の壁画が残されている。高句麗は五胡十六国時代から強大化し、拠点を遼東から朝鮮半島の北部へと移していった。後期の都である平壤は、かつて漢民族の支配地であっただけに、漢民族の文化がよく残り、壁画の方面でも大きく影響を受けた。また南北朝時代には南朝との交流もあって、その影響を受けている。早くから受容した仏教的な色彩も強い。

3、日本 古墳時代後期から九州を中心に装飾古墳が築かれたが、抽象的なデザインが多く、具象的なものも原始絵画の域を出るものではなかった。飛鳥時代になって、中国との直接的な交流が始まるなか、遣唐使に同行して留学した僧侶や学生が唐文化をもたらした。キトラ・高松塚古墳の壁画もその交流史の中で語るべきでである。