神戸南京町春節祭3年ぶりの賑わい

中国史人游行や変面などのステージショーに歓声!

1987年に始まった神戸南京町の春節祭は今年35回目となりました。1月22日、中国史人游行が商店街を練り歩き春節祭を盛り上げ、27日~29日は南京町広場ステージで連日、変臉(変面)や雑技、歌、踊り、楽器演奏、太極拳、チャイナドレスショーなどが行われ広場周辺には3重、4重に人の輪ができました。また商店街は歩行が出来ないほどの混雑で、軒を連ねる飲食店前には長蛇の列ができ多くの人が買い求めていました。コロナで開催できなかったステージでの演技が今年は再開され終日大賑わいでかつての活気が南京町に戻ってきました。

新刊小説「海を渡り、そしてまた海を渡った」

中国・興安嶺から日本へ―もう一つの名前を持つ三世代の女たちが、記憶を語り出す

1945年、中国北部、旧満州の山奥・興安嶺で拾われて育った王春連、その娘の蒼紅梅、孫娘の楊柳の三世代の物語。中国では「日本鬼子」と呼ばれ、文化大革命では徹底的な弾圧に晒された王春連。医師を志すも、社会からそれを許されなかった紅梅。日本に帰国後、壮絶ないじめにあった兄をもつ楊柳。女性が自らに語るように苛酷な過去と向き合い、三世代それぞれのアイデンティティの不安が錯綜する。「中国残留孤児」の血脈をリアルかつみずみずしく描く物語。中国帰国者の歴史、現状を知る上で一読すべき書です。(河内美穂著・現代書館新刊情報より、1800円+税)

第18回「日中共同世論調査」結果

日中共同世論調査 日中世論比較結果

日本の言論NPOと中国国際出版集団は日中両国民を対象とした共同世論調査を昨年8月から10月に実施しました。この調査は、日中関係が深刻な状況だった2005年から毎年継続的に行われているもので今回は18回目となります。

日本側の世論調査は、全国の18歳以上の男女を対象に訪問留置回収公法により実施され、有効回収標本数は1000で、回答者は男性48.3%、女性50.9%。年齢は20歳未満2.3%、20~29歳が11.9%、30~39歳が14.8%、40~49歳が17.3%、50~59歳が14.7%、60~69歳が22.1%、70~79歳が22.1%。中国側は、北京・上海・広州・成都・瀋陽・武漢・南京・西安・青島・鄭州の10都市で18歳以上の男女を対象に調査員による面接聴取法で実施されました。有効回収標本は1528。回答者の性別は男性51%、女性49%。年齢は20歳未満2.4%、20~29歳22.1%、30~39歳21.5%、40~49歳24.3%、50~59歳14.3%、60~69歳14.5%、70~79歳0.8%。

「相手国に対する印象」

日本側:「良い」11.8%(前年9%)、「良くない」87.3%(前年90.9%)・中国側:「良い」35.2%(前年32%)、「良くない」62.6%(前年66.1%)小幅ながら改善が見られる。

「良いと答えた理由」

日本側:「中国古来の文化や歴史」39.8%、「観光地や雄大な自然に関心」28%、「観光客の増加や民間交流により中国人の存在が身近になった」「経済が発展し国民生活水準が向上」がともに24.6%で前年よりかなり増加。

中国側:「日本製品は質が高い」60.8%、「経済発展をとげ、国民水準が高い」「日本人は礼儀があり、マナーを重んじ民度が高い」各50%前後。

「良くない理由」

日本側:「尖閣諸島周辺の侵犯」58.9%、「政治体制に違和感」「南シナ海などでの行動」がともに50%台でほぼ前年並み。

中国側:「侵略の歴史をきちんと謝罪し反省していない」78.8%、「釣魚島周辺の国有化で対立を引き起こした」58.9%、「一部の政治家の言動不適切」37.7%、「米国と連携し、軍事、経済、イデオロギーなどで中国を包囲しようとしている」37.6%、「メディアの中国脅威喧伝」34.2%、「一つの中国への消極的態度」26.5%など。

「日中関係の重要性について」

「重要」、日本側:74.8%(前年66.4%)・中国側:71.2%(前年70.9%)「重要でない」、日本側:4.4%(前年並み)、中国側:12.9%(前年22.4%)で大きく減少。

「民間交流について」

「重要」、日本側:58.1%、中国側:68.7% 「民間交流を進めるべき分野」、日本側:留学生の相互受け入れ、文化交流、民間対話など。中国側:学者・研究者間の交流、メディア間の交流など。

今回の日中共同世論調査結果については日中友好新聞2023年2月1日号にも紹介しています。

中国の日本人に対するビザ発給一時停止問題

ビザ発給一時停止発表の背景と本音

駐日中華人民共和国大使館は1月10日、訪中する日本人へのビザ発給を一時停止すると発表しました。1月3日の中国外交部の定例記者会見で、中国からの渡航者に対し、厳しい水際対策を取る一部の国に対し、中国は相応の対抗措置を取ると表明していたが、その対抗措置の一つが今回のビザ発給の一時停止のようだが、これは中国の実態を反映していない、とし遠藤誉氏(中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士)が1月12日付のYahooNetニュースでその背景を分析し解説しています。要約して紹介します。

岸田首相のG7メンバー国歴訪に対する警告

1月9日から始まった岸田首相のG7メンバー国の歴訪、ビザ発給停止を通告した同じ日の1月10日に中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」は「東京は一刻も早く戦略に関して目を覚ませ」という社評を掲載した。としてその概要5点紹介しています。

1、日本の岸田首相は1月9日からG7の5ヵ国訪問を開始した。多くの西側メディアは、今回の岸田氏の歴訪のテーマの一つを「中国の脅威に対する協調的な対応」と要約している。

2、G7の持ち回り議長国である日本が、会議前にメンバー国を訪問して事前調整をするのは自然なことで如何なる問題もない。しかし、岸田氏は、他のG7メンバーとの二国間会議で、中国に対して強硬姿勢を示し、「地域脅威論」を売り込み、さらには「反中連結」を実行しようとしている。これは不必要であるだけでなく、非常に危険だ。これが2023年の日本外交の主な方向性だとしたら、それは大きな間違いだ。

3、歴訪期間、岸田氏はこの歴訪5ヵ国との2国間軍事関係を強化するとのこと。日本はNATOをアジア太平洋に引き込む先導者になってはならない。

4、日本はG7国で唯一のアジアのメンバー国として、本来ならばアジア諸国の利益を代表する役割を果たさなければならないはずなのに、岸田氏はその逆で、欧米に追随し、アジア太平洋地域の平和と安定を積極的に乱すための役割を買って出ている。

5、このままでは日本は国際的地位とイメージを高めることは困難だ。「中国脅威論」の誇張を装い、「平和憲法」を破り、大規模に軍事力を発展させようとする日本の行動は、一層憂慮すべきだ。日本のメディアは「2023年の日本の外交努力を2倍にしなければならない」と主張している。しかし方向性が間違っていれば、頑張れば頑張るほど、目標から遠ざかっていく。これはアジアの人々に、日本がかつて第二次世界大戦でアジアにもたらした恐ろしい災害を思い起させる。東京はできるだけ早く戦略的に目覚めなければならない。

日本の新安保戦略は国際社会の懸念を招いている

1月9日の「人民日報」電子版「人民網」は「日本の新安保戦略は国際社会の懸念を招いている」というタイトルで、日本の安保体制と昨年末に閣議決定した安保3文書(国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画)を批判している。

日本は「反撃能力」を開発する一方で、防衛費をGDPの約2%にまで増加させ、宇宙、ネットワーク、電磁、認知などの新しい分野での戦闘力を開発し、軍事力を大幅に強化する予定だ。中国の領土である台湾からわず110kmしか離れていない与那国島にはミサイル部隊が配備されている。

戦後、日本は長期にわたり防衛費を削減し、軍事大国ではないことを明確にし、経済・社会の発展を重視してきたことにより国際社会の信用を得てきた。しかし、現在の日本の外交・安全保障戦略は一方的に陣営の対立を強調し、一部の西側諸国のメガホンに成り下がり、欧米が言ったことを受け売りするだけの国になってしまった。これは東洋の文化的伝統に沿うものではなく、決して賢明な行動でもない。日本は今や自らの深い施行に基づく戦略性を持たず、戦略的思考の怠惰と傲慢さを露呈するだけの国になり果ててしまった。日本が本当に戦後から脱却するために必要なのは、軍隊を増強して強化することではなく、平和発展の道を歩むことである。以上が中国ネットから読み取れる中国側の裏事情である。

感染爆発の状況で国民を自由に海外へ渡航させることは無責任

最後に遠藤氏は、中国のゼロコロナ政策の大転換について、日本人としては「このような感染爆発を起こしている中国大陸の人々を海外に自由に渡航させること自体が間違っているのではないか」と言いたい。ワクチン接種による免疫も少なく、ほぼ14億人全員に感染させて免疫を付けさせようとしている中国大陸の民を、無条件で海外に放つこと自体に問題がある。新しい変異株が生まれているかもしれない人々を海外に送り込み他国に新たな感染者を生むかもしれないような無責任なことをしていいはずがない。中国国内の事情は中国国内で解決し、国境から出すべきではないだろう。中国の国内事情とは別に、個人的見解として主張したいと。結んでいます。(記事は1月12日付、yahooニュースより抜粋、画像は日本テレビ及び内閣広報室より)

日中平和友好条約締結45年周年

日中両国は、1972年9月に日中共同声明を発出し、日中間の国交が正常化しました。6年後の1978年8月12日に北京で日中平和友好条約が締結され今年45周年を迎えています。この日中平和友好条約は日中共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、国連憲章の原則が十分尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和、安定に寄与することを希望して両国間の平和関係を強固にし、発展させるために条約締結が決定されたものです。

45年を経た今日、条約の内容は両国により遵守されているでしょうか。改めて5条からなる条文を紹介します。(写真はNHK、上は1978年8月北京・下は1978年10月東京での批准書交換

第一条 

1、両条約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和関係を発展させるものとする。

2、両条約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、全ての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

第二条

両条約国は、そのいすれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しょうとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

第三条

両条約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

第四条

この条約は、第三国との関係に関する各条約国の立場に影響を及ぼすものではない。

第五条

1、この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、10年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによって終了するまで効力を存続する。

2、いずれの一方の条約国も、一年前に他方の条約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。

以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。1978年8月12日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。

日本国のために  園田    直  (署名)

中華人民共和国のために   黄    華(署名)

2023南京町春節祭

中国史人游行や変臉(変面)など披露

旧暦で節句を祝う中国では、旧歴のお正月を「春節」として盛大に祝います。祝い事には欠かせない龍や獅子が舞踊り大いに賑わいます。神戸・南京町でも旧歴の正月に合わせ、1987年から「春節」をアレンジし「春節祭」として開催が始まりました。この春節祭は1997年に神戸市の地域無形民俗文化財に指定されています。

期間:2023年1月22日(日)旧歴元日、27日(金)~29日(日)

場所:神戸南京町一帯(JR/阪神元町駅から南へ徒歩約5分)

「中国史人遊行」玄宗皇帝・項羽・呂布、楊貴妃・虞姫・貂蝉

「変臉(変面)」南京町広場ステージ(四川の伝統芸能)

「関帝・祭壇参拝」南京町広場(料金100円・線香代)

◇天候やコロナの状況により中止となる場合があります。

春節近づくシンガポール中華街

中国系の人々が人口の7割ほどと言われているシンガポールで、中華街の写真が本日(1月14日)届きましたので紹介します。クリスマスが終わると、街は春節を祝う鮮やかな飾り物がストリートを埋め尽くし赤一色になります。。写真の建物はトゥーステンプル(新加坡佛牙寺)で、朝から多くの人々が集まり行事が開かれているようです。中華街の賑わいは暫く続きそうです。ライブストリーミングもあると伝えてきています。

良寛の漢詩「下翠岑」を読む

子供らの天真爛漫をこよなく愛した

良寛(1757~1831)は越後の名主の長男に生まれたが、家は弟に譲り、出家して良寛と称し、大愚と号した。国仙和尚に従って備中の玉島で十七年間修業したが、和尚の死後、越後に帰った。生家には戻らずあちこちの寺や草案を転々とした。四十七歳から十三年間、山中に隠遁している。五十九歳で村里に下り「霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日も暮らしつ」などの歌で知られるように。村の子どもの相手をして暮らしたが、彼はその子どもらの天真爛漫をこよなく愛した。そして、その逆の「気取り」を極度に嫌った。好まぬもの三つ、詩人の詩、書家の書、料理人の料理という。

漢詩については、技巧の詩を批判した詩に「心中の物を写さざれば、多と雖も復た何をか為さん」といい、詩の形式である押韻や平仄などおかまいなしの破格ばかり作った。この詩も韻は踏んでいるが、平仄は無視した破格である。そして、「誰か我が詩を詩と謂う、我が詩は是れ詩に非ず、我が詩の詩に非ざるを知り、はじめて与(とも)に詩を言うべきのみ」とその主張を五言詩に作っている。

「下翠岑」 翠岑(すいしん)を下る 五言絶句 良寛

擔薪下翠岑 薪を担って翠岑を下る

翠岑路不平 翠岑路平かならず

時息長松下 時に息(いこ)う長松の下

靜聞春禽聲 静かに聞く春禽の声

薪を背負って、緑一色の小高い山を下りる

緑の山道は険しくて平らかではない

時に大きな松の根元で一息入れる

そこここから春の鳥の鳴き声が聞こえ心静かに耳を傾ける

(石川忠久編 漢詩鑑賞事典より)

餅を使った中国南部地方の点心

日本の餅を使い作ってみました

お餅を食べる機会が多いこの季節、中国南部地方や東南アジアの華僑の人々の間で食べられているという餅を使ったお菓子の動画と日本の餅を使い再現した写真、簡単な作り方を紹介します。

まず餅をレンジで柔らかくしつぶして一つの塊にします。フライパンに油を敷き延ばしながらしばらく焼きます。火を止めて事前に作っておいた、ピーナッツを細かくつぶし砂糖やココナッツ、ゴマなどを加え混ぜあわせてふりかける。二つ折りや丸めて棒状にしたりします。さらに再度ピーナッツ粉をかけ折らずにピザ風にカットすれば出来上がり(写真)。栄養価も高くおいしい餅のお菓子が出来上がります。(作り方は動画を参照して下さい)

レシピ動画―伝統点心:甜薄撑(煎薄撑)

  1. ピーナッツ80gを細かくつぶし、(ゴマやココナツなどを加え)砂糖80gを入れてよく混ぜ合わせる。
  2. 餅粉100gに水100gを入れ柔らかい餅を作る。
  3. 油15gほどを入れフライパンを熱し一旦火を止め、団子状にした餅生地を入れ再度火を入れ焼きながら餅生地を薄く伸ばして広げる。
  4. 火を止め、粉状にしたピーナッツをふりかけ、包み込んで折りたたむ。
  5. 適当な大きさにカットすれば餅点心の出来上がり。

2023年新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます!

いつも当協会のHPをご覧いただいている皆さまに心から新年のごあいさつを申し上げます。

この3年間、コロナウイルス感染症の拡大により様々な制約の中で、日中友好協会兵庫県連合会・支部は平和と友好の諸活動を展開して参りました。昨年、日中国交正常化50周年の記念行事として実行委員会に積極的に加わり、敗戦後、旧「満州」からの邦人引揚を大型絵画に描いた王希奇教授の大作「一九四六」神戸展を開催し内外から大きな反響と励ましを頂きました。また、記念講演会や学習会、平和と日中友好のための多彩な文化行事を連合会・支部で開催し多くの方々からご協力、ご支援を頂き厚く御礼申し上げます。

昨年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は全世界に「戦争か平和か」の問題を提起しました。今こそ国境を越えた平和とコロナ禍からの脱却が求められ、連帯と協働がますます重要となっています。こうした情勢が続く中、日本の岸田政権は「安全保障関連三文書」の改定を閣議決定しました。「専守防衛」を放棄し、敵基地攻撃能力の保有は、日本への攻撃がない段階においても他国への軍事攻撃ができるとの宣言に他なりません。まさに「戦争する国」への歴史的転換であり、事実上の憲法改悪で「日中共同声明」の精神にも逆行するものです。

いま、中国には世界の厳しい目が注がれ、大国となった役割と責任が求められています。日中友好協会は、1950年10月1日の創立以来、運動の原点である「日中不再戦・平和友好」を基本に「中国を正しく知る」、中国を深く理解するための「中国百科検定への挑戦」などの学習活動、楽しく学べる多彩な文化活動を継続的に発展させるために皆様と共に今年も進めて参ります。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2023年1月吉日   日本中国友好協会兵庫県連合会

「ゼロコロナ政策」の方針を大転換

厳しい感染チェックや外出制限など、新型コロナ感染症封じ込めの「ゼロコロナ政策」を続けてきた中国政府が方針を大転換した。外から見ると、いかにも極端な方針転換だが、冷静にみると、「流れ」に柔軟な大国・中国の党の「舵取り」といっていい。実際の生活はどうなって、コロナウイルスをうまく抑え込めるか、そこが重要だ。

報道によると、中国・国家衛生健康委員会が12月7日に発表したコロナ対策緩和策は、①健康コードの廃止②自宅での隔離が可能に③ロックダウンの制限➃ワクチン接種の推進⑤国内移動の規制緩和―など。すでに11月に指示された20項目に続き、10項目にわたり「感染防止と経済社会の発展のよりよい調整」の方針を示した。感染しても無症状なら自宅療養が可能になり、「陰性照明」がないと店に入れなかったりした事態がなくなるなど、国民にとっては、当然の「朗報」だろう。

契機になったのは、新疆ウイグル自治区のウルムチで11月24日、マンション火災が起き、街の「封鎖」で消火や避難が遅れたため、19人が死傷した事件。抗議デモが上海、武漢、成都、北京と広がり、「行動の自由」の要求は、言論・表現の自由を掲げる動きに発展。「習近平は下野せよ」のスローガンまで登場した。もともと「百花斉放」、「ことば」と「常識」の国でもある。言い方を変えれば、極端な封鎖や行動制限の方が異常だった。

「文革」(1966年~76年)直後の中国で25年も村長をしているという男性に会った。中央権力が次々変わり、方針は変わる。「どう対応したか」と聞くと、彼曰く、「ある時は従い、ある時は反対意見を言い、ある時は忘れて、黙っていました・・・」。大国・中国の政策決定は、どうしても大きな基本を打ち出しながら、具体的には地方政府に任せ、その土地、その時の状況にあった政策で、方針を決めていかざるを得ない。一方メディアの報道は、その大きな方向を見極めながら、それぞれの「土地」と「いま」を伝えることからしか始まらない。「コロナ対策」には世界中が悩んでいる。(丸山重威・ジャーナリスト、日中友好新聞「中国レーダー」より・写真は共同ニュース)