中国旅の思い出(第10回)

ラサの心臓 ― 大昭寺(ジョカン寺)で触れた祈り

昼から、布達拉宮のすぐ近くにある大昭寺(ジョカン寺)へ向かいました。 ここも世界遺産に登録されており、ラサの中心に位置するチベット仏教の聖地です。

大昭寺はポタラ宮から東へ約1km。 7世紀、吐蕃王朝のソンツェン・ガンポ王によって建立されました。 寺院の中心には、唐から嫁いだ文成公主が持参したとされる 釈迦牟尼12歳等身像が安置されています。 (残念ながら内部は撮影禁止でした)

内部はバター灯(蠟燭)の明かりだけが揺れる薄暗い空間で、 旅行者の私と、熱心な信者たちが同じ通路を行き交います。 その雰囲気に、少し罰当たりな気持ちになり、 自然と背筋が伸びるような神妙さを覚えました。

■ チベット人の心の中心地

大昭寺は、チベット仏教の総本山であり、 チベット人なら一生に一度は必ず参拝したいと願う心の中心地です。

寺院は西向きに建てられています。 これは建立当時の妃・ティツン妃がネパール出身で、 故郷の方向に向けて建てられたためだと伝えられています。

屋根の上には黄金の法輪と、 その法輪を回すように跪く二頭の鹿が飾られています。 法輪は釈迦の教えの象徴で、 チベット仏教の精神を表す大切な意匠です。

■ 五体投地 ― 絶対的な帰依の形

大昭寺の前では、多くの信者が五体投地をしていました。

五体投地とは、 両手・両膝・額の五つを地面に投げ伏して礼拝する方法で、 対象への絶対的な帰依を示す、最も丁寧な礼拝のひとつです。

巡礼者たちは敷物や膝当てを準備し、 一回一回、丁寧に地面へ身を投げ伏しながら進んでいきます。 その姿は、ただの宗教行為ではなく、 人生そのものを捧げるような深い祈りに見えました。

■ 2400kmを五体投地で ― 祈りの旅

巡礼者は大昭寺へ向かう巡礼道「バルコン」を通り、 マニ車を回しながら歩く人もいれば、 五体投地を繰り返しながら少しずつ前へ進む人もいます。

中には、はるか遠くの村から何ヶ月、何年もかけて ラサを目指す巡礼者もいます。

2017年には、 チベットの小さな村から2400kmを五体投地で約1年かけて巡礼した 子供を含む3家族11人の村人を描いた映画 『ラサへの歩き方 祈りの2400km』が上映されました。

信じられないほどの距離ですが、 彼らは「ズルをしないこと」「他者のために祈ること」を大切にしながら進んだといいます。

チベット仏教の教えは、 現代にも通じる深い意味を持っていると感じました。

平岡 敬・元広島市長の提言

「素直に怒れ──戦争を止めるために、中国と敵対することに意味はない」

広島市長を1991年から2期8年務めた平岡敬(ひらおか たかし)さんは、現在98歳。ご高齢ながら、いまも「アメリカによる核爆弾投下の責任追及」「二度と核兵器が使われない世界をつくるために」などのテーマで講演を続け、新聞・雑誌への寄稿も精力的に行っています。

その平岡さんが最近示した「歴史を学ぶことの重要性」という主張の中から、特に「中国と日本の近年の関係」について語られた部分を紹介します。

歴史を学ぶことの大切さ

平岡さんはまず、日本人の歴史認識の欠落を指摘します。

日本は1931年の満州事変からずっと中国と戦った。多くの日本人は米国と英国に負けたとは思っているが、中国に負けたとは思っていない。そもそも中国と戦争したことすら意識していない。中国との戦争が行き詰まり、米英との戦争に突き進んだのだ。

中国への侵略、そして満洲国建設は明らかな誤りだった──平岡さんはそう断言します。

ところが近年、日本政府は再び中国を敵視する方向へ舵を切りました。安倍政権期には沖縄・与那国島への自衛隊配備が進み、南西諸島の軍事拠点化が加速。さらに2023年、岸田政権は安保三文書を改訂し、敵基地攻撃能力の保有を明記。日本は「専守防衛」から「戦争ができる国」へと道を開いた、と平岡さんは警鐘を鳴らします。

中国と敵対することに意味はない

平岡さんが強調するのは、外交の重要性です。

1972年の日中共同声明には、次の三点が明確に示されています。

  1. 中華人民共和国が唯一の合法政府である(「一つの中国」)

  2. 日本が中国に与えた甚大な損害について、中国は賠償を求めない

  3. いかなる問題も戦争ではなく話し合いで解決する

この共同声明を具体化したものが、後の「日中平和友好条約」です。

平岡さんは言います。

15年間も迷惑をかけ続けた日本に対し、中国は賠償を求めないと言ってくれた。その恩義を日本は忘れてはならない。

これは毛沢東だけの言葉ではなく、蒋介石も「徳を以て接す」と述べ、報復しない姿勢を示しました。 中国側は「日本政府の軍国主義は悪いが、日本人民は違う」と区別して考えてきたのです。

平和への道を開くのは外交・教育・メディア

平岡さんは、戦争への道を開くのも、平和への道を開くのも、最終的には外交と教育、そしてマスメディアの役割だと語ります。

日本は戦争への反省が十分ではなく、歴史を直視しないまま対立を煽れば、望まなくとも戦争は起こる──その危機感が平岡さんの言葉には込められています。

中国と敵対することに意味はない。

いまこそ耳を傾けたい提言

最近の日本では、政府は中国に対し「喧嘩腰外交」、マスメディアは「嫌中報道」が目立ちます。 こうした空気の中で、平岡さんの提言は、私たちが立ち止まり、歴史を見つめ直すための貴重な指針となるはずです。

この言葉を、日本人すべてに届けたい。ぜひ読んでほしいと思います。

参考資料

  • 月刊《地平》 2026年3月31日号

  • 季刊《道》229号

  • Yahoo!ニュースエキスパート(2026年3月5日)

東京裁判開廷80周年記念シンポジウム開催

― 中国駐大阪総領事館主催 ―

7月28日午後、中国駐大阪総領事館主催による「東京裁判開廷80周年記念シンポジウム」が、同館2階ホールで開催されました。当日は約80名が参加し、日中友好協会からは兵庫県連の3名、大阪府連の山本会長、和歌山県連の石田事務局長夫妻が出席しました。会場には学生を中心とした若い世代の姿が多く、参加者の半数を占めていました。

開会にあたり、薛剣総領事があいさつを行い、「現在の日中関係は国交正常化以来、最も厳しい状況にある。しかし、先の戦争の歴史を振り返るうえで東京裁判をどう捉えるかは極めて重要である。本日は専門家3名の講義を通じて、皆さんに深く考えていただきたい」と述べました。

■ 第1講義

「東京裁判が規定した戦後の国際社会」 石田隆至氏(上海交通大学人文学院)

石田氏は、研究テーマとして東京裁判を扱っており、日本の中国侵略における戦争責任が十分に裁かれなかったことが、今日も世界各地で侵略戦争が続く一因となっているのではないかと指摘しました。戦後国際秩序の形成と東京裁判の位置づけについて、学術的な視点から丁寧な解説が続きました。

■ 第2講義

「戦後に生まれて戦場で育った」 花鳥賊康繁氏(作家)

花鳥氏は自身の体験を語りました。戦後の山形の片田舎で生まれ育ったが、近隣にはアメリカ軍の演習場があり、砲弾が飛び交う中で畑仕事もできない日々があったといいます。  また、小学生時代の担任が児童文学作家であったことから、自身も作家を志すようになったことを紹介。さらに、近所に住む土屋芳雄氏との出会いについて触れました。土屋氏は日中戦争期に憲兵として戦争犯罪に関わり、撫順戦犯管理所で自らの罪を自白し深く反省した経験を「鬼から人間へ戻った」と語り、その体験を著書にまとめた人物でした。花鳥氏は、その言葉の重みを若い世代にも伝えたいと話しました。

■ 第3講義

「尽くされなかった戦争責任の糾明と戦後日本」 木村知義氏(北東アジア動態研究会)

木村氏は、東京裁判において昭和天皇の戦争責任が免責され、A級戦犯被疑者であった岸伸介氏が不起訴となった後、アメリカCIAとの関係を背景に政界へ復帰した経緯を解説しました。その結果として、日米安保条約体制が今日まで続く日本の政治構造を考える必要があると強調しました。

 

小休憩を挟んだ後、登壇者を交えた質疑応答が行われ、活発な議論が続きました。こうして約3時間にわたるシンポジウムは盛況のうちに終了しました。

中国旅の思い出(第9回)

チベットの象徴 ― 布達拉宮(ポタラ宮)を訪ねて

昨晩は少し頭痛がありましたが、朝になるとすっかり回復していました。 ホテル近くの小さな雑貨屋へ行くと、店番のおばさんが「你好」と声をかけてくれます。 一度会っただけなのに挨拶してくれる――その温かさがとても心地よく感じられました。

今日もバナナと飲み物を買い、 昨日入手した入場整理券を手に、いよいよ布達拉宮(ポタラ宮)へ向かいます。

■ 観音菩薩の名を冠した宮殿

「布達拉」という名は、観音菩薩が住むというサンスクリット語 「ポータラカ」に由来します。

布達拉宮は7世紀初め、チベットを統一した 吐蕃(とばん)第33代王・ソンツェン・ガンポが マルポリの丘に築いた宮殿が始まりです。

その後、国内の仏教対立や王位継承問題などで吐蕃は877年に滅亡。 時代は流れ、1642年にダライ・ラマ5世がチベットを再統一し、 3年後に増築する形で布達拉宮の建設が再開されました。 歴代のダライ・ラマによる増改築が続き、 1936年に現在の姿となりました。

布達拉宮は、 チベット仏教の総本山であり、 チベット政権の中心でもあります。 13階建て、部屋は2000以上とも言われる巨大な宮殿です。

■ 白宮と紅宮 ― 役割の異なる二つの領域

布達拉宮は大きく「白宮」と「紅宮」に分かれます。

● 白宮

歴代ダライ・ラマの住居であり、政治の中心。 外壁が白く塗られていることから「白宮」と呼ばれます。

● 紅宮

金箔で覆われた歴代ダライ・ラマの霊塔が並び、 ミイラとなったダライ・ラマたちが永久の眠りについています。 荘厳でありながら、どこか背筋が伸びるような空気が漂っていました。

壁画も多く、まさにチベット美術の宝庫です。

■ 屋上から眺めるラサの街

布達拉宮では屋上にも上がることができました。 写真で見る布達拉宮は壮麗ですが、 屋上から眺める景色もまた格別です。

素朴な街並みとチベット高原が一望でき、 「ここがラサなのだ」と胸に染み入るような新鮮さがありました。

■ 50元紙幣の裏面に描かれる宮殿

布達拉宮は、現在の中国で発行されている50元紙幣の裏面に描かれています。

余談ですが、中国の紙幣には 中国語のピンイン表記に加え、 モンゴル文字(モンゴル語)、 チベット文字(チベット語)、 アラビア文字(ウイグル語)、 アルファベット(チワン語)で 「中国人民銀行」と記されています。 多民族国家らしい表記です。

■ 午後はジョカン寺へ

布達拉宮の余韻を胸に、 午後は同じ世界遺産であるジョカン寺(大昭寺)を訪れます。

ラサの中心にあり、チベット仏教の信仰が最も濃く息づく場所。 次回はそのジョカン寺の旅をお届けします。

中国旅の思い出(第8回)

天の湖へ ― 初めてのチベット、ラサと納木错

今回は、私にとって初めてのチベットの旅です。 チベット自治区の首都・ラサに降り立ちました。標高はなんと3700m。 富士山より高い場所に街があるという事実を、体で思い知らされることになります。

■ ラサ到着直後、階段が上れない

中国の旅では、いつも安ホテルを利用しています。 今回も写真にあるような二階建ての素朴なホテルに宿泊しました。

いつものように、まずは地図を買って歩き回るつもりでしたが、 ホテルに着いて二階の部屋へ上がろうとした瞬間、 階段を上るだけで息が上がり、精いっぱい。 部屋に入ってベッドに横になると、起き上がる気力が湧きません。

「空気が薄い」とはこういうことか―― 頭も少し痛み、お腹もすいているのに動けず、 その日は何もできずに静かに休むことにしました。

■ 翌朝は回復、まずはポタラ宮へ

翌朝、頭痛も消え、ようやく元気が戻りました。 ホテル近くの幅2mほどの小さな雑貨屋でバナナと飲み物を買い、 今回の第一目的地であるポタラ宮へ向かいました。

しかし、もらえたのは入場整理券のみ。 入場できるのは翌日とのこと。 そこで予定を変更し、ラサから北へ約100kmの場所にある 納木错(ナムツォ)湖へバスで向かうことにしました。

■ 標高4700m、天の湖・ナムツォ

納木错の標高は4700m。 酸素ボンベを携帯しての訪問です。

湖の大きさは70km×30kmという巨大な塩湖。 何万年も前に隆起してできたのでしょう。 チベット語で「天の湖」を意味するナムツォは、 その名の通り、空と湖が溶け合うような神々しい景観でした。

湖の向こうには、 万年雪をいただく7000m級のニェンチェンタンラ山脈が横たわり、 静寂の中に圧倒的な美しさが広がっています。

この湖はチベット仏教の聖地であり、 多くの巡礼者が訪れます。 湖を一周する巡礼者もいるほどで、 周囲には祈祷旗(タルチョ)で覆われた仏塔が点在しています。

祈祷旗は五色で、それぞれが自然の元素を表します。

  • 白:雲

  • 赤:火

  • 緑:水

  • 黄:土

  • 青:空

色があせるほど、祈りが風に運ばれた証とされ、縁起が良いとされています。

■ チベットの生活を支えるヤクの糞

この神聖な湖でも、祈祷旗と同じくらいよく見かけるものがあります。 それはヤクの糞です。

チベットでは非常に重要な資源で、 料理や暖房に使われる燃料になります。 牧畜地域では、先人が残した家畜の糞が命綱となり、 その道が次の人々の移動を支える―― そう考えると、ヤクの糞がいかに大切かがよく分かります。

■ 再びラサへ、明日はポタラ宮

午後を過ぎると、また少し頭が痛くなってきました。 標高4700mの場所では、体が正直です。

ラサへ戻り、翌日のポタラ宮訪問に備えました。 いよいよチベットの象徴ともいえる宮殿へ向かいます。

いま、あなたに読んでほしい本

富坂聰『おそるべき「中国一強」時代』(小学館新書・2026年6月)

中国情勢の第一人者であるジャーナリスト・富坂聰さん(拓殖大学海外事情研究所教授)が、新著『おそるべき「中国一強」時代』を出版されました。中国の現在と未来を知るうえで、まさに必読と言える一冊です。本書の内容を章ごとに紹介します。

1.「中国一強」とは覇権ではなく“歴史の回帰”

富坂さんは、タイトルの「中国一強」は“覇権を求める中国”という意味ではないと強調します。 かつて巨大国家だった中国が、再びその姿を取り戻しつつある――その歴史的変化を伝えるための言葉だと述べています。

さらに、米中関係も従来の枠組みとは異なる「新しい段階」に入りつつあることを指摘します。 本書は、この大きな時代の転換を読み解くための案内書でもあります。

2.世界最大規模へ成長した中国の電力インフラ

第1章では、甘粛省・内モンゴル・新疆などで進む再生可能エネルギー開発の実態が紹介されています。

  • 太陽光・太陽熱・風力を組み合わせた巨大発電基地

  • 世界最大規模の送電網

  • 環境保護・経済発展・貧困撲滅を同時に進める国家プロジェクト

中国が「エネルギー大国」へと変貌している姿が、現地取材をもとに描かれています。

3.AI・自動運転・ロボット・宇宙開発の最前線

第2章は、中国の科学技術の“生の現場”を紹介する章です。

  • 世界最先端の中国製ドローン

  • 世界一の販売台数を誇る中国製EV

  • 独自の衛星測位システム「北斗」

  • 北京などで一般客が乗れる完全無人タクシー

  • 人間以上の動作が可能なヒューマノイドロボット

  • 月の裏側への探査機着陸成功など宇宙開発の躍進

通信大手「中国移動」は、6G国際標準の立ち上げ件数で世界トップと紹介され、 中国が科学技術の多方面で世界をリードしている現実が浮き彫りになります。

4.米中関係は“転換期”へ

第3章では、アメリカによる中国技術への規制・妨害の歴史が詳述されています。

●銀河号事件(1993年)

アメリカが「化学兵器原料を積んでいる」と主張し、中国貨物船のGPSを無効化。 33日間の臨検の結果、積荷は文房具や機械部品のみ。 謝罪も賠償もなく、中国は「屈辱」として記憶し、独自の衛星測位システム「北斗」開発へ踏み出しました。

●ファーウェイへの規制(2018年以降)

  • 同盟国に使用中止を働きかけ

  • 半導体輸出を厳しく制限

  • CFO孟晩舟氏の逮捕

これによりファーウェイは一時大きな打撃を受けましたが、2026年現在は独自チップとOSで復活しています。

●AI企業「DeepSeek」への妨害

NVIDIA製半導体の供給を止めようとしたものの、DeepSeekは独自に半導体を確保し高性能AIを完成。 その影響でNVIDIA株が急落したことも紹介されています。

富坂さんは、 「アメリカが中国を締め付ける → 中国は独自技術を積み上げて追いつく」 という“米中攻防の典型パターン”が繰り返されていると指摘します。

5.台湾問題――「92コンセンサス」の重み

第4章では台湾問題が扱われています。

中国は「すぐに武力で統一する」という政策を取ったことはなく、 「92コンセンサス」を基礎に、時間をかけて統一を目指す方針だと説明されています。

●92コンセンサスとは

  • 「一つの中国」を認める

  • ただし、大陸は「中華人民共和国」、台湾は「中華民国」と呼称

  • それぞれの解釈を当面容認する“緩衝装置”

富坂さんは、これを否定することは「安全装置を外すこと」だと警告します。 民進党政権はこの合意を否定し、緊張を高めていると批判しています。

6.日本の対中政策への問いかけ

第5章では、日本の対中姿勢が問われます。

高市首相の台湾海峡に関する発言や、 「台湾の法的地位を認定する立場にない」とした党首討論での発言を取り上げ、 富坂さんはこれらが中国の怒りを招いていると指摘します。

1972年、大平正芳外相は 「台湾は中国に返還されるべきもの」と明言しており、 日本の歴史的立場を曖昧にする発言は危ういと論じています。

さらに、アメリカ・中国・ロシア・EUの「グレートパワー・ゲーム」が進む中で、 戦争と直接結びついていないのは中国だけだと述べ、 日本が情勢を正しく見ていないのではないかと問題提起しています。

◆まとめ

本書は、中国の科学技術、エネルギー、外交、米中関係、台湾問題、日本外交―― これらを「現場の事実」に基づいて立体的に描いた一冊です。

中国を“脅威”として単純化するのではなく、 歴史的変化の中で何が起きているのかを冷静に見つめるための貴重な資料と言えるでしょう。

中国旅の思い出(第7回)

水色が生まれる場所 ― 黄龍の彩池と石灰棚

前回ご紹介した九塞溝のすぐ隣、 といっても山ひとつ隔てて何十キロも離れていますが、 四川省北部にはもう一つの絶景、黄龍(ホアンロン)があります。

黄龍は「四絶」と呼ばれる 彩池・雪山・渓谷・森林 この四つの景観が組み合わさった、世界でも稀な自然保護区です。

標高3100mの迎賓彩池から、3600mの五彩池まで木製の遊歩道が続き、 九塞溝より標高が高いため、私は酸素ボンベを片手に歩きました。

■ 山を昇る“黄色い龍”の正体

黄龍という名は、 黄色がかった乳白色の石灰華が山肌を覆い、 まるで山を昇っていく黄金の龍のように見えることから付けられたといいます。

ここは、石灰分を含んだ湧水が 気の遠くなるような年月をかけて自然に作り上げた石灰棚。 その棚田のような段々に、 彩池(さいち)と呼ばれる湖沼がどこまでもどこまでも続いています。

その数、なんと3400の湖沼。 人が何年もかけて切り拓く棚田も素晴らしいですが、 自然がつくり上げたこの景観は、 「自然の力はどれほど大きいのか」と思い知らされる場所でした。

■ “水色”という色を初めて理解した

私は文学の才能はありませんが、 黄龍を歩きながら「水色とは何か」を考えさせられました。

棚田のすぐ近くで真上から見ると、水は透明。 しかし、少し離れて棚田全体を眺めると、 水面がまるでクレヨンや色鉛筆の“水色”そのものに見えるのです。

「水色という色は、ここから生まれたのではないか」 そんな仕様もないことを思ってしまうほど、 本当に美しい光景でした。

■ 九塞溝よりも心に残った景勝地

九塞溝は中国旅行の中でもトップクラスの人気を誇り、 確かに素晴らしい景勝地です。

しかし私見では、 黄龍はそれ以上に心を揺さぶられる景勝地だと思います。

日本からの観光ツアーでは九塞溝が必ず計画されていますが、 ぜひその際は黄龍にも立ち寄ってほしいです。 一味違う感動が、きっと待っています。

ホームに佇む赤い機関車――全国で唯一の存在

鉄道の線路上を力強く走り抜け、旅客の安全な移動を支える一台の機関車があります。 その名は 「共産党員号」。赤い車体がひときわ目を引く、全国で唯一の特別な機関車です。

■「共産党員号」とは

「共産党員号」機関車は、中国鉄路沈陽局集団有限公司・沈陽機務段に所属し、牽引機は「和諧D3D1921」型。 2016年7月1日に正式に「共産党員号」と命名され、今年でちょうど10周年を迎えました。

車体のベースカラーは鮮やかな赤と深いワインレッドの組み合わせ。 車頭に掲げられた大きなエンブレムには、党徽・麦穂・歯車などの象徴的なモチーフがあしらわれています。

■乗務するのは全員が共産党員の運転士

「共産党員号」には10名の運転士が所属しており、全員が共産党員。 1本の列車には2名が乗務し、走行中は交代しながら運転します。

出発前には、機関車の連結状態や電源設備の正常性、列車番号や編成情報、出発信号など多くの項目を確認し、 すべてが整ったのを確認してから汽笛を鳴らし、列車をゆっくりと動かします。

■国際列車から長距離列車まで幅広く牽引

「共産党員号」はこれまでに、

  • 北京〜モスクワ間の国際連絡列車

  • K19/20次列車の北京〜ハルビン区間

  • 丹東〜北京間のK27/28次列車 など、数々の重要な牽引任務を担ってきました。

2021年7月からは、K54/53次列車を担当。 毎日、沈陽北駅と北京駅を往復し、所要時間は約8時間。 夕方に出発し翌朝に到着する「夕発朝至」の直通運行です。

■全車両が寝台、旅客からの人気も高い

編成は硬臥(ハード寝台)13両、軟臥(ソフト寝台)3両、高級軟臥1両の計17両。 機関車の特別な意味合いから、停車駅のホームでは記念撮影をする旅客の姿も多く見られます。

7月1日、杭州から乗車した田さんはこう語りました。 「今年は中国共産党創立105周年。旅の途中で『共産党員号』に出会えて、記念写真まで撮れたのは本当に幸運でした。旅に特別な意味が加わりました。」

また、旅客の李さんは笑顔で話します。 「乗車前にわざわざ『共産党員号』を見に行きました。車両の型式も確認しましたよ。列車がゆっくりホームを離れると、とても安心した気持ちになりました。車内も快適で、眠っているうちに翌朝には北京に着くんです。」

■赤い機関車は使命を胸に走り続ける

赤い車体は星の光を映し、 「共産党員号」は今日も前へ進み続けます。 使命を胸に、力強く駆け抜け、 新たな旅路でその栄光をさらに刻んでいくのです。

出典:中国鉄路

中国旅の思い出(第6回)

透明な湖沼が連なる仙境 ― 九塞溝の色彩

今回は、中国内陸部・四川省の北端に位置する九塞溝(きゅうさいこう/ジウジャイゴウ)です。 省都・成都から飛行機なら1時間足らず、現在では高鉄(新幹線)で約2時間と、アクセスは非常に便利になりました。

この地はチベット族をはじめとする少数民族の居住地で、 谷には9つのチベット族の村(山寨)があることから「九塞溝」と呼ばれています。 標高は1800mから3400mにわたり、大小100以上の湖沼が連なるカルスト地形の淡水湖水地帯。 岷山山脈から流れ出た水が滝をつくり、湖沼をつなぎながら流れ落ちていきます。

■ 極度の透明度を誇る「五花海」

九塞溝には数多くの名勝がありますが、その代表格が五花海です。

ここの水は、炭酸カルシウムが微細な浮遊物を核として沈殿するため、 驚くほど透明度が高いのが特徴です。 深さ20mの湖底まで、くっきりと見えるほど。

湖底に沈んだ倒木には石灰分が付着し、 まるで化石のように形を保ったまま残っているのも独特の景観です。 ただ、水があまりに澄みすぎて、普通の魚は住みにくいと聞きました。

■ 宝石を散りばめたような「五彩池」

九塞溝の最奥、海抜3100mに位置する五彩池は、 まさに九塞溝の象徴ともいえる場所です。

エメラルドグリーンとはこういう色なのか―― 池を見た瞬間、そう思いました。 宝石を散りばめたような輝きで、これまで見たどんな湖とも違う美しさでした。

春は渇水期と言われますが、私が訪れたのは8月の盆休み。 水量も十分で、最高の状態を見ることができました。

■ 滝が連なる涼やかな谷

入り口から歩いていくと、連なる湖沼の間に盆景灘瀑布が現れます。 海抜2000m付近なので、夏でも涼しい風が心地よく感じられました。

さらに五花海方面へ進むと、真珠灘瀑布が姿を見せます。 名前の通り、真珠が流れ落ちるような白いきらめき。 水があまりに透明で、 「写真に水が写らないのでは?」と思ったほどでしたが、 きれいな写真が撮れて満足でした。

■ 日本では見られない風景がここに

九塞溝は中国旅行の中でもトップクラスの人気を誇りますが、 実際に訪れてみると、その理由に深く頷けます。

日本ではなかなか見られない色彩と透明度、 そして標高差が生み出す多彩な景観。 感激する場面が何度もありました。

次回は、九塞溝のすぐ隣にある世界遺産、 黄龍(ホアンロン)をご紹介します。 どうぞお楽しみに。

内モンゴルで進む漢語教育強化とモンゴル族の現実

中国には日本と同じく各地に方言があります。しかし、その違いは日本の東北弁と関西弁の差どころではなく、文法・語彙・発音が大きく異なり、ほとんど“別の国のことば”と言ってよいほどの隔たりがある場合もあります。 このままでは地域間の意思疎通が難しいため、北京語を基礎とした標準語「漢語普通話」が整備され、全国で普及が進められてきました。大学入試や授業、全国から人が集まる職場では普通話が使われるのが一般的です。

■ 内モンゴルの従来の教育制度

少数民族地域では、つい最近まで小学校低学年の授業はその民族の言語で行われていました。 内蒙古自治区では長年、モンゴル語を基盤に中国語も学ぶ「双語教育」が採用されてきました。

  • 小学校1・2年生:モンゴル語の標準語で授業

  • 3年生以降:漢語(普通話)による授業

ところが、2020年の全国人民代表大会で「国家通用語文」普及政策が決議され、これに基づき教育内容が大きく変更されました。 同年9月の新学期から、小中学校の「語文(国語)」「政治(道徳)」「歴史」は漢語の教科書を使用し、授業も漢語で行うことが決定。つまり、1年生から漢語による授業が始まることになったのです。

■ 住民の反発とメディア報道

この変更に対し、内モンゴルでは「民族のことばと文化が失われる」として保護者らが抗議デモや授業ボイコットを行いました。 日本のマスメディアもすぐに反応し、

  • 「モンゴル語教育廃止」

  • 「抗議行動が拡大」

  • 「中国政府の狙いは民族抹殺」

といった刺激的な見出しが並びました。

■ なぜ漢語教育が急がれるのか

中国は56民族が暮らす多民族国家であり、使用される言語も多様です。 国内の意思疎通を円滑にし、経済活動の効率化、教育水準の向上、情報化社会への適応、さらにデジタル化・AI化に伴う情報標準化を進めるため、統一言語の普及は国家的課題となっています。 こうした背景が、政府が漢語教育を強化する理由と言えるでしょう。

■ 内モンゴル自治区による住民調査

住民の反対行動を受け、内モンゴル自治区人民委員会は「住民が漢語教育強化をどう考えているか」を把握するため、自治区地方言文字研究応用センターに委託し、 「内モンゴル辺境地区言語態度および言語能力検査」 という大規模アンケートを実施。2024年に結果が公開されました。

調査対象は都市部ではなく、問題の焦点となっている辺境の20の“旗”と“市”。回答者は2,520人で、そのうちモンゴル族は2,186人。 普通話が「よくできる」と答えた人は 8.4%、モンゴル語標準語が「よくできる」は 25.6%。 多くの人が標準語ではなく、地域のモンゴル語方言を日常語としている実態が浮かび上がりました。

■ 92.6%が「国家共用語は必要」と回答

注目すべきは、「国家通用語は有用と思うか」という質問への回答です。 92.6%が「非常に有用」と答えたのです。

京都大学・慶應義塾大学名誉教授で日中友好協会副理事長の大西広先生は、ウェブメディア「中国学ドットコム」に掲載した評論 《内モンゴル辺境地区における日常語と漢語化への反応》 の中で、この結果を取り上げ、

「漢語教育が必要という点では、内モンゴルの蒙古族の中でほぼ合意ができている」

と指摘しています。

つまり、モンゴル族の多くは、 学歴社会と厳しい就職競争を生き抜くためには高度な普通話能力が不可欠である という現実を理解しているのです。

■ 不満を抱く層と「ことばへの愛着」

大西先生はさらに、政府の言語政策に不満を強く持つ傾向があるのは、

  • 男性

  • モンゴル族

  • 年長世代

  • 高学歴者

  • メディア関係者

であると分析しています。

また、モンゴル族も漢族も日常ではそれぞれの方言を使い、それに強い愛着を持っています。 その愛着が、標準語である「普通話」への距離感となり、特にモンゴル族ではその傾向がより強いと指摘されています。