2021年国民平和大行進

核兵器のない平和で公正な世界をつくろう!

今年の国民平和大行進は、コロナ禍の影響で大きな制約を受けていますが、「核兵器なくせ」の思いを発信、結集することが大切なことは変わりません。その一つとして「平和行進ペナント」を集め被爆地(広島、長崎)に届けます。原水禁世界大会がオンラインで行われることになり、代表は送れませんが、8月6日広島で、9日長崎で全国から集まったペナントでアピールします。ペナントは下記の実行委員会にお申込み下さい。コロナ感染防止と参加者の安全を第一に考え、例年のように「隊列を組んで行進し沿道に訴える」やり方を変更し、限定した地域のみ行進することにしています。(兵庫県実行委員会)

7月7日(水)川西市役所→宝塚市役所、7月8日(木)伊丹市スワンホール→尼崎・JR立花駅、7月9日(金)西宮市役所→阪神御影駅南公園、7月10日(土)JR六甲道駅北→須磨区役所、7月11日(日)JR垂水駅西広場→明石駅南広場、7月12日(月)二見市民センター→高砂市中央公民館、7月13日(火)山電飾磨駅北側→大手前公園、7月14日(水)JR網干駅→たつの市役所、7月15日(木)JR相生駅→赤穂市役所、7月16日(金)JR寒河駅→岡山へ

オンライン世界大会と平和行進ペナントについては下記実行委員会へお問い合わせ下さい。

国民平和大行進兵庫県実行委員会

Tel:078-341-2818    Fax:078-371-2427

E-mail:hikakukobe@yahoo.co.jp

7月7日は「盧溝橋事件」から84年

1937年7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋で

1937年7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍が中国軍に攻撃されたとした盧溝橋事件をきっかけにして、日本は1945年の敗戦まで中国全土への侵略戦争をおしすすめ、南京大虐殺、731細菌戦部隊、戦時性暴力事件、燼滅掃討作戦(三光作戦)、強制連行・強制労働事件、重慶などへの無差別爆撃、遺棄毒ガス事件をはじめとした加害行為を重ねて、言語に絶する苦しみを中国の民衆に与えました。盧溝橋事件を契機に日本は戦火を中国全土へと拡大しました。「暴支膺懲」(暴戻支那膺懲の略)、つまり、日本の侵略に応戦する中国に対し、「言うことを聞かない中国を懲らしめる」これが、当時、日本政府が戦火を拡大する理由とされました。(写真上:北京郊外の豊台西方を流れる永定河に架かる盧溝橋)

1931年の柳条湖事件(満州事変)に始まる日本軍国主義による中国への侵略戦争は、「道義に欠ける中国を懲らしめて反省させる」との主張のもとに進められたものでした。いま、尖閣、香港、人権問題などをめぐって日本国民の対中感情が悪化する中、中国の軍事力増強に対抗するとして日米軍事同盟の強化と一体化が進められ、日本を戦争の出来る国にするための「改憲」の動きが強まっています。

侵略戦争の反省と教訓をもとに不再戦平和運動を進めてきた日本中国友好協会は、中国の国際法に反する行動の誤りを率直に指摘するとともに、あらゆる軍事的な対抗措置に断固反対します。パンデミックや地球温暖化の中で重視すべきは国際協調であり、体制の違いを越えて、人類共通の課題を克服するために世界が力を結集すべきことを強く訴えます。(写真下:1937年9月、東京朝日新聞号外)

講演「原爆孤児と支えた人々」

兵庫歴教協総会記念講演会「忘れてはいけない原爆と現在」

原爆が投下されて75年以上が経った今でも、その影響は残っています。歴史を風化させてはなりません。今だからこそ、戦争と原爆について、一度考え直しましょう。

日時:2021年6月27日(日)午後2時~4時

会場:兵庫県高等学校教職員組合会館(JR元町駅北へ5分)

会場は先着30人 不織布マスク配付、手指消毒

講師:平井美津子さん(大阪府内の公立中学校教員)

テーマ:原爆孤児と支えた人々

資料代:500円

講演はZoomでライブ配信の予定。参加希望の方は下記メールでお申込み下さい。参加人数の制限はありません。

h_rekkyo2009@yahoo.co.jp (兵庫歴教協)

主催:兵庫歴史教育者協議会

中国人戦後補償裁判の記録

裁判の記録は真の和解を進める重要な指針

正義をかなえてほしい!深い傷を負わされた中国人たちの思いを受け止め、司法の壁に闘いを挑んだ日本の弁護士・市民の記録

1931年の柳条湖事件(「満州事変」)から日本敗戦まで、日本軍はのべ百万に及ぶ兵士を中国大陸に送り込みました。日本軍は中国の人々に対して、虐殺・人体実験・強姦・強制連行(強制労働)など残酷極まりない所業を繰り返し、その犠牲者は数千万人と言われています。

戦後になっても、日本軍の遺棄した毒ガス兵器・砲弾による甚大な被害が発生しています。日本の司法は一貫して、国家賠償法がなかった戦前の日本の賠償責任を否定し、中国人原告らの訴えを退けてきました。

原告となった中国人の思いを受け止めた日本の弁護士たち、そして裁判活動を支えた市民の闘いを記した「中国人戦後補償裁判の記録」は、日本が近隣諸国との真の和解を進めていくための重要な指針となります。

目次 四六判上製 316ページ 

序・なぜ弁護士たちは立ち上がったか

1・平頂山事件 2・南京虐殺、無差別爆撃、731部隊事件

3・遺棄毒ガス・中国人「慰安婦」訴訟 

4・強制連行、強制労働事件

5・裁判を支えた市民の活動 6・壮大なオーラルヒストリー

中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著

発行所:株式会社 高文研 定価:2,500円+税

高文研:03-3295-3415

URL:http://www.koubunken.co.jp

1945年3月17日「神戸大空襲」から76年

「神戸空襲犠牲者合同慰霊祭」今年も関係者で開催

元町駅周辺から西方の被災(神戸新聞より)

米軍による神戸や周辺地域への空襲は、1945年1月から8月の終戦まで合わせると128回にもなります。神戸への大空襲は、2月4日・3月17日・5月11日・6月5日・8月6日と続きます。3月17日未明の大空襲は兵庫区、林田区(現・長田区)、葺合区などで壊滅的な被害を受けています。5月11日の空襲では灘区、武庫郡(現・東灘区)で大きな被害が出ています。6月5日の空襲では、西は須磨区から東は西宮まで広範囲に爆撃を受け、この3度の無差別焼夷弾爆撃により神戸市全域が壊滅的な被害を受けました。その被害は戦災家屋14万1,983戸、罹災者53万858人、死者数7,491人、負傷者1万7,002人とされていますが確定的なものではなく実際には更に膨大な被害であったと推測されると言われています(数字はWikipediaより)。

神戸国際道路(現フラワーロード)一帯も被災(毎日新聞より)
神戸空襲を忘れない―いのちと平和の碑(神戸市中央区の大倉山公園)

神戸空襲を記録する会は、神戸空襲を忘れないように、毎年3月17日に犠牲者合同慰霊祭を開催していますが、昨年に続き今年もコロナ感染拡大に配慮し、3月17日(水)薬仙寺での慰霊祭は世話人、関係者で行うとしています。

核兵器禁止条約の発効を力に核兵器廃絶へ!

禁止条約に署名・批准する日本を!

今年の「3.1ビキニデー」は、その歴史の中でも特別な機会になろうとしています。それは、1954年のビキニ水爆被災事件を契機に誕生した原水爆禁止運動が、65年以上にわたって求め続けてきた核兵器禁止条約が1月22日に発効し、核兵器が違法化された中で迎えるからです。

こうした画期的な情勢を切り開く土台となったのは、核兵器の非人道性を訴え、核兵器の全面禁止を要求し続けてきた被爆者と原水爆禁止運動、そして世界の反核世論と市民社会の運動にあります。

核兵器禁止条約の発効によって、核兵器廃絶のたたかいは新たなステージに入ります。重要なのは日本です。人類でただ一つ、戦争による核の惨禍を体験した被爆国の日本が禁止条約の参加に踏み出せば、核兵器廃絶のたたかいに大きなインパクトを与えます。

3・1ビキニデー集会は、歴史を動かしたビキニ事件と市民の運動について学ぶとともに禁止条約を力に、核兵器のない世界、非核平和の日本とアジアをめざして、海外代表と一緒に討論し、行動に力強く踏み出す場です。(原水爆禁止日本協議会パンフより)

3・1ビキニデー・オンラインに参加を!

オンライン会議アプリZoomウェビナーで開催します。参加ご希望の方は http://www.antiatom.org/   から登録して下さい。登録者には参加URLがメールで通知されます。

登録費:「全体集会・分科会」1,500円(一般)、500円(被爆者・学生・高校生) 「3・1ビキニデー集会」1,000円

原水爆禁止日本協議会 03-5842 -6031  Fax.03-5842-6033

E-mail:antiatom55@hotmail.com

元八路軍兵士の日本人「私は八路軍の少年兵だった」

元八路軍兵士となった日本人の体験記録

著者の藤後(とうご)博巳さん(1929年生)は、1943年(昭和18年)、高等小学校卒業後、満蒙開拓青少年義勇軍に志願。茨城県内原訓練所に入所。1944年2月渡「満」四平省昌図訓練所に入所後、ハルビン郊外の嚮導訓練所に移る。1945年8月、敗戦とともにソ連軍の捕虜となり、海林捕虜収容所を経て牡丹工捕虜収容所に収容される。同年10月釈放されてハルビン郊外の難民収容所に収容される。1946年、ハルビンに進駐してきた八路軍に加わり、以後、各地を転戦。1955年(昭和30年)帰国。以来、日中友好運動に携わる。現日中友好協会大阪府連合会顧問。

日本と中国との関係は歴史的に古く、絶ち難い強い絆で結ばれていますが、その背景には過去も今も、様々な人間のドラマがあります。その卑近な例を挙げるとしますと、一つに中国残留―日本人孤児たちがあります。歴史に翻弄されて苛酷な人生の苦渋を余儀なくされたこの人たちは、日本の中国侵略戦争のもたらした「負の歴史」の生き証人でもあります。その日本の子どもたちが、中国の人の手によって育てられ、成長し、その多くが中国の地に根を下ろしているその意義は深く、かつ重いものがあります。そしてその動機はともかく、中国の養父母たちの人道精神は、私たちに深い感銘を与えました。その孤児たち一人ひとりの心情はどうであろうとも、かれらこそ日中両国のかすがい的存在であることは何人も否定できません。

いま一つに、戦後、日本人でありながら八路軍(現中国人民解放軍)の兵士として戦後内戦に参加し、前線で、あるいは後方で、中国人たちとともに新しい国づくりに協力した人たちがいました。世間ではほとんど知られていない戦後の日本人の足跡があります。実は私もその一人だったのです。(著書の「はじめに」より抜粋)

(藤後さんの体験は2020年8月22日付毎日新聞夕刊に大きく紹介されました。上)

著書「私は八路軍の少年兵だった」お申込みは下記へお問い合わせ下さい。

E-mail:tougohiromi@yahoo.co.jp (藤後博巳さん)

南京大虐殺事件から83年

従軍兵士が撮った写真に南京の惨状が

南京事件から83年目にあたる12月13日、中国政府主催の「南京大屠殺死難者国家公祭儀式」が南京市で行われ約3000人が出席、陳希中央政治局委員が追悼スピーチを行いました。(写真は南京市で行われた国家公祭儀式)

中国大陸を2年半にわたり転戦してきた村瀬守保さん(1909年~1988年)は、1937年7月に召集され、カメラ2台を持って、所属中隊全員の写真を撮ることで、中隊の非公式写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しています。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルピンと中国各地を第一戦部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真には南京の写真もあり、中国を侵略した日本軍の足跡そのものであり、南京虐殺、「慰安所」、日常的な加害行為など決して否定することの出来ない侵略の事実が映し出されています。(写真は、村瀬守保写真集「私の従軍中国戦線」より

1937年12月、日本軍は中国の首都・南京の攻略戦で、投降した中国軍兵士や一般の市民、難民に対して虐殺を行いました。日本軍による中国人虐殺は20万人に及びます。中国はユネスコに南京の資料を世界記憶遺産として登録申請し、2015年10月10日に登録が発表されました。今年はこの南京大虐殺事件から83年目にあたります。(写真上:虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられ焼かれた死体を見る日本軍兵士、中:工兵隊が死体に鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をしていた、下:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた中山門の城壁、ここから第十六師団の将兵が怒涛の如く南京市内へ突入した)。

第43回兵庫の「語りつごう戦争」展

「戦争を遂行する文化」テーマに資料展示

今年で43回目となる兵庫の「語りつごう戦争」展が12月6日から神戸市兵庫区の妙法華院で始まりました。今年の展示テーマは「戦争を遂行する文化」で、会場には戦時中の厳しい統制の下、当時の状況を反映した雑誌や写真、戦時生活の様子がわかる現物資料などが多数展示されています。また中国を侵略した日本が中国大陸で行った太平洋戦争期最大の虐殺事件「廠窖住民大虐殺」の資料や写真、さらに大陸で日本企業が、軍隊の威を借り、中国の地下資源略奪、軍事要塞の構築などに強制連行され、強制労働を強いられ命を落とした中国人労工がゴミのように捨てられ、また生き埋めにされ、その遺骨が今に残る「万人坑」の写真なども展示しています。更に高校生が書いた作品を含め、沢山の平和色紙も同会場に展示されています。

「戦争体験を聞く集い」が6日午後、同会場で開催され市民20人が参加しました。この日は、姫路海軍航空隊鶉野基地―通称「鶉野飛行場」工事事務所に勤務して―と題し当時の体験を話す予定の藤原昭三さん(91歳)が、コロナ感染拡大の中、高齢でもあり、安全を考えご本人は来場せず、藤原さんがまとめた14ページにわたる記録を実行委員会代表を務める上野祐一良さんが代読し紹介しました。また、飛行場跡近郊の北条高校に勤務する稲次寛さんが、生徒と共に藤原さんから聞いた体験や、今に残る戦跡について高校生が課外活動として小学生に伝える活動を行っていることなどを紹介しました。戦争体験談は、12月8日を除き戦争展開催中は毎日午後1時30分から妙法華院3階会議室で開催されます。

芦屋・非核平和祈念のつどい

芦屋非核平和都市宣言35年・被爆75年、映画「いしぶみ」上映

碑(いしぶみ)に刻まれた旧制・広島二中の一年生321人

幼くしてこの世を去った彼らが最後に残した言葉とは―

昭和20年8月6日は、朝から暑い夏の日でした。この日、広島二中の一年生は、建物解体作業のため、朝早くから本川の土手に集まっていました。端から、1、2、3、4・・・と点呼を終えたその時でした。500m先の上空で爆発した原子爆弾が彼らの未来を一瞬にして奪ったのです。少年たちは、元気だった最後の瞬間、落ちてくる原子爆弾を見つめていました。あの日、少年たちに何が起こったのでしょうか・・・。

映画監督・是枝裕和と女優・綾瀬はるかによる新しい朗読劇。失われゆく戦争の記憶が語り継がれる。

日時:2020年10月17日(土)14:00~16:00

会場:芦屋市民センター401号室(JR芦屋駅西へ徒歩6分)

内容:映画「いしぶみ」上映

参加協力費:500円(高校生以下無料)

★先着100人まで ★マスク着用でお願いします

主催:芦屋非核平和のつどい実行委員会

共催:芦屋市原爆被害者の会

協賛:原水爆禁止兵庫県協議会/非核の政府を求める兵庫の会/平和と民主主義をすすめる芦屋西宮の会

後援:芦屋市/芦屋市教育委員会

連絡先:Tel&Fax:0797-31-6634(福田さん)