どうなる?これからの日本と中国

尼崎で日中国交正常化50周年記念学習講演会

今年は、日中国交正常化50周年の節目の年です。1972年の日中共同声明では、日本の侵略戦争への深い反省、中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを認め承認しました。さらに、主権及び領土保全の相互尊重、恒久的な平和友好関係の確立を重視することを確認しました。

しかし、現在、尖閣諸島問題は日中関係悪化の要因となっています。私たちは、冷静で平和的な対話による解決を両国政府に求めるとともに、両国民の世論を高めることが必要だと思っています。今回の学習講演会は、国交正常化50周年記念の活動の一つとして計画しました。

日時:2022年3月20日(日)14:00~16:00

会場:尼崎市立中央北生涯学習プラザ(尼崎総合医療センター西

講師:山本恒人 大阪経済大学名誉教授・日中友好協会大阪府連合会副会長・日中友好協会本部副理事長

参加費:無料

お願い!

コロナ感染防止のため、入場人数を制限させて頂くことがあります。参加の際は、マスク着用お願いします。発熱など体調が優れない方は参加をご遠慮下さい。

主催:日中友好協会尼崎支部(準)☎090-6550-2568(大上

協賛:日中友好協会兵庫県連合会 ☎078-412-2228

E-mail:okmt50@nicchu-hyogokenren.net

中国残留日本人の歴史を辿る

長野県河野村開拓団の悲劇を記録映像と講演で伝える

尼崎市主催、委託事業団体コスモスの会日本語教室が運営し11月20日(土)に尼崎市内で開催された第7回「中国残留日本人への理解を深める集い」は140人が参加しました。集いは、信越放送が制作したドキュメンタリー映像「決壊-祖父が見た満州の夢」上映のあと、劇作家・精神科医の胡桃澤伸さんが「河野村開拓団と祖父と私」と題して講演しました。

胡桃澤伸さんは、若くして長野県河野村の村長となり家族のため、村のため、国のために職務を行っていた祖父の胡桃澤盛が国策による分村政策を実行し村から開拓団を「満州」へ送り出しました。敗戦直後の混乱の中で幼い子どもを含む開拓民73人が集団自決したことへの自責の念にかられ敗戦の翌年自宅の自室で自殺したことを知り、そのことをどう受け止めてよいのかわからなかったとの思いを語りました。

祖父が遺した何冊もの日記について、胡桃沢伸さんは、読まなくてはならないとは思いながもどうしても読みたくなかった気持ちを話し、しかし、祖父が遺した日記は戦争を知らない自分たちに大切なことを伝えようとしていると気づき、寄贈した地元歴史研究会が日記をまとめた本を読み、映画化を引き受けるに至った経緯を語りました。映画製作の中で開拓団の人たちが自決した中国東北地方を慰霊訪問し、開拓団入植により自宅と農地を奪われた中国農民の家を訪れ、直接当時の話を聞いたことが自身の考えを変える機会となったと語りました。

入植してきた日本人に家と農地を奪われ、近くの草ぶきの家に移り住み、荒れて痩せた土地を耕し乏しい作物で命をつないできた話を聞いた時、強く頭を殴られたような気がしたと、開拓団の人たちは日本の中国侵略の被害者ではあるが、中国の人々への加害者にさせられていたことをはっきり感じたと語りました。祖父は当時自治体の長として中国への侵略政策に加担し多くの犠牲を出した責任を死で償う道を選ばず、生きて責任をとるべきだったのではないかとの思いを語りました。

講演の後、兵庫県出石郡高橋村(現・豊岡市但東町)からの農業移民として戦争末期に中国黒龍江省へ渡った大兵庫開拓団約500人の内、298人が敗戦直後、逃避行が困難と判断し、2人づつ体を背中合わせに縛り増水した川に身を投げ集団自決した人達の内、現地の中国人に助けられ辛うじて命をつなぎ帰国した団員の二世3人が胡桃澤伸さんと対談しました。開拓団員2世の方々は、親たちの悲劇、当時の惨状、生きて帰った人たちが故郷の村で孤独で厳しい生活を送ってきたことなどを生々しく語りました。また今を生きる若い人達にこの悲惨な歴史を語り伝え、当時の様子を描いたスライド画像を映して伝えていることも紹介されました。会場ロビーでは開拓団の歴史や年表、入植地図、高橋村・大兵庫開拓団の入植地の写真などが展示されました。

第26回「尼崎平和のための戦争展」

コロナ危機の中で生かそう平和憲法を!

緊急事態宣言発出により中止となっています!

1945年8月、広島・長崎に原爆が投下されて76年目の夏を迎えています。尼崎平和のための戦争展実行委員会は「コロナ危機の中で生かそう平和憲法を」をテーマに第26回戦争展を開催します。

日程:2021年8月27日(金)~29日(日)9:00~18:00(最終日は16:00まで)

会場:尼崎市立中央北生涯が学習プラザ 1F、2F 、3F 

●資料展示会場:1F学習室ABC

展示内容:平和憲法とコロナ問題・パネル「原爆と人間」・沖縄問題・各9条の会活動・戦争に突き進んだ歴史年表・残留孤児問題

子供向け平和紙芝居:8月27日(金)午前のみ 2F学習室

映画「ひろしま」:8月28日(土)①10時 ②午後2時 ③6時

 1時間44分 1953年制作  会場:1F大ホール

上映協力券代:一般1.000円、中高生500円 マスク着用

語り部コーナー:8月29日(日) 3F 音楽室 尼崎市原爆被害者の会・紙芝居・中国残留日本人孤児の訴え

主催:尼崎平和のための戦争展実行委員会 090-4902-8398

後援:尼崎市、尼崎市教育委員会

尼崎で中国・鞍山市の青少年芸術作品展

中国・鞍山師範学院学生の作品54点を展示

JR尼崎駅前の買い物客でにぎわうショッピングモール3階で、3月20日~31日まで尼崎市・鞍山市主催の「鞍山市青少年芸術交流展」が開催されています。通路の壁2面に中国遼寧省・鞍山師範学院学生の作品、写真、絵画、書が展示され買い物客を楽しませています。鞍山市は中国遼寧省にある人口359万人の都市で1983年に兵庫県尼崎市と友好都市提携を結び今年2月に38年目を迎えています。今回は全て鞍山師範学院学生の作品54点が展示されました。

2008年の提携25周年をきっかけに、両市の将来を担う小学生の書画を交流し合うことで相互理解を深めることを目的に、小学生の書画交流事業を開始。2019年より芸術交流展と名称を変更し、新たに大学生を含む青少年まで対象を広げ作品募集を行っています。鞍山市でも昨年12月に尼崎市の青少年の作品が展示されました。(写真は3月27日筆者撮影)

尼崎で「鞍山市青少年芸術交流展」

中国鞍山市・若手アーティストの芸術交流展

中国遼寧省の中央部に位置する鞍山市は古くから鉄の産出で知られている都市で、1983年2月に兵庫県尼崎市と友好都市提携を結んでいます。この度、尼崎市は友好都市の中国・鞍山市青少年芸術交流展を2か所で計画しています。

●2021年3月2日(火)~17日(水)8:45~17:30(土・日除く

場所:尼崎市役所中館2階

●2021年3月20日(土・祝)~3月31日(水)10:00~20:00

場所:あまがさきキューズモール3F(ドコモショップ向かい

(キューズモールはJR尼崎駅北口からデッキを渡ったところ)

※参観に際し、念のため日程・会場を下記へご確認下さい。

主催:尼崎市・鞍山市

問合せ先」尼崎市文化振興担当(細井さん)

☎06-6489-6017 Fax:06-6489-6702

E-mail:ama-kokusai-koryu@city.amagasaki.hyogo.jp

   キューズモールへのアクセス

第6回「中国残留日本人への理解を深める集い」

残留孤児の半生朗読と二世、三世が親たちの人生を語る

11月28日(土)午後、尼崎市内で第6回「中国残留日本人への理解を深める集い」が開催され約150人が参加しました。尼崎市が主催し、委託事業団体「コスモスの会」(宗景正代表)が企画・実行しました。初めに、稲村和美尼崎市長が開会あいさつし、朗読グループ「ま・どんな」のメンバー3人が、中国「残留孤児」宮島満子さん(84歳、尼崎市在住、長野県出身)が1938年、3歳の時、長野から一家11人で中国東北の東安省密山県へ開拓団として入植し、戦後40年も経ってから帰国した頃までの半生を証言を基に朗読しました。

ソ連が「満州」へ侵攻し、父親はソ連兵に連行されたまま戻らず、残された家族が開拓団からの指示で、ソ連機の銃撃の下、地獄の逃避行へ、その途中で兄弟は次々亡くなり、奉天まで来て、臨時の収容所となっている小学校で母親も飢えと寒さで衰弱し亡くなります。兄弟と3人が残され、このままでは死んでしまうと思った兄の説得で宮島さんは中国人家庭に預けられます。2度目の養父母に育てられ小学校へ入学、3年生の時、日本人ということでいじめられ、毎日衣服に唾をかけられたり、石を投げられ「小日本鬼子」(日本の鬼っ子)と罵られ学校へ行けなくなります。青年期には自殺も考えるが死にきれず辛い生活を送ってきました。宮島さんは、当時44歳の父親の消息について、ソ連へ連行されたあと強制労働させられる中で、赤痢のような病気にかかり、仕事が出来ない人や死んだ人と一緒にトラックに乗せられて山に放り出され、石油をかけられ生きたまま焼き殺されたことを知ったと証言しています。

日本へ一時帰国した際、生きて日本に帰っていた兄と再開を果たしますが、永住帰国したいと話すと兄は言葉もわからず、兄の家も人数が多く面倒が見れず、日本で仕事に就くのは難しい、習慣も違う日本で生活するのは無理だと言われ断念します。1980年代の後半、兵庫県への永住帰国がやっと叶い、兄の世話にもならずにすむと有馬温泉の旅館に住み込みで働き始めました。しかし、言葉が不十分なため、毎日「アホ、バカ、中国へ帰れ!」と怒鳴られながら辛抱してきた、と宮島さんの証言朗読は続きます。

集いは朗読の後、「国境に入植した開拓団について」コスモスの会代表の宗景正さんが写真や地図などを映しながら紹介しました。集いの第2部では「音楽のひととき」で、ピアニストの安達さおりさんがショパンの2曲とリストの1曲を演奏しました。その後、残留孤児2世と残留婦人3世が「親たちの人生を語る」と題し対談しました。聞き手のスタッフから、「親や祖母が残留孤児、残留婦人だと知った時どう思ったか」、「日本へ帰国してよかったこと、悪かったことは」などの問いに応える形で対談は進められました。その中で残留孤児2世の一人は、親たちは、中国で『日本鬼子』『日本へ帰れ』などといじめられ、日本へ帰国すれば『中国人は来るな』『中国へ帰れ』などと罵られ耐えがたい苦痛を味わっています、と声を詰まらせ涙声で訴えていました。

今回の集いを通じ感じたことは、この悲劇の大元には日本の中国への侵略戦争があり、中国の人々は、日本が中国を侵略したことにより何千万人もの中国人が被害を受け、命が奪われ、土地を奪い取られ、強制連行や強制労働により労働力を搾り取られ、動けなくなったら息があってもゴミのように捨てられた。また戦時、中国各地の鉱山では日本の大企業により膨大な量の地下鉱物資源が略奪され、抵抗すれば殺害された歴史をよく知っています。こうした加害について戦後の日本政府は公式に認めず、日本国民に知らせず、1990年代になり被害者やその家族が訴訟しても時効を盾に門前払い、謝罪も補償もしないという態度です。口先でいくら「日中友好、中国は日本にとって大切な隣国」などと言っても中国の人々には通用しないでしょう。今こそ日本の多くの人々が、「日本は中国でなにをしたか」の歴史を知る努力が必要ではないでしょうか、今後この様な悲劇が繰り返されることがないように。

会場ロビーでは宗景正さん撮影「ソ満国境に入植した開拓団」写真展も開催され多くの参加者が見入っていました。(U)

宮島満子さんの詳しい証言は2008年発行(高文研)の「私たち何じんですか?」に紹介されています。(樋口岳大・宗景正共著 1,700円)

中国残留日本人の歩んできた道

理解を深める集いで中国「残留孤児」の手記を朗読

2008年4月に発足し、同年10月に尼崎市の委託を受け、支援法に基づく支援事業として日本語教室を開設しているコスモスの会尼崎日本語教室(宗景正代表)は毎年1回「中国残留日本人への理解を深める集い」を開催しています。今年は、中国「残留日本人孤児」の手記朗読、2世・3世の対談、写真展「ソ満国境に入植した開拓団」を開催します。新型コロナウイルス感染症対策として、会場内の三密を避けるための座席配置で開催されます。また参加の際はマスク着用を呼びかけています。

日時:2020年11月28日(土)午後1時~4時30分

会場:尼崎市立中央北生涯学習プラザ1階大ホール

入場無料

・宮島満子さんの手記「朗読」~八人の家族を満州で失って~

 朗読グループ「ま・どんな」の皆さん

・音楽のひととき

・対談「親たちの人生を語る」2世、3世のみなさん

・写真展「ソ満国境に入植した開拓団」(撮影:宗景正)

 同会場1階ロビー 期間:11月25日(水)~28日(土)

 午前9時~午後9時、28日は午後5時まで

主催:尼崎市(委託事業団体:コスモスの会尼崎日本語教室)

後援:尼崎教育委員会

協賛:近畿中国帰国者支援・交流センター、大阪中国帰国者センター

お問合せ:コスモスの会 石打謹也(090-7489-7091)

HP:kosumosunokai.sakura.ne.jp/kosumosu.html

二度と戦争の惨禍を繰り返さないために!

新型コロナ危機を乗り越え、守ろう!平和憲法を

8月21日~23日、尼崎市立中央北生涯学習プラザで第25回「尼崎平和のための戦争展」が実行委員会(小迫勇委員長)主催、21団体の協賛・協力で開催され連日多くの市民が会場を訪れました。

展示会場には、憲法問題・侵略戦争の歴史年表・満州農業移民と中国残留日本人・国を相手に裁判を闘った中国残留孤児たち・戦時性暴力問題・尼崎の被災地図・沖縄戦パネル写真・原爆パネル写真・原発問題・集団的自衛権・地元9条の会の活動・平和へのメッセージ・DVDコーナーなどびっしりと資料、写真、戦時の現物などが展示され連日多くの参加者が見入っていました。

22日には、大ホールで映画「私たちが生まれた島」が3回上映され、23日には語り部コーナーで、尼崎市原爆被害者の会・仲村元一さんの「三線演奏・沖縄戦を語る」が開催されました。実行委員会では戦争体験者が年々少なくなっていく中で、二度と戦争の惨禍を繰り返さないために戦争展開催を今後も続けていきたいと語っていました。(写真は8月22日撮影)

第25回「尼崎平和のための戦争展」

新型コロナ危機を乗り越え、守ろう!平和憲法を

日程:2020年8月21日(金)~23日(日)

時間:9:00~18:00(最終日は16:00)

会場:尼崎市立中央北生涯学習プラザ

尼崎市東難波町2丁目14ー1 ☎06-6482-1750

●展示その他(1F 学習室A~C)

パネル「原爆と人間」、沖縄問題、各9条の会の活動、尼崎の戦災図、原発問題、戦争に突き進んだ歴史年表、憲法問題、自衛隊問題、残留孤児問題など

子ども向け平和紙芝居ー21日のみ(2F学習室②)

展示会場は入場無料

※マスク着用をお願いします。入場制限をさせて頂くこともあります。

●映画上映(1F大ホール)22日(土)3回上映

映画「私たちが生まれた島」都島伸也監督作品  141分

上映時間:①10:00②14:00③18:00

上映協力金:一般1000円 中高生500円

※マスク着用をお願いします。

●語り部コーナー(3F音楽室)

23日(日)14:00~15:30

仲村元一さん「三線演奏・沖縄戦を語る」

尼崎市原爆被害者の会

主催:尼崎平和のための戦争展実行委員会

後援:尼崎市、尼崎市教育委員会

連絡先:尼崎市西長洲町2-34-1 尼崎教育会館内

電話:06-6481-1133 携帯:090-4902-8398(松岡)

コスモスの会「尼崎日本語教室」が新年交流会

中国帰国者がダンスや太極扇、コマ回しなどを披露

中国帰国者を対象に尼崎市内で日本語教室を開き支援を続けるコスモスの会(宗景正代表)は1月18日(土)尼崎市立中央北学習プラザ大ホールで「2020年新年交流会」を開き、中国帰国者やその家族、支援団体などから約150人が参加しました。

まず、宗景正代表が、日本語教室開設以来の活動の歴史を紹介し今後一層の協力や激励をお願いしますと開会あいさつ、来賓として最初に、日中友好協会兵庫県連合会の上田雅美事務局長は、今年70周年を迎えた協会は創立間もない1953年から日本赤十字社や平和連絡会と共に5年間にわたり大陸に残された日本人の引き揚げ事業に取り組んだ歴史を語り、今も帰国者支援は協会の大切な活動の一つです、とあいさつしました。続いて尼崎市南部保険福祉センター所長、伊丹中国帰国者を支援し交流する市民の会代表・尼崎市内で新たに設立された多文化共生デイサービス「三和之家」代表(残留孤児二世)・近畿中国帰国者支援交流センター代表・八尾中国帰国者支援交流会会長などからあいさつがありました。

乾杯のあと、朝早くから支援者や帰国者が用意した餃子や料理を食べながら歓談しました。舞台では伊丹・宝塚日本語教室の「中華ダンス」、大阪中国帰国者の会の「広場ダンス」、神戸帰国者三世仲間による「チャイナドレショー」、楽しい健康の会メンバーによる「広場ダンスや歌」が次々と披露されその都度会場から大きな拍手、歓声が上がりました。個人演技では踊りや京劇を歌う、中国のコマ回しなども披露され、最後に会場の参加者が一体となり「故郷」などを合唱し、ヤンガー(秧歌)踊りが舞台や客席を一周しながら交流会の最後を盛り上げました。