核兵器禁止条約の発効を力に核兵器廃絶へ!

禁止条約に署名・批准する日本を!

今年の「3.1ビキニデー」は、その歴史の中でも特別な機会になろうとしています。それは、1954年のビキニ水爆被災事件を契機に誕生した原水爆禁止運動が、65年以上にわたって求め続けてきた核兵器禁止条約が1月22日に発効し、核兵器が違法化された中で迎えるからです。

こうした画期的な情勢を切り開く土台となったのは、核兵器の非人道性を訴え、核兵器の全面禁止を要求し続けてきた被爆者と原水爆禁止運動、そして世界の反核世論と市民社会の運動にあります。

核兵器禁止条約の発効によって、核兵器廃絶のたたかいは新たなステージに入ります。重要なのは日本です。人類でただ一つ、戦争による核の惨禍を体験した被爆国の日本が禁止条約の参加に踏み出せば、核兵器廃絶のたたかいに大きなインパクトを与えます。

3・1ビキニデー集会は、歴史を動かしたビキニ事件と市民の運動について学ぶとともに禁止条約を力に、核兵器のない世界、非核平和の日本とアジアをめざして、海外代表と一緒に討論し、行動に力強く踏み出す場です。(原水爆禁止日本協議会パンフより)

3・1ビキニデー・オンラインに参加を!

オンライン会議アプリZoomウェビナーで開催します。参加ご希望の方は http://www.antiatom.org/   から登録して下さい。登録者には参加URLがメールで通知されます。

登録費:「全体集会・分科会」1,500円(一般)、500円(被爆者・学生・高校生) 「3・1ビキニデー集会」1,000円

原水爆禁止日本協議会 03-5842 -6031  Fax.03-5842-6033

E-mail:antiatom55@hotmail.com

元八路軍兵士の日本人「私は八路軍の少年兵だった」

元八路軍兵士となった日本人の体験記録

著者の藤後(とうご)博巳さん(1929年生)は、1943年(昭和18年)、高等小学校卒業後、満蒙開拓青少年義勇軍に志願。茨城県内原訓練所に入所。1944年2月渡「満」四平省昌図訓練所に入所後、ハルビン郊外の嚮導訓練所に移る。1945年8月、敗戦とともにソ連軍の捕虜となり、海林捕虜収容所を経て牡丹工捕虜収容所に収容される。同年10月釈放されてハルビン郊外の難民収容所に収容される。1946年、ハルビンに進駐してきた八路軍に加わり、以後、各地を転戦。1955年(昭和30年)帰国。以来、日中友好運動に携わる。現日中友好協会大阪府連合会顧問。

日本と中国との関係は歴史的に古く、絶ち難い強い絆で結ばれていますが、その背景には過去も今も、様々な人間のドラマがあります。その卑近な例を挙げるとしますと、一つに中国残留―日本人孤児たちがあります。歴史に翻弄されて苛酷な人生の苦渋を余儀なくされたこの人たちは、日本の中国侵略戦争のもたらした「負の歴史」の生き証人でもあります。その日本の子どもたちが、中国の人の手によって育てられ、成長し、その多くが中国の地に根を下ろしているその意義は深く、かつ重いものがあります。そしてその動機はともかく、中国の養父母たちの人道精神は、私たちに深い感銘を与えました。その孤児たち一人ひとりの心情はどうであろうとも、かれらこそ日中両国のかすがい的存在であることは何人も否定できません。

いま一つに、戦後、日本人でありながら八路軍(現中国人民解放軍)の兵士として戦後内戦に参加し、前線で、あるいは後方で、中国人たちとともに新しい国づくりに協力した人たちがいました。世間ではほとんど知られていない戦後の日本人の足跡があります。実は私もその一人だったのです。(著書の「はじめに」より抜粋)

(藤後さんの体験は2020年8月22日付毎日新聞夕刊に大きく紹介されました。上)

著書「私は八路軍の少年兵だった」お申込みは下記へお問い合わせ下さい。

E-mail:tougohiromi@yahoo.co.jp (藤後博巳さん)

南京大虐殺事件から83年

従軍兵士が撮った写真に南京の惨状が

南京事件から83年目にあたる12月13日、中国政府主催の「南京大屠殺死難者国家公祭儀式」が南京市で行われ約3000人が出席、陳希中央政治局委員が追悼スピーチを行いました。(写真は南京市で行われた国家公祭儀式)

中国大陸を2年半にわたり転戦してきた村瀬守保さん(1909年~1988年)は、1937年7月に召集され、カメラ2台を持って、所属中隊全員の写真を撮ることで、中隊の非公式写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しています。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルピンと中国各地を第一戦部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真には南京の写真もあり、中国を侵略した日本軍の足跡そのものであり、南京虐殺、「慰安所」、日常的な加害行為など決して否定することの出来ない侵略の事実が映し出されています。(写真は、村瀬守保写真集「私の従軍中国戦線」より

1937年12月、日本軍は中国の首都・南京の攻略戦で、投降した中国軍兵士や一般の市民、難民に対して虐殺を行いました。日本軍による中国人虐殺は20万人に及びます。中国はユネスコに南京の資料を世界記憶遺産として登録申請し、2015年10月10日に登録が発表されました。今年はこの南京大虐殺事件から83年目にあたります。(写真上:虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられ焼かれた死体を見る日本軍兵士、中:工兵隊が死体に鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をしていた、下:日本軍の砲爆撃により突破口をあけられた中山門の城壁、ここから第十六師団の将兵が怒涛の如く南京市内へ突入した)。

第43回兵庫の「語りつごう戦争」展

「戦争を遂行する文化」テーマに資料展示

今年で43回目となる兵庫の「語りつごう戦争」展が12月6日から神戸市兵庫区の妙法華院で始まりました。今年の展示テーマは「戦争を遂行する文化」で、会場には戦時中の厳しい統制の下、当時の状況を反映した雑誌や写真、戦時生活の様子がわかる現物資料などが多数展示されています。また中国を侵略した日本が中国大陸で行った太平洋戦争期最大の虐殺事件「廠窖住民大虐殺」の資料や写真、さらに大陸で日本企業が、軍隊の威を借り、中国の地下資源略奪、軍事要塞の構築などに強制連行され、強制労働を強いられ命を落とした中国人労工がゴミのように捨てられ、また生き埋めにされ、その遺骨が今に残る「万人坑」の写真なども展示しています。更に高校生が書いた作品を含め、沢山の平和色紙も同会場に展示されています。

「戦争体験を聞く集い」が6日午後、同会場で開催され市民20人が参加しました。この日は、姫路海軍航空隊鶉野基地―通称「鶉野飛行場」工事事務所に勤務して―と題し当時の体験を話す予定の藤原昭三さん(91歳)が、コロナ感染拡大の中、高齢でもあり、安全を考えご本人は来場せず、藤原さんがまとめた14ページにわたる記録を実行委員会代表を務める上野祐一良さんが代読し紹介しました。また、飛行場跡近郊の北条高校に勤務する稲次寛さんが、生徒と共に藤原さんから聞いた体験や、今に残る戦跡について高校生が課外活動として小学生に伝える活動を行っていることなどを紹介しました。戦争体験談は、12月8日を除き戦争展開催中は毎日午後1時30分から妙法華院3階会議室で開催されます。

芦屋・非核平和祈念のつどい

芦屋非核平和都市宣言35年・被爆75年、映画「いしぶみ」上映

碑(いしぶみ)に刻まれた旧制・広島二中の一年生321人

幼くしてこの世を去った彼らが最後に残した言葉とは―

昭和20年8月6日は、朝から暑い夏の日でした。この日、広島二中の一年生は、建物解体作業のため、朝早くから本川の土手に集まっていました。端から、1、2、3、4・・・と点呼を終えたその時でした。500m先の上空で爆発した原子爆弾が彼らの未来を一瞬にして奪ったのです。少年たちは、元気だった最後の瞬間、落ちてくる原子爆弾を見つめていました。あの日、少年たちに何が起こったのでしょうか・・・。

映画監督・是枝裕和と女優・綾瀬はるかによる新しい朗読劇。失われゆく戦争の記憶が語り継がれる。

日時:2020年10月17日(土)14:00~16:00

会場:芦屋市民センター401号室(JR芦屋駅西へ徒歩6分)

内容:映画「いしぶみ」上映

参加協力費:500円(高校生以下無料)

★先着100人まで ★マスク着用でお願いします

主催:芦屋非核平和のつどい実行委員会

共催:芦屋市原爆被害者の会

協賛:原水爆禁止兵庫県協議会/非核の政府を求める兵庫の会/平和と民主主義をすすめる芦屋西宮の会

後援:芦屋市/芦屋市教育委員会

連絡先:Tel&Fax:0797-31-6634(福田さん)

二度と戦争の惨禍を繰り返さないために!

新型コロナ危機を乗り越え、守ろう!平和憲法を

8月21日~23日、尼崎市立中央北生涯学習プラザで第25回「尼崎平和のための戦争展」が実行委員会(小迫勇委員長)主催、21団体の協賛・協力で開催され連日多くの市民が会場を訪れました。

展示会場には、憲法問題・侵略戦争の歴史年表・満州農業移民と中国残留日本人・国を相手に裁判を闘った中国残留孤児たち・戦時性暴力問題・尼崎の被災地図・沖縄戦パネル写真・原爆パネル写真・原発問題・集団的自衛権・地元9条の会の活動・平和へのメッセージ・DVDコーナーなどびっしりと資料、写真、戦時の現物などが展示され連日多くの参加者が見入っていました。

22日には、大ホールで映画「私たちが生まれた島」が3回上映され、23日には語り部コーナーで、尼崎市原爆被害者の会・仲村元一さんの「三線演奏・沖縄戦を語る」が開催されました。実行委員会では戦争体験者が年々少なくなっていく中で、二度と戦争の惨禍を繰り返さないために戦争展開催を今後も続けていきたいと語っていました。(写真は8月22日撮影)

猛暑の中「8・15平和のつどい」開く

講演「戦争映画で考える戦争の加害と被害」

日本の敗戦から75年目にあたる8月15日午後、兵庫の「語りつごう戦争」展の会(上野祐一良代表)は神戸市内で「8・15平和のつどい」を開催。猛暑の中、市民40人余りが参加しました。つどいは、永田喜嗣氏(大阪府立大学)が「戦争映画で考える戦争の加害と被害」と題し講演しました。

永田氏は、日本の映画は加害を描かない、日本の戦争映画は日本の被害を描く内容が多く、加害の描き方は極めてにぶいと指摘。第二次世界大戦の加害国ドイツの映画は、1960年代頃から変化が現れ、ドイツ人が自国の加害、戦争犯罪をあばく内容の映画を制作するようになった。海外で制作されたナチスの戦争犯罪を描く映画をドイツは受け入れているが日本は自国の加害映画を受け入れていない。日本で上映すれば右翼がスクリーンを切り裂く事件まで起こり、映画館での上映は止まっている。

戦争映画を観て、心地よいと感じ心に響く映画は危ない、むしろ二度と見たくないと思う映画の方がよい。戦争映画とは何なのか、戦地の様子を見せることにより観る人に戦争への協力や憎しみを増産させる役割を果たしていると語り、映画『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」と『ウルトラマンメビウス』第31話「怪獣使いの遺産」を上映。

永田氏は、この映画では加害が描かれている。子どもの頃から相手を認め、被害者の気持ちを理解するという教育が抜けていることを気づかせようとしている。加害と被害をどう克服していけばよいのか、加害の責任を今の私たちは負うべきなのかと問いかけ、加害の事実を知ること、消すことの出来ない被害者の恨みを止めるには加害者の謝罪が必要ではないかと語りました。

「加印平和のための戦争展」多くの市民が参観

資料展示と記念講演で平和の大切さ訴える!

再び戦争への道を歩まぬために―平和のバトンを次世代へ―をテーマに8月13日~15日加古川市の東播磨生活創造センター「かこむ」1F展示場で第21回「加印平和のための戦争展」が開催されました。展示会場には東播地域に残る戦争遺跡の写真や地図、日中戦争の写真や遺品、図表・写真などで紹介する今の沖縄問題、原爆被害の写真、絵画など数多くの資料が展示され、猛暑の中を多くの市民が参観していました。

開催期間中、記念講演会や映画「ああ、ひめゆりの塔」上映会も開かれました。8月13日午後開かれた記念講演会では、「コロナ・ペスト・731部隊」をテーマに前田清氏(日中友好協会加古川支部長、県連会長)が講演し、市民44人が参加しました。

戦後最大のパンデミックと言われる新型コロナウイルス感染症に対する中国、アメリカ、ブラジルなど主要国指導者の発言を紹介し、これまで人類が疫病と闘ってきた歴史を紀元前14世紀から現代に至るまでマラリヤ、天然痘、ペスト(黒死病)などについて「世界の感染症年表」を示しながら、疫病の大流行が歴史を動かしてきた、その度に蔓延に苦しんだ国々が発生源をなすりつけ合ってきた歴史が今なお続いていると指摘しました。

新型コロナウイルスとの闘いは歴史を見ればわかる、人類の歴史は感染症との闘いの繰り返し、人間とコロナウイルスは広い意味で「共生」関係にある。根本的な対策は、地球温暖化防止、過密大都市の分散化にあり、緊急に対処すべきは富裕層と貧困層、先進国と発展途上国での被害の大きな格差を是正すること。利潤追求を第一とする新自由主義加速による自然破壊への自制が必要ではないかと。自然破壊を継続すれば更に新たなウイルスが出現し人類を苦しめるだろうと語りました。

最後に、第二次世界大戦中に細菌研究、開発を行った731部隊について触れ、この部隊は、ペスト菌や炭疽菌などの細菌兵器を極秘に研究・開発し、そのデータを得るために「マルタ」と呼ぶ中国人捕虜などを使い生きたまま様々な人体実験を行い、遺体は焼却炉で処分するという蛮行を繰り返していた。人命を守るべき医学者がなぜ一線を越えたのか、「民族衛生資料」北海道帝国大学教授講演録の一部に生体解剖を正当化する内容があり紹介し講演を終えました。『匪賊(抗日勢力)が人間を殺すならば、その報復ではないが、その匪賊を材料にしてはどうかと思いついた。死んだ者は絶対に駄目である・・匪賊一人を犠牲にしたことは、決して無意義ではありません。これほど立派な材料は従来断じてないということだけはできます』。(写真は8月13日撮影)

第25回「尼崎平和のための戦争展」

新型コロナ危機を乗り越え、守ろう!平和憲法を

日程:2020年8月21日(金)~23日(日)

時間:9:00~18:00(最終日は16:00)

会場:尼崎市立中央北生涯学習プラザ

尼崎市東難波町2丁目14ー1 ☎06-6482-1750

●展示その他(1F 学習室A~C)

パネル「原爆と人間」、沖縄問題、各9条の会の活動、尼崎の戦災図、原発問題、戦争に突き進んだ歴史年表、憲法問題、自衛隊問題、残留孤児問題など

子ども向け平和紙芝居ー21日のみ(2F学習室②)

展示会場は入場無料

※マスク着用をお願いします。入場制限をさせて頂くこともあります。

●映画上映(1F大ホール)22日(土)3回上映

映画「私たちが生まれた島」都島伸也監督作品  141分

上映時間:①10:00②14:00③18:00

上映協力金:一般1000円 中高生500円

※マスク着用をお願いします。

●語り部コーナー(3F音楽室)

23日(日)14:00~15:30

仲村元一さん「三線演奏・沖縄戦を語る」

尼崎市原爆被害者の会

主催:尼崎平和のための戦争展実行委員会

後援:尼崎市、尼崎市教育委員会

連絡先:尼崎市西長洲町2-34-1 尼崎教育会館内

電話:06-6481-1133 携帯:090-4902-8398(松岡)

三木「平和のための戦争展2020」

地元市民提供の資料展示や戦時体験談聞く集いも

戦争の悲惨さを知り二度と惨禍を繰り返さないことを願い三木「平和のための戦争展2020」が7月21日~8月1日まで三木市役所ロビー「みっきーホール」で開催され、市役所を訪れた市民が足を止め見学していました。

戦争展は、地元市民が提供した兵士の遺品や空襲時に使用された防空頭巾、戦場を写した写真集をはじめ、中国大陸での加害の傷跡を示す写真や説明文、明石空襲の被害状況を紹介した図表、原爆被害の写真など多数の資料が展示され、会場ではビデオ上映、戦時体験を聞く集いも行われました。(写真は7月29日撮影)