上海事変を展示する「淞滬抗戦紀念館」

上海市民と中国軍の抗日・抗戦記録を資料展示で紹介

9月の「世界遺産・黄山と上海」の旅は最終日に、上海郊外の上海淞滬抗戦紀念館を見学します。この紀念館は上海市宝山区の宝山臨江公園内に2000年1月28日に開館、11階建(53m)の塔と一体の建築で、建築面積は3490㎡、展示面積は1500㎡あります。塔の上からは長江を臨み、当時日本軍部隊が上陸した地点や呉淞砲台跡、黄浦江などを見渡すことができます。

1、2階の展示室には、主に「1・28淞滬会戦」(第1次上海事変・1932年1月28~や「8・13淞滬会戦」(第2次上海事変・1937年8月13日~)に関わる資料が展示されています。紀念館は、中国共産党抗日民族統一戦線の号令により日本軍に抵抗した上海市民と抗戦した中国軍を記念して建設されたもので、上海市愛国主義者教育基地、上海党史教育基地となっていて、2018年1月から全国中小学生研学実践教育基地となっています。(写真上:淞滬抗戦紀念館、中:展示室の様子、下:空爆により破壊された上海南駅で泣き叫ぶ中国人幼児・1937年10月4日)

心揺り動かされた12月の南京

95歳の女性が82年前の被害を突然告白

昨年12月、30年間平和活動を続けている「銘心会南京」のスタディーツアーに参加し、南京から瀋陽まで移動して色々学びました。ここでは、南京での印象的なことを紹介します。

12月12日、南京で日本軍による性暴力を受け、長年苦しんできた生存者で、最後の被害者かと思われる女性(95歳)の自宅を訪問しました。銘心会が18年来行っている「心のケア」で、証言の聞き取り、贈り物の贈呈を行いました。この女性は、13歳のとき、日本兵に強姦されたことを突然告白しました。声にならない呻きを発し、泣きながらの証言で、「今も胸の奥が痛く、この痛みがなくなる事はない」と言われました。銘心会代表も世話をしている彼女の姪も始めて聞いたと驚いていました。

たとえ82年前であろうと、100年、150年前であろうと消えることのない想像を絶する苦しみだろうと察します。レイプが女性にとり、いかに重い犯罪で、心身への暴力であるかを深く学ばせて頂きました。

12月13日には、初めて南京大虐殺死難者国家公祭儀式に出席しました。式典は、非常に厳粛で慰霊の音楽の悲しさ、美しさ、また電光ボードに映し出された詩の内容の鮮烈さとその圧倒的な朗読に魂が揺さぶられる思いでした。きっと、全世界からの出席者の胸にも響いたであろうと感じました。

中国政府代表あいさつは、日本で南京大虐殺を否定する言動があることに対し、「歴史の動かぬ証拠に世界が驚愕した」と訴え、結びは「共に世界平和と人類進歩に貢献しよう」と締めくくりました。式典は最後に、平和の鐘と共に真白なハトが青空に飛び発ちました。(S)  写真上:儀式出席者に贈られた書籍と記念バッジ、下:南京大虐殺死難者国家公祭儀式(百度快照)

「姫路海軍航空隊の全容展」

鶉野飛行場の歴史と姫路海軍航空隊の全容を展示ー加古川市

「姫路海軍航空隊の全容展」が加古川市で開かれています。展示で紹介されている鶉野(うずらの)飛行場は、戦況が悪化し始めた時期、優秀なパイロットを養成するために、1942年に建設が開始され、翌年完成しました。1943年10月には姫路海軍航空隊が開設され、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から320名集められて、飛行訓練を受けて各航空隊へ配属されました。1945年、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までの間に63名の命が失われました。飛行場跡は、現在、兵庫県加西市が国から払い下げを受け管理しており、周辺に残る掩体壕や防空壕、弾薬庫跡などとともに戦跡として見学者が訪れる場となっています。(写真上・掩体壕跡、下・鶉野飛行場跡に残る滑走路、飛行場跡見学に関する問い合わせは、加西市観光案内所 0790-42-8775)

「姫路海軍航空隊の全容展」 入場無料

  • 日程:2019年1月4日(金)~15日(火)
  • 時間:午前9時45分~午後6時(最終日は午後4時まで)
  • 会場:加古川市民ギャラリー(加古川加古川町溝之口503-2 TEL:079-456-0222   JR加古川駅 ピエラ加古川内)

主催:加古川飛行場を記録する会

事実を歴史に残さなければ

「慰安婦問題」―記憶が未来を作る

12月15日、日中友好協会東神戸支部主催の総会記念講演会が神戸市内で開催され、中学教員で子どもと教科書大阪ネット21事務局長の平井美津子氏が「慰安婦問題を考える」と題し講演しました。平井氏は、まず今年のノーベル平和賞は、アフリカのコンゴ民主共和国で性暴力の被害女性の治療と支援に取り組む医師デ二・ムクウェゲさんとイスラム国(IS)に家族を殺され、自らも拉致され性奴隷にされた被害者で、奇跡的に助かり世界に告発し続けているイラクのナディア・ムラドさんが受賞したことを紹介。ムラドさんは、賞金を使い、過激派組織ISの性暴力を受けた女性らを治療するための病院をイラクに建設する意向を表明していると伝えられています。

平井氏は、中学校の社会科授業で(従軍)慰安婦問題について、新聞記事を生徒に読み解かせ、生徒自身がこの問題についてどう考えるか、生徒との対話の内容を紹介しました。「先生、私らに責任あるの」「私ら関係ないやん」「慰安婦の人たちに、私らが何かしたわけでもないし、この時代に生きていないし・・」×『私らはこの人たちにごめんなさいという必要はないけど、知る責任はあるんじゃないかな、日本の過去を知る責任、私らは政治家じゃないけど、どうやったらこの人たちの問題を解決できるかな、っていうことを考えるっていうのが大切かも』

政治家による数えきれない問題発言、行動やフェイクニュースが横行する中で、歴史の本当の事実を教える場所は学校、学校の教師の役割っていうのは、ますます大きくなってきている。過去と今をつなぐ学習として、「慰安婦」問題と、アメリカ軍兵士による性暴力が絶えない沖縄などについてこれからも追及していきたいと語りました。

兵庫の戦争展~写真と史資料を展示

戦争を遂行する体制づくり

第41回兵庫の「語りつごう戦争」展が12月5日~9日、妙法華院で開催されました。「戦争する国の社会・戦争と子ども、学校・戦時中のくらし」をテーマに、空襲で焼け野原となった神戸市街、爆弾の直撃を受けた本庄国民学校の写真、戦争末期に使われた配給、購入キップ、会場一画には戦時下の模型部屋セットなどが展示されました。また、戦争に反対した人たちを弾圧、投獄し侵略戦争を遂行した状況を紹介する資料、兵庫県内から「満州」へ渡った満蒙開拓団の写真や地図、年表などが展示され参観者は熱心に見入っていました。

戦争体験を聞く集いが4日間連続で開催されました。12月7日には、1938年、3歳の時、一家11人で長野村開拓団に加わり「満州」へ渡った宮島満子さん(1935年生まれ)が体験を語りました。入植地で長兄が軍隊に応召され、1945年8月、ソ連侵攻により開拓地を離れ逃避行の途上父親がソ連兵に連行され消息不明に、母親、兄弟姉妹が寒さと栄養失調で次々と衰弱して亡くなり孤児となりました。中国人の家を転々として育てられた苦難の歴史を時折声を詰まらせながら語りました。(写真上、正面右が宮島満子さん)

12月8日夕、妙法華院で「12・8平和のつどい」が開催されました。山内英正氏(兵庫歴史教育者協議会)が「明治150年と教育勅語」と題し講演しました。山内氏は、政府主催の「明治150年記念式典」にふれ、明治100年の記念式典と比較し、明治賛美、空疎な言葉による形ばかりの高揚感なき式典の内容を紹介。教育勅語をめぐる最近の話題や勅語の現代語訳、イギリス人宣教師からみた「教育勅語」について語りました。

2018南京の記憶をつなぐ映画祭

同じ過ちを繰り返さないために

私たちは、過去の歴史を正面から見据え、同じ過ちを繰り返さないために、中国侵略の象徴である「南京大虐殺」の事実を明らかにしていく活動をしています。

2014年から市民団体や個人が参加する実行委員会形式でドキュメンタリー映画の上映に取り組んできました。南京の記憶をつないでいく集いとして、今年は日本初公開を含めた4本の南京大虐殺のドキュメンタリー映像の上映を計画しています。また、紫金草合唱団による鎮魂歌の演奏があります。

日時:12月2日(日)9:50~16:00

会場:エルおおさか南館5階ホール

*地下鉄・京阪「天満駅」下車西へ300m

   9:50 開会あいさつ

10:00     「アイリス・チャン」 紫金草合唱団(演奏)

12:40     「南京の松村伍長」「証言者―張秀紅」

14:15 「南京引き裂かれた記憶」

※各回ごとの入れ替えとなります。 

費用:1日通し券 前売・1500円、当日2000円 単券800円

主催:「南京の記憶をつなぐ」実行委員会

連絡先:090-8125-1757   銘心会南京)

強制連行・強制労働による中国人犠牲者を追悼

犠牲者追悼と日本・ドイツの戦争加害映画について講演

日中友好協会兵庫県連合会は、9月4日午後、大雨警報が出る中、神戸市兵庫区の宝地院本堂で、戦争末期、強制連行・強制労働による「中国人犠牲者を慰霊する集い」を開催し、神戸港と相生の播磨造船所(当時)での苛酷な強制労働により亡くなった中国人45人を中川正興住職の読経と出席者の焼香で追悼しました。

日本への中国人強制連行は全体で約3万9千人、犠牲者は6千8百人余りですが、日本軍侵略下の中国大陸での強制連行・強制労働は膨大な人数となります。要塞の構築や石炭などの地下資源の採掘略奪などに苛酷な労働を強いられ数えきれない中国の人々が犠牲になり、今も犠牲者の人捨て場「万人坑」が発見されています。

なぜ日本は加害に背を向けるのか?

慰霊の後、学習講演会を開催。大阪府立大学大学院で抗日映画論を研究している永田喜嗣氏が「戦争映画に観る戦争加害~なぜ日本は加害に背を向けるのか?戦後ドイツ映画の歩みと比較して」と題し講演しました。

永田氏は、戦後のドイツでは1946年から戦争映画をつくっています。その頃は、ナチへの反対を描く内容でユダヤ人についての映画はつくっていません。1950年以降のドイツの戦争映画を作品名をあげて変化していく内容を紹介。ナチからの被害を描いた映画が海外から入り出し、アウシュビッツ、ホロコースト問題への関心が市民の中に高まり、アイヒマン裁判やホロコーストはドイツの一般国民にも責任があるとしたダニエル・ゴールドハーゲン論争を経て、加害の実態を知った一般市民の中に加害責任を負わなければならないという意識が広がりました。

統一されたドイツでは数多くの加害映画がリメイクされました。一方日本は真逆で、戦争映画は日本の被害を描いた内容中心の作品がつくられました。1997年、横浜で日本の加害、南京大虐殺の「南京1937」が上映された際、右翼がスクリーンを切り裂く事件が起こりました。それ以後、映画館で加害映画の上映はなくなりました。加害の実態を知る人は少なくなり、加害抜きの映画は日本人にとっては心地よいのかも知れません。最後に永田氏の解説でドイツ映画「ベルリン1945」と日本映画「戦争と人間」の抜粋映像を鑑賞しました。

「加印平和のための戦争展」300人が参観

「3万人廠窖大虐殺」現地取材の写真を展示

第19回「加印平和のための戦争展」が8月11日~13日に高砂市文化会館で開催され市民300人以上が参観しました。実行委員会に加盟している日中友好協会加古川支部は、展示で日中戦争コーナーを担当、柳条湖事件(満州事変)以降の写真などを展示。

1943年、太平洋戦争期最大と言われる中国湖南省北部の揚子江(現・長江)南部で日本軍が行った「江南殲滅作戦」(4月~6月)の第1期作戦(同年5月)で、中国軍の敗残兵、地元住民、他地域からの避難民合わせて3万人以上が犠牲となった「廠窖大虐殺」事件を取り上げました。この事件は日本では殆んど知られていません。中国には日本軍侵略の爪痕が今なお各地に残っています。

2014年4月と12月、現地(湖南省益陽市南県廠窖鎮)を協会員が訪れ、被害者のべ8人から証言を聞き、地元の事件研究者からは長年の調査記録の詳細を聞き、虐殺が行われたとされる現場や犠牲者の遺骨が発見された千人坑、今も行われている国家考古学者による遺骨発掘作業の様子などを収めた写真を多数展示し、前田清加古川支部長が参観者に説明し質問に応えました。最終日の13日午後、高原脩支部事務局長が自作の詩三編を朗読しました。

戦争遺跡めぐり

加古川の歴史事実を確かめる~特攻兵の中継基地に残した遺書など~

兵庫の「語りつごう戦争」展の会は第17回「戦争遺跡めぐり」を10月8日(月・祝)に行います。

  • 日時:2018年10月8日(月・祝)
  • 集合場所:湊川神社正門前(高速神戸駅下車、東改札口上へ)

集合時間:午前  8:50 出発  9:00

参加費:5,000円(拝観料・資料代・昼食代)

弁当持参者:4,000円  定員:27人(マイクロバス)

締切:9月25日(火)但し、定員になり次第締切ます

見学地:鶴林寺(特攻隊碑、特攻隊出陣血書、短冊特別拝観、宝物館)、中村屋旅館跡地、訓練橋、連隊橋、加古川刑務所、爆弾格納庫跡、歩兵第百六連隊兵舎跡、旧陸軍第二病院、陸軍航空通信学校尾上教育隊兵舎跡、尾上公民館、三菱製紙の煙突

18:00頃湊川神社前へ、解散予定  事前申し込み必要

お申込み:お名前・連絡先・所属・電話番号・昼食の要不要

主催:兵庫の「語りつごう戦争」展の会 Fax:078-577-7651

お問い合わせ:090-5896-6048(上野さん)

沖縄が背負わされた問題を共に考える

「8・15平和のつどい」で芳沢あきこさんが講演

日本の敗戦から73年目にあたる8月15日午後、神戸市兵庫区の妙法華院で「8・15平和のつどい」(兵庫の「語りつごう戦争」展の会主催)が開催され市民50人が参加しました。戸崎曾太郎代表は、「安倍政権は核兵器禁止条約に参加せず、対米従属政策を強め新基地建設を強行している。これは全国民の問題です。翁長知事の逝去は痛恨の極みです」とあいさつしました。

芳沢あきこ氏(基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会共同代表)が「沖縄が背負わされた問題を共に考える」と題し講演しました。集いは、辺野古新基地建設阻止を訴える沖縄県民の闘いに平和の歌を通して運動に参加しているシンガーソングライターで障害者施設代表の川口真由美さんの活動を収録したDVDを上映しました。

芳沢氏は、祖国復帰運動のことを知ってほしいと語り、1965年宜野座村で祖国復帰行進団の目の前で津嘉山成子ちゃん(6才)が米軍のトラックにひき殺された事件を紹介。手に通園用のバックを持ったまま道に横たわっている、側に突っ立ているだけの米兵。写真を撮ることも許されず、駆けつけた日本の警察官は米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに通れるよう交通整理を始めたのです。「沖縄を返せ」とは、誰に返せと言っているのか、誰がこの歌を作ったのか、と問いかけました。また沖縄県民の自己決定権を認めるべきだと語り、祖国復帰の碑文を紹介しました。沖縄へ出かけて行って多くの沖縄の人々と話をしてほしい、行ってわかることは沢山あります、と呼びかけました。