中国古典舞踊「KOKORO」神戸まつりに出演

県連会員の舞踊家、舞姫・こころ(胡紅侶)さんが、舞姫KOKORO & KOKORO中国舞踊学院として神戸まつりに出演します。

  • 日時:2024年4月21日(日)14:50~15:00
  • 場所:東遊園地特設ステージ
  • 演目:モンゴル族古典舞踊「春江花月夜」

皆さんのご来場をお待ちしております。

上海地下鉄、空港駅で国際クレカ対応に

二大空港地下鉄駅及びリニア駅でクレカ発売所増設

外国人旅客の便宜を図るため、上海地下鉄では二大空港の地下鉄駅:2号線浦東空港駅、2号線虹橋空港第2ターミナル駅、10号線虹橋空港第1ターミナル駅、10号線虹橋空港第2ターミナル駅の4駅7つのサービスセンターに国際クレジットカード対応端末を増設。窓口において片道きっぷ、1日乗車券、3日乗車券、リニア連絡きっぷなどの国際クレジットカード決済を開始しました。受理できるカードはVISA、Master、Discover Card、American Express、Diners、JCB、中国銀聯です。

3月5日、浦東国際空港駅に国際カード端末を正式設置。上海に来た外国人旅行者は人民元に両替することなくじきっぷ購入や上海公共交通カード(プリペイド式ICカード)の購入ができるようになりました。

新型装置設置後は外国人旅客を相手にきっぷ購入対応を操作簡単かつ敏捷に行うことができました。

以上、上海地鉄WeChatページより要約。

<神戸港 平和の碑>の集い2024

2008年7月21日、KCCビル前に<神戸港 平和の碑>が完成しました。アジア・太平洋戦争の時期に神戸港で強制労働を強いられた朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜の歴史を刻んだものです。「神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」では、石碑建立以降、毎年4月に、<神戸港 平和の碑>の集いを開いています。

石碑前での集会ののち、講演会を開きます。講師はPOW 研究会の田村佳子さん。昨年末に刊行された『捕虜収容所・民間人抑留所事典』(すいれん舎)に神戸の捕虜収容所について執筆されています。田村さんの調査/研究によってその全体像が明らかとなりました。

日時:2024年4月13日(土)
1)14;30~14:45 石碑前で小集会
2)14:50~16:30 勉強会(参加費&資料代1,000円)
テーマ:「神戸におけるアジア・太平洋戦争下の連合国軍捕虜収容所」
講 師:田村佳子さん(POW 研究会会員)
会 場:KCCビル10階(華僑歴史博物館のあるのがKCCビルです)
兵庫県神戸市中央区海岸通3 -1- 1
3)17:00~ 雅苑酒家(南京町)で懇親会
(参加費4,000円、学生2,000円)

●懇親会は事前申し込みが必要です。下記事務局まで、お願いします。

神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会
代表 安井三吉/ 副代表 徐根植、林伯耀
事務局長 飛田雄一
<事務局>
〒657- 0051 神戸市灘区八幡町4 -9– 22
神戸学生青年センター内 e- mail: hida@ksyc.jp
TEL 078- 891- 3018 FAX 078- 891- 3019

孫文「大アジア主義」講演100年を前に学習講演会

2024年は二つの100年が重なる記念すべき年です。神戸生まれの著名な作家・陳舜臣さん(1924~2015年)生誕100年と孫文が神戸で「大アジア主義」講演(1924年11月28日)を行って今年で100年となります。これを記念し、日中友好協会兵庫県連合会は学習講演会を3月23日午後、神戸市内で開催し40人が参加しました。安井三吉神戸大学名誉教授が「陳舜臣さん(生誕100年)の孫文像―『大アジア主義』講演100年を前に―」と題し講演しました。

安井教授は、陳さんがなぜ孫文に関心を高めていったのか、「近代を書くに至って、つねに孫文という大きなテーマに邂逅した。その周りを手さぐりで行きつ戻りつしたものである」と『青山一髪』あとがきに記しています。安井教授は、自身の仮説ではあるがと前置きし、「ある時期から陳舜臣さんは、孫文を非常に重視し、自らの理想を孫文に仮託して語るようになった。民族主義から世界主義へ、と」。そして、孫文の三民主義や神戸中華同文学校と梁啓超についても紹介しました。 陳舜臣さんは1924年2月18日神戸生まれ、国籍は日本(台湾)→中華民国→中華人民共和国→日本、と情勢の劇的な変化により国籍を変更したと思われます。大陸中国について陳さんは、「 『西行漫記』(「中国の赤い星」中国版)を読み中国共産党と毛主席のことをかなりくわしく知った。興奮をおさえることが出来ず、幾晩も眠れなかった」(「詩人教師毛主席」)と記している。台湾の2・28事件、台湾の民主化については年表を示し解説、1989年の天安門事件について陳さんは、一般商業紙や雑誌、華僑報で痛烈に批判している。

安井教授は最後に、陳舜臣さんが孫文への思いを表した言葉を紹介、「1924年に、孫文は北京に帰る途中、神戸に立ち寄って県立高等女学校で演説しているんです。ちょうど私が生まれた年、それも同じ神戸です。それで私には、孫文とは何か見えない縁で結ばれているような感じがあるんです。その時の演題は「大アジア主義」でした」。

「20世紀前半の話で、国家はそんなになかった時代に、『大同主義』『世界国家』を論じているのは理想論に感じる」「陳さんは天安門事件後、国籍を中華人民共和国から日本に移籍しているが、その後大陸へは行かれているのか」「孫文の『大アジア主義』は『大東亜共栄圏』と似ているように感じるがどうか」などの質問が会場からありました。

講演「日本・北東アジアを対話と協力の地域に」

「台湾有事」を起こさせないために

日中平和友好条約の精神を友好運動を進める推進の力にしていくことが、ますます求められています。日中共同世論調査では、「台湾海峡の緊張の原因」は、中国では「米国と日本」が多く、日本では「中国・北朝鮮・ロシア」が多くなっています。

しかし、「すべての戦争を平和的手段により解決する」とした「日中平和友好条約を機能させるべき」とする声は、日本6割、中国7割で、外交努力を求める声が大変多くあります。

日時:2024年4月14日(日)13:30~15:30

会場」尼崎市立小田北生涯学習プラザ

・JR神戸線「尼崎」駅から徒歩約5分 ・駐車場はありません

講師:山本恒人 大阪経済大学名誉教授

資料代:500円

主催:日中友好協会尼崎支部 090-6550-2568(大上)・同西宮支部 090-8232-8029(西村)・同芦屋支部 090-3493-4979(福田)

共催:日中友好協会兵庫県連合会 078-412-2228

協力:中国を知る会

広州ー湛江高速鉄道の湛江湾海底トンネルが貫通

トンネル全長9640m、シールド区間7551m

3月15日、広州ー湛江高速鉄道の湛江湾海底トンネルが完成しました。トンネル全長は9,640mで、その内7,551mがシールド区間、直径は14.33mです。湛江湾海底トンネルプロジェクトは、シールドマシンによって、一方向に掘削され、1つの穴と2つのラインがあり、これは中国で最も長いシングルヘッド掘削距離を持つ大口径高速鉄道シールドトンネルであり、掘削セクションが大きく、地質条件が悪く、多くの廃泥、簡単な泥ケーキ、および海と都市の両方を通過するという特徴があります。トンネルの建設は、湛江湾の既存の都市のスカイラインを効果的に保持し、水路の通過への影響を軽減し、高速鉄道の運行安全に対する台風の影響を効果的に回避します。

広州ー湛江高速鉄道の本線は、広州から西に佛山、肇慶、雲福、陽江、茂明、湛江、そして最後に広州ハブと湛江ハブ関連プロジェクトを含む湛江北駅につながり、推定プロジェクト投資額は998億元、401キロメートルの新しい二重線、設計速度は350㎞/hで、新しい佛山駅、珠江デルタハブ空港駅、新興南駅、陽春東駅、陽江北駅、マタ駅、茂明南駅、五川駅、湛江北駅9駅、湛江東駅と楊渓駅が予約されています。現在、広山高速鉄道の路床プロジェクトの93%が完成し、橋梁プロジェクトの91%が完了し、トンネルプロジェクトの86%が完了し、駅の背後にある4つの電力および住宅プロジェクトの建設が完全に開始され、2025年までの開通を目指していると言われています。(中国経済ネット)

疎開生活壱ヶ年のあしあと

神戸の学童疎開児童の文集が本になった!

「あの戦争で日本各地が空襲されるようになり、戦争遂行の『足でまとい』になるからと始まった学童疎開。その児童たちが敗戦半月後に記した文集が発掘された。一生懸命書いたと思われる51名の鉛筆書きの拙い文章から、いまだ戦争が無くならないこの時代に生きる私たちは何を感じとることができるだろうか。

さらに「戦争展」に展示されたある疎開先で写された集合写真の中に、自身の姿を発見した女性が実はその文集執筆者の一人であったというその事実に私たちは驚くのであった・・・。

昭和二十年九月一日 疎開生活壱ヶ年のあしあと

朝来郡竹田分教場神戸市須佐校

敗戦2週間後の学童集団疎開児童の文集と解説

判型:A5判 ソフトカバー 182頁 価格:1,500円(税別)

発行所:日本機関紙出版センター

お申込み、お問い合わせは下記へ

電話:090-5896-6048(上野さん)

中国残留日本人・中国帰国者の人生が問いかけること

日本を生きる―冷たい祖国

日本政府の引揚事業打ち切り・帰国制限政策によって、中国残留日本人の日本への帰国は大幅に遅れました。ようやく帰国できた時、残留孤児でも多くは40-60歳代、残留婦人は60歳以上になっていました。

しかも日本政府は、残留日本人問題を私事・自己責任とみなしているため、帰国後の公的な自立支援も、短期間の日本語教育を除けば、ほとんどありません。そこで残留日本人は、日本社会で深刻な困難に直面せざるを得ませんでした。比較的若く帰国できた残留孤児も就職は難しく、不安定な不熟練労働・非正規雇用の職にしかつけませんでした。職場では、低賃金・長時間の重労働、倒産や解雇、労災事故が蔓延していました。「中国人」とみなされ、差別も頻発しました。

帰国が遅れたため、年金も納付期間が足りず、ほとんどありません。そこで、帰国した残留日本人の8割以上は生活保護を受給し、最底辺の貧困層になりました。「1日2食にして、遠くの安売り店で賞味期限切れ寸前の食品を買っているが、高齢になって遠くまで行くのはつらい」などの声が聞かれました。生活保護を受けると、外出・買い物も行政に監視・指導され、自由を束縛されます。中国への訪問も事実上、禁止され、「命の恩人の養母の看病に行けず、死に目にも会えなかった。墓参も行けないのはあまりに辛い」と語る残留孤児もいました。

就職・交通機関の利用・行政手続き・災害情報の入手・買い物など、生活のあらゆる場面で日本語の困難にも直面しました。特に医療現場では「病状も説明できず、医師の説明もわからない」ため、手遅れになった人も少なくありません。近隣住民とのコミュニケーションもとれず、地域でも孤立を深めていきました。

日本への永住帰国は、残留日本人・中国帰国者にとって“問題の解決”ではなく、新たな苦難の始まりでした。残留日本人の多くは、日本を「残留日本人を放置した冷酷な国」と感じています。それは、長年にわたって中国に放置しただけでなく、日本への帰国後も一貫して放置され続けてきたという実感に根ざしています。(摂南大学現代社会学部学部長・特任教授 浅野慎一、日中友好新聞に連載中⑥より)

2019年3月26日、帰国者の公墓・記念碑が竣工(神戸市垂水区・舞子墓園)
中国帰国者の記念碑(神戸市垂水区・舞子墓園)

広島の高校生が描いた原爆の絵展

原爆被害の実相を後世に伝えていくために

広島の高校生が原爆被害の実相を後世に伝えていくいために、被爆体験証言者の方とともに制作した「次世代と描く原爆の絵」のレプリカの展示会です。また、当時の様子がわかる映像を2回流します。

日時:2024年3月31日(日)10時~16時30分

会場:野の花サロン(〒658-0051神戸市東灘区住吉本町1丁目24-27)

*東神戸病院(JR 住吉駅北)を北へ、山手幹線道路沿いの三菱UFJ銀行東隣

映像上映:①11:00 ②14:00

参加無料

共催:東神戸医療互助組合 社保平和委員会・原水爆禁止東灘区協議会(東灘原水協)

お問い合わせ:(078)851-9381(互助組合:道上)(078)811-3948(東神戸薬局:成山)

非核「神戸方式」決議49周年のつどい

国際秩序崩壊の岐路  核と世界、そして日本

核兵器禁止条約が発効して3年―ロシアのウクライナ侵略やイスラエルのガザ軍事侵攻、アメリカを中心とするNATOなどの「抑止力」を口実とした核態勢の強化など、核兵器をめぐる緊張がかつてなく高まっています。特に、米中対立の激化、北朝鮮、中国の核兵器増強、日米・韓米軍事態勢の強化など、北東アジアの緊張が高まっています。岸田政権は、大軍拡政策を推進し、地方自治体が管理する港湾・空港を戦争動員する体制づくりも企んでいます。核兵器禁止条約が調印・批准国を増やしており、世界は核兵器廃絶への流れを強めています。49周年を迎える非核「神戸方式」の重要さも一層大きなものになっています。日本、北東アジアの平和のあり方をご一緒に考えましょう。

日時:2024年3月18日(月)18時20分開会(18時受付)

会場:兵庫県民会館大ホール(JR/阪神元町駅を北へ約6分)

記念講演:太田昌克さん(共同通信社編集委員兼解説委員)

テーマ:国際秩序崩壊の岐路  核と世界、そして日本

資料代:1,000円

オンラインZoomでも配信します。ご希望の方はEメールアドレスを添えて申し込んで下さい。Zoomウエビナー参加URL、ID、パスコード、資料をEメールで届けます。当日は30分前に開場します。

主催:非核「神戸方式」決議記念集会実行委員会

協賛:非核の政府を求める兵庫の会

後援:神戸市/神戸市教育委員会

連絡先:078-341-2818 Fax.078-371-2427

Eメール:hikakukobe@yahoo.co.jp