中国漢方(中医学)の由来

漢方の名称は江戸時代に日本で生まれた―蘭方に対し漢方と

中国漢方は、古代中国哲学「陰陽五行説」の考えを基にした伝統医学です。理論体系は漢代に出来上がり、医学書「黄帝内経」が前漢代頃にまとめられた。その後、後漢代に、植物・動物・鉱物など365種類の生薬を分類し効能を記した「神農本草経」がまとめられた。同じく後漢代、感染症などの急性疾患や、慢性疾患についての治療法と処方を解説する「傷寒雑病論」が張仲景により著された。

唐代には、後に薬王と称された医師の孫思邈により、近代臨床医学の分類方法を採用し自身の臨床経験をまとめた「備急千金要方」とその補完版「千金翌方」が著された。金・元代には、金元四大家と呼ばれた劉完素、張従正、李東垣、朱震亨らにより「黄帝内経」の理論が発展し、多くの新処方が誕生した。清代に入ると「傷寒」とは発病の原因が異なる熱病が流行したことにより、「温病」についての研究が盛んになった。

中華人民共和国成立後、中国漢方の名称は「中医学」と定められた。その後、中医薬大学が設立され、西洋医学と同等に国が中国漢方の発展を推進している。「漢方」という名称は江戸時代に日本で生まれたもので、「蘭方」(西洋医学)に対し、漢の時代の「黄帝内経」を基本とする伝統医学を「漢方」と呼んだのが始まりです。(中国百科より)

杜甫「絶句」の「山青花欲然」を読む

第22回「漢詩を読む会」は杜甫「絶句」

盛唐の詩人・杜甫(712~770)は53歳の年の春、成都(四川省)の杜甫草堂で過ごしながら故郷洛陽への思いを詠んでいます。過ぎ行く春を惜しむ気持ちと年老いても帰れぬ望郷の思いを詠んだ五言絶句を味わいます。この詩句は、李白(701~762)から想いを得たと思われることについても講師の丹羽博之教授が解説します。(写真は四川省成都にある杜甫草堂)

日時:2020年4月11日(土)午後2:00~4:00

会場:日中友好協会兵庫県連合会「会議室」(阪急岡本西へ1分)

講師:丹羽博之 大手前大学総合文化学部教授

テーマ:杜甫「絶句」 「山青花欲然」

江碧鳥逾白 山青花欲然

今春看又過 何日是帰年

資料代:1,000円 事前に参加ご予約下さい

主催:日中友好協会兵庫県連合会 ☎078-412-2228

支援物資を北京の中日友好協会へ送る

中日友好協会、中国人民対外友好協会から謝辞、感謝状届く

コロナウイルスの猛威と闘う中国を支援しょうと協会本部は全国から集まった支援物資を2月7日に第1陣を、第2便を2月14日に、第3便を2月20日に北京の中国日本友好協会宛に発送しました。兵庫県連合会はマスク、ゴム手袋、消毒液をはじめ寄せられた支援募金を協会本部宛に送りました。

中日友好協会から2月13日に「支援物資が到着しました。皆様のご厚意を必要な人達の手元に必ず届けます」との謝辞が届き、中国人民対外友好協会の李小林会長から「我々は全力で感染者の治療及び重症者や死亡者の減少に取り組んでいます、おかげさまで現在、一部の感染者は適切な治療により退院しました。日本各界からのお見舞いの書簡とお心がこもった寄付・寄贈を賜ったことに対し、心より感謝申し上げます。貴協会から温かいお見舞いのメールに御礼申し上げます」との趣旨の感謝状が届いています。(上の図は記事と関連ありません)

協会の支援活動を報じた日中友好新聞を添付します。

新型コロナウイルスの猛威で文化行事に影響広がる

新型コロナ問題で第8回「中国百科検定」が延期に

2月20日に申込みを締切り検定を待つばかりとなっていた第8回「中国百科検定は」、新型コロナウイルスの感染広がりにより、日本政府が2月26日から2週間のイベントなどの自粛、全国の小中高校の3月2日から春休みまでの休校を要請する中で、高齢者の受験が多いことに加え、試験会場の複数の大学から中止や延期の要請が寄せられていることから感染リスクを重視して、協会本部は延期を決断しました。受験を申し込まれた方には検定事務局より郵送でお知らせを送付します。改めての実施時期については全国の実施組織とも相談しながら検討させて頂くとしています。

兵庫県連・支部主催の会議や文化行事も当面、延期や中止に

・2月29日(土)加古川支部「中国歴史講座」は7月25日に延期

・3月9日(月)「中国を知る学習会」は中止

・3月18日(水)「中国茶講座」は中止

・3月15日(日)東神戸支部「尼崎散策」は中止

・太極拳(垂水支部)会場が休館となり3月5日、12日は休講に

・3月20日(金)第8回中国百科検定は全国一斉に延期

・3月30日(月)~4月1日(水)「村瀬守保写真展」中止に

・4月3日(金)~4月5日(日)「村瀬守保写真展」中止に

※「中国語講座」は一部のクラスで休講となっています。

※中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会が運営する帰国者「日本語教室」は神戸岡本教室が3月15日までの2回(3月5日、12日)は休講、15日以降については現時点で未定です。明石教室は3月中休講となります。

※尼崎「コスモスの会」が運営する尼崎日本語教室は3月中休講となります。3月24日(火)開催予定の「日本語教室学習発表会」は中止となりました。

参加を予定されていた方々には大へん申し訳けありません。終息状況を見ながら再開の日程を判断して参ります、何卒ご理解頂きますようお願い申し上げます。

日中友好協会兵庫県連合会事務局 ☎078-412-2228

下の手洗い図:日本食品衛生協会より、コロナウイルス感染症についての説明:中国帰国者向け日本語教室(岡本)で配られたコロナウイルス感染症についての中国語説明

中国浙江省の友人から近況届く

新型コロナウイルスの猛威で中国も世界も一変

中国浙江省内の街に住む友人から2月26日、近況を綴ったメールが届きました。本人の了解を得て要約を紹介します。

「このコロナウイルスの感染拡大で、史上初めての春節を経験しました。大晦日の前日地元にも感染者一人が出たことで雰囲気は一変しました。予定していた親戚訪問などは全てキャンセルしました。昨日まで、地元では14人の感染者を確認、10人治療です。浙江省は感染確認1205人、治癒808人、死亡1人です。

新型コロナはずるくて移りやすい。症状は必ず出るわけではないので隔離を徹底し、予防した方がいいです。武漢、湖北省を除いたら死亡率はかなり低くなります。新型につき特効薬はありません。過剰治療、薬剤過量投入により逆に駄目にしてしまうケースが多いようです。漢方は非常に有効です、90%以上有効です。武漢は発源地ではありません。アメリカやイランでは違うタイプの新型コロナが発見されました。

2003年のサーズは最初広州で発覚し、漢方により抑えられたんです。その後、北京で広がる時、伝染病に指定され、漢方医は伝染病院がないため、事実上排除されました。これで遅れを取ったんです。最後の最後、トップからの指示で治療に参加でき、収束したんです。死亡率で見ると実は中国が一番低いのです。中国の中でも広州、北京、香港の順で、医療水準のイメージとは逆です。

実は、清末、民国の時、漢方医を無くそうとする当時の政府の試みは度々ありました。新中国の1953年も毛澤東主席は、漢方医を無くそうとする衛生省トップ二人を免職した経緯がありました。三年前から習近平主席は中医を高く提唱しましたから、今回は表面からの制限は一応なかったんです。浙江省は当初七割の患者を漢方で治療し、有効につきほぼ全員になりました。しかし、武漢では8%、30%というデータがありました。これが高い死亡率に繋がった原因の一つでしょう。トップ免職で改善されるとは思いますが。

中医が抑えられる状況は、西洋勢力の侵入と直接関連しています。その原因は、産業利益という点では分かりやすいですが、もう一つは文明の争いですね。漢方という表現は、実に不完全です。経典の「黄帝内経」は華夏文明の宇宙観、つまり天、地、人や、道や、自然などを中心に書いており、その下に医術に触れただけです。そして薬を飲ませるのは手術と同じく、もう最後の手段となります。今、中医はもう手術しませんが、実は歴史は長くて、二千年以上の手術器具が出土したことがあります。

今度のコロナで、外出は本当に少なかったです。逆に、ゆっくりできました。勉強しながら、今後の世界を楽しく見ていきたいですね。皆様も出来るだけ外出を控え、集会や会食は止めましょう。予防策として、ネットで見たのは、プーアル茶(あるいは苦みのある他のお茶)と黒酢(醸造のお酢)を15:1で飲んでみてください。まず、副作用はないですから。そして、何よりも風邪を引かないように、適当な運動もした方がいいですね。では気を付けて下さい」(写真は浙江省温州・楽清市の漢方製剤)

澳門でゴールデンモンキー(金絲猴)赤ちゃん誕生

孫悟空のモデルとして知られる希少動物

澳門市政署(IAM)は2月22日、コロアン島の石排湾郊野公園にある希少動物園で飼育、展示しているゴールデンモンキー(金絲猴)のつがいに14日、オスの赤ちゃんが誕生したと発表。2017年に湖北省の野生動物保護センターから貸し出しを受けて以来初めてのこと。IAMによると、母子とも健康状態は良好とのこと。

ゴールデンモンキーは、霊長目オナガザル科シシバナザル属に分類される霊長類で、金色の体毛と淡い青色の顔面が特徴的で、中国では西遊記に登場する孫悟空のモデルとして知られ、中国の国家第一級保護動物に指定されている。

新型コロナウイルスによる肺炎が流行している下で、防疫対策の一環として、希少動物館を含む石排湾郊野公園内の施設は今年1月25日から一時休館中で、ゴールデンモンキー親子と対面できるのはしばらく先になりそうです。(2月23日、マカオ新聞より)

被爆75年「3・1ビキニデー」核兵器のない世界へ

「3・1ビキニデー集会」は同実行委員会の緊急事務局会議が開催され、新型コロナウイルスの感染拡大の防止にとって「この1~2週間が極めて重要な時期」との判断で中止となりました。

核兵器禁止条約に調印・非核平和の日本を!

1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験を行い、マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船などが被災しました。

焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず、“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)は「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残しその年の9月に亡くなりました。

この3・1ビキニ事件は日本国民に大きな衝撃を与え、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。「3・1ビキニデー」集会は久保山さんの遺志をひき継ぎ毎年開催が続けられてきました。

被災66年2020年3・1ビキニデー集会

日時:3月1日(日)13:00(12:00開場)~15:30

会場:焼津市文化センター・大ホール

「主な内容」

主催者報告、ビキニ水爆被災から66年、被害者の記憶と思いを伝える、海外代表の発言、全国の運動交流、文化企画、集会アピールの採択

主催:原水爆禁止世界大会実行委員会

被災66年2020年3・1ビキニデー静岡県実行委員会

異なる発見があった「中国歴史と文化を知る講座」

文字を学ぶ楽しさを知り、漢字の見方が変わった!

2月16日に開催された「『中国歴史と文化』知るを楽しむ講座」は県外からの参加もあり盛況でした。先ず、白川文字学を研究されている藤田美佐子さんが「漢字3000年の歴史」と題して講演、「いなびかりは、天から神からの御告げである」。1899年殷墟で発見された甲骨文字を示し、その後、西周・金文、秦・篆書、漢・隷書と時代とともに変化、東晋の書家・王羲之が「蘭亭序」の序文に書いた行・草・楷などの美しい書体となった漢字の歴史を「神」の文字で変化を説明、ボードに書きながら紹介しました。甲骨文字が発見され、それまでの文字学が根底から見直されることとなった。1900年以上正しいとされてきた説を変えることは容易ではない。確かな証拠が必要となる。昭和の時代に学んだ文字学は「説文解字」によるものです。中国は1956年「漢字簡化法案」が公布され、簡化字(簡体字)となる。台湾は繁体字であるが、日本は戦後(1946年)当用漢字ができ、舊(旧)字体が使われなくなり、現在は常用漢字2136字となっている。

続いて前田清協会県連会長が、「漢字2000年のおつきあい―ヤマト民族は漢字が嫌いだった?」と題し講演、殷時代の甲骨文字に始まり、「文字の発明は文明に明るい面と、文字には魔性があり、霊力がある」との伝説を紹介し、明代には文字を書いた紙や印刷物を❛火葬❜する焼却炉「惜字炉」で❛火葬❜していた、炉は現在も残っているという。

漢字が日本に伝来し、使用するまでに600年もかかったのは何故か、古代ヤマト民族には「八百万の神」「言葉にも言霊(ことだま)がある」という思想があった。日本の神話に「文字文化」は出て来ない。620年に日本人が書いた「天皇記」と「国記」(漢字本)が記録に残っている。日本に伝わった漢字はその後日本人により加工され固有語を当てはめた日本独特の「訓読み」が現れた。カタカナやひらがながつくられ、近代には日本人がつくった「日本漢字」(和製漢語)が誕生したと、日本における漢字の歴史を語りました。(写真は講演する藤田美佐子さん 2月16日神戸市内)

宋代の詩人・林和靖の詩を読む

林和靖の詩は日本文学に影響

林逋(967~1028)は和靖先生とよばれ、杭州(浙江省)の西湖のほとりに住む隠者でした。梅の清らかさと鶴の気高さを愛し、自身も、清く気高い一生を過ごしました。2月の「漢詩を読む会」で紹介された「山園小梅」は、山の庭に咲く、小さな梅の花を詠じたものですが、林逋の梅に対する愛情がにじみ出ているような作品です。

山園小梅     山園の小梅

衆芳揺落独喧妍  衆芳揺落するも独り喧妍たり

占尽風情向小園  風情を占け尽して小園に向かう

疎影横斜水清浅  疎影横斜して水清浅

暗香浮動月黄昏  暗香浮動して月黄昏

霜禽欲下先偸眼  霜禽下らんと欲して先ず眼を偸み

粉蝶如知合断魂  粉蝶如し知らば合に魂を断つべし

幸有微吟可相狎  幸いに微吟の相狎しむべきあり

不須檀板共金尊  須いず檀板と金樽とを

講師の丹羽博之教授から、林和靖が白楽天の影響を受けていることや生涯独身であったこと、彼の詩が松尾芭蕉や一休の詩句にも影響を与えていたことなどについて紹介がありました。また宋代の詩(宋詞)の特徴について説明を受け、「憶江南」(江南を憶う)其の一、二、三の三首を読みました。

次回「漢詩を読む会」は4月11日(土)午後2:00~4:00

中国鉄路のきっぷたち②

前回は硬券の紹介でしたが、今回は軟券の紹介をします。座席管理にコンピューターを使うようになり徐々にですが、きっぷの購入がしやすくなってきました。それに伴い「外国人料金」も撤廃されました。(厳密にいうと人民料金を値上げして内外同一価格にしたようです。)

導入時期は不明ですが、私の持っているきっぷで一番古い軟券は1997年発行のものとなっています。コンピューター管理となり、今までは座種によって窓口が違っていましたが、どの窓口でも購入できるようになってきました。また市内にあるきっぷの発売所でも購入できるようになってきました。ただしまだ帰りのきっぷなど発駅以外のきっぷは購入できませんでした。

2000年代になり、徐々に発券システムのネットワーク化が進み発駅以外のきっぷを購入できるようになってきました。きっぷの様式も「中国铁路-CR」地紋の赤色軟券になりました。

2000年代後半にはシステムのバージョンアップによりきっぷの駅名に英字表記が入るようになりました。手元にきっぷが残っていませんが、異地発券の実験として2010年に浙江省杭州駅で黒竜江省牡丹江駅発の列車の硬座指定券の購入ができたのを確認しています。この時期には全国的にどの駅発のきっぷの購入もできるようになりました。

自動改札機を通れる磁気化券が登場しはじめた初期のきっぷです。赤地で地紋として動車組列車のシルエットが入っています。磁気化券は登場しましたが、大半の駅の改札自体は駅員が一枚一枚きっぷに鋏を入れるスタイルでした。

今回はこのあたりにしたいと思います。