客家の知恵が生んだ要塞住宅 ― 福建土楼に泊まる
今回は、中国の特徴的な伝統住宅を巡ります。 まずご紹介するのは、2008年に世界遺産に登録された福建土楼(フージエン・ツウロウ)です。
福建省南端、広東省に隣接する永定という町には、 客家の人々が13世紀頃から建て始めた土楼が点在しています。 永定には46ヶ所の土楼群があり、建物は長方形や円形をしていて、 壁の厚さは1〜2m、3〜5階建て。 数十家族から、最大では200家族が共同生活を営んでいます。
入り口は一つだけ。 外敵から身を守るための“要塞住宅”としての役割も果たしていました。
土楼群が世界遺産に申請された際、 アメリカが衛星写真を見て 「これはロケットの発射台ではないか?」 とクレームをつけたというエピソードも残っています。 円形の巨大建築が並ぶ様子は、確かにそう見えなくもありません。
■ 予約できない宿 ― とにかく行ってみる
中国国内を旅するとき、私はいつも 「往復の航空券と宿泊先だけは必ず予約してから出発」 というスタイルでした。
しかし今回は、 「土楼に泊まれる」という情報があったものの、どうしても予約が取れず、 「とにかく行ってみよう」と永定へ向かいました。
永定駅で列車を降りると、ちょうど土楼群へ向かうバスがあり乗車。 終点で降りると、そこには小さな食堂が一軒あるだけで、他には何もありません。
まず昼食をとろうと食堂に入ると、客は私一人。 壁には手書きの土楼群の地図が貼られており、 それをじっと見ていると、店主が「旅行者か?」と声をかけてきました。
「そうだ。土楼を見て回りたい」と答えると、店主は二つのことを教えてくれました。
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バスで回るなら1日1ヶ所。バイクタクシーなら半日で有名どころを回れる。
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泊まる場所を探しているなら、近くの土楼で宿泊できる。
その場で翌朝のバイクタクシーを予約し、 土楼での宿泊もお願いしました。
昼食後、店主の子供(6〜7歳ほどの男の子)が 宿泊する土楼まで案内してくれました。
扉のついた一室で、 木のベッド、タオルケット1枚、扇風機1台、小さな窓が一つ。 それだけの簡素な部屋でしたが、 1泊20元という破格の安さ。 私が経験した中で最安値の宿泊でした。
■ 暗闇の部屋で見つけた“救いの紐”
鍵を預かり、観光用に公開されている土楼を見学しました。 公開されている土楼は非常にきれいに整備されていますが、 一般の土楼では今も多くの人が生活しており、 内庭では豚や鶏が飼われ、井戸を囲んで共同生活が営まれています。 大きな土楼には祖廟もあり、客家の文化が息づいていました。
夕方、食堂に戻って夕食とビールを楽しみ、 宿泊する土楼へ戻りました。
階段の位置、部屋の場所も間違えず扉を開けたものの、 中は真っ暗。 照明のスイッチを探すも見つからず、 周囲には明かりが一切ないため、 暗闇の中で手探りでベッドを探しました。
小さな部屋なので、すぐにベッドにぶつかりましたが、 その瞬間、頭に何かが触れました。 それが電灯のスイッチの紐だったと分かった時の嬉しさは、 今でも忘れられません。
■ バイクタクシーで土楼群を巡る
翌朝、食堂前からバイクタクシーに乗り、 手書きの地図にあった有名な土楼群へ向かいました。
言葉はあまり通じませんでしたが、 運転手は写真に絶好のスポットへ次々と案内してくれ、 とても助かりました。
アメリカが「ロケット発射台では?」と疑った土楼群にも行くことができ、 その風景は中国の郵便切手にも採用されています。
今も息づく土楼の生活に触れられたことは、 大変貴重な経験でした。
最後に運転手は永定駅まで送ってくれ、 心から感謝した旅となりました。

昼から、布達拉宮のすぐ近くにある大昭寺(ジョカン寺)へ向かいました。 ここも世界遺産に登録されており、ラサの中心に位置するチベット仏教の聖地です。
大昭寺の前では、多くの信者が五体投地をしていました。
巡礼者は大昭寺へ向かう巡礼道「バルコン」を通り、 マニ車を回しながら歩く人もいれば、 五体投地を繰り返しながら少しずつ前へ進む人もいます。
昨晩は少し頭痛がありましたが、朝になるとすっかり回復していました。 ホテル近くの小さな雑貨屋へ行くと、店番のおばさんが「你好」と声をかけてくれます。 一度会っただけなのに挨拶してくれる――その温かさがとても心地よく感じられました。
その後、国内の仏教対立や王位継承問題などで吐蕃は877年に滅亡。 時代は流れ、1642年にダライ・ラマ5世がチベットを再統一し、 3年後に増築する形で布達拉宮の建設が再開されました。 歴代のダライ・ラマによる増改築が続き、 1936年に現在の姿となりました。
布達拉宮では屋上にも上がることができました。 写真で見る布達拉宮は壮麗ですが、 屋上から眺める景色もまた格別です。
布達拉宮は、現在の中国で発行されている50元紙幣の裏面に描かれています。
中国の旅では、いつも安ホテルを利用しています。 今回も写真にあるような二階建ての素朴なホテルに宿泊しました。
納木错の標高は4700m。 酸素ボンベを携帯しての訪問です。
湖の向こうには、 万年雪をいただく7000m級のニェンチェンタンラ山脈が横たわり、 静寂の中に圧倒的な美しさが広がっています。
この神聖な湖でも、祈祷旗と同じくらいよく見かけるものがあります。 それはヤクの糞です。
前回ご紹介した九塞溝のすぐ隣、 といっても山ひとつ隔てて何十キロも離れていますが、 四川省北部にはもう一つの絶景、黄龍(ホアンロン)があります。
ここは、石灰分を含んだ湧水が 気の遠くなるような年月をかけて自然に作り上げた石灰棚。 その棚田のような段々に、 彩池(さいち)と呼ばれる湖沼がどこまでもどこまでも続いています。
私は文学の才能はありませんが、 黄龍を歩きながら「水色とは何か」を考えさせられました。
今回は、中国内陸部・四川省の北端に位置する九塞溝(きゅうさいこう/ジウジャイゴウ)です。 省都・成都から飛行機なら1時間足らず、現在では高鉄(新幹線)で約2時間と、アクセスは非常に便利になりました。
九塞溝には数多くの名勝がありますが、その代表格が五花海です。
九塞溝の最奥、海抜3100mに位置する五彩池は、 まさに九塞溝の象徴ともいえる場所です。
入り口から歩いていくと、連なる湖沼の間に盆景灘瀑布が現れます。 海抜2000m付近なので、夏でも涼しい風が心地よく感じられました。
私が龍門石窟を訪れたのは、五一(メーデー)の休暇。 当時(2008年)はまだ旅行アプリなど使っておらず、 ガイドブックを見てホテルに電話し、中国語で予約していました。
龍門石窟は北魏の龍門期(494〜520)に始まり、 その後、隋・唐の時代まで掘り続けられ、 実に400年以上にわたって造営が続いた巨大な石窟群です。
この時の衝撃は、今でも忘れられません。
歴史上は雲崗石窟の後に龍門石窟が造られましたが、 私はその順序も知らず、 しかも龍門が“初めて訪れた石窟”でした。
前回の終わりに触れたことわざ、 「五岳から帰れば山を見ず、〇〇から帰れば岳を見ず」。 この“〇〇”に入るのが、今回ご紹介する黄山(こうざん)です。
黄山には69の峰があり、そのうち16の峰が特に素晴らしいとガイドブックに紹介されていました。 山中で1泊する予定だったので、 「2日間で16峰すべて制覇しよう」と意気込んで出発しました。
翌朝は暗いうちに出発し、 日の出が最も美しいと言われる光明峰へ向かいました。
黄山には三主峰と呼ばれる 蓮花峰・光明峰・天都峰があります。
今回ご紹介するのは、山東省の省都・済南の南にそびえる泰山(たいざん)です。 中国の道教における五つの霊山「五岳」のひとつで、東岳泰山として古来より「天下第一山」と称えられてきました。標高は1532m。 中華文明の五千年の歴史を象徴する山であり、秦の始皇帝から清朝に至るまで、13代の皇帝が国家の繁栄を祈る儀式「封禅」を行った場所としても知られています。
登山口は麓の町・泰安。 ここから山頂までは、なんと約7000段の石段が続きます。
最初の目標は中天門。 出発して1時間ほどで到着し、ここでようやく中間点近く。 遠くには、次の目標である南天門が小さく見えています。
山頂手前には、泰山を象徴する有名な石刻 「五岳独尊」があります。 ここは絶好の撮影スポットですが、 訪れたのが国慶節の大型連休だったため、 あたりは「人人人」という状態。 誰も写り込まない写真を撮るのは、さすがに不可能でした。
中国にはこんなことわざがあります。
広東省広州市から西へ約80km。 ガイドブック『地球の歩き方・広州編』に「小桂林」と紹介されていた肇慶市に、ふと思い立って出かけることにしました。
肇慶に着くとまず帰りのバスの切符を確保し、売店で地図を購入。 すぐ近くに「七星岩」の門があり、そこが“小桂林”と呼ばれる景勝地でした。
のか」と胸が高鳴りました。
今回は「初めての旅」ゆえにハプニング続きで、 景勝地の紹介は少し控えめになりました。